Sugarcoat-シュガーコート- #133

第14話 Double-Crosser -3-


「戒斗、まえにおまえに云ったことには続きがある」
「なんですか」
 崇が(おもむろ)に切りだすと、戒斗は考えるまでもなく思い当たったようですぐさま催促した。
「わんこの前でいいんだな」
「かまいませんよ」
 戒斗の即答に崇は満足げに、もしくはおもしろがったようにうなずいた。
 一方で叶多には何がどうなってどこに繋がっているのかまったく行方知れずだ。ぽかんとしている間に崇が真顔に戻って口を開いた。
「親父は和斗という大将と定期的に会っていたようだ。九年まえ、親父が死ぬ間際に教えてくれた。なぜ、たかがガラス職人にそこまで尽くすのか、その理由も」
 崇の父親は、戒斗と叶多が近づいたあの夏の半年まえ、年の暮れに一年間のガン闘病のすえ亡くなったと聞いている。
 それはわかるとして、“かずと”っていうのは誰? ……って、名前に“斗”が付くといえば、有吏本家の男たちにとって俗に云う襲名のようなものだけど……まさか“と”って“斗”で、崇おじさんと有吏一族って昔から繋がってる?
 叶多にしては上出来なくらい思考が巡っているなか、戒斗が否定するように首を振った。
「“たかが”ではありませんよ。それより何があったんです?」
「戦争が終わる一年半まえ、じいさんが戦地で死んだのに間違いはないが、戦死ではなかった。大将の息子の身代わりになったらしい」
「身代わり?」

「暗に動いている“何か”は、少なくとももう一つあった。戦争は明らかに日本に不利と出ていた。それでも負けを認めず、犠牲者は増えた。そういう状況は一兵士でも薄々感じていただろう。焚きつける指揮者がいなければ部隊の戦意も喪失する。一人でも徒死(むだじ)にを回避すべく、部隊トップの暗殺があちこちで繰り返されていたらしい。その暗殺者の一人、それが大将の息子だった。じいさんの部隊に所属していたそうだが、大将の息子は当時、十六だったと聞いている。戦地では名も年も偽っていたらしい。どういう経緯で親交が深まったのかはふたりのみぞ知るところだが、大将の息子がそれを打ち明けるほどにふたりは通じていたということだ。じいさんは大将の息子に親父の六年後を見ていたのかもしれんし、戦争に疑問を持っていたらしいんでな、大将の意向に賛同したのかもしれん。その片側では当然、秘密裡に暗殺者探しは行われていた。そして、突き止められた。もう一つの“何か”が、大将の息子を殺すつもりだったのか捕獲するつもりだったのか、そこはわからんが、大将の息子をかばった結果、じいさんは銃弾を受けて死んだそうだ」

 叶多は息を呑んで崇の語りを聞いていた。暗殺者という物騒な言葉も許婚や宿命と同じで、遠いことのようには感じない。
 見上げた戒斗は険しいのを通り越して、無表情になってしまっている。
「恨んでいませんか」
 戒斗は単刀直入に崇に訊ねた。
「私はじいさんのことを知らないんでな、なんとも云えん。親父もそんなことは口にしていない。むしろ、親父が大将と、そしてその息子とずっと通じていたこと、そのうえ親父が重大事を誰にも暴露することなく、包み隠していたことがそうじゃないことを示してはおらんか」
「息子とずっと通じていた? “息子は死んでいない”んですか?」
 戒斗は心底意外なことを聞いたらしく、驚きを露骨にして目を見開いた。
「親父は少なくとも死ぬ間際まで会っていたようだ。生きているなら八十四才だろう。充分に可能性はある」
「名前は?」
「本名は尚斗。それだけ聞いた。親父の話の具合から、大将の息子はずっと偽名でいるんじゃないかと思っている」
「崇さん、“華ちゃん”じゃなく(はな)と乃で、華乃(かの)、ではありませんか」
 いきなり話は崇の想い人の話に戻った。叶多にはチンプンカンプンだが、戒斗はなんらかを繋ぎ合わせているようだ。言葉を選んでいるのがわかる。
「さあな。物心ついたときは“華ちゃん”だった。親父が連れてきていたんだが、私は華ちゃんの家も知らなければフルネームも知らない。それを疑問に思ったときは私も思春期だったようだ。跡継ぎの話から反抗心も重なって何も訊けなかった。ガラス職人になると思い定めたときは同時に許婚の話を知って、私は訊くべきことじゃないと悟った。兄たちが失踪したときはそれを後悔したがな」
「連絡は何も?」
「親父は通じていたようだ。兄たちにも、昔聞かされた“我々”にも、私が会いたがっていることは親父も知っていたが……。子供が――息子が一人いることは教えてくれたが、ほかのことは聞けずじまいだ。それ以上のことは、“たか”を存続しているかぎり、いずれは廻り合う、とだけ云い残してな。まあ……いまに至っては、兄と華ちゃんにはもう会えんということだけはわかった」
「……亡くなったと?」
 戒斗の慎重な問いに、崇は深くうなずいた。
「そうわかったいまがあるということは、私もその“宿命”の一つの駒になるんだろう」
「どういうことです?」
「悪い意味ではない。ここにいる顔ぶれを見ていればわかるだろう。会うべくして会い、大将は“この時”を待っていた、ということだ」
 崇は工房内をざっと見渡した。

