Sugarcoat-シュガーコート- #122

第13話 My One and Only Place -2-


 叶多が車庫まで小走りで行くと、いったん運転席に納まっていた隼斗がちょうど降りるところだった。
「こっちだ」
 このまえの飛行場に行ったときは詩乃がいたから必然的に隼斗の後ろに座ったけれど、今日は一人でどうしようと思っていただけにドアを開けて促されるとほっとした。
「はい」
 叶多はうなずいて、運転席の後ろに乗りこんだ。
 タツオのときも感じることだけれど、二人だけなら助手席でもいいと思うのに、戒斗以外と乗るときは運転席の後ろが叶多の指定席になる。なんでも、運転席の次にいちばん安全な場所らしい。
 それにしても、運転席にいるのが隼斗であるぶん、いまは妙に気が引けた。一族の長を運転手扱いしている気がする。
 車はゆっくりと家の門を潜って、それからすぐには道に出ず、隼斗はしばらく止まったのちに車を出した。戒斗と出かけるときもそうで、何してるの? と、いつか訊いてみたら、門が閉まるまで待っているということだ。つまりは侵入者を警戒しているらしく、守ることに関しては本当に徹底している。過剰すぎるくらいだ。
「足は大丈夫かね」
「あ、はい! ちゃんと治さないと後々まで響くからって、戒斗からきっちり病院に行かされました」
 話しかけられるとは思っていなくて、叶多が慌てて答えると、そのとおりだ、と隼斗から返ってきた。
 それから有吏塾に着くまでの約三十分、塾での日課を聞かされつつ、叶多が問えば隼斗が答えるという会話が続いた。ふたりきりでどうなるかという不安もどこへやら、大学の講義よりも身が入った気がする。

 車は門番が立つ間を通り抜け、車道を左に折れて進み、有吏館と道場の間にある駐車スペースに止まった。
 隼斗のあとをついて有吏館の中に入り、すぐ二階へと直行した。二階は会議室、三階は寄宿舎になっていると聞いた。叶多がここまで入りこむのははじめてのことだ。
 二階の踊り場から廊下へ出ると、すぐ両脇にドアがあって、隼斗は右側のほうを開けた。ドアが開いたとたんに、何やらよく通る声が聞こえだす。ドアは会議室の後ろ側にあって、室内に入ると、ざっと十人くらいの背中が前方に固まって見えた。
「座っていなさい」
 隼斗はいちばん後ろの空いた席に座り、その隣の椅子を引きだしながら、声を潜めて示した。難しそうな言葉が飛び交っているなか、緊張のせいか、しばらくはまったく内容が頭に入らないまま、叶多は講義を見守った。
 講義を任されているのは、有吏本家の護衛という役を(あずか)衛守(えもり)本家の次男、惟均(ただひと)だ。戒斗より一つ年上で、実家がやっている衛守セキュリティガードでは働かずに、有吏リミテッドカンパニーで拓斗の補佐に就いている。
 一方で学んでいるのは、中学生の遠い血縁になる従弟たちだ。話の区切りがつくたびに活発な質問や意見が飛び交う。

「……円高に日銀が介入しないのはなぜです? デフレは深刻ですし、警戒感から景気回復への懸念も出て株価も続落中ですよ」
「そうだな。じゃ、市場の立場で考えてみてくれ。いま日銀が金融緩和に踏みきったとして、おまえたちならどう動く?」
「一時的に戻りはあるでしょうけど、いまは国内総生産(GDP)発表が控えてますし、僕だったら手を出さずに様子見というところかな」
「あーなるほど。いまの経済事情では、GDPが予測に反して下振れと出れば無意味にもなりかねないということか」
「そうだ。政治も不安定だし、もちろん賛成派もいるけど、市場は概ね慎重になっていて、現状では期待感自体が薄い。日銀単独で即介入すれば世界市場を乱すことも考えられる」
 叶多は半ば放心して意見交換を見守った。よくよく講義を聞いていれば、経済の話だというところまではわかっても、意味を把握するには余程集中していないとついていけない。ガラスを作るとき以外、集中力は叶多の苦手とするところで――いや、集中したとしても無理だ。目下のところ就職難であるほど不況らしいことは知っていても、経済には(うと)く、よく仕組みがわかっていないというのが現状で、大学生というのに情けないほど理解不能だ。
「それで、おまえのシミュレーション投資はどうだ?」
「ご心配なく。損切りするまえにディフェンシブセクターの株に切り替えてますよ」
「さすがに慎重派だ。見せてくれ」
 半ばからかうように云いながら、惟均は男の子のノートパソコンを覗きこんだ。

