Sugarcoat-シュガーコート- #132
第14話 Double-Crosser -2-
十二月も半ばを過ぎた日曜日、貴仁が云いだしっぺで、今日の昼は“たか”工房でリスマスパーティを開く。勝手知ったる崇の家のキッチンで、叶多はクリスマスパーティの準備に勤しんだ。
ケーキとチキンは戒斗が陽を引き連れて調達しに出ているし、タツオからはてんこ盛りのチラシ寿司を差し入れしてもらっている。食べ物として用意するのは、サンドイッチとポテトサラダにフルーツサラダ、それとコンソメスープだけで、詩乃と美鈴、そして少し遅れて来た毬亜が手伝ってくれるから、叶多がバタバタするわけでもない。
ちょっとしたことでも取り仕切るのは気分いいかもしれないと思いながら、叶多は工房とキッチンを行ったり来たりした。
当初パーティの場所は、住まいでやる予定だったけれど、総勢十一人ともなると手狭になり、工房でバイキングにしようということになった。それで、年末恒例の煤払いを兼ねたすえ、工房は朝早くから全員参加の大掃除で賑やかだ。半端なく大量に用意しているパーティ料理は、みんなでペロリといけるんじゃないだろうか。
工房内に用意した長テーブルにサンドイッチを置くと、そのあとから詩乃たちが次々と料理やらお皿やらを持って続いた。
工房の飾りつけは、則友と貴仁、そして孔明の三人でやっていて、まもなく終わりそうだ。戒斗たちが帰ってくればパーティも始められる。
あとの二人、隼斗と崇は、窓の出っ張り部分に腰を引っ掛け、何やら語りこんでいる。
詩乃は夏以来、たか工房にちょくちょく顔を出すようになったから参加宣言はおかしくないとしても、隼斗まで参加したがっていると聞いたときはさすがにびっくりした。いや、その驚きはほんの序の口で、掃除まで手伝うとは考えてもいなかった。
有吏の家に滞在中、盆まえの大掃除をやったときは、衛守家と一緒に隼斗自らもしっかり働いていた。戒斗もよく掃除は手伝うし、隼斗がそうであっても不思議はないけれど、こういうノリみたいなことに付き合ってくれるとは、天と地がひっくり返るより仰天したかもしれない。
叶多は頭の中でちょっとまえの掃除の光景を再生した。すぐに掃除風景はズームアップして、戒斗に焦点が合う。
腕捲りして掃除する戒斗はやっぱり美術品並みで、いや、それ以上で、滑らかに動く彫刻という感じだった。目の保養を通り越して触れる立場にいる自分がうらやましすぎる――という云い方はおかしいけれどそれくらい脳内は痺れている。いやいや、この表現もどこか変態じみている。それはともかく、まさに“有り難く”て。
「叶多ちゃん、灰皿はどこかしら? 孔明さん、煙草吸うでしょう」
「おばさん、戒斗を生んでくれてありがとう!」
詩乃のきょとんとした目が向き、叶多は頓珍漢すぎる、それどころかお馬鹿極まりないほどとうとつな自分の発言にハッとした。美鈴が持ってきてくれたクリスマスっぽい音楽CDの音がうるさく流れていなければ、全員の耳に筒抜けだったかもしれない。
顔が赤くなっているに違いなく、詩乃は叶多を見てプッと吹きだした。
「何を考えてたのか知らないけど……想像がつかなくもないけど、おなかを痛めた甲斐はあったみたいね」
「痛いですか」
「忘れるわよ。母からそう云われたときはただの気休めだって思ってたけど、本当に忘れたわ。男の人にとっては気絶するほどの痛みらしいけど」
興味を持って訊いてみたものの、忘れる程度だと云っておきながら、気絶などという言葉を出されてはやっぱり怖い気がする。慄いた叶多を見て詩乃はまた笑った。
「女は強し、よ。たぶん、私が孫を抱けるかどうかは叶多ちゃんにかかってるからよろしくね。それで灰皿は?」
「あ、戸棚の下のほうに入ってます」
叶多が指差しながら答えると、詩乃はうなずいて工房の入り口の横にある棚に向かった。それを見送りながら、叶多は首をかしげる。
孫があたしにかかってる? だって那桜ちゃんが……。
那桜を思い浮かべたところで詩乃の云った意味がわかった。
那桜と拓斗は兄妹だ。いつのまにかそういう目で見ることも少なくなったけれど、ふたりは公に結婚宣言もできなければ子供のこともあたりまえには考えられない立場にいる。
苦しくなった。
美咲がずっとまえ、叶多の発言を無責任と云ったけれど、本当にそのとおりだ。