 釣られて叶多も見回していると、あれ、いない? と思ったとたんにほんの傍に人の気配とともに息づかいを感じた。
「クリスマスだってのに、何辛気くさい話してんだ?」
「わ、渡来く――!」
 右肩の上で声がして、反応した叶多がそっちを向いて叫ぶと同時に、あまりに間近にある陽の顔にまたびっくりした。いや、驚愕といっていいほどで、反動でぶつかりそうになる。その瞬間、叶多と陽の顔の間に素早く誰かの手が入って叶多のくちびるをふさいだ。
 誰かというのは戒斗に違いない。間一髪のタイミングに崇がニヤリと笑う。
「惜しかったな」
「惜しくありませんよ」
 戒斗は不快さを隠さず即座に云い返し、崇はその明け透けな反応に愉悦たっぷりな様子で豪快に笑いだした。陽までもが口を歪めて笑うと、戒斗は警告するように首をひねる。
「戒、まだ“依頼”返し、もらってないんだよな」
「好機ってのがある」
 今度は陽が首をひねった。ここでも叶多にはわからない話だ。
「そうやってのらりくらりと逃れられるって思ってんじゃないよな。てか、戒、いつまでも保留してるとおれにも考えがある。こいつが絡んでるかぎり、引き下がるわけにはいかねぇんだよ」
 陽は叶多を指差しながら、いつになく(すご)んだ。
「渡来の(せがれ)は温室を抜けだして原野で育ったようだな。洞察力にしろ本能にしろ、なかなかのもんだ。なぁ、戒斗」
「崇さん」
 崇はまったく興じていて、戒斗は大きく息を吐いた。それから陽に向かう。
「保留はしてるかもしれない。けど、逃げてるわけじゃない。いろいろ模索中だとだけ云っておく」
「ふん。どうだかな――」

「戒、ちょっと相談があるんだが」
 孔明がとうとつに割りこんできた。おまけに真面目な顔をしている。さえぎられた陽は不快そうな顔をした。
「なんだ」
「ああ……その……父上がせっかくいらっしゃることだ。有吏リミテッドカンパニーで研修させてもらえないかと思っている。それで、できれば戒に口添えを頼みたい」
 孔明がめったになくためらいがちに口にしたとたん、奇妙な沈黙が漂った。ただ単に気のせいなのか、少なくとも叶多自身は目が点になっているに違いない。
「どういうことだ?」
「いや、蘇我を継ぐかどうかは別の話で、本気で仕事がしたいということだ。その点、有吏リミテッドカンパニーなら経営に関してはプロ中のプロだし、とにかく即戦力を身につけたいと思っている。報酬に関しては要求するつもりはない。あくまで研修ということで、勉強させてもらえば充分だ」
「コンサルティングは企業秘密を知ることになる。簡単に考えてもらうのは心外だ。継ぐ継がないは関係ない。蘇我は複合企業で、ほとんどの企業と利害が絡む。その後継者となる可能性が一パーセントでもあるという以上、おまえを雇うのは会社にとってリスクになる」
「軽く考えているわけじゃない。無理を承知のうえで頼んでいる。純粋に経済についての基礎を実践で学びたい。それには父上の会社ほど最適な場は思いつかない。秘密保持は命に替えても厳守する」
 強情に云い募る孔明に呆れたのか、戒斗は一度かすかに首を振ってお手上げといったため息を吐いた。
 真剣な孔明には気の毒だけれど、叶多から見ても土台無理な申し出だ。きっと複合企業というのは単なる断り文句にすぎなくて、孔明が蘇我であることが問題なのだ。
 それを――。

