Sugarcoat-シュガーコート- #131

第14話 Double-Crosser -1-


 蘇我本家の大広間は近郊に住む分家の頭首たちが集まり、厳かに食事が進行している。頭領夫人の誕生会というのに会食と呼ぶよりは“進行”という堅苦しさがある。テーブルの上に飾られた花の華やかさも役に立たず、和やかな雰囲気には程遠い。
 季節は十二月という冬季に入り、寒々とした薄曇りの日があたりまえになった。背の高い窓から見えるその空の下にいるかのように、室内は暖房が効いているにもかかわらず、冷えた空気に躰が強張っている。
 それは蘇我特有の家柄とその頭領、蘇我唐琢(とうたく)の独裁者然とした所為(せい)だろう。
 けっして怯えているからではない。
 孔明は斜め前に座る、見るからに太太(ふてぶて)しい図体を見やった。重機でも引っ張りださなければ梃子(てこ)でも動かないだろう。上背があり、太っているわけではないが全体的に岩盤のようなごつごつとした厚みを感じる。顔つきは、六〇才という年に対して若く見えるのか老けて見えるのか判別しにくいほど、裏社会で幅を利かせている我立(がりゅう)家の頭首に負けていない。
 まるでこの洋館に似合わない。おくびにも出さないが、いつも孔明は内心で憮然としている。
 蘇我本家は日本随一の都にあり、その中心を広々と領して豪勢な洋館を敷地内の奥に構えている。細かく彫刻された流線の優美さとクリーム色の外観、それを囲む迷路じみた庭園、そしてそこに咲く、色彩を図られた数々の花。それらは見る者に気品という印象を与えるが、その所有者、唐琢の腹の内とは相対している。

 唐琢が最高経営責任者として就く蘇我グループは、もう一つ、戦後、旧財閥を一から立て直した貴刀グループと二分(にぶん)して日本経済を率いる複合企業(コングロマリット)だ。唐琢は表向きだけでも大した実権を握っているのだが、それ以上に畏れられているのは裏から社会を動かす独裁的な権力だ。
 史書の存在しない遥か昔、蘇我は大陸から日出ずる国に渡りつき、支配を進め、上に位置し、そして裏へとさらに絶対的境涯に身を置いて歴史に君臨してきた。この国は、一族の長である唐琢の手にいつ落ちてもおかしくはない。肉親にさえ愛情を示さない唐琢が統治を始めたら――そう考えると日出ずる国は真逆に暗黒と化す。
 まさに一世紀近くまえ――蘇我の謀略は慢心のすえ世界情勢を見誤って頓挫したわけだが――この国はそうなりかけた。先々代の失態に懲りず、唐琢はチャンスさえあれば再度と考えているのではないか。そんな疑心を人に抱かせるほど、その腹は黒ずんでいる。
 いま、それを唯一抑制しているのが、表と同じく“もう一つ”の存在だ。蘇我が渡ってきたときからその一族とは行動をともにしてきた。長年で築いてきた関係が崩れたのは、(さき)の、蘇我のフライングによる。いや、“ともに”というのは蘇我が都合よく受けた思いこみだったかもしれない。
 なぜなら、彼ら一族は名を明かさなかった。名こそ体を表すもの。その名が伏せられたということは、おそらく彼らは蘇我を牽制(けんせい)していたのだ。
 彼ら一族の真を蘇我は何も知り得ていない。蘇我の中に――もとい、蘇我一族は蘇我本家の専制という体質であるがゆえに、そのトップである唐琢が知らないのであれば誰も知るはずがなく、正体は微塵もはっきりしたところはない。だが、確かに在る。
 唯一、彼らへの窓口があるらしいが、唐琢とその側近が牛耳り、窓口が誰かというのは息子である孔明さえ知らない。それが唐琢の腹黒さを一段と浮き彫りにしている。
 大戦後の目下、自らの大過により、蘇我一族はそのもう一つの一族に脅かされているというのが現状だ。唐琢は脅威を認めていないが。
 それならなぜ和解を迫る?
 ただ、それが果たして唐琢にとって善意のもとにあるのか、その保証は何一つない。
 そんなおどろおどろしい血を受け継ぐ自分を厭う。