あたしは能天気すぎる。
そんな自分に落胆してため息を吐いたそのとき、両側の頬を引っ張られた。
「なんだ、そのうっとうしい顔は」
気づけば孔明が目の前に立っていて、しかも叶多の顔を不細工にした。
「いはいんでふけど!」
“い”の形をした口から出た言葉は意味不明になっている。孔明のせいでこうなっているのに当の孔明は奇人を見るような顔つきになった。
「気分よくすごそうと思ってきた。だから、叶は笑え」
むちゃくちゃな要求だけれど、笑って気分よくなれるんだったら笑ってしまおうと思う。が、すでに“い”の口は“ニッ”と笑うのと同じ開き方でどうしようもない。
つまり、頬を抓っているのは叶多を笑顔にしようという結果なのか。だとしたら、孔明は自分より子供っぽいのではないかと内心で本当に笑った。それにしても痛い。
「ほうめぇさん、だはら、放してふれないと――」
「何やってんだ」
左方向からさえぎった声に叶多が凍りついたのは云うまでもない。頬を摘まれたまま目だけで声を追い、その主にたどり着いた。
戒斗が目を細め、首をひねるのを見ると今夜の展開が見えた。叶多もいいかげんその辺りは学んでいる。口の自由をさえぎられていては云い訳しようにもかなわず、前例を鑑みれば、そもそもどんな云い訳も通じないのだ。
孔明も同じく戒斗に目を向けたがその手は離れず、こういうときこそ護身術、ということに叶多はようやく気づいた。とりあえず、孔明の脇腹をくすぐってみた。が、不感症なのか美咲と違って反応はなく、逆に、戒斗のセリフじゃないけれど“何やってんだ”というような目で見られた。伴って手は離れたから、効力はあったのか。
「何やってるって、叶を励ましてた」
「励ます?」
励ます?
戒斗の言葉と叶多の内心のつぶやきが重なった。
あれで? っていうより、あれが?! だ。
「ああ。何か落ちこんでそうだったからな」
孔明はごく普通に答えているけれど、戒斗にとっては弁明に聞こえているのかもしれない。睨んでいるのかと見紛うくらいに眉間にしわを寄せて“どこ吹く風”の孔明を見やり、それからそのままの顔が叶多に向いた。
まさかこんなところで、罰だ、などと実行はしないだろうけれど、戒斗の右手が伸びてきたのを見ると退きそうになった。叶多は足を踏ん張って、なんとかそうするのを堪える。
「それで?」
戒斗は促しながら叶多の頬を両方とも“消毒”した。
「って訊かれるほどじゃないの。あとで!」
「わかった。あとで、だ」
『あとで』をもったいぶって云った戒斗は、思考を切り替えたようにニヤリとした。叶多は内心でため息を吐く。
「八掟、ケーキどうすんだ? こっちで切るのか」
大事そうに大きな箱を二つ抱えた陽が遅れて入ってきた。さっきまでのシーンに陽が立ち会っていなくてよかったと、せめて三つ巴にならなかったことにホッとしながら叶多はうなずいた。
「テーブルの上に置いてくれればあとはあたしがやるから」
陽に続いて戒斗も左手に持ったチキンをテーブルに置いて、女性陣でそれらを開封した。
フライドチキンのすぐにでも喰いつきたくなるような匂いに後ろ髪を引かれつつ、叶多は一つのケーキを開ける。特注のブッシュ・ド・ノエルは五〇センチものチョコ丸太ケーキだ。もう一つは毬亜が開けていて、その真四角の箱から直径三〇センチという苺のデコレーションケーキが出てきた。
食べきれるんだろうかと思いながら叶多はケーキをカットし始める。
「叶多さんて」
隣で同じくケーキを切る毬亜が不自然なところで言葉を切った。
「あたしが何?」
「戒斗さんに愛されてるのねぇ」
「そ、そうかな」
「わかってないの?」
毬亜はからかうように可笑しそうな声だ。こういった質問には慣れることなく、叶多はやっぱり顔を赤らめる。
「や……わかってないことない……と思う」
「ややこしいね」
「わたしも叶多さんがうらやましいかも。戒斗さんて何があってもドンと守ってくれそうですよね。それにカッコよくって」
話に加わってきた美鈴の口調は控えめながらも大胆な発言だ。美鈴は一極集中型だし、どこか抜けている印象を受けて、たまに自分を見ているみたいだと叶多は思う。それを考えると。
もしもあたしがいなかったとしたら、戒斗は美鈴さんとでもいけちゃう――?
