Sugarcoat-シュガーコート- #123

第13話 My One and Only Place -3-


 一般的に小中高生の夏休みに入ってはじめての日曜日、つまりは有吏一族の親睦会で、叶多にとっては大学の試験期間の真ん中に当たるというのに、それはそっちのけで昨日から有吏塾の邸宅に泊まりこんでいる。
 あれから、有吏塾には思い立ったように隼斗から連れてきてもらうこと一回。合わせればたった二回なのに、有吏塾に対するイメージや親族に対する見方もどこか違っている。
 これまでは、一見すれば気さくな集まりも、どこか厳かな堅苦しさが抜けなくて畏怖を抱いていた。今回はそれが消えて、(よし)みに感じる。
 叶多はいま、有吏館の隅のほうにあるテーブルについて出迎えを眺めているのだが、親族は有吏本家の男たちに挨拶したあと、決まってこっちに近づいてくる。戒斗の祖母、百恵に挨拶するためだ。

 親睦会のために隠居先の沖縄から出てきた百恵(ももえ)とその夫――前首領である継斗(つぐと)は、四日まえから有吏の家に滞在している。
 ふたりには、叶多が本家にいることを事前に伝えられていた。それでも、不安ではないと云ったらのん気すぎるだろう。百恵はありのままに受け入れたようで、一方で継斗は、どうプラス志向で解釈しても歓迎とは云い難い。が、隼斗と一緒で、けっして叶多に対して小言を口にすることはない。
 この親睦会で、戒斗に連れられてはじめてふたりで本家に挨拶したときを思い起こせば、継斗は確かに嘆いていた。ただ、戒斗には批難の眼差しを向けても、ちらりと目を向けた叶多にはそういう表情はなかった。それが眼中にないという意思表示だったとしたら、それはそれで悲しいけれど。
 同じ家で過ごした二日の間に一つわかったのは、継斗の眉間にあるしわが、しかめ面でも威嚇のためでもなく、どうやら染みついたものらしいことだ。それだけの重圧と責任が継斗にはあったのだろう。
 もちろん、隼斗、そして戒斗や拓斗も同じことが云えるわけで、叶多は、せめて未来の戒斗にできるかもしれない、しわの一本くらいはなくすだけの力になれたら、と思ってしまった。
 一泊もすると、継斗も叶多がいることに慣れてくれたようだ。差し詰め、必要不可欠なお茶係を買って出たせいかもしれない。
 このまえ惟均が、有吏一族はトップに恵まれているというようなことを云ったけれど、そのとおり、本家は厳格ではあっても不遜(ふそん)ではない。こんなチビで不細工で、いや、自分を援護するとちょっと可愛い不細工で、頭が悪くて、思考力はまだまだお子さまで、取るに足りないような遠い親戚でも、無視とか格下の扱いはしない。すべて平等という名の下に振る舞っていて、それは高貴と表現するほかない。
 継斗が叶多の存在に慣れたように、叶多もまた、緊張した気持ちは残っても雰囲気はつかんできた感じだ。

 そして今日、また緊張は寄り戻っている。本家が座るテーブルにいるせいにほかならない。百恵への挨拶のあと、詩乃、那桜と巡って、それから必ず叶多に目が向く。相手は見知った親戚とはいえ、ちょっとした緊迫の瞬間だ。目礼や会釈など挨拶を交わしつつ、特に何かを云われることもなく、目つきはどちらかというと、怪訝というよりは好奇心ぽい。
 百を超える分家の長とその家族が集まるのだから、有吏塾に顔を出すのとは違い、さすがに気持ちは引き気味だ。詩乃の意向で、やっぱり隼斗は反対せずに黙認した。戒斗は不在だし、こんなときに頼れるのは父の哲しかいなくて相談してみたものの、哲は、おまえが選んだことだ、と受け流した。確かにそのとおりだ。叶多は反省した。

