Sugarcoat-シュガーコート- #111

第11話 Encounter -10-


 昨日の診察時、医者から二、三日はなるべく患部を冷やして安静にというお達しを受けたけれど、それに従ったのは叶多ではなく戒斗だ。家に戻ってきて以来、いまに至るまで生理現象と衛生習慣を除いて、余計な行動は制限された。
 叶多がへんに逆らうから足に響きかねないと云って、えっちさえ制限してしまった――というと、残念に思っているみたいに聞こえるけれど、毎日というのもどうかと思うし、それは制限されてもかまわない。
 や……かまわなくもなくもないこともない……って結局どっち?
 それはともかく、朝ご飯を食べ終わるなり、強引に留守番を云い渡され、つまり大学は欠席を余儀なくされたということだ。
 お茶碗洗いも戒斗がやって、それから出かける準備なのだろう、戒斗は寝室へと消えた。
 来月の十四日はFATEがメジャーデビューした日で、二周年のライヴがその日と叶多の誕生日である十五日と合わせて二日間予定されている。叶多が途中退席させてしまった打ち合わせも問題なかったようで、FATEは今日から音合わせに入る。
 叶多は寝室の戸が閉まるとため息を吐いた。

 ただでさえすっぽかした授業があるのに。戒斗が出かけたらこっそり行っちゃおう。
 と、そう思った矢先、戒斗は信じられないものを手にしてすぐ寝室から出てきた。
「おれがいないからってその隙に出ていこうなんて思ってるんなら、これ使ってもいい」
 昨日、誤算だと悔やんだ戒斗は神経を研ぎ澄ましているのか、叶多の思考を敏感に読み取っている。叶多は戒斗が云う『これ』を慄いて見つめた。
 それは、去年、叶多の誕生日に真理奈がくれたプレゼントだ。戒斗は近寄りながら、わざと首輪に付属した鎖の音を立てて見せた。
 誕生日のプレゼントとしてもらったからには捨てるのが忍びなく、それなら、と隠していたはずなのに。それがベッドの下なんて浅はか過ぎたかもしれない。
 戒斗の口が不気味に歪んだ。
「どんなに野良犬でも、飼い犬の習性は少しくらいつかんでる」
「使う気ないって云ったよ!」
「状況の変化に対応できなければ、上に立つ資格はない」
「そういう大げさなことじゃないと思う」
「ふーん。やっぱり逆らうつもりなわけだ」
「違うっ。ちゃんと家にいるよ!」
「ほんとか?」
 叶多がこっくりと大きくうなずくと、戒斗は首輪を差しだした。叶多が渡さないと云わんばかりに胸もとで抱き取り、それを見た戒斗は脅しめいた笑みでそれとなく釘を刺した。

 最大の気の緩みからなのか、いままでは見守るといった感じだった過保護ぶりが、昨日は突如として露骨になり、それがエスカレートするとサドに変化するというのは如何(いかが)なものだろう。
「ちょっと違う」
「なんだ?」
 こっそりと云ったつもりが聞こえたらしい。戒斗が身をかがめて、叶多のほんの間近まで顔を近づけた。
「な、なんでもない」
 戒斗は首をひねり、閉じたくちびるを緩めた。触れる、と叶多が目をつむったと同時に携帯電話の着信音が邪魔をした。びくっと叶多が小さく跳ねた拍子にくちびるがぶつかって、とりあえずキスは成立する。戒斗は顔をしかめて叶多から離れた。

 携帯電話を開くと、叶多はほんの少し首をかしげてから通話ボタンを押した。
『叶? ケガは大丈夫なのか』
 叶多が返事するまえに孔明のほうがさきに具合を訊ねた。昨日の今日でもう伝わっている。
「大丈夫ですよ。情報、早いですね」

 戒斗によれば、どうも則友から貴仁、貴仁から孔明へと連絡は流れているらしい。たか工房でそろった日は、それを見越して戒斗はわざわざ訪ねることを崇に連絡したという。
 そこに少なくともなんらかの意図がある、と戒斗は踏んでいる。
 それが単なる叶多目的のみだったら叩き潰す、と付け加えた戒斗は、本気か冗談か判別できない表情で、しかもなぜか脅迫は叶多に向けられたのだ。

