Sugarcoat-シュガーコート- #155

第15話 All's fair in love and war. -18-


 五月六日、日曜日。空は水色、空気は山吹色っぽい温かさで、出かけるには絶好の日和だ。
 それなのに、戒斗はうっとうしい――と云えば不謹慎かもしれないけれど、朝からそんな色の会議へと出かけた。
 叶多にしろ、うっとうしい色は付き纏う。
「渡来といい、頼くんといい、叶多は“金のガチョウ”だね」
 やっと頼を追っ払ってため息を吐く叶多を見たユナは、可笑しそうに指摘した。
 昨日の電話で、退屈だと泣き落として約束を取りつけ、そうしたとおり、ユナは朝十時に遊びにきてくれている。
 あたしのうっとうしい色は金色なんだ、と、チグハグなイメージの色だけれどそこが自分らしくて妙に納得した。
「これで一時間は解放されたかも」
 頼にはお弁当を買ってくるよう、用事を云いつけたところだ。有吏家の最寄りの駅から三つ先の駅にある洋食専門の弁当屋を指定した。ちゃんとしたシェフがいるらしく評判がいい。何度か出前してもらって詩乃と食べて、実際美味しかった。
 ――そう、出前はできるのだ。が、頼には嘘を吐いて買いに行かせた。
 正午には帰ってくるのだけれど……。

「ていうか叶多、軟禁されてるみたいだけど何があってるの? 渡来は知ってるみたいなのに、ほっとけの一点張り」
「んー……っと、親戚の人が誘拐されて、それで戒斗が用心してるってとこ」
「誘拐?」
 かしげていた首をまっすぐに直して、ユナは目を見開いた。
「あ、でもちゃんと助かったから」
「……そっか。ただでさえ目が離せなさそうなのに、そういうことがあるんじゃあ、戒斗さんも閉じこめたくなるだろうねぇ」
「それじゃ困る。明日から大学だし。行けるかな……」
 叶多が真面目に文句を口にすると、ユナはまたびっくりしたように目を丸くする。
「そんなに深刻なの? だって、そのわりに叶多を頼くんに預けて、タツオさんとか他には誰もいないじゃない」
「この家は要塞だから大丈夫なんだよ」
 ユナは叶多の言葉を比喩と受け取ったようで、おもしろがった様に一変した。
「この際、結婚しちゃえば戒斗さんも堂々と閉じこめる口実ができそうなのにね」
「ユナ、簡単に云うけど、好きなように出かけられないって退屈とかより窮屈なんだよ。一歩家を出たら監視カメラに追われちゃうし」
 ユナはぎょっとした顔になる。
「もしかして音とかも盗られてる?」
「らしいよ」
「え、じゃあウタ歌ってたらバッチリ?」
「歌ってた?」
「最近、FATEの新曲“Bound Heart”お気に入りなんだよね」
「ユナってば、歌だけはダメなんだよね」
 自分でも音痴と認めているユナに対して、叶多が秀でているものといえば唯一、歌うことなのだ。ユナは“ムンクの叫び”みたいに両手で自分の頬を包んだ。
「どーしよー」
「大丈夫。ユナはホワイトリスト登録されてるし、自動削除になってるよ」
「ホワイトリスト?」
「ブラックリストの反対」
「なるほど。っていうか、お金持ちってそれなりにたいへんだね」
 ユナの感慨深げなため息に、叶多のもどかしいため息が重なる。
 すべてを自分の思うようにはできなくて、何事につけ、それなりに受け入れるべきことはある。
 その区切りってどこだろう。
 またため息を吐きかけたとき、携帯電話がメール着信を知らせた。
 十一時二十二分。ほぼ予定どおりだ。

