Sugarcoat-シュガーコート- #137
第14話 Double-Crosser -7-
叶多は驚きのあまり間抜けた顔をそのまま仲介主宰に向けた。
「え?」
「いくら政略婚だからとはいえ、我々は生理的に合わないような縁談を持ちかけることはしない。壊れてしまったら元も子もないだろう。前もって手回し根回しでそれとなく引き合わせているし、少なからず好意があることを確認している。何事もリスクは最小限だ」
それから政略婚のお手柄について仲介主宰が述べている間中、叶多はうわの空で相づちを打ち、『知ってる人』というのが誰なのかと考えこんでしまった。
好意がある……って?
思い当たらないうちにドアがノックされた。なんとなく振り向くのが怖くて、叶多は蒼ざめるくらいドキドキしながら固まった。
「失礼します」
……え?
明らかに聞き覚えのある声だ。いや、それどころかついさっきまで――。
立ちあがった仲介主宰が挨拶を返している間に、お見合いの相手は叶多の正面に回って椅子を引いた。
その姿を見たとたんに叶多は躰を引き、立ちあがりかけていたせいで椅子ごと後ろにひっくり返りそうになった。仲介主宰の手が椅子の背に添えられていなければ間違いなく叶多は無様な格好になっていたと思う。腰が抜けたようにすとんとまたお尻を落とした。
「わ、わ、わ、わ」
「落ち着け」
「わ、渡来くんっ?!」
「やっぱ、おまえ、だった」
“やっぱ”って何? 仲介主宰の前にもかかわらず、陽はいつものとおりだ。ジャケットに手を突っこんだと思えばすぐに出した。
「ちょっと失礼します」
仲介主宰に断りを入れた陽は、手にした携帯電話を開く。
仲介主宰は不快そうでもなく、椅子にのけ反り、どこか愉快そうに成り行きを見守っている。
「戒、おれ、いま見合い中なんだよな」
何しているかと思いきや、携帯電話を耳に当てた陽が第一声を口にした瞬間に立ちあがった叶多は、椅子が倒れた酷い音も気にならないくらい動転した。
「わ、渡来くん?!」
「ほら、聞こえただろ。いますぐこっち来いよ。どこか探し当てられるはずだ」
叫んだことが間違いだったと気づいたときはあとの祭りで、陽は挑発した口調で通話の相手に云い渡した。
最大級に萎れたダックスフントに見下ろされ、そして視線で責められたビーグルは、笑ったのかため息なのか息を吐いて、惚けたような表情だ。
「叶多さんが怒りに触れることはない」
「そうかもしれないですけど……」
「けど、なんだよ」
答えられるわけがない。叶多は次に陽へと批難の眼差しを向けた。
「渡来くん、どうしてここにいるの」
「おまえと見合いしてる。断られたいんなら、黙って戒を待ってろ。戒と話がある」
陽はにべもなく叶多の抗議を退けた。
叶多は倒れた椅子を起こすと、投げやりな気分で着物のしわを気にしながら座った。
そんな叶多をおかまいなしに、陽と仲介主宰はなんの蟠りもなく経済の話をしだす。云われるまでもなく黙るしかない。叶多には口を挟めない領域の話題だ。それに比べて同い年の陽は対等に仲介主宰と渡り合っている。
そのことといい、状況といい、叶多は情けなくなる。戒斗が来ないはずはなく、それまで、仲介主宰を前に陽に絡まれないことだけが幸いだ。
それにしても陽は何を考えているんだろう。
見合いの――政略婚の相手が陽だなんて、叶多にとっては“まさか”に尽きる。反対に陽は見越していて、つい一時間まえの発言すべてが、叶多を愚弄していたのだ。『知らないでいいこと』だなんて見当外れも甚だしい。
それ以上は考えたくもなくてぼんやりしてふたりの声を聞いていると、ノックなしでいきなり背後のドアが開いた。
背筋がぞくっとしたのは気のせいか。
振り向いたのと同時に戒斗と目が合ったものの、その情意を見当つけるまえに戒斗は陽から仲介主宰へと視線を移し、そして首をひねった。
「失礼」
――とは露ほども思っていない声音だ。戒斗は無言で説明を促している。
「次位、叶多さんに落ち度はない。申し訳ないが、事後報告するつもりでいた。首領には報告済みだが、運びは私の一存だ」
「いや、おれの一存だ。戒、おまえがのんびりしてるからさ」
仲介主宰のあとから陽は鷹揚に口を挟んだ。
戒斗は再び首をひねり、それから呆れたように息を吐いた。
「仲介主宰、ご足労をかけました。ここからさきはおれだけで充分です」
「そのようだ。叶多さん、聞いていたとおり、実に頼もしいね。失礼するよ」
何が云いたいんだろうと思いながら、叶多は自分も出ていきたい気持ちで仲介主宰の背中を見送った。
「戒斗、あたしも――」
「ここにいろ」
戒斗と陽はまったく同じ言葉をまったく同時に口にした。戒斗が仲介主宰の座っていた椅子に落ち着き、その隣で叶多は浮かした腰をもとに戻しながら、どうにかため息を堪えた。
