Sugarcoat-シュガーコート- #136

第14話 Double-Crosser -6-


 年が明けて三〇分後、戒斗の予告どおり、ふたりは陽たちに冷やかされながらさきに抜けた。陽の場合、冷やかしというより皮肉っぽかったけれど。
「戒斗、おばさんから明日の夜……あ、もう今日の夜だけど、泊まりなさいってメールあった」
 叶多から戒斗という順にタクシーを降りて、歩道のすぐ向こうにある鳥居を潜った。例年どおり、初詣はアパートの近くの神社にした。
 シークレットのカウントダウンライヴもそうだけれど、ここに初詣に来るのも三回目で、叶多は時がたつのは早いものだと年寄りじみてしみじみする。
「それで、うん、て云ったのか」
 戒斗の声は渋くて不満げだ。
「だって、おばさんから云われて断れる? 不思議なんだけど、おばさんて人を従わせるコツを得てるっていうか、そうしないといけない気にさせられちゃうの」
「はっ。ま、確かに母さんの“なんとなく命令”には父さんでさえ逆らってないからな。そうなのかもしれない」
「それって、おばさんが上家だからかな」
「上家?」
 戒斗は意外そうな顔をして叶多を見下ろした。
「違うの? ずっとまえに慧に大雀って名前のルーツを訊いたことあって忘れてたんだけど、ライヴのときに教えてもらった。大雀天皇というか仁徳天皇? 大雀っていったら、そこしかないんだって。一人が二人とか、二人で一人とかっていう説あるって云ってたけど」
「へぇ、慧ちゃん、けっこう調べたらしいな」
「合ってる?」
「大雀家が上家っていうのは合ってる。ただ、一人が二人とかいうやつはどんな説も意味がない」
「どうして?」
「云っただろ、偶像だって。大雀家がそれを一手に引き受けて、死とか病気とか、その都度、大雀家内で継承されたにすぎない。つまり、大雀家は有吏一族の分家と云える」
「それがどうして二つに分かれたの?」
「蘇我の存在だ。豪族として蘇我はだんだんと力をつけていた。そこで血縁を結んだ話はしたよな。表上家は推古天皇から継承することになった。大雀家は、いつか蘇我を切ることがあったとき上家を引き継ぐために裏の上家として存続した。上が民になった以上、いまはもう大雀家の役割はなくなったけどな」
「でもそれじゃあ……表の上家は最初から見捨てられていたことにならない? 蘇我の血も引いてるけど、あたしたちと同じ有吏の血を引いてるんだよ?」
 叶多が疑問をぶつけると、戒斗は口もとだけで笑い、しばらく黙った。
「所詮、有吏も蘇我と同類なんだろうな」
 戒斗の言葉に叶多は考えこんでしまう。何かが見えそうな気がしたけれど、どう脳みその神経を動かしてもそのさきに進めない。叶多はため息を吐いた。
「なんだか難しい」
「叶多、勉強でさ、おれがいちばん苦手だったのが何かわかるか」
「戒斗にも苦手なのがあるの?!」
 とうとつな話題転換にも驚いたが、それ以上の叶多のびっくり眼を見下ろして戒斗は笑って首をひねった。
「それほどオールマイティじゃない」
「そっか……できるから苦手じゃないっていうのは違うよね。それで戒斗の苦手って?」
「歴史、だ」
 それこそ意外な答えに叶多はさらに目を丸くする。
「いちばん得意そうだけど」
「例えば。仁徳天皇の時代でいえば、武内宿禰(たけうちのすくね)。五代の天皇に仕えて三〇〇才って説がある。この説を逆手に取れば、有吏は実在したってことになるだろ? まあ、それはともかくとして。嘘を覚えるってのはいちばん苦痛だ」
 戒斗のもっともな言葉に叶多は笑った。
「嘘じゃなくても苦痛だけど」
「だな」
 戒斗は短い一言だけで否定もなぐさめもせず、叶多はくちびるを尖らせた。


 はあぁーっ。
 今日、何度目のため息だろう。押し殺したため息も数知れず。
 何もかもうまくいきそうと思っていたのに、自分の予感は全然当てにならないと裏づけられた。
 またため息を吐くと、隣を歩くユナが覗きこんだ。二メートルくらい先には陽と永が歩いている。待ち合わせしたカフェで軽食を取って、四人で駅へ向かうところだ。