『あたりまえだ。昨日、おまえが来るって云うから、わざわざ時間空けて“たか”に行ったんだ』
 孔明は変わらず尊大な云い方でも、たか工房に行くたびに顔を合わせていると、さすがに叶多も慣れてしまった。
「ごめんなさい。花瓶はちゃんとできてましたよね。見ました?」
『ああ、則友さんから見せてもらった。上出来だ。母の雰囲気に合ってる』
「よかった」
 叶多が声に笑みを滲ませて云うと、電話の向こうからぼそっと、ありがとう、という言葉が聞こえてくる。孔明のこういう不器用さはなんとなく戒斗と似ている。
『ちょっとしたお礼をしたいんだが』
「お礼って?」
『明後日、午後から時間取れるか』
 孔明は叶多の質問には答えずに予定を訊いた。
「あ、ちょっと待ってください」
『有吏さん、いるのか?』
 戒斗に訊こうとしたところを呼び止められた。
「いますよ」
『かわってくれ』
 孔明は一方的に云うと、早くも戒斗が出るのを待っている気配がする。微妙な雰囲気の違いを電話でも感じ取れるあたり、自分の犬度も上昇している。叶多は手にした首輪を見下ろして、一瞬そんな馬鹿げたことを思った。
「戒斗、孔明さんが話したいって」
 様子を窺っていた戒斗は、叶多側の一方的な会話から相手を察していたようで驚きもしない。
 何回か交わされたやり取りのあと、戒斗から携帯電話を返された。
『叶、そういうことだ。じゃ、明後日』
 そういうことと云われてもどういうことかはわからないまま、電話は切れた。叶多は携帯電話をしばし眺め、それから戒斗を見上げた。
「そういうこと、って?」
「そういうこと、らしい」
 戒斗は肩をすくめ、叶多に教える気がないことを示した。



 孔明が『明後日』と云った四月三十日、戒斗に連れられてきたのはオフィス街のなかで比較的小じんまりした五階建てのビルだった。“伊柳(いりゅう)スタジオ”と看板があって、入り口のガラス窓一面には、きれいな女性のドアップ写真が内側から貼りつけられている。
 叶多は戒斗に手を引かれるまま、ゆっくりとビルの中に入った。足の痛みは引いたけれど、ふと着地した拍子に足を着けないくらい(うず)くことがあって、まだ歩くのにも慎重にならざるを得ない。
 三階までエレベーターで上がり、ちょっと奥へ進むと、『撮影中』というプレートのぶらさがったドアがある。
「暗いから気をつけろ」
 戒斗はそのドアをそっと開けた。注意されたとおり、入り口付近はちょっと暗がりになっている。反して奥のほうは、撮影用の照明と連続するフラッシュで眩しいほどだ。
 撮影の対象者は里佳だった。ラベンダーブルーの色をしたショート丈のバニエドレスとふわふわに巻いた茶色の髪が、里佳を人形みたいに見せる。
 天井からぶらさがった白いスクリーンを背景に、ベージュのソファが一つある。そこには腰かけず、下にペタンと座った里佳は、ポーズを取っているわけでもなく、スクリーンの脇にいる女性とお喋り中だ。お喋りというよりはインタヴューかもしれない。里佳が首を傾けたりうつむいたり、ちょっとしたしぐさをするたびにフラッシュが()かれる。

「叶」
 不意に声がすると、隅の暗がりから孔明が表れた。
「有吏さん、ご足労かけました」
「いえ。戒斗でいいですよ」
「戒斗さん、では、僕のことも孔明で」
 暗くてよく表情はわからないけれど、初対面の挨拶の反省からこうなっているのか、孔明の態度は戒斗に対すると、ごく丁寧になるようだ。
「孔明さん、こんにちは。ここ、入っていいんですか」
 本心をいえば、ここに立ち入ったことよりも、里佳がどう反応するのかというほうが不安だ。
「これでも顔は利く。叶、こっちだ。戒斗さん、お借りします」
 孔明は撮影室を出る素振りを見せ、叶多が戒斗を見上げると、かすかにうなずいたのがわかった。訳がわからないまま、孔明が支えてくれたドアから叶多は廊下へと抜けだした。

「CARYとは知り合いだったらしいな。叶を連れてきていいかって打診したらそう云っていた」
 孔明は意外だったという口調だ。それはそうだろう。巡り巡ってここにいることも含め、当の叶多にとってもまさに意外なことばかりだ。とりあえずいまは、叶多がいることを里佳が承知していることにほっとした。
「友だちです。CARYだっていうのは全然気づかなかったけど」
「友だちなのに知らなかったのか?