橋の上で拾ったちっぽけなガラス なのに……
篤く零れるGlassは心を破り
熱く融けたGlassにおれは溺れる
・・シテル
云えないかわりに あの場所へ
求められても言葉にならない
腕にしたガラス 口にするまで消えないように
たとえ めちゃくちゃに壊れても 壊せないPRAYER
逃れられない 譲れない 云い訳も要らない
・・シテル 気持ちごと Glass Tear
どこまでも Go to Recieve 尽くせないほど抱き続ける
誰かが何かと口実をつけてはたか工房に集合をかけるのだが、今日もそうだ。
七月七日土曜日、七夕の日。朝から集まってつくった七夕飾りが、熔解炉の熱から生じる気流の中で揺れている。
短冊にどんな願い事を書くか、ほんの一時間まえは童心に返ったように賑わった。
正直に書けば揶揄されると思い、叶多は迷いに迷って『世界平和』なんて書いてしまった。『望みがデカすぎて即却下だな。身の程を知れ』などと陽からケチをつけられた。
いまは銘々が話したり、ガラスで遊んでいる――という表現どおり、やっぱり子供返りしているみたいだ。
叶多はガラスには手をつけず、ゆったりと休憩中だ。机に肘をついて広げた手のひらに顎を載せ、
躓くことのない指先の動きをうっとりと眺めた。
「戒斗ってやっぱり器用。久しぶりにやってるのに全然普通にやれてる」
作業机に向かう戒斗の正面に座って、叶多はうらやましく云った。
戒斗が普通にやれているのはトンボ玉作りだ。
今日、仕事はなかったはずが、午前中は用事があるとかで、戒斗は午後からたか工房を訪れた。それからすぐ、クローバーのストラップを作りだしたのだ。
最後の一個。黄色いガラスに鮮やかなグリーンのハートを描くと戒斗は顔を上げた。その瞳が可笑しそうな様で叶多を見やる。
「まるでコーギーだな」
「コーギー?」
「髪、短くなってチョコチョコ跳ねてそうな感じだ。従順そうに見えて飼い主に咬みつく」
「咬みついてないよ」
「巡り巡っておれは痛い目に遭わされてる」
若干、責めるような声が向いた。
云いがかりだ。
とはいえ、あの一大事から、まだなのかもうなのか、二カ月では戒斗の気はまだ収まらないのだろう。
デビュー三周年のツアーやイベントが目白押しといういま、戒斗は泊まりで出かけることが多い。だから余計なのか、たまに、叶多にとってもたいへんな日が巡ってくる。
現実として、蘇我との関係は改新が始まったばかりで問題は山積み、加えて音楽の仕事と、戒斗の気が休まる時間はないといっていい。
いくらタフでもやっぱり心配だ。だからせめてと、叶多は自分のことで手を煩わせないように心がけながら、戒斗のヒーラー係を務めている。自分がマゾだとは思いたくないけれど、戒斗の気持ちの裏返しだし、この役割もこれはこれですごく気に入っている。
それに、そのあとは必ず、戒斗が何か云いたそうにするから。
瞳が語るのではなく、いつかその口から言葉が漏れる日が来るまで、どんなに危険な目に遭ったってしつこく生きていよう思うのだ。
戒斗にも生きててもらう! やっぱりあたしが終わるのは戒斗の腕の中に決まっている。
「よく一緒にいて飽きないな」
机の傍に来て云ったのは孔明だ。見上げると、呆れているというよりは小難しい顔に合った。
「飽きるって気持ちがわからないかも」
「わからなくていい」
戒斗がすかさず口添えして、叶多のくちびるが目一杯広がる。
一方で孔明はますます眉をしかめた。
「しかし、戒」
「なんだ」
「蘇我と有吏の約定のことだ。聞いたんだが、おれの相手は最終的に叶だったらしいな」
孔明が云ったとたん、戒斗がピリッとした空気を発した。
「だれが云った?」
「代表だ」
即ち、隼斗に違いなく、戒斗は苦虫を噛み潰したような顔つきになった。叶多は当たらず障らずでいようと口を噤んでいることにする。
「戯れ言だ」