「叶多、成人式だっていうのになんて顔してるの? 戒斗さんに追いつきたいって大人になりたがってたよね? なのに、晴れて迎えたっていうより、大人になりたくないピーターパンて感じだよ」
 叶多はユナを見て首をかしげた。
 鳥の羽みたいなふわふわのショールに縁どられたユナの顔はいつにも増してきれいだ。ピンクともとれる微妙に赤い花の振り袖がよく似合っている。一方で叶多は白を基調に黄緑色と金色がメインの蝶の振り袖だ。
 レンタルでもよかったのに、千里の実家から、つまり祖母から孫“娘”は叶多一人だからと奮発してもらったのだ。一緒に選んで、叶多としてもすごく気に入って着るのを楽しみにしていたのに、それがとんでもないことに役に立つなんてどうにも喜べない。成人式が終わっていまから約束の先に何が待っているかと考えれば、ため息の百個や千個、軽く吐けそうだ。
「成人式はうれしいんだよ。いまから行かなくちゃならないところがあるって教えたよね? それが憂うつってだけ」
「だから、その行き先ってどこよ。何しに行くの」
「戒斗に云ったら怒られそうなとこ」
 っていうか、戒斗に知れたりなんかしたら、それこそ罰だって云われてあたしはホントに死んじゃうかも。
「え、戒斗さんも知らないの?」
「内緒だよ。行くだけでいいらしいから、ホントにそれだけで終わるようにって祈ってるの」
「なんの話だよ」
 ため息を吐く寸前、陽の顔が目の前に迫った。まったく陽は耳聡い、且つ目敏い。
「なんでもないよ! 女の子の話だから!」
「ふーん。ま、せいぜいヘンなこと考えて、戒を慌てさせてやれ」
 どうも合点のいかない云いっぷりで、叶多は顔をしかめて陽を見上げた。
 陽の焦げ茶色のスーツ姿は、高等部時代の学生服とは全然違って大人っぽく、様になっている。ただし、その性格だけは変わっていない。
「ヘンなことって! あたし、こう見えても、いろいろ考えられるようになったんだからね!」
「ふん。戒はほったらかしか? 成人式だってのに?」
「だから式には来てたって云ったよ。夕方から、あたしの家と戒斗の家と合同でお祝いやってもらうことになってるし」
 FATEはもうすぐツアーが始まり、式が終わったあとに戒斗は音合わせでスタジオへと行っている。
 戒斗が式に立ち会ってくれたのはうれしいけれど、一方で、ばれやしないかとハラハラもした。無事に終わったということは気づいた人はいなかったということなんだろう。それで一つわかったのは、戒斗がへんに周囲に馴染むことだ。足音を立てないのと一緒で、戒斗の特技なのかもしれない。
「公認も公認だな。八掟、とっとと結婚したらどうなんだ。そしたら陽もあきらめつくだろ」
 永が口を挟む。
 うるせぇ、と吐いた陽の横で、叶多は『結婚』という言葉に当面の現実を目の当たりにした。それを振り払うように、あたしの結婚相手は戒斗しかいないんだから! と内心で叫ぶ。
「てか、夕方からっていうわりに早く帰る理由はなんだよ。戒もいないんだろ」
「え? え……っとそれはちょっと……」
 意地悪そうな顔で陽からいきなり要点をつかれ、叶多は返答に詰まった。その窮地を救ったのはタツオだ。ちょうど駅前に着いたところでタツオの車が歩道脇に止まった。
「とにかく渡来くんは知らないでいいこと、だよ。じゃ、ユナ、時田くんもまたね!」
 陽は口を歪めている。それ以上、追及されないうちに叶多は急いで開けてもらったドアから車に乗りこんだ。

 ユナたちに手を振って車が発進すると、叶多は着物にしわができないよう座り直した。
「タツオさんてさすが」
「なんのことですか」
「あたしが困ってるときにちょうど来てくれたから。戒斗と和久井さんみたいに、あたしとタツオさんの間にも阿吽の呼吸がある感じ」
「叶多お嬢さん、照れますよ」
 タツオは頭を掻くというお馴染みのしぐさを見せた。
「プリンスホテルまでここからであれば十五分で着きますが、どうされますか。予定は一時半ですよね。三〇分ほど余裕があります」
「あ、このままいいの。遅刻できないし」
「そうですね。仲介主宰に吠えられたくはありませんから」
 タツオは以前のお喋りを覚えているようで、叶多は憂うつにもかかわらず思わず笑った。