 そういえば、と、戒斗もたまに電話で株の話をしていることを叶多は思いだす。
「おじさん、戒斗もこういう株ってやってるんですか」
 隣を向いてこっそり訊ねてみると、隼斗はかすかにうなずいた。
「株に限らず、資産運用はあたりまえのことだ」
「有吏って正確な情報はいっぱいだろうし、お茶の子さいさいで(もう)かってそう」
 叶多がごく短絡的な感想を云うと、隼斗は呆れたのか肯定の意味なのか、小さく肩をすくめた。
「あ、そっか。だから四億もするマンションもササッと買えちゃうんだ」
「マンション?」
 独り言だったつもりが思いがけず問い返された。
「あ、いまのアパートより安全なところをって、イギリスに行くまえに戒斗が引っ越しを考えてたことがあったんです」
 叶多が答えると、隼斗は何やら思案するように顔をしかめた。
 戒斗が昔そうだったように、隼斗も表情を変えることはない。けれど、間近で接していると、ちょっとした変化だけは見分けられるようになった。これも犬的感覚だろか。
 結局、隼斗が何かを云うことはなく、講義は別の議題に移って九時半まで続いた。今日は緊張しているからいいものの、ちんぷんかんぷんなだけに慣れてきたら居眠りしそうな気がする。
 塾の日課としては、八時から九十分の講義と、その後、五分の休憩を挟んで武道を四十分という時間割で、塾生、つまり高校生以下の従兄弟たちはそれぞれの世代ごと三班に分かれ、週二のペースで有吏の教育を受けているそうだ。

 講義が終わると従弟たちは早々と会議室を出ていき、残った惟均が(かしこ)まった面持ちで近づいてきた。
「首領、いかがでしたか」
「抜かったところはない」
「ありがとうございます。叶多ちゃん、めずらしいな。というか、はじめてだ」
 惟均は隼斗の言葉にほっとしたというよりも当然といわんばかりに礼を口にすると、今度は叶多に向かって相好を崩した。有吏にありがちで、惟均も一見、すっと冷めた印象を受けるけれど、惟均の場合、身内では緩みがちだ。
「惟均くん、こんばんは! おじさんに連れてきてもらったんだけど、さっきの講義、ついていけなくてちょっと落ちこみそう」
 叶多は肩をすぼめた。
 惟均は、馬鹿正直に自分の無知ぶりを露呈した叶多を見下ろして小さく吹きだした。
「なんなら、これからも参加してみるといい。言葉に慣れてくると自然と身に付く」
「え……あ、あたしの頭じゃあ――」
「首領、いいですよね?」
 一族のことに関しては自由に意思を通せないという立場を考えつつ、たじろいだ叶多と、何も憂慮することなく問いかけた惟均の視線は一様に隼斗を向いた。
「同意は必要ないと思うが。着替えがあるので私は先に行く。惟均、八掟の娘を道場に連れてきてくれ」
 叶多にとっては驚いたことに、すんなりと意外な答えが返ってきた。
 承知しました、という惟均の返事を聞いたのかどうか、隼斗はさっさと背を向けて会議室をあとにした。隼斗が消えたあと、叶多が惟均を見上げるとニヤリとした笑みを向けられた。
「その辺にいるお偉方(えらがた)と違って、首領はわからずやじゃない。従者の意見でも、大抵のことは押せば通る。その点、有吏一族は恵まれていると思うだろう? さあ行こう」
 惟均は同意を求めつつも答えはいらないようで、叶多を連れて道場へと移動した。