「どうしてわかったんだ?」
叶多をちらりと見た戒斗は陽に質問を向けた。
「うちは家族仲がいいし、親父に私利私欲はない。おれに見合い話があればおれに知らせて都合を訊く。資産家には縁談なんてよくある話だ。金持ち同士っていう政略だとしてもそこまではわかる。けど、それが高二だったおれに正式に持ちあがるってどうなんだ? 相手も高校生だって云うし。だいたいが、その話は中三になった頃からほのめかされてた。そんときは冗談だろって笑い飛ばしたけどな。本気らしいってわかって、しかも、おまえにとっても悪くない話らしいとかなんとか云って、親父はめずらしく出所をはっきりさせない。おれは、いわゆる黒幕ってのが絡んでると見当つけた。縁談に乗る気はなかったけど、それがどういうことか興味あってそのままにしてた。もちろん、こいつだってことは思わなかった。“悪くない”っていう理由がわかったのは、戒、おまえが出しゃばってきたからだ」
今度は陽が叶多をちらりと見た。叶多にとっての居心地の悪さは絶好調だ。戒斗は肩をすくめるだけで、陽はさきを続ける。
「こいつがおまえのことを親戚って云うし、それにしてはおまえの名前なんて八掟から聞いたこともなかった。胡散くさいって思って当然だろ。だからおれなりに調べてみた。“有吏戒斗”についてはどんだけ猫被ってんだっていうくらい何も出てこない。ただ、優秀、ってだけだ。けど一つ、最大の疑問が浮かんだ。親戚って云うわりに、青南のなかに、有吏と八掟がそうだってことを誰も事実として見てる者はいないってことだ。有吏といえば青南切っての被畏敬一門だ。その親戚ならどれだけ遠かろうが、それ相応の扱いを受けていいはずだろ。ってわけで、おれは最近になって黒幕と有吏を結びつけた。こいつの周りはおかしなことがありすぎる」
叶多はまともに指を差された。
もしかしないでも親戚ということが陽に疑念を抱かせたということは、ユナが喋ったとはいえ、もとを糺せば叶多が暴露したわけで、責任を感じなくもない。ただし、云い訳すれば、親戚だってことを知られてはいけないなんて云われていないということだ――と叶多はまた自分をなぐさめる。
一方で、黙って聞いていた戒斗は薄く笑った。
「いい目の付け所だ。半端に聞きたいわけじゃなさそうだな?」
「こいつが絡んでるかぎり、あたりまえだ」
「なら渡来、警告だ。いまから話すことはおまえの常識を覆す。世俗の混乱を招く極秘事項だ。首を突っこむなら相当の覚悟をしてもらう。外部に漏らすことがあれば刺し違えることになる。少なくともおれはそのつもりで話す」
戒斗ははっきり脅しを込めていて、どうする、と問うように口を歪めた。
「戒、おれを知ってるなら、おまえの警告もおれの答えも愚問愚答だってわかるはずだ」
戒斗に負けず劣らず陽も尊大だ。戒斗はため息紛いで笑う。
「オーケー」
一つ大きく息を吐いたあと、戒斗はいきなり本題に入った。
叶多が知っているほとんどのことが語られていく。叶多に説明するようにダラダラじゃなく端的だ。もっとも、ダラダラというと聞こえが悪いけれど、叶多の呑みこみの悪さゆえの戒斗の親切心だ。その証拠に、単刀直入、尚且つ手短な口述でも、陽は一つ一つうなずいて理解できているふうだ。とりあえず、叶多にとっては復習になっている。
「とどのつまり、戒、その性悪一族ってのは、蘇我、だな」
戒斗が話し終わったとたん、陽は語りのなかで伏せられていたその名を一発で当てた。戒斗の眉がおもしろがったように跳ねあがる。
「さすがだな」
「領我貴仁は怪しすぎた」
「そのとおり、貴仁は暗の一族を見当つけてる」
「それでなんでほっておくんだ? 孔明の場合、そういう意味じゃ癖ない奴だけど、会社に入れるんだろ。大丈夫なのか?」
陽は顔を険しくした。
クリスマスパーティの日、孔明が申しでたことは受け入れられた。早くも今月の末あたりから有吏リミテッドカンパニーで仕事に就くらしい。そうすることに関して、見極める、と云った隼斗の真意は誰もわからない。
「会社自体は“有吏”という意味ではまずいことは何もないし、父には父の考えがある」
「そりゃそうだろな。八掟」
陽なりに一段落したのか、いきなり呼ばれた叶多は背を伸ばした。
「な、何?」
「おまえの周り、ヘンな奴が集まってるけどいま以上に増やすなよ」
戒斗と同じことを云っている。
「べつにあたしが集めてるわけじゃないよ。云っとくけど、渡来くんもその一人だから」
「戒もな」
陽が即座に云い返し、
「だって、戒斗」
と、戒斗に振ると、覚えてろ、みたいな視線を受けた。忘れよう、と逆に叶多は誓う。
「戒、ヘンな奴の一人、千重アオイ。あいつは……っていうか千重家ってなんなんだ? 息子が二人とも訳のわかんねぇ事件に巻きこまれて不運すぎるだろ」