 内心でため息を吐くと、同時に意気投合して隣で妹の美鈴がかすかに息を吐いた。
 会話よりも、メインディッシュの肉を切りこむときの、ナイフと皿がぶつかる金属音のほうが目立っているなか、隣はそれが最もうるさい。
「どうかしたか?」
 理由はわかっている。ステーキソースと一緒に肉に添えられた、わけのわからない豆粒がうまく取れないのだ。食べなければいいものを、いつもあっちこっち飛ばしてひんしゅくを買っている。出されたものは、という律儀なところは母親、英美(えいみ)に似たのか。
 美鈴は孔明を見上げ、知ってるくせに、と目で詰りながら子供っぽくわずかに頬をふくらませた。
 その表情を見ると、孔明はつい半年まえに見知ったばかりという顔を思いだす。

 あれはよくわからない生命体だ。
 初対面では挨拶そっちのけでいきなり八つ当たりされ、低姿勢になったと思えば怒る。名乗れば驚き、そのあとはどことなくソワソワしどおしで(まれ)に見る落ち着きのなさだ。おもしろいといえばおもしろい。何もできなさそうにしているが、CARYとのことでは、なんだろう、叶多を見ていて漠然と自分を恥じ入った。
 ころころ変わる表情も、夏の間はどこか落ち着いた感があった。それが落ち着いたのではなく、さみしさからくるものだったと気づいたのは、戒斗がイギリスから帰ってきた夏の終わりだ。要するに戒斗がいないぶん張り合いがなかったのだ。
 いまの美鈴みたいな子供っぽい表情も戒斗が帰ってから戻った。そんな叶多のほうがいい。が、この複雑な心境はなんだろう。表情一つとっても、いるいないに左右されなければならないほど戒斗に何がある、という素朴な疑問に加えて苛立ちのようなもやもやが湧く。
 戒斗はすべてを手にしているように見えた。音を追うというやりたいことをやり、それだけに(とど)まらない何かを感じさせる。そして、戒斗がいると歴然と無防備になる叶多。そんな信頼まで得ている。
 ふたりはネオジウム磁石のように誰も引き離せない――無理やり分離すればそれぞれが自ら壊れてしまうような雰囲気を感じる。つまり、誰も踏みこめない。
 何を羨望しているのか自分でもよくわからない。ただ、ふたりが微妙に自分に影響を及ぼしている。このままでいいのか。

「食べた」
 美鈴が満足げに囁いた。見下ろすとおどけたように首をかしげる。
 その無邪気さを見て、やはり自分が間違っていたことを思い知る。孔明の腹は決まった。
 あきらめて投げやりにここまで来たが、自分だけならいい。だが美鈴まで――。
 長いテーブルの端のほうに目をやると、煽るような貴仁の眼差しと合う。領我家頭首の代理として出席した貴仁は、孔明の内心の覚悟を見抜いているかのように小さくうなずいた。

 本来なら、一族の指針を正す(のり)家という役目である領我家は頭領の隣にいるべき分家だ。
 それが戦後、領我家は何かにつけ、一族のこれまでの慣習を(ことごと)く転換させようとしてきた。それが一族本家の不評を買い、いまでは遠ざけられている。
 だが、それは領我家にとって好都合なことでもあった。水面下、反発、あるいは本家の指針に疑問を持つ分家が領我家を(たの)みにしてきた。いまでは一族の半分を占める分家が領我家の(もと)にある。
 本家と領我家は、いったんは互いに歩み寄り、領我家出身の英美を後妻として迎えたわけだが、結局折り合うことはなかった。英美が、そして孔明と美鈴が数々の迫害、あるいは冷遇されてきたのはそのせいかもしれない。
 いまや本家は領我家の謀反(むほん)を疑い、相容れていない。かろうじて両家の婚姻がそれ以上の(いさか)いを抑制している。
 一方で、領我家の血を引くとはいえ、孔明が知っているのはそこまでだ。孔明は領我家の思惑にもまた関与していない。何もかもが半端な位置にある。