 木曜日の指導は、惟均の兄、和惟(かずただ)も当番で、高校生のクラスを受け持っていることを聞かされているうちに、有吏館から渡り廊下を通って道場へと入った。
 たったいままで話題に上った和惟は道場の隅にいた。そこには長テーブルがあって、冷水器が三台とお盆に伏せたグラスが置かれている。
 和惟はすぐに叶多に気づき、驚くこともなく、手にしていたグラスをテーブルに置くと、ゆっくり近づいてきた。いつものことながら、くっきりとした顔立ちは瀬尾みたいに見目麗しく、さらに、三十一才という成熟した年齢であるせいなのか、瀬尾よりは色気たっぷりで優雅な様だ。
「これはまた、目新しい塾生だな」
 おもしろがった眼差しが目の前から下りてきた。衛守兄弟は気さくで話しやすく、一族の誰にとっても年の差を無効にする。
「和惟くん、こんばんは! おじさんに連れてきてもらいました」
「んー、戒斗の無上は素晴らしいな」
 和惟は感慨深げに叶多を上から下まで眺め回した。
「ムジョウ?」
「この上ない、ということ。あの戒斗を過保護にさせるって、叶多ちゃんの魅力を味わってみたい気がする」
「あ、味わう……って」
 からかわれているとわかっていても、和惟の雰囲気が雰囲気なだけに、思わせぶりな言葉に叶多は身を引いた。案の定、和惟は声を出して笑う。
「冗談だ。銃口を向けられるってのは気分のいいもんじゃない」
 和惟は大げさな言葉を添え、手を上げて降参したしぐさをしたあと、不意に道場の正規の入口に目を向けて指差した。釣られてそっちに目を向けると、そこには拓斗と那桜がいた。
「過保護の証明だ」
「え?」
「さっき、戒斗から電話があったらしい。叶多ちゃんの面倒見ろ、ってね」
 和惟の補足に叶多が驚いているうち、拓斗と那桜が傍にやって来た。
「叶多ちゃん」
 手をひらひらと振って那桜が声をかけた。
「那桜ちゃん! ここ、よく来るの?」
「ううん。親睦会のとき以外でははじめて。わたしが独りになるからって拓兄に連れてこられた」
 那桜は不承不承といった感じだ。那桜が窮屈の犠牲者になっていることを思いだした。
「ここにも過保護者が一人いるってことだ」
 和惟が口を挟んだ。その口調はからかうというにはちょっと違って聞こえた。見上げた和惟は、よく陽が戒斗に対するような、どこか挑発した表情で目の前の拓斗を見つめている。
「当然のことだ」
 拓斗の口調は平然と受け止めているみたいな声音だ。そんな拓斗に対して、和惟はおもしろがった表情に変えて肩をすくめた。
「そうだ。気を抜くべきじゃない。叶多ちゃん、尾行されているとか、何かおかしいと思うような目に遭ったときは、迷わず衛守家に来るんだよ」
「あ、はい。出かけるときはほとんどタツオさんが一緒だから、独りでいることはあまりないんですけど」

 叶多の答えに和惟がうなずいたところで、塾生たちと、そのあとから隼斗が入ってきた。隼斗をはじめ、みんな道着姿だ。
 小学生、中学生、高校生と、号令がかかることもなく道場の向こう側半分を占領してそれぞれに二人一組で向かい合う。低いかけ声とともに誰もが同じ形で技を掛け始めた。しばらく見守っていると、交互に同じ形をとっているとわかる。
 隼斗とほかに、裏分家に当たる伯叔父たち二人がそれをゆっくりと見回る。
「これ、なんですか」
「合気道だ。攻撃して倒すんじゃなくて、相手の攻撃を無効にする技を学んでる。合気道は躰の大きさが力量に関係することはないし、相手が多勢でも通じる。要するにいかに攻撃を見極めるか、精神性が重要な武道ってとこだな」
 叶多の質問に応えて和惟が説明をしていると、大学生以上の従兄弟たちが入ってきた。ジーパンにTシャツという、普段着のままだ。その彼らをちらりと見やった隼斗がこっちに目を止め、それから近づいてきて拓斗に向かった。
「今日はどうしたんだ」
「通りかかったので様子見です」
「お父さん、こんばんは」
 隼斗の質問に答えた拓斗の横から那桜が声をかけた。ちょっとおずおずしている那桜は、隼斗がうなずき返すとほっとしたように笑みを浮かべた。
「ちょうどいい。八掟の娘にちょっとした護身術を教えてやってくれ」
 隼斗は惟均のときと同じように拓斗の返事を聞かないまま、また持ち場に戻っていった。