「考えてみよう」
 まるで前向きに善処するかのような答えを云ったのは戒斗ではない。隼斗だ。
 どこから聞いていたのか、いつの間にか戒斗の隣に来て孔明に向かっている。露骨にびっくりした叶多と違って、戒斗は表情を変えず、隼斗に顔を向けると問うように首をひねった。
「ありがとうございます。いい返事をお聞かせ願えれば欣快(きんかい)の至りです」
 おそらくは気が変わるまえにと、孔明は戒斗と隼斗が言葉を交わさないうちに礼を口にした。
 それにしても、欣快の至り、などという言葉は聞いたことがない。言葉の流れと表情を見れば、“うれしい”という意味だろうとの判断はつく。貴仁が孔明のことを『オヤジくさい』と云っていたのを思いだして叶多は笑いそうになった。
 ちょうどそのとき、じろりと孔明の目が向いて、叶多は慌てて顔を引き締める。あまつさえ、事態は笑い事じゃなく、とんでもない方向へと動きつつあるのだ。
「戒斗が云ったように判断は簡単なことじゃない。添えない可能性のほうが高い」
「無論です」
 孔明はしっかりとうなずき、そこへ貴仁がやって来た。
「よかったな、孔明」
「とりあえずは、な」
 後押しするように言葉をかけた貴仁もまた、やり取りを見守っていたらしい。孔明の相づちに満足げにうなずいた。

 このふたりが一緒にいると、どっちが年上かわからなくなる。いつも貴仁のほうが先導している印象を受ける。有吏も年齢は関係ないことが多いし、まず従兄弟だからそんなものなんだろう。叶多にしても、那桜や深智とは友だちに対する言葉づかいとかわらない。ただ、有吏と違って蘇我は上下関係が明確だと聞いているだけに不思議なところではある。
 孔明のほうが立場も、年も一つだけだが上なのに関係が逆転して見えるのは、それだけ貴仁が(しっか)り者であるということなのか。いつも軽い調子で気安いけれど、親しくなってから一年半を越えたというのに――階段から落ちそうになったのを助けてもらったときからカウントすればもう二年、いまいち貴仁のことはつかめていない。
 残念ながら、陽みたいに、自分には人を掌握できるほどの洞察力はない。
 叶多がそんなことを思っていると、貴仁の横から則友が顔を覗かせた。

「受けてもらえるかどうかは別にして、独り立ちしたいって気になれるってうらやましいところだ。立場が上であればあるほど、窮屈で自分の意思は押し殺さなくちゃならない。それを打破して()ち抜くには精神力と知識が必要だろうし、僕には難しいけど、孔明くんなら大丈夫だ」
 則友は穏やかに孔明を激励した。どことなく、経験がありそうな意見だと思いつつ、則友の経歴を考えてみたけれど思い当たる節はない。
 叶多が隣を見上げると、ほぼ同時に見下ろしてきた戒斗の目と合った。ほんのわずかに首をひねったのを見ると、戒斗もなんらかを考えているとわかる。
「叶っちゃん」
 不意に則友が叶多を呼ぶ。何が原因か、おもしろがった表情だ。
「何、則くん?」
「あれ、訂正するよ」
「あれって?」
 叶多はきょとんとして則友を見つめた。
「ずっとまえ、好きな子を放置するって考えられないって云ったことあるだろう? 戒斗くんは堅物でもなく性悪でもなく、それ以上の“愛”があったようだ。認めるのは悔しいし、不本意だけど。まあ、希望を捨てたわけでもないけどね」
 “愛”を強調した則友は、叶多から戒斗に視線を移して揶揄した眼差しを向けた。
 どこまで本気で云っているのか、いったいどこから何を読んでそんな発言に至ったのか、“愛”という言葉にうれしさと照れくささが入り混じって、さらにみんなのまえで公然と云われたことで叶多は動転すら覚える。
 対して戒斗は口を歪めてすかした。
 そこにまさかの茶々が入る。
「“愛”だって? ただの“ロリコン”だ」
 すぐさま訂正したのは陽だ。
 戒斗は陽を()めつける一方で、工房内はいつの間にかみんなが一塊に集まっていて、どっと笑い声に満ちた。
 そのなか、きっと報復は自分に向けられるんだろうと思った叶多は、こっそりとため息を吐いた。

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