「あら、戒斗を誉めてくれてありがとう。でも、美鈴ちゃんとの縁談が持ちあがったとして、いくら蘇我グループのご令嬢だからといっても姑としてはお断りよ。有吏家は叶多ちゃんじゃなきゃだめなんだから」
詩乃は冗談めかしながらもきっぱりと口を挟んだ。
それをうれしく思ったのもつかの間、叶多はつと重大なことに今更で気づいてしまった。たったいまのふとした疑問が現実化してしまう。
美鈴はまさに戒斗の交換婚の相手だ。
あたしがいなければ戒斗はそのまま美鈴さんと……って、もしかしてあたしって運命の邪魔者だったり――じゃない! 極端に喋らないことを除けば戒斗と拓斗さんは似てるけれど、だからといって、あたしは戒斗がいなくても拓斗さんになびくわけじゃないんだから。……や、ちょっと護身術を教えてもらったときは混同しちゃったけど、あれはさみしさが倍増しちゃっただけ。
叶多は自分で自分の負の思考に停止をかけ、なぐさめ、そしてヘンな弁解をする羽目になり、せっかくのうれしさ一転、ため息で終わった。
「美鈴さん、戒斗さんのこと、あきらめたほうがよさそうだよ。嫁姑戦争が待っていそうだし」
「毬亜さん! 有吏のおばさまも。そういうんじゃなくってわたしもいつか誰かそういう人とって思っただけです。ね、叶多さん」
「あ、う、うん、そうだよね」
慌てふためいた美鈴に振られ、叶多もまた焦ってうなずいた。
「いいよね。いつか、誰かと、かぁ」
毬亜は心底からうらやましそうな声で云い、しみじみとため息を吐いた。
「毬亜さんもまだまだだよ?」
「あたしはね、“誰か”っていうのは決まってるの。でも、“いつか”っていうのは叶わないから」
笑った毬亜の顔は、ちょっと角度を変えたらその言葉のとおり、哀しそうに見えなくもない。
それは祐真が見せた表情に似ている。そう気づくと、いくら気持ちがあっても通い合わないことがあると知っているからこそ、安易な励ましは云えない。
以前にあった、毬亜とタツオの会話を思い起こしながら、もしかしたら、その“誰か”というのは和久井のことではないかと思う。叶多は曖昧に首をかしげた。
毬亜はその戸惑いを悟ったようで、叶多と同じように首をかしげた。
「あー、まあ、あたしにとっては“いつか”っていうのは贅沢。身分差ありすぎっていうか……きっと“誰か”っていう人と近くにいられるだけでラッキーかな」
「身分差って、相手の人が低収入なんですか?」
「ううん。そういうことには全然困ってない人」
「じゃあ問題ない気がするのに。毬亜さんてあの千重家ですよね?」
「あ、そうなんだよね」
美鈴の問いかけに毬亜は他人事のように答えた。
「毬亜ちゃんて不思議よね」
詩乃はおもしろがった様で首を傾けた。美鈴が、ホントですね、と相づちを打ち、毬亜はおどけて首をすくめた。
不思議といえば、いつの間にか叶多を筆頭に、四人でたか工房にいる機会は増えていて、最初はおずおずしていた美鈴も発言に遠慮がなくなるくらい親密度は増した。
「八掟、まだかよ」
女同士の雑談に痺れを切らしたのか、陽が近くまで来てため息混じりで口を挟んだ。
「あ、ごめん。もういいよ!」
すぐにテーブルに寄って、乾杯からクリスマスパーティは始まった。思いのままに入り乱れて食事をしたり、話をしたりとすごした。個性的で一癖も二癖もありそうな集まりでも、根はいいというのを裏づけるように楽しい時間になっている。
陽も二十才になって、美鈴も然りで、誰もがお酒を飲めるのだが、叶多だけは遠慮した。それはそれでいいのだけれど、箝口令が敷かれているように誰一人として叶多にお酒を勧めなくてちょっとさみしい。
誕生日の失態はともかく、イギリスから帰って以降、戒斗が家でお酒を飲むのに付き合ってくれて、だんだんと自分の塩梅もつかんできたのに。戒斗が何かよっぽどのことを云っているに違いなく、叶多は恨めしそうに隣に立った戒斗を見上げた。
あちこち移動しているうち、引力が働いたみたいに気づいたらふたりきりだ。
「なんだ?」
「普通ね、独りだけ別のだったら、ちょっとくらい酒も飲めよ、とか勧めると思わない?」
叶多がちらりと戒斗が手にしているシャンパンの入ったグラスを見やると、戒斗は口を歪めた。
「帰ったら酔わせてやる」
「戒斗が云うと違う意味に聞こえるよ!」
叶多は声を潜めて咎めた。
「全然違わない意味だけどな」
戒斗はすまして答え、叶多を慌てさせた。幸いにしてそれぞれに雑談中だ。戒斗は笑いながら叶多の鼻先に指先を突きつける。
「第一、叶多は運転手を買って出てる。誰だって飲ませるわけないだろ」
「あ、そっか」
「自覚がない」
来るときは戒斗が運転してきたわけで、帰りは自分がやると明言していたことをすっかり忘れていた。叶多は決まり悪くなって少し下唇を突きだした。
「家でイチャイチャやっとるだろうに、外でもくっついていないとだめだとはな」
ふたりの間ににゅうっと顔を出した崇の馬鹿でかい声に、叶多は思わずその口をふさぎたくなった。幸いにしてここでもクリスマス音楽が救ってくれたのだが。
「崇おじさん、イチャイチャって!」
いきなりで顔を赤くした叶多をニヤニヤしながら見た崇は、戒斗に視線を移した。
「戒斗、曖昧に同棲とか洒落てるよりも早く身を固めたらどうなんだ」
「おれにしたら、同棲という時点で不本意なんですよ。そのさきは察してください」
戒斗は薄く、尚且つ可笑しそうに笑いながら崇に答えた。崇は鼻で笑い、何やらすぐに納得したようだけれど、叶多は考えてしまった。
不本意? 同棲が? ……って、あたしってやっぱり戒斗に同棲を強要してるってこと?