 出迎えに付き添いながら本家もたいへんだと感心するなか、百恵が肩にかけたショールを胸もとで引き寄せた。
「おばあちゃん、温かいお茶、飲みませんか」
 百恵とは一滴の血も繋がっていないけれど、滞在一日目、なんと呼んでいいのか戸惑っていた叶多に気づいて、おばあちゃんでいいわよ、と百恵自らが申しでた。助かったのはいうまでもなく、ただ、継斗のこともおじいちゃんでいいと云われたことについては、恐れ多くてその一言は発せずじまいだ。
「あら、ありがとう。沖縄に長年いると、寒いのに敏感になるのかしら。ここはちょっとクーラーがききすぎるわね」
「みんなそろったら、人が多くなってちょうどよくなるかも。じゃ、持ってきますね」
「あ、叶多ちゃんはいいの。それは那桜がするわ。那桜」
 詩乃が口を挟んで那桜を促した。
 叶多は、まただ、と思う。隣に座った那桜は、そっとため息を吐いて立ちあがった。
「はい。叶多ちゃんも一緒に来ない?」
 那桜は詩乃に応えたあと、叶多を振り向いて誘った。
「あ、うん」
 那桜はくるりと身を翻し、叶多は急いで立ちあがってそのあとを追った。テーブルから近いドアを通り抜けると、板張りの廊下を調理室へと進んでいく。
「叶多ちゃん、ごめんね」
「え?」
 那桜は出し抜けに謝り、叶多はきょとんとして短く問い返した。
「母のこと」
「おばさんがどうかした?」
「母がわたしに気を遣いすぎだってこと。気づかない? わたしがいると、叶多ちゃんに対して母は……ちょっと大げさに云えば、よそよそしくなってない?」
 那桜までがそう感じているとは思わなくて、叶多は驚いた。さっきの那桜のため息は、お茶を出すのが面倒くさいわけじゃなくて、詩乃に対してだったらしい。

 叶多が有吏家に来て以来、その初日を含めれば那桜は四回訊ねてきたけれど、そのたびに感じることがある。普段から叶多がやっていることであっても、詩乃は那桜がいるとやらせてくれないことが多い。叶多がやろうとすると、詩乃は何やら考えこむような表情で叶多を制し、那桜に頼むのだ。だから、なるべく控えていようと心がけているけれど、思い立ったら即、という性格が災いしてつい出しゃばってしまう。
 そして詩乃がそうすると、大したことないとはわかっていても、叶多はちょっ撥ねつけられているようなさみしさを感じている。そんな負の感情を持っているだけに、那桜の質問には答え難い。もしかしたら、そういう気持ちが顔に出ているんだろうかと焦りながら、叶多は曖昧に首をかしげた。
 否定しなかったことで認めたようなものと気づいたときは遅く、那桜は首をすくめると、明らかに作り笑いをした。

「叶多ちゃんにとったら気を遣わないってことはないだろうけど、戒兄はうまくいってるって云ってたし、戒兄が見た目だけで判断して安易に云うわけないことは知ってる。昨日はおばあちゃんも普通に――楽しそうにだって見えるって云ってた。でもわたしからすれば、いつもちょっとギクシャクしてるし。なんだろうって考えてたら、わたしのせいだってわかった」
 那桜は屈託なくて、ともすればおっとりして見えるけれど、いろんなことに気づいている。この場合、身内のことだからなのか、ちょっとした違和感にも鋭く反応しているようだ。“ちょっとした”というのは、あくまで叶多の希望的観測にすぎなくて、そんなことを大っぴらに出すほど自分が子供っぽいとは信じたくない。
「那桜ちゃんのせいって何?」
「だから気を遣ってるってこと。わたしも悪いんだよね。親なのに、へんに遠慮しちゃうようになったから。わたしが変わればいいのかも。叶多ちゃんには気にしないでって云うしかできなくてごめんね。わたしも叶多ちゃんみたいに自分から頑張らなくちゃ」
 那桜の『遠慮』という言葉に、叶多はふと有吏家に来た初日のことを思いだした。那桜と詩乃が互いに遠慮がちに見えたこと。それは何かに(わだかま)りがあるということで、その“何か”は歴然だ。

 那桜は結局、中途半端にしか説明しないで、逢瀬の間から入って奥の正面にある調理室の戸を開けた。
 ここはキッチンではなく厨房(ちゅうぼう)といった感じで、深智の家にいたヘルパーの町田と、いま継斗たちの滞在に合わせて有吏家に手伝いに来ている鳥井、そのほかに二人の調理員がいる。
 町田と鳥井は、有吏家の表親族が共同で長年雇っているヘルパーだ。調理専門の二人もその繋がりという。明日から二週間、遠方に住む従兄弟たちが寄宿生活に入るのだが、その間も調理員たちはここで働くらしい。食事を二階まで運ぶのに、専用のエレベーターまである。