 会食のあとそれぞれに席を立ち、空席が増えていくなか、美鈴もまた広間を出ていく。孔明はそれを見届けてから唐琢に目をやった。
「父上、お話があります。兄上も同席をお願いします」
 椅子を引きかけていた唐琢は動作を止めた。美鈴がいた席とは反対隣に座る異母兄の聡明(そうめい)を見やると、父親そっくりの厳つさでしかめた顔が向いた。
「内々の話ですので」
 孔明が付け加えると、唐琢は大儀そうなしぐさで部屋に残った頭首たち一人一人に視線を送り、それだけで出ていけという命令を下した。
「ああ、母上と、それから法家には同席してもらいます」
 孔明はわざと領我家の本分(ほんぶん)を持ちだして、立ちあがったふたりを引き止めた。
「わかったわ。貴仁くん、こっちいらっしゃい」
 英美は云いながら、離れた貴仁に向かって手を上げて招いた。
「はい」
「貴仁くん、和人(かずと)兄さん、風邪は大丈夫なの?」
 貴仁が隣に座るなり、英美は心配を露わにして問いかけた。
 領我家の現頭首、和人は英美の実兄であり、貴仁の父親がその真ん中だ。和人に息子はいない。将来、領我家は貴仁が継ぐことになるだろう。
 貴仁は英美に応じておどけたように肩をすくめた。
「叔母さん、伯父さんが頑丈なことは知ってるはずだよ。ひきはじめで咳が出てるし、伝染したら申し訳ないって云ってた。頭領だって叔母さんが風邪で寝込んだらきっと哀しむだろうし。関心なそうに見えるだけでさ。そうですよね?」
 一族の中で、貴仁の評判といえば軽口を叩く如何物(いかもの)と受け取られている。あまりの軽薄さに領我家の存続を危ぶむ声もあるが、不思議と嫌われる対象にはならない。いまも頭領を相手に揶揄したわけだが、当の唐琢は顔をしかめただけだ。対立する位置関係にあるにもかかわらず、忌諱(きき)に触れたわけでもない。その証拠に出ていけという言葉はなく、唐琢の口からはただ呆れたようなため息が出た。貴仁は孔明よりも唐琢に受け入れられている気がする。
 貴仁の本質は、孔明を(けしか)けるときに見せる、まっすぐ生真面目な意思であるはずが、普段は鳴りを潜め、道化じみた仮面を被っている。
「とにかく、伯父さんはピンピンしてるから大丈夫さ」
「よかった――」
英美(インメイ)、もう無駄口はいい」
 唐琢は好んで英美や美鈴の名を祖国の発音で呼ぶ。その名は唯一、唐琢が妻として娘として認める()り所かもしれない。
 唐琢は放っておけば雑談しそうな気配を阻むと、据えた声で孔明に向かった。

「それでなんだ」
「約定の件です。まもなく――具体化するのは来年のことですよね」
「それがなんだ」
「いえ、一向に詳細が知らされないので現状を聞かせていただければと思っています」
「おまえは待っていればいい」
 聡明が真っ先に口を挟んだ。蔑んだ口調で、半分は血が繋がっているはずが情の欠片もない。こうも孔明を疎んじるのは、すべて蘇我の実権を握りたいがためだ。聡明は姿形も性格も、父親のクローン並みに丸写しだ。こうはなるまいとその気持ち一つで反面教師だと思ってきたが、まったくそれは正解だった。聡明は三十七才と、男として成熟期にあるが、最近、その性格が表に出てきていて、とても信用できる顔つきではない。
「自分のことなのでそれでは納得いかないんですよ」
 いつにない孔明の口答えに反応し、唐琢と聡明はそろって椅子にのけ反った躰をわずかに起こした。
「どういうことだ」
「約定が必要なら、僕はそれでもかまわない。ただし、美鈴は彼らに渡すつもりはありませんよ」
美鈴(メイリン)も約定のうちだ」
「何も交換婚をする必要はない。婿入りでもなんでも、僕が蘇我を出ればすむことです」
「言語道断だ。交換婚で得るのは、即ち人質だ。おまえを引き渡すことで終われば、蘇我にとってはなんの得もない」
 テーブルの向こう側で英美が息を呑む。
 聡明は本音を漏らした。つまり、美鈴は捨て駒にほかならない。そして、孔明の相手として蘇我にくる女はどうなる?
 これでいいのか――いや、いいはずがない。
「美鈴は渡しません。それに、彼らの素性を疑いもせず、大戦では失策。肝心要でミスを犯す蘇我の――蘇我“本家”の思惑を彼らが見抜けないはずがありませんよ?」
 孔明は皮肉を吐き、貴仁に目配せをして席を立った。
「話は終わりです。失敬しました。母上」
「じゃ、おれも帰ろうかな。頭領、ごちそうさまでした」
 孔明に促された英美は席を立ち、先立って広間を出ていく。
 そのあとを孔明、数歩遅れて貴仁と続いた。出る間際、ちらりと見たふたりは微動だにせず、ますます岩盤を固めたように見えた。