「惜しい気がするのはなぜだろう」
戒斗の言葉は無視して、孔明は考えこんでいる。そこへ陽がやって来た。
「孔明、おまえは最終でも、おれは最初の許婚だ。つまり、おまえはどうやってもこいつを手に入れることはできない」
陽はまったくもって無用に叶多を指差した。雷神カイトから
稲魂が発生しそうな気配になる。すくなくとも静電気は発生した模様だ。
「無駄な議論だ。そんなことを考える暇があるんなら、孔明、父親と兄貴を改心させろ。渡来、おまえはおれが気に入るようなバイクを早くつくれ。乗れなくてイライラしてる」
陽と孔明は顔を見合わせる。
苛々しているのが本当にバイクに乗れないせいならいいけど、と思いつつ叶多はそっと椅子からお尻をずらした。
バイクについては、買ってあげる、と云ったのはいいものの、戒斗が欲しがるレベルは百万くらいすると聞いて唖然とした。叶多にとっては大金だ。三つの貯金箱に溜めていたガラスの売り上げ分を掻き集めてみたのだが、五分の一もない。
同棲を始めたとき両親から持たせてもらったお金は、自分のだけれど自分のじゃないと思っている。戒斗が好きなものだからこそ、自分で溜めたお金を使いたい。戒斗にはそう云って、いまバイクを買うのは保留状態だ。
溜まる頃、渡来自動車でバイク事業部が
興ることになったらいいかもしれない。
「そう簡単にいくわけないだろ」
叶多の思考ともタイミングよく、陽と孔明は口をそろえて戒斗に突っこむ。その隙に叶多は素早くその場を離れた。が、もっと素早く戒斗が咎めた声をかける。
「叶多」
「……ちょっとガラスの出来具合を見てくる!」
目を細めた戒斗が、首をひねるか否かのうちに、叶多は背中を向けた。
「戒、約定、履行しないか」
「何考えてる」
孔明の奇抜な申し出に、戒斗が即行でさっきの突っこみ返しをした。呆れきった声だ。
背後でなされる会話にハラハラしつつ、叶多はほっと息を吐く。とりあえず苛立つよりはいい。まだ今日は誰にも触らせていないと叶多は記憶を振り返って確認した。
「戒、こんなんで蘇我は大丈夫なのか」
陽は呆れたのを通り越して、これ見よがしにため息を吐いている。
「“有吏”である以上、“大丈夫”になってもらわないと困る。孔明、有吏は厳戒態勢を解除したわけじゃない」
「わかっている。伯父上もそうだ。蘇我を纏めるのに慎重すぎるくらい神経を尖らせてる。父上の面目を保たなければならないからな」
「けど戒、複雑だな。厳密にいえば、有吏の真の後継者は領我和人になるんだろ。次世代は貴仁なわけだし」
「自らを犠牲にしても真正を追求する。本家とはそういうもんだ。二頭でやっていくのも悪くない」
戒斗が云ったとおり、窮屈な監視はいまでも続いている。戒斗が家を空けることが多いいま、アパートには帰れていないし、有吏の家と大学構内を一歩出れば、タツオをはじめとして誰かが付き纏う。よって、叶多のスケジュールはすべて管理されている状況だ。
ずっとそのことで愚痴を零していた那桜の気持ちが身に沁みている。
その那桜と拓斗はすでに独立してもとのマンションに戻った。
以前、那桜は『吹っきれていないことがある』とか『怖いって思うことがある』と口にした。その意味はいくら考えたところで叶多にはわからない。
それが表面化したのかもしれない。いまの那桜は幸せそうに見えて、拓斗はそれでいいと云う。それでも、ふたりには――いや、那桜をずっと見ていた和惟も含めて、三人には、かもしれないが――解決しなければならないことがある。
叶多にもそれだけはわかる。
戒斗も素直な幸せを願って、今日は叶多がいつかもらったクローバーのストラップを那桜へと作ったのだ。
一方で深智は、気づいたときはすでに瀬尾深智になっていた。