「鳥井さん、お茶の葉はどこかな? おばあちゃんに温かいお茶を持っていきたいんだけど」
「ここの引出しにありますよ。私がやりましょう」
「あ、いいんだよ。鳥井さんはそっちをちゃんとやってて。から揚げが砂糖味だったら嫌だし」
「まあ。私は“那桜さん”ではありませんよ」
 鳥井はくすくすと笑い、調理台の下にある引出しからお茶の葉を取りだした。
「那桜ちゃん、那桜ちゃんじゃない、ってもしかして……?」
「そ。お料理なんて全部が母任せで、学校の家庭科の時間以外じゃ見たこともなかったし。それで、家出てから初めの頃、から揚げは簡単そうだと思って作ったのにお砂糖と塩を間違っちゃったの。そのこと、いまだに拓兄が持ちだすから鳥井さんにもバレちゃった。叶多ちゃんにもバレちゃったけど、誰にも云わないでね」
 叶多からしてみれば、那桜自身がばらしているのと同じだ。ただ、いまでこそ料理ができると公言できる叶多だけれど、最初の頃は、頼から散々罵倒されたという経緯があるだけに、笑うに笑えないところだ。
「あたしも最初はできなかったし、深智ちゃんだってそうだったよ。だから、失敗したからって気にしなくてもいいと思う」
「叶多さんの仰るとおりですよ。失敗は成功のもとというでしょう。叶多さんは立派ですよ。まだ二十才なのに、“お嫁さん”をしっかりおやりになってますし。那桜さんもできていないということはありません」
 鳥井は大げさなくらい持ちあげた口調で云い、叶多はちょっと照れる。
「あ、でも、あたしは成功のもとより、ただ失敗っていうのが多いかも」
「テーブルに足を引っかけて、継斗さまの頭にお茶をかけそうになったり、茶菓子を運んでいる途中で隼斗さまに呼ばれて振り向いたとたん、床にお菓子をばら撒いたり、そんなの愛嬌ですよ」
 照れ隠しに云ったことが鳥井にとんでもないことを喋らせてしまった。叶多の後悔をよそに、調理場は笑いさざめく。

「鳥井さん、叶多ちゃん、有吏の家ではうまくやってるんだね?」
「問題ありませんよ」
 鳥井は那桜の質問に力強く受け合った。那桜はかすかに顔を曇らせる。
「ほら。やっぱり、わたしのせい」
「那桜さんのせい、って?」
 那桜は叶多をちらりと見やったあと、鳥井に目を向けて首を横に振った。
「ううん。なんでもない。それより、叶多ちゃんは料理上手じゃない? 深智ちゃんも楽しくなったって云ってる。できてないことはないけど、わたしはいまだに苦手だし、好きじゃない」
「それでも、やっているというだけ偉いですよ。深智さんもそうですけど、那桜さんも、私たちが呼べるのにちゃんとご自分でなさっていらっしゃいます」
「町田さん、そうじゃなくって。それくらいのことやらなかったらすることないし、わたしってバカみたいだよ」
「あら、那桜さんには拓斗さんのお守りという、大切な役目がございますでしょう」
 なまじっか、五〇を過ぎた町田は、有吏三兄弟妹を生まれたときから知っているだけに、からかうにも説得力がある。
 那桜は苦笑いをしながら首をかしげた。それから、調理場を早く立ち去りたいのか、そそくさと注いだお茶をトレイに載せると、叶多に差しだした。
「叶多ちゃんが持っていって」
「え、でも」
「いいから。母もちょっとは気づくべき。わたしがなんでもないってこと」
 そう云った那桜から押しつけられるまま、叶多は転ばないようにしようと心がけて、逢瀬の間へと向かった。