「わんこ、だそうだ」
“だそうだ”と云われても叶多にはさっぱりわからない。ニュアンス的に“よかったな”が付きそうな気配で、戒斗の答えは悪い意味じゃないんだろう。崇は再び戒斗に向かった。
「しかしだ、戒斗、“さき”を考えるというのは本当に必要なのか?」
「問題は一つじゃない、とだけ云っておきます」
「ふふん。まあ、せいぜい、わんこを盗られないように気をつけることだ」
崇はテーブルの向こう側を顎で示した。
戒斗の目が崇から陽たちに移り、それから叶多に戻ってきた。けっして叶多のせいじゃないと思うのに、戒斗の目が責めるように狭まる。これ以上に煽らないでほしいと思いながら、叶多は急いでほかの話題を探してみた。
「た、崇おじさん! あたしたちのことより、崇おじさんこそイチャイチャしたい人いないの? ずっと訊いてみたかったんだけど!」
ずっと訊きたかったのは事実だ。そうしても笑い飛ばされると思っていまに至ったのだけれど、予想外にも崇は薄く笑っただけだった。しかも、それはどことなく意味ありげだ。
「おれも興味ある」
戒斗が云い添えると、またもや崇は含み笑った。
「昔な、惚れた女人がいた」
崇は思いがけなく告白した。叶多はびっくり眼で崇を見つめ、それから視線を移した先で戒斗と目が合った。戒斗も聞けるとは思っていなかったらしく、一様に驚いて片方の眉を上げた。崇は叶多が催促するまでもなく、懐かしむような声で続ける。
「いた、というよりはいまでも“いる”。ただ、華ちゃんには許婚がいてな、はじめから叶わないことだった。ふたりとも宿命だとか云っておったが、私は相思相愛だったと思っている」
“華ちゃん”というのが崇の想い人らしい。独身を通している崇はいまでもその気持ちを貫いているのだ。
崇がそれほどに想う人はどんな人で、何が宿命だったんだろう。純粋に興味を持った。許婚とか宿命とか、普通には仰々しい言葉がすんなりと聞こえるのは、叶多にとって無縁の言葉じゃないからだろうか。
「ふたりとも、って崇おじさんは男の人も知ってるの?」
「ああ。一緒に育った」
「一緒にって崇おじさんの兄弟ってこと?」
崇に兄弟がいるとしたら叶多にとっては初耳だ。一人っ子だと思っていた。
「兄弟として育ったことには違いないが、血は繋がっていない。親父が知り合いから預かった子だ。私より二つ上だった」
「崇さん、だった、って?」
戒斗もまた崇の兄弟の話ははじめて耳にした。そのうえその云い方に違和を覚え、問いかけた。
「三〇年まえ、正確にいえば三十一年になる。結婚してすぐ失踪した。兄――時宣が二十三、華ちゃんが二十のときだ」
「許婚同士で結婚したのに失踪なの? どうして?」
「詳しい事情はわからん。兄は、もしくはふたりとも、逃げたかったのかもしれない、その宿命とやらから」
「崇さん?」
崇の発言を受けて、考えこんでいた戒斗はこれまでになく眉をひそめ、何かを問うように、あるいは促すように呼びかけた。
崇は戒斗に応え、じっくりとうなずいた。