「渡来くん、毬亜さんはただの友だちだよ!」
叶多は独り冷や汗をかく。なんとかここまで無事にやり過ごしていると思っていたのに、戒斗がもし和久井に千重家に関して何かを訊くことになれば、毬亜の立場はまずいことになる。だいたいにおいて、毬亜のほうが無謀すぎるのだ。叶多より考えなしな気がする。
「まず、その二重呼びはいったいなんだ? とにかく、何より、八掟に絡んでるってのが無関係じゃないって示してる気がする」
「だから、ユナと友だちだからってユナは疑ってないでしょ。それとおんなじなの!」
「それともう一人。芳沢則友、だ。なんか違和感あるんだよな」
叶多の意見は見事に無視された。とりあえず毬亜に知らせておかなくてはならない。どうしたら穏便にすませられるんだろうと途方に暮れた。
「何が?」
「おまえの母親と則友ってさ、どこか似てないか?」
陽が問いかけたと同時に叶多は呆気にとられる一方、戒斗の表情はふと止まる。が、次には笑っていた。
「なるほど」
何が『なるほど』なのか叶多が唖然としているうちに、陽は戒斗の相づちには頓着しない様で立ちあがった。
「八掟」
また呼ばれ、陽を見上げると、いつになく生真面目な面持ちだ。
「え?」
「悪かったな。せっかくの成人式、つまんなくさせてさ」
こんなふうに真摯に云われると調子が狂ってしまう。
「ううん。もとはといえばあたしのせいって気がしないでもないし」
「はっきり、おまえのせいだ」
「ひど――」
「八掟、おまえに何かあったとき、何があろうと駆けつけるのは戒だけじゃない。覚えとけよ。戒、おまえもだ。じゃな」
陽は全然酷くなく、むしろ身に余ることを云って部屋を出ていった。そのぶん、戒斗と目を合わせるにもためらって、奇妙な沈黙が漂う。
そのすえ、戒斗は黙って立ちあがると叶多を置いて出ていった。
とりあえず叶多も席を立ちながら、怒っちゃった? と不安になっているうちに戒斗はまた戻ってきた。何か虐待事を云いたげな顔つきだ。
「今日ね、時田くんに早く結婚しろって云われた。そしたら渡来くんもあきらめつくって。結婚はともかく、渡来くんにとって、あたし、このままでいいのかなって思うの。口悪いけど、あたしはどこか当てにしてるっていうか頼りにしてるっていうか。友だちだからって云い訳にして、ずるずる引き止めちゃってる気がして……」
不気味さを緩和しようと先手を打って取り繕ったはずが、戒斗の口はますます歪になり、叶多の声は急激に小さくなっていって、挙句の果て尻切れトンボで終わった。
「なるほど」
「って何?!」
後ずさりしながら半ば叫んだ。着物ということを忘れて歩幅を間違い、後ろに倒れそうになる。すかさず戒斗がウエストを支えたけれど、見上げた目は不穏すぎる。
「ずるずるだろうがなんだろうが、このまえの子供の話と一緒で、それは渡来の勝手だ。叶多が気にすることじゃない。それよりも。当てにするとか頼りにするとか、対象が違うだろ?」
「や、だからうまく説明できなくって……」
「おれは怒ってる」
「わ、わかってる」
睨みつけるような眼差しが、ふと別物に変わる。緩んでいるようでけっしてそうじゃない。
「まあいい」
などと戒斗が云うその後は決まっている。
「戒斗! タツオさんが――」
「帰した」
「着物! あたし、自分で着られないんだけどっ」
「どうにかなる」
「戒斗、スタジオっ」
「早退だ」
押し問答しているうちにすでに帯留めと帯揚げは解かれ、着物ゆえか、叶多の気分は悪代官に囚われた生娘だ。戒斗はエロおやじよろしく、着物なのに下着つけてるのか、と今時それはないだろうというクレームをつける始末で、果てはゴージャスなベッドルームに連れていかれて目一杯やられた。
一時間後、夕食会の予定を思いだして、やっと戒斗の気を逸らした。
その後、戒斗に服を調達してもらい、お祝いの夕食会にはぎりぎりで間に合った。おそらく、ふたりがどこにいたかなんて知れているだろうし、恥をかかなくてすんで叶多はホッとした。
それから四月を控えて寒さも解けてきた三月の終わり。
懇親会では異例で前日に分家の長がすべて集まった。
密議の席で議題の一つ、交換婚については白紙に、いや、完全撤廃と決定された。それがどんな過程で蘇我に伝えられるのかはわからないけれど、拓斗と那桜に続いて、戒斗と叶多についても一族の中では異議なく公然のことと認識された。
前途はいい方向へと開けている。
そう思っていたのは叶多だけではなかったはず。
それなのに。
待っていたのは無慈悲で過酷な試練だった。
当世に来て、有吏一族は究極の裁断を迫られている。
* The story will be continued in ‘All's fair in love and war.’. *