どうしてすぐ教えてくれなかったのか責めてしまうと、名前がちょっと変わっただけだから、と深智はなんでもないことのように云った。一緒にいるのだからそれでいいという気持ちは理解できるけれど、やっぱり深智はどこか変わり者だと思う。
そして千重家。有吏と蘇我が
相見えたときに立ち会った彼らは、何に因って気持ちを変えたのか、現段階では報復を捨て、両一族の監視役として位置した。もしかしたら捨てたのではなく、報復の形が変えられたのかもしれない。同時に、戒斗は有吏が試されているという。
毬亜は変わらず千重アオイとして千重家にいるが、彼女もまた解決するべきことがある。いつもニコニコしている毬亜。誰かのためじゃなく誰かに見せるためじゃなく、いつの日か、なんのためでもなく笑ってほしいと思う。
「叶多さん、お兄ちゃんがさっき云ってたこと。わたしって、叶多さんがいなかったら戒斗さんと結婚してたのかな」
いまとんでもないことを口にした美鈴もまた大まかに一族のことを聞かされていて、いろんなことに心を痛めつつも、美鈴曰く、その立場を“気に入ってる”らしい。おとなしい印象がちょっと抜けてきた。
「み……美鈴さん、そんなこと考えなくてもいいと思う!」
徐冷炉の前に行ったとたんのいきなりの猛攻撃――叶多にとってはだが、一瞬、思考停止してそれから慌てて云い張った。戒斗じゃないけれど、仮定の話でも遠慮する。
叶多の悲鳴じみた声に釣られ、傍にいた則友がおもしろがって笑う。
「叶っちゃんがいなかったら、いまはどうなってたんだろうね、ほんとに。ね、貴仁くん」
「そういう仮定は無意味だな。有吏の血が成せる業だ。遙かもとをたどれば則友さんもそうだ」
振られた貴仁は、戒斗が云いそうなことを主張して肩をすくめた。
則友の打ち身も、貴仁の切り傷も酷かったようだがいまは全快している。
貴仁は、孔明が云っていたように蘇我の立て直しに奔走しているようで、則友はといえば“めでたく”なのか、崇の家に引っ越してきた。
崇は皮肉っぽく、三〇にもなって親でも恋しくなったか、と口にしていた。本当のところは、一緒に暮らしだして一カ月たったいまでも崇は浮き浮きしているんじゃないかと思う。以前から引っ越してきてもかまわないと云っていたし、何より、則友は崇が一途に想ってきた初恋の人の忘れ形見なんだから。
「貴仁の云うとおりだ。意味ない」
ふと頭上から戒斗の声がしたと思うと、崇がいかにも
戯弄しようとばかりに鼻で笑う。それを察した戒斗は首をひねりながら、やられること覚悟のうえの笑みを浮かべた。
「戒斗、正確には、考えられない、だろ」
「否定はしませんよ」
戒斗の受け答えも、そして叶多にとっても、いい感じだ。叶多は独り
言ちた。
「なら、結婚はいつだ」
そう云ったあと、崇は愉快そうにして、陽から則友まで男たち四人を顎で示した。率直すぎる質問はともかく、そこで終わればいいものを。
「わんこには盛りのついた“待機
婿”が並んでるようだが、うかうか引き延ばしてるうちに寝取られても知らんぞ」
寝取られても……って……。
おそるおそる背後を振り仰ぐと、案の定、戒斗の不機嫌は叶多に向けられていた。
うれしかった気持ちもつかの間、明日からまた地方ツアーで留守にすることを思うと肝を据えざるを得ない。
とりあえず、ヒーラー係に徹するのはまだ夜のこと。叶多はそう自分をなぐさめた。
その夜も、避ける術なくすぐにやって来た。が、夕食を終えてたか工房を出ると、戒斗が運転する車は帰る方向とは逆に向かった。
「戒斗?」
「ドライヴだ」
戒斗は叶多をちらりと見やって無言の疑問に答えた。戒斗がそう云えば、行き先は自ずと見当がついた。都市部を通り抜けて車はやがて緩やかな坂道を上っていく。
ドライヴの間、再会してまもなく戒斗が連れてきたときのことを思い返した。あのときは、一緒に暮らそう、と云ってくれたんだった。あれからちょっとは泣き虫もましになったんじゃないかと思う。