「叶多ちゃん、たいへんだね」
「那桜ちゃん、たいへん、て?」
「え、護身術習うっていうから」
 事の運びにきょとんとした叶多は、那桜との短いやり取りでようやく事情を呑みこんだ。のほほんと従弟たちの練習風景を見守っていたけれど、簡単そうに見えても本当は難しい、という想像はつく。
 ちょっと口にしたことがこういうふうに動くとは。
「たいへん……ですよね?」
「いや、おれたちがやってるような本格的なことじゃなくて、パターンごとに逃げ方とか時間稼ぎを学べばいい。拓斗、手柔(てやわ)らかにやれよ。おれたちもそろそろやるか」
 和惟は惟均に声をかけ、それを合図にしたように年長の従兄弟たちが適度の間隔で道場の半分に散らばった。準備運動じみた動きを五分ほどしたあと、向こう側みたいに決まった動きではなく、それぞれが思い思いに技を掛け合っている気がした。しかも一対一とは限らないようだ。
「拓斗さん、こっちは攻撃的ですね」
「実戦を想定している。本来、合気道は乱取りをやるものじゃないけど、攻めでも受け身の場合でも、とっさの判断を躰に覚えさせるには効率的だ」
 確かに考えていたらやられてばかりだろう。高校生までの子たちとは技術の差が明らかで、攻める側も受ける側も流れるような動きだ。見ていて飽きないくらい、カッコいいという言葉に尽きる。

「じゃ、やるぞ。ちょっとした護身術を覚えておけばいい」
「あ、あたし、こんな格好ですけど!」
「こんな格好もどんな格好もない。もし襲われたとして、ああいうのを着てるわけない」
 拓斗が奥の道着姿をした子たちを指差すと、叶多はなるほどと思った。こっち側でみんなが普段着なのは、拓斗が説明したとおり、実戦を想定しているからに違いない。
「叶多ちゃん、頑張って!」
「う、うん」
 こんな展開になるとは思わず、那桜の安易な応援に、叶多は不安丸出しの返事で答えた。
「那桜、おまえは端に行ってろ」
「わかってる」
 那桜は冷水器のテーブルまで下がっていった。
「拓斗さん、けっこうドキドキしてるんですよ!」
「おれはだから、叶多を頼むって、戒斗から指名を受けたんだと思ってるけど」
 柔らかさにちょっとだけからかうような口調が潜んでいる。
「戒斗、ほかに何か云ってました?」
「酒を飲ませるなって云ってた。わざわざ云うって、何やらかしたのか興味あるところだ」
「な、な、何もやってません!」
「まあ、それはいい。パターンをいくつかやるから」
 拓斗は口を歪めたあと、慌てた叶多を軽く受け流して指導モードに切り替えた。こういうときは淡々とした人だと思うけれど、かえって師弟という関係になって緊張もどこかへ飛んでいった。