「孔明」
 広間の扉が閉まり、一息吐いたあと、英美は孔明の名を呼んだ。その響きにはあらゆる感情が交差して託されている。
「母上、すみません。またつらい目に遭わせてしまうかもしれません」
「いいのよ。私の役目はわかってるわ」
「役目?」
「そう。蘇我はこの国には不要だから」
 そのときちょうど美鈴が二階から現れて英美を呼んだ。
「孔明、貴方はやっぱり領我家の子だわ」
 英美は謎めいて云い、貴仁にうなずいてみせたあと美鈴のもとへと向かった。

「どういうことだ」
 孔明は貴仁を見やった。
「そのままだ」
 短く曖昧な返事から、貴仁がそれ以上に喋る気がないのは明らかだ。孔明はため息を吐く。
「おれは知らされるに値しないか。所詮、唐琢の血が流れてるからな」
見縊(みくび)るな。孔明、おまえには唐琢の血を無効にするほどの高貴な血が流れている」
「……どういう意味だ?」
「おまえを見直したってことだ。どうする、これから?」
「おれには何もない。だが……考えてみる」
「ああ――」
「あら、めずらしい。貴坊が真面目な顔してる」
 不意打ちで廊下の角から現れ、貴仁をさえぎったのは従姉の我立玲美だった。
 派手な赤い皮のコートを手にしている。玲美は二十六才だったと思うが、見た目は年齢不詳だ。爆発したような赤い髪は相変わらずで、孔明は顔をしかめながら、全然違うな、とそそっかしい犬を思い浮かべてつぶやいた。
「何が違う、のかしら?」
 聞こえたらしい。孔明は肩をそびやかした。
「Tシャツにジーンズという格好で、どうやったらそこまでけばけばしく見せられるんだ? ということだが」
「オヤジくさいあんたよりはマシよ」
 ふたりの応酬に貴仁が吹きだした。そして、さっきまで孔明に向かっていた口調とはがらりと様を変え、貴仁は玲美に呼びかけた。
「玲姉さん、今日はどうしたのさ」
「美鈴ちゃんと話すついでにパパのお迎えよ。お酒飲んでるでしょ」
「玲姉さんのスポーツカー?」
「そうよ」
「我立のおじさん、ますます酔っぱらいそうだね」
「どういう意味よ」
「玲姉さんの運転はスリル満点だからさ。おれ、好きなんだよね」
 つまり運転が下手だと云っているようなものだが、最後の一言が貴仁の巧みなところだ。玲美の機嫌が悪くなることはなく、今度また乗せてあげるわ、という言葉を引きだしてうまく操っている。
「美鈴ちゃんとちょっとお喋りしてからパパは引き取ってくわ。じゃね」
 玲美は軽く手を上げて二階へと行った。どういうわけか、玲美と美鈴は仲がいい。勝気な玲美は何かと同性を敵視する嫌いがあるが、美鈴の場合、ライバル心が芽生えないほど自分とは相対するからか。

「そういえば貴坊。あのときはよく逃げられたわね」
 不意に玲美が振り向き、孔明からすればわけのわからないことを口にした。
「玲姉さん、内緒のはずだろ。しかも、いつの話だよ」
「いつも訊こうと思って訊きそびれてただけ。それに、孔明なら別にかまわないでしょ。あんたたちってヘンに仲がいいんだから」
「従兄弟だし、普通だろ。玲姉さんのほうはどうなのさ。お気に入りのホストいたよね」
「あいつ? あいつはねぇ……DV男だったからやめた。顎の骨砕かれそうになったんだから。でも……」
「でも、なんだよ」
「んーん、なんでもない」
 玲美は笑うというよりは口を歪めるといった表情を見せ、それから階段を上っていった。

「なんだ、あのときって?」
「いまは話す気ない」
 貴仁はあっさりと孔明の質問を退けた。孔明はまたため息を吐く。
「それにしても、だ。貴仁、おまえって二重人格もいいとこだな」
「息抜きだ。たまにはノー天気になりたいときもある」
「息抜きといえば」
「叶ちゃんだろ」
 孔明は、あとを継いだ貴仁を見やりながら、自分でも奇妙な顔をしているんじゃないかと思う。案の定、貴仁は笑った。そして、からかうように付け足した。
「明日会えるし、今日のうっ憤は晴れそうだ」
「あ、ああ」
 つい痞えてしまうと、貴仁から笑いつつも真剣な口調で、順番はおれが先だ、と意味不明の言葉で釘を刺された。

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* Double−crosser … 裏切り者、だます人