 これからホテルで待っている、ため息を吐かずにはいられない憂うつな予定は何を隠そう、お見合いだ。予予(かねがね)からあった政略婚の相手と会わなければならなくなったのだ。
 正月の親睦会で、戒斗の目を盗んだように仲介主宰から呼びだしを受けたのだけれど、お達しを受けたときは卒倒しそうになった。
 てっきり仲介主宰は認めてくれたと思っていたのだから。実際すぐに、便宜上のことだからと、そうしなければならない理由を説明され、ブラッド・ハウンドがダックスフントを蹴散らそうとしているわけじゃないことはわかった。
 なんでも、身内に縁談の話をしていた以上、実現しないまま立ち消えでは沽券に関わるという。窓口を通して強硬な申し出があり、要するに、叶多は断られるために相手と会う破目になった。
 なんとか逃れようと、ない知恵を絞り、それでは叶多が“有吏”というのがばれてまずいんじゃないかと進言してみたのに、向こうからすれば一方的な破談で、こっちからすれば表向きとはいえふられ役であり、互いに譲歩が成り立って今後の関係が善処されるというのだ。そうするのにお見合いなんて飛び退かしてもよさそうなのに、それが条件というからおかしな話だ。
 戒斗に云えば承知するはずがなく、事後承諾させる目算らしいが、仲介主宰になんの被害も及ばないとしても叶多に火の粉が降りかかることは間違いない。
 渋るしかない叶多に、婚姻なしに相手方と全面協定が結ばれるというのはお手柄ではないか、という仲介主宰の(そそのか)しに乗ってしまった。日頃から役に立ちたいと思っている叶多は急所をつかれたのだ。加えて、身代わりを誰かに頼めたらいいのだが、という発言を受ければ叶多が引き受けないわけにはいかない。
 いずれにしろ、窓口となった和久井が止めないということは保証できる相手だろうし、と自分をなぐさめた。

 ホテルにはやっぱり叶多のほうが早く着いた。タツオがフロントに行くと、部屋が用意されているとわかってホテルの一室に案内された。応接室付きのスイートルームだ。
 着物姿は場違いかもという懸念も、結婚式があっているらしく、取り越し苦労でホッとした。考えてみれば、一流ホテルでお見合いなんてよくあることかもしれない。
 それに、気分的には場違いでも、こういう場所でのマナーは深智に散々付き合わされて弁えはある。拉致事件は思いだしたくもないけれど、これはそのときの唯一の賜物だ。
 ……あれ?
 いつもは記憶の隅のほうに押しやっている、あの怖いだけの時間を回想してしまったとたん、ふと何かが引っかかった。

――いずれ、きみは僕の正体を見抜くかもしれない。
 戒斗からあの事件の直後以降はあえて訊かれることのなかった――それよりはあの事件を連想させることを口にするだけで戒斗は顔を険しくしてしまうけれど――あの人は誰だったんだろう。いずれ、ということは知り合っている可能性もあるということだ。
 それともう一つ。
――上は再生の時を待っている。
 どういう意味なんだろう。戒斗は、上は檻を出た、と云う。それは、上が現天皇家じゃないどこかにいるということ。

 顔をしかめて記憶を探っていると、探し当てないうちにドアがノックされた。タツオが応対に出てまもなく、仲介主宰が入ってきた。
「叶多さん、成人おめでとう」
 すっかりビーグルになった仲介主宰は叶多の姿を見て開口一番、お祝いを口にした。
「ありがとうございます」
「仲介主宰、叶多お嬢さまのお帰りまでここで待機させていただいてもよろしいでしょうか」
 叶多がお礼を云うと同時に、タツオが申しでて仲介主宰は愉快そうに眉を上げた。
「なかなかの忠臣ぶりだな。かまわないよ。叶多さん、きみにはいい人材がついている」
「はい」
「じゃあ、向こうで待っていよう。タツオくん、来客がみえたら通してくれたまえ」
 応接室に行って、ドアを背に仲介主宰と並んで座ったとたんに叶多はため息を吐いた。しまったと気づいたときには遅く、仲介主宰は短く笑った。
「すみません」
「すまないのはこっちだろうな。総領次位からのお叱りは私が引き受ける。何、緊張することはない。向こうは縁談の相手しか出席しないし、きみも知ってる人だよ」

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