「基本は逃げる。逃げるときは人気(ひとけ)を目指して。尚且つ、武器を探しながら逃げる。そこら辺の詳しいことは和惟にでも習うといい。いまはもし捕まったら、というときの対処法を教える。まず」
 と、そこで言葉を切った拓斗はいきなり正面から叶多の左手首を捕まえた。
「どうする?」
 叶多は問われ、しっかり捕まれた手を思わず引いた。が、ビクともしない。
「だめだ。逆に、反動で引き寄せられる可能性がある。こういう場合、一気に勢いよく手を上げる。手が自分の顔の横に来るくらい。やってみて」
「はい」
 ちょっと息を溜めて、さっと上に手を振りあげた。引いたときの固定感はなく、比較的容易に手が抜けた。
「どう?」
「無理ない感じです」
 拓斗はうなずいて、それから右手でもう一度叶多の左手をつかんだ。
「今度は攻撃する方法だ。この場合、肘打ちがある。捕まれた手を回しておれの腕をつかんで。そう。思いきり引き寄せて。左足を出して踏ん張る。右肘を突きだすようにおれの顔めがけて振り抜く」
 云われたとおりにしながら、当たる! と叶多が思った瞬間、拓斗が退いて避けた。
「……避けられました」
 ほっとしたようながっかりしたような気持ちで叶多がつぶやくと、拓斗は口を歪めた。さっきも思ったけれど、いまの笑い方は戒斗と似ている。顔立ちはどちらかというと拓斗のほうが詩乃寄りで上品な印象を受けるものの、どことなく似ていて、戒斗に会いたい、と叶多は思ってしまった。
「それは攻撃が来るとわかってるからにすぎない。無駄に鼻を折りたくはない」
「もし襲われちゃって、鼻なんて折っちゃったらどうしよう」
「正当防衛だ。そういうためらいは必要ない。逃げられなくなる。いざとなったとき、パニックにならないように何回も練習しておくこと。逃亡のチャンスは一回きり。相手が警戒心を抱くから二回目は通じないと思うべきだ。だから、頭じゃなくて躰に覚えさせる」
「はい」
「じゃ、次だ。向こう向いて」
 云われたとおりに背中を向けたとたん、拓斗は早速、襲撃を仕掛けた。背後から腕ごと抱き包まれ、無意識に叶多はもがいたけれどやっぱりビクともしない。
「足掻けば足掻くほど締めつけられる。普段、靴は何を履いてる?」
 拓斗の顔は叶多の頭より余裕で上にある。
 この感覚って……。や、いまはそういうことじゃなくって。
 叶多は余計なことを脳みその中から振り払う。
「えっと、パンプスが多いかも」
(かかと)が尖ったやつなら尚更いいな。こうやって後ろから羽交い絞めにされたときは、効き足の踵で思いっきり相手の足の甲を踏みつける」
「はい」
 素直に踏みつけると、拓斗はその瞬間に腕を離してまたもやすかした。
「……避けましたね」
「わかってるから。痛いのはごめんだ」
「脚、ものすごく痺れてるんですけど」

 さっきと似た会話のなか、叶多は本当にジンと痺れた脚を見下ろした。と、不意打ちで拓斗の腕がまた躰を縛る。拓斗の意に反して、叶多は攻撃することなく深々とため息を吐いた。すると、拓斗は腕を離して、すぐさま叶多の前に回ってきた。
「もしかして捻挫した足?」
 心配していそうな声だ。
「あ、違います。捻挫したのは左だったから。それより……」
「何?」
「えっ……と、拓斗さんてやっぱり戒斗と似てるんですよね」
「おれよりは戒斗のほうがよっぽど素直だと思うけど。自分ではよくわからないな」
 素直? あれで?
 一瞬、素朴に疑問を持ったけれど、表れ方が普通の反応と違っているだけで、いまの叶多にとってはわりと戒斗のことは丸わかりだ。素直といえなくもない。
「や、性格の問題じゃなくって、なんていうかこう……」
 叶多が云い淀むと、拓斗が促すように首をひねった。叶多は拓斗を指差した。
「それ、です!」
「それ?」
「しぐさが似てるし、背の高さとか腕の感触とか匂いとか、拓斗さんの羽交い絞め、戒斗に抱きしめられてるみたいで、もっと、って思うんです!」
 ほぼ形振(なりふ)りかまわず、思ったままを云ってしまうと、叶多はハッと我に返り、とんでもない大胆な発言をしたと気づいた。
 きっと呆れたであろう拓斗は黙りこんで、いつものように読み取れない、無に近い表情をしている。やがて叶多の頬の温度が上昇していくのと比例して口を歪めていき、それからため息と見紛うような笑い方をした。
「戒斗が振り回されている理由がわかった気がする。自分がいないところで何をしでかすかわからないってね」
 誉められたとは云い難く、叶多はしょげた。
「わかってるんです、戒斗に要らない負担させてるってこと」
「負担? 戒斗はそう思ってない」
 叶多が力強く思うくらい、拓斗は断言した。
「ホントですか?」
「あいつの話し方からすると、むしろ生き甲斐になってるように聞こえるけど」
 その見解もどこか納得のいかない形容に思えたけれど、少なくとも拓斗からは保証をもらった感じだ。
「拓斗さんもそうですか」
「なんのこと?」
「那桜ちゃんのこと、生き甲斐って……あ、でも訊くまでもないですよね。兄妹を超えるってところでもう気持ちは究極って感じ」