「叶多、どうかした?」
 反対側のソファからユナが身を乗りだして叶多を覗き見る。
 不安そうな顔をしていたかもしれない。叶多はさっと笑顔に変えた。
「あー、頼が財布忘れたって」
「ぷ。しっかりしてそうなのにそういうとこあるんだ」
「たまにね。そこまで戻ってきてるらしいから渡してくる。ユナも来ない?」
「あたし? いいけど……あ、ボディガードってことね」
 ユナはちょっと怪訝そうにしたあと、勝手に理由を見いだして了解した。叶多にとっては助かる解釈だ。
「叶多、財布渡すのにバッグまでいらないんじゃない?」
 外に出て門へと歩きながら、ユナが可笑しそうにして、叶多の肩にかけた小さなバッグを指差した。
「あ……だよね……ちょっとした癖かも」
「……叶多、なんだかヘンじゃない?」
 さすがにユナは親友の動向を目敏く察している。
「だ、だから、監視カメラあるから緊張してるんだってば」
「あ、そうだった」
 ユナは敷地内を見渡す。うまく気が逸れたようで叶多はほっとした。
 人専用の門まで来ると叶多は鍵を解除した。
 問題なく開いてまずは安堵する。門前の駐車スペースを道路脇まで足早に進んだと同時に、車がすっと叶多の前で止まった。
「叶多!」
 ぶつかると思ったのか、後ろをついて来ていたユナがびっくりした声で叫ぶ。
「大丈夫。ユナ、ごめん。ちょっと出かけてくる。留守番してて」
 引き止められるまえにと、云いながら叶多は後部座席のドアを開け、車に乗りこんだ。
「え、え、え? 出かけるって、留守番って、叶多っ」
 ドアを閉める直前、ユナは慌てふためいて、悲鳴じみた声を響かせる。
 車が動きだし、叶多は窓を開けてユナに手を振った。

「彼女、大丈夫かな」
 運転席から案じた声がつぶやいた。
「ユナはしっかりしてるから」
「ならいいけど。僕は誘拐犯で逮捕だな」
 その言葉に叶多はため息を吐いた。
「則くん、ごめん。でも絶対そんなことさせないから」
「わかってるよ。崇さんのケータイから僕を呼びだすって、よっぽど戒斗くんは用心深くやってるんだね。電話しないで正解だった?」
「あ、ケータイの電源切っておかなきゃ。話できないうちに引き戻されちゃいそう」
 携帯電話が追跡する手段になることを思いだし、叶多は短いメールを素早く送信して電源を切った。
 戒斗がメールを読むのは午前中の密議が終わってからだろう。それから大騒ぎになるとしても、その頃にはもしかしたらなんらかの最善策が得られるかもしれない。
 あとは衛守家が、ユナの見送りだろうとか、なんとか見過ごしてくれていることを願うだけだ。
 後ろを振り向くと、特段おかしいことはない。
「則くん、もしかして電話、気を遣ってくれてた? 戒斗、メールまで相手を全部チェックしてるみたいなの」
「気持ちはわからなくもない。僕だって今日、何度もやめようって思ったんだよ。貴仁くんだってそうだ」
「よかった、やめてくれなくて。貴仁さんは?」
「貴仁くんとは青南大のグラウンド近くで待ち合わせてる。そこだと休日に学生がいてもおかしくないから」
 ということはあと十分もすれば着く。
 それまで、叶多は外出禁止令のことや那桜の容体に関すること、則友は崇をごまかすのがたいへんだったこととか、肝心なことは避けて話した。