「那桜ちゃんて昼間は何してるの?」
「お掃除して終わりかな」
 那桜はあっさりと云い、叶多は半ば呆気にとられて思わず立ち止まる。すぐ思考は回復して、マイペースで先を行く那桜を追おうと、お茶が零れない程度に駆け寄った。
「……それって巡り巡ってあたしのせい?」
「どうして?」
「あたしがいろいろやっちゃってるから、那桜ちゃんにとっては窮屈になってるんだよね?」
「いろいろって何か知らないけど、叶多ちゃんのせいじゃないよ。もともと拓兄はわたしを自由にしたがらないから。ずっと行動制限されてたって云ったじゃない? 派遣の仕事だってホントに渋々だったんだから。拓兄が縛るのもわたしが家に閉じこもるのも、癖というか習慣というか、沁みついちゃってる。だから、叶多ちゃんが思っているよりは退屈じゃないの」
「那桜ちゃんてすごい」
 深くは考えずに叶多が云うと、那桜はしかたなさそうに笑った。
「なんだか情けないけど。叶多ちゃんや母みたいに趣味を見つけないとね」
「那桜ちゃん、あたし、戒斗と一緒だったら閉じこもってもいいなって思う」
 叶多は自分でもへんななぐさめ方だと思ったけれど、それでも効果があったようで、那桜は、ともすればニヤリとしたような笑い方をした。
「そうよね。叶多ちゃんと同じで、戒兄も閉じこもりたいらしいから。拓兄も戒兄を見習ってくれるといいんだけど」
「……どういうこと?」
「戒兄への電話は、夜は十一時まで朝は八時からって、よっぽどのことじゃないかぎり、そう決まってるんだって。拓兄が露骨だっておもしろがってた」
 電話の時間制限は知っているけれど、那桜が云うところの意味がわからず、叶多は首をかしげた。それを見て、那桜が小さく吹きだす。
「戒兄、叶多ちゃんとくっついていたいんじゃない? 同棲を始めてからそうなったみたいだから」
 しばし、叶多は眉をひそめ、それから眉間のしわが緩んだと同時に顔が火照りだした。
「く、くっつくって……!」
「叶多ちゃん、落ち着いて。同棲までしてて何もないってほうがおかしいんだから」
 那桜は揺れたトレイを支えながら叶多をなだめた。
「那桜ちゃん、も、もしかして一族の人たち、みんなそう思ってるのかな?!」
「どうなのかな。どっちにしろ、今更ってこと。気にすることないよ」
 と云われて気にならなくなるほど、叶多の心臓は逞しくない。戒斗の厚顔無恥ぶりがうらやましい。いや、そんなふうに思われているとして、それを知らなくてのうのうとしていた叶多も、周りから見れば厚顔無恥なのだ。
 叶多は大きく嘆息した。ここでジタバタしても無意味なことは確かだ。

「拓斗さんは、家でも仕事やってる? 遅くまで?」
「ん。よくやってる。話せる時間も少なくて、でも家に一緒にいられるぶんだけマシかな」
 戒斗は忙しいなかでも叶多との時間を確保してくれるけれど、拓斗にはそういう時間さえ取れないんだろうか。総領という立場である拓斗への重圧は、戒斗より大きいのかもしれない。
 拓斗は時間が取れなくて、那桜には時間が余っている。叶多は自分だったらどうするだろうと想像してみた。
「那桜ちゃんたちって、有吏の会社の近くに住んでるんだよね? それくらい目の届くところにいてほしいってことで……だったら那桜ちゃん、働くの好きって云ってたし、どうせなら拓斗さんの仕事を手伝っちゃえばいいのに」
 今度は那桜が立ち止まった。ふと考えこんだ那桜の顔が晴れやかになったとたん、叶多は逆に、また余計なことを云ったかも、と後悔を覚えなくもない。
「叶多ちゃん、それいいかも! 会社だったら拓兄もお父さんもいるし、余計な心配しないよね。そっかぁ……叶多ちゃん、ありがとう!」
 那桜はかなりその考えを気に入ったらしく、勢いこんだ気持ちそのままに叶多の腕をつかんだ。
「あ……っ」
「あ、ごめんっ」
 バランスが崩れて叶多が持っているトレイから湯呑みが落ちそうになる。その瞬間、那桜が、熱っ、と小さく叫びながらも素早く湯呑みをつかんだのはいいが、中身は飛びだしてしまった。廊下の床、半径一メートルを超えて壁にまでお茶の飛沫(しぶき)が広がった。
「那桜ちゃん……」
 叶多と那桜は、濡れた床から同時に視線を上げると、互いに惨めな様で見つめ合った。
「……大丈夫。お茶はまた注いでくればいいんだし、火傷しなかったぶんマシじゃない?」
 ため息を吐いたすえの那桜の前向き発言により、那桜は掃除、叶多はお茶汲みと手分けした。

 四つも年上の那桜には失礼だけれど、叶多は自分と変わらないくらい落ち着きがないと思う。那桜が有吏本家の娘というだけに、ちょっと安心した。

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