 那桜の名前を出したとたん、拓斗の目は叶多の頭上に移って、その先へと通り越した。そして、叶多が云い終える間に、不自然なくらい拓斗の表情がなくなった。
 なんだろう。そう思って振り向くと、那桜と、その横に和惟がいて何やら話している。拓斗の様子を怪訝に思ったことが、その何度か目にしたことのあるふたりの光景を違って見せた。にこやかでもなく、よそよそしくもなく、それでいて普通の従兄妹同士でもないという、あやふやさを見出した。
 どちらかというと、和惟になんらかの“熱”を感じるような……。そこで、一つ疑問が浮かんできた。
 一族の血脈を守るために行われている政略婚は、叶多にでもあったわけだから誰にでもあるはず。従兄たちが二十代で結婚していることを考えれば、三十一才という年齢でいまだに独身である和惟は、どうみても例外扱いになる。親睦会があると、大抵、女の子たちの間で誰それが結婚するとか婚約したとか話題に沸くけれど、和惟に関してはこれまでそういう噂をまったく聞かない。
 訊ねてみようかと拓斗に目を戻すと、まだふたりを見ていて、どうも訊けるような雰囲気ではない。
 同時に、また戒斗との共通点を見つけた。
 何かしらの激情が大きいほど無表情になる、ということ。

「拓斗さん、正面から抱きつかれたらどうするんですか!」
 気まずくなりそうな気配に拓斗の気を逸らそうとしたつもりが、奇妙な表情で見下ろされる。明らかな“無”ではなくなったものの、ためらったような顔つきだ。
「……。勘違いされそうだし、それは戒斗から指導受けたほうがいい」
 もちろん、戒斗の身代わりをしてもらおうと考えて云いだしたわけじゃないのに、拓斗に正すように云われると、自分がとんでもない(たわ)け者に思えた。人の()を察知することについては犬の嗅覚並みに発達してきたけれど、後先を(わきま)えない発言もやっぱり犬並みだとちょっと落ちこむ。
「……。拓斗さん、避けましたね!」
 焦ったのをごまかそうと真面目に抗議してみたにも拘らず、拓斗には笑われた。
「戒斗とは不当な理由で勝負したくない。ただでさえ決着がつかないから」
 云いながら、拓斗の顔が横を向く。
「たいへんじゃなくて、楽しそう、だね?」
 いつの間にか、那桜が傍に来ていた。拓斗を見上げる那桜の顔は、どこか拗ねて見えなくもない。
「那桜、教えてほしいなら――」
「いい。そんな必要ないくらい、拓兄に守られてるから。だよね?」
 拓斗をさえぎって、那桜は首をかしげた。

 那桜はずっとまえに、叶多が戒斗を変えたほどには力になっていないと云った。ちょっとまえは、拓斗が心底から気を許しているわけじゃないと云った。
 けれど、ついさっきまでと違って、拓斗は那桜が傍に来ただけではっきり和やかに気配を変えた。同意を求められた拓斗の手が那桜の額に伸びる。たったそれだけのしぐさのなかで、ふたりの間に無言の会話がなされたことを感じた。

 戒斗、触れたいよ。
 うらやましくて、叶多はこっそりつぶやいた。

BACKNEXTDOOR


* 文中意 ディフェンシブセクター株 … 景気に左右されない株