 大学構内の駐車場に車が止まると、叶多は則友と一緒に通路を歩いていく。
 通路と校舎の間には、グラウンドへと導くように銀杏(いちょう)の木が等間隔にある。銀杏は芽吹く季節で、ちらほらと黄緑色が見える。
「則くん、ちょっとまえ云ってたこと。受け入れ難い、って……いまはどうなんだろうって考えてた」
「変わらず複雑だよ。けど、戒斗くんと会って以来、なるべくしてなっていると感じてる。それが正しいと云えるようにやるべきことをやるだけだ。いまはそう思ってる。といっても、もう僕の最大の役目は終わっていて、これからさきにできることは大したことじゃない」
「最大の役目?」
「戒斗くん、つまり陰の一族を突き止め、領我家に知らせること、だよ」
 叶多は目を丸くして、歩きながら則友を覗きこんだ。
「……じゃあ……やっぱり会った順番て違うんだね?」
「そう。たか工房を訪ねてまもなく貴仁くんに捕まった。彼の――領我家の苦悩を知って“ムカつく”という気持ちは昇華された。そのあと、戒斗くんと巡りあうまでは長かったけどね。崇さんは口が堅い。おまけに察しがいい。崇さんはたぶん、僕が誰かを、正確にいえば誰の子かをわかっていた」
「領我家の苦悩って?」
「聞いてない? 戒斗くんは全部とはいかなくてもある程度は気づいてるはずだよ」
 戒斗の意向を尊重してか、則友は教える気がなさそうだ。
「はぁ……則くんが大したことできないって云うんだったら、あたしはもっと役立たずだよ」
「だから、叶っちゃんがいなかったらたか工房に入ることはなかったって云っただろう。嘘じゃない。それに、叶っちゃんだって何かを思ってこういう無謀なことをやってるはずだ。そして、その手伝いをしたいと思って僕はここにいる」
「ぷ。なんだかグルグル回ってる感じ」
「それがなるようになるってことなんだろう」
 じゃあ、たぶん戒斗を怒らせて心配させるに決まっているこの行動も、もしかしたら無駄にはなっていないってこと?
 叶多はちょっと気がらくになった。

「叶ちゃん」
 もう一棟越えればグラウンドというところまで来たとき、貴仁の声がした。さきに来て、銀杏の木の陰にいたようで、すぐ間近から出てきた。
「貴仁さん!」
「大丈夫? 叶ちゃんが動くなんて、まさかなのかやっぱりなのか、後悔しそうになる」
 貴仁は気遣うようにしながら苦笑した。
「あたしのことは全然大丈夫。そんなことより、貴仁さん、どうにかならないのかな? 領我家から動いてもらうとか……じゃなきゃ、ヘンなことになりそう」
「ヘンなことって?」
「身代わりが立てられるかもしれない」
「誰の?」
「一族の本家」
「つまり、有吏家の? 誰が?」
「千重家。了解もしてるって云うけど……会いにいって実際そう云ってたけど、あたしは納得できない。だから……」
 貴仁が険しく眉をひそめ、叶多は言葉を途切れさせた。
「違う」
 貴仁は一度首を横に振りながら、たった一言で喝破(かっぱ)した。いつにない厳しい表情だ。
「……貴仁さん?」
「ああ、叶ちゃんに怒ったわけじゃない」
 ため息を吐きながら、貴仁は困惑した叶多に詫びた。
「うん、大丈夫。それより、いま一族の会議があってて……今日、決められると思うの。でもそのまえに、あたしは領我家と話したほうがいいって……領我家は……敵じゃないよね?」
 不安混じりでためらうように問いかけると、貴仁は即座にうなずいた。
「敵じゃない。それどころか、どれだけ蘇我の血が混ざろうと、おれたちは同族だ」
「……同族?」
「そう。とにかく、なんとかしなきゃならない」
「どうにかなる?」
「蘇我本家にまだ胡散臭い動きがあって下手に動けない。領我家は本家に嫌厭(けんえん)されているから。動いたことで有吏を曝すことになったら、領我家は有吏の信頼をなくすことになる。そうなれば元も子もない」
「でも今日――」
「大丈夫。蘇我と違って、有吏はまだ柔軟性がある。何らかの要素で決定事項は(くつがえ)るはずだ。いまは孔明に任せている。有吏と接触するのにいちばん不自然じゃないのは孔明だ。だから、叶ちゃんは心配しないで」
 叶多はうなずき、それに応えて貴仁もうなずく。

「……余計なことしたかな」
「無茶やって出てきたからね」
 叶多の後悔を聞いて、それまで立ち会うだけだった則友が可笑しそうに口を出した。
「余計なことでもないよ。千重家の情報はある種の成果だ」
「よかった」
「貴仁くん、千重家って蘇我に――」
「則友さん!」
 とうとつに貴仁が顔色を変え、則友をさえぎった。同時に、グラウンドから聞こえる陸上競技部の声を除けば静かだった周囲に複数の足音が聞き取れた。
「叶っちゃん、グラウンドに走るよ」
 どういうことか確認するまえに則友に手を捕まれた。肘を脱臼しそうに引っ張られて、叶多はつんのめりながら駆けだす。
 突然のことに心臓がどきどきと大きく脈を打って周りの音が聞こえなくなった。が、一分と経たないうちに、理由はわからないままも置かれた状況が明らかになった。
 則友が足を止める。次には、その変化についていけず勢い余って飛びだした叶多をかばって前に立ちはだかった。
 則友の背中では隠しきれず、叶多は視界の両隅に一人ずつ確認した。行く手をさえぎるのは、明らかに学生でもなければ、普通の(なり)でもない。叶多の脳裡は否応なくかつての事件と結びつける。
「貴仁くん!」
 襲撃者と相対したまま則友が叫ぶ。

 それに釣られて叶多が振り向くと、貴仁は独りで四人を相手にしていた。
 その流れるような闘い方は知っている。有吏館の道場で見た練習風景をそっくりそのまま持ってきたようだ。荒削りな襲撃者と比べると、素人の叶多から見ても貴仁の動きには無駄がない。
 その貴仁が応戦しながらもこっちを向いた。そして、こっち来いというような素振りを見せた。
「則くん、貴仁さんが戻ってこいって。たぶんだけど」
「ああ、そうしたほうがいいだろう。カウントダウンで走るよ。3、2、1」
 GO! その叫びと同時にくるりと身を翻した。
 何やら叫んで追いかけてくるのがわかる。心臓と呼吸の音が邪魔して聞き取れないし、振り向いて確認してもなんにもならない。
「叶ちゃん、おれと則友さんの間に入って、駐車場に行けるよう隙間つくるから。則友さん」
「わかってる。叶っちゃん、キーだ」
 合流すると隙をついて貴仁が抑えた声で指示を出し、叶多は則友から車のキーを渡された。思いがけず手が震えていて戸惑ったものの、なんとか手にした。
「戒斗くんに連絡とって」
 則友の囁きに叶多はうなずいて応えた。

 両側から襲撃者に挟まれ、貴仁と則友はそれぞれに身構えて、駐車場寄りに距離を詰めていく。その間で、叶多はバッグから携帯電話を取りだした。電源を入れる指先もやっぱり震えている。
 会議中かもしれない。一刻も早く連絡を取りたい気持ちと、戒斗に、延いては有吏一族に迷惑をかけるという不安が入り乱れる。
 携帯電話が起動して、戒斗へとワンプッシュしようとしたとたん、画面が着信を知らせた。通話ボタンを押すのと、その番号が戒斗だと知らされるのはほぼ同時だった。
「戒斗!」
『どこだ。何やってる』
 抑制されたその声を聞いただけで、気が緩みそうになった。



「昨日報告を受けた状況、並びに我々の所期として、分家は皆、身代わり案は歓迎するところです。しかし、窓口が千重家に変わることになる。それは逆に障害になりませんか」
「たしかに。操縦は難しくなるな」
「私も同意見です。和久井家を信じていないわけではありませんが、千重家が我々の意思決定に従うかどうかという保証を考えますと……身代わりに手を挙げるにしては動機が弱い気がします」
 昨日の密議は現状報告が詳細になされ、今日になってそれぞれの意見、もしくは意思を確認しているわけだが、堂々巡りに終わっている。
 戒斗は滞った思考の回転をフルに戻すべく、首を横に振った。椅子の背から躰を起こしてテーブルに身を乗りだした。
「もういいでしょう。千重家の身代わり案については、誰一人として諸手を挙げて賛成する者がいない。それだけはたしかです。首領、これ以上、時間を割いても無駄ですよ。蘇我との関係は見切りをつける。同時に、有吏も転換すべきではありませんか。少なくとも、表分家は――」

 脇に置いた携帯電話が水色に光って、戒斗は発言を途切れさせた。
 叶多からのメールだ。そう思いながら携帯電話を手にすると、衛守主宰の携帯電話が震えだす。衛守主宰は携帯電話を見て、呼びだす相手を確認するなり眉間にしわを寄せた。
 なんだ?
 根拠もなく、戒斗の中に嫌な予感が走る。
 そして、戒斗の携帯電話もまた、呼びだし音のかわりに震えた。それが陽からであるとわかったとたん、隼斗が顔をしかめるのもかまわず立ちあがった。
「ちょっと」
 席を外して、窓際に寄る。

「渡来、なん――」
『戒、八掟が逃げた』
 戒斗をさえぎり、陽は端的に報告した。
 リードをつけた犬じゃあるまいし。笑い飛ばしたくなるのは、それだけ自分にとって認めたくないことが起きているということかもしれない。
「……どういうことだ」
『榊から電話があった。あいつ、榊をだまして……』
 陽から大まかな説明を聞きつつ、衛守主宰へと目を向けると、訴えるような眼差しに合った。そのことが陽の話を裏づける。
「わかった。すぐ手配する」
 電話を切るなり、叶多を呼びだす。無機質のメッセージが流れ、戒斗は小さく舌打ちした。
「総領次位」
 衛守主宰に呼ばれ、気分の悪さを払拭するように小さく頭を振ったあと、戒斗は顔を上げた。
「どの方面です? 車の持ち主は?」
「カメラから車のナンバーは判明していますが、レンタカーでした。行き先とともにいま追い求めています」
 戒斗は息を吐きながらうなずく。
「どうした?」
「いえ、続けてください」
 隼斗の問いには淡々と返した。

 いまは足掻いても当てがない。どこだ。誰と。戒斗は自分に問う。
 叶多との会話をリプレイしながら、思い当たる節を探す。
 叶多がいま気にしていることといえば、那桜のこと、そして千重家のことだ。
 那桜の見舞いにいくのに逃亡する必要はない。千重家か。いや、そっちも堂々と行けばいい。そうじゃなければ……云えない相手だということになる……。
 窓際に立ったまま、会議そっちのけで考え巡っていた戒斗の思考がはたと止まり、一瞬後には再開した。また通話ボタンを押す。
「和久井、貴仁、もしくは孔明と連絡を取ってくれ。叶多を探している」
 その一言で察したらしく、和久井は、承知しました、と即座に電話を切った。
 待つ間、叶多に電話をすること三回目。

『戒斗!』
「どこだ。何やってる」
 思いがけなく通じる。
 安堵した。が――。
『青南にいる。貴仁さんと則くんと一緒にいて。捕まるかもしれない』
「青南? 捕まるってなんだ」
『わかんない。深智ちゃんのときみたいに……』
 叶多の声に被さるように、叶ちゃん、いまだ、と電話の向こうで貴仁が叫ぶ。
 うん、と叶多も叫ぶように答えたあと、かすかな雑音だけになる。
「叶多」
『戒斗、ごめん。でも、あたし、思うの。他人に、普通以上の犠牲を強いて……自分だけ、安心できるところに……いるのって、違う……と思う』
 息を切らした叶多の声は切羽詰まっている。携帯電話を握る戒斗の手が圧力を増す。
「叶多、話すのはあとでいい。電源だけは繋いどけ。すぐ行く」
『わかってる! 戒斗、ごめん』
「いまは何も心配するな。とにかく逃げ――」
 戒斗の言葉は途切れた。正確には続けられなかった。

『やだっ!』
『やだっつってもねぇ、命令なんだよ。おまえは人質だ。悪いね、嬢ちゃん』
 叶多の悲鳴と脅す男の声。そして、衝撃音が電話口に響く。おそらく携帯電話が落ちた音だ。

『戒斗っ、ずっとまえ云ったよね。これがあたしの、戒斗への断罪だから! あたし、待って――!』

 遠くから叫ぶ声は雑音がしたと同時にぷっつりと途絶えた。
 隼斗から名を呼ばれるまで、完全に思考停止した五秒。
 顔を険しくした隼斗に目をやった。
「叶多が拉致された」
 云うなり、会議室のドアへと向かった。

 そこに最悪の事態があるのなら。
 叶多――おまえはおれの腕の中で死ね。

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* 英訳 bound Heart … 束縛された心(bound … bindの過去形)