車は駐車場に止まり、降りて七夕の空を見上げると、輝く星が夜を藍色に染めている。
この時期の雨を含んだ空気の匂いは、特に“はじめて”戒斗に会った日を思い起こさせる。
「相合傘の橋の上。逢いたい人と
瞳を見つめ合い愛を語る藍の夜」
手を引かれ、橋の上を進みながら唱えてみて叶多は独り笑う。
「なんだ?」
「やっぱり“アイ”がいっぱいだって思って」
戒斗はふっと息を吐いて笑った。
「何?」
「いや、やっぱ云わなくてもここに連れてくればいいかってことだ」
「意味わかんないよ」
「いま以上にわかる必要はない。少しくらいおれを優位に立たせろ」
「……ますますわかんない」
覗きこんだ叶多の顔を見下ろして戒斗は口を歪めた。
橋の真ん中まで来ると、戒斗は記念碑の石の上に腰を下ろし、叶多は欄干に寄った。
「叶多、危ない」
下を覗きこむなり戒斗が声をかける。ここに来てこうするたびに云う、戒斗の口癖だ。戒斗が気づいているのかどうか、叶多はこっそり笑った。
「戒斗、疲れてない? なんだか、蘇我とのこと落ち着いてから余計にたいへんになったみたい。ライヴが重なってるし」
「ライヴは好きでやってる。疲れるっていう要因にはならない。叶多のこともそうだ」
「ホント?」
叶多はうれしさ丸出しで振り返った。戒斗は肩をそびやかして応じる。
「戒斗、昨日ね、高橋さんから電話がかかってきて、『あの場所ってどこ?』って訊かれた」
「なんで
州登がそんなことを訊く?」
「昂月と高弥さんのことが終わったから、今度はあたしたちだって」
高橋州登は昂月と高弥を介してFATEと係わりだして以来、政財界専門のジャーナリストなのにFATEの広報係を買って出ている。
祐真のレクイエムライヴの直後、高弥が会見で交際宣言したのだが、ファンの反応は様々であり、当然ながら歓迎ばかりではない。それを緩和したフォローの一つに高橋の記事があった。だから、今度は戒斗と叶多の番だと云うのだ。
「……州登から何を聞いた?」
叶多の言葉を受けて、正確には高橋の発言を聞いて戒斗は顔をしかめていたけれど、やっぱりそこは触れてほしくなかったらしい。
「あたしのほうが訊きたいんだけど。“あの場所”ってなんのこと?」
戒斗は黙して首をひねる。云う気はないらしい。叶多は拗ねて口を
窄めた。
「戒斗が作った歌って、あたし、全然聴いたことないんだけど!」
「それは間違いだ。聴かせたことはある」
「戒斗がオリジナルの曲作ってたことは知ってる。でも組み立てられないって。完成したのは聴いたことないよ。それに作詞も戒斗がやってるって高橋さんが云ってた!」
「そのとおりだ。けど、音
録る気はないし、ライヴ限定だ」
「ライヴ限定……って、このまえ行ったときは聴けなかった!」
「当然だ。叶多のまえで披露する気はないから」
「酷い!」
「うれしい、の間違いだろ」
「意味わかんない。今度、こっそり行っちゃう」
「こっそり、ってことが有吏に通用すると思うなよ」
さっき泣き虫は少し直ったかなと思ったばかりなのに。
うっ。
はっ。
叶多の泣き声と戒斗の笑い声が入れ違いに漏れた。
「泣くほど聴きたいって? 実物がいればいいんじゃないのか」
「それとこれとは違う」
「なら。ずっとさき、叶多の最後に立ち会うとき、腕に抱いておれが歌ってやる、ってのでどうだ」
「……それ、約束? ホントに?」
「おれが嘘を吐いたことあるか?」
“戒斗の告白”という願い事よりも、最高に譲れない約束であり、叶多は一気に泣き顔から笑顔に変えた。
「ない!」
戒斗は笑みを浮かべ、立ちあがって近づいてくると、叶多の躰をくるりと回して橋の外側に向きを変えさせた。欄干をつかみながら、戒斗は自分の躰で叶多を背中から包む。
「来年から二年間、バンドのほうは充電期間だ」
「え?」
「仕事の制限をする。航たちが休学してるってのもあるし、ここで一度踏み止まって方向を確実にする」
叶多は驚きながらも、ふと思った。その二年が終わるまでに、祐真がいなくなって音楽活動を休止してしまった良哉が復活してくれたら。誰だってそうであるように時間が必要なだけできっと良哉は戻ってくる。
「よかった」
凝縮した一言のあと、戒斗の笑い声が降ってきた。そして同時に、ブルーライトの中をさらに青く光ったものが目の前に降りてきた。キラキラした鎖は
白金だろうか。ペンダントトップには見覚えがある――どころか、叶多がいちばん大事にしているものだ。
「戒斗! これ、ネックレスにしたの?」
「ああ。飾りものじゃなく身につけてほしいから」
受け取ろうと手を上げたとたん、戒斗は届かないところまで持ちあげた。
「意地悪! それ、あたしのなんだから!」
叶多は抗議しながら戒斗に包まれた躰をくるっと回した。見上げた戒斗は意外にも真剣な顔つきだ。
「……どうかした?」
「希望と誠実と愛情と幸福。プラスアルファはなんだ?」
四葉の意味を並べた戒斗は促すように首をひねった。叶多も合わせたように首をかしげる。
「……白い雫のこと?」
ブルーのガラスに映える白い模様を見上げたあと、叶多はまた戒斗を見つめる。
「いや、ガラスの涙、だ」
戒斗の手でネックレスが叶多の首もとに納められる。
「おれを解放して、束縛したのは“ガラスの涙”だ。いままでそうしてきたように、これからも、おれの一切の忠心をここに置く」
真の意はわからなくても戒斗が大事なことを云っているのはわかる。びっくり眼で見上げていると、ペンダントトップを手のひらですくった戒斗が顔をおろす。
毎朝、叶多がクローバーのストラップにするように、戒斗のくちびるがガラスの涙に触れる。
「返事は?」
「……返事?」
間の抜けた声で同じ言葉を返すと、戒斗はため息を吐く。呆れているのでも笑っているのでもなくて、なんとなく決まり悪そうな感じだ。
「高価なリングじゃなくて悪いけど、叶多とおれにはこれがいちばん合ってるんじゃないかと思った。けど、やっぱ、まどろっこしいようだな」
戒斗が云っている間に叶多の中で連想ゲームが始まる。大事なこと、返事、高価なリング……とくれば。
「も、ももも、もっしかしてっ……プっ、プロポーズっ!」
「叶多!」
のけ反ったあまり欄干にぶつかりそうになった叶多の後頭部を戒斗の手がかばう。
「あ、ありがとう、戒斗」
「それは返事か」
「じゃなくて」
「ノー?」
「じゃなくて! 返事は決まってる。って……なんて返事したらいい? なんだか、すごく大事なこと戒斗から云われた気がするの」
「気がする、じゃない」
「うん」
返事と一緒にうなずいたとたん、叶多の目からガラスが落ちる。それをすくった戒斗の手のひらが叶多の頬を拭った。
はじめての日、この手は不器用で、でもいまはこの場所に
誂えたようにしっくりくる。
それは、ふたりでいられることを保証されたみたいで。
「戒斗……いまが“その時”?」
「そうなんだろ」
だとしたら。
「戒斗」
「なんだ」
「あの日から“その時”がいつか来るって決まってたのなら、運命だったかも、なんて思うの」
「かも、は余計だ」
叶多が感極まって見上げていると、痺れを切らしたのか、戒斗が首をひねる。
「それで?」
わかっているはずなのに、という叶多の気持ちと、“それで?”と聞きたがる戒斗の気持ちはたぶん平等だ。
返事するより早く、叶多は戒斗に飛びついた。
「戒斗、愛してる! いままでも、これからも、大好きだから!」
「当然だ」
自信たっぷりな声とは裏腹なハグ。
離さない、というよりは、離れるな――そう云いたそうな戒斗の腕が叶多を抱きしめた。
云えないかわりにこの場所で
ガラスの涙
・・してる
果てはあるとわかっていても おれが歌うことのないように
−No title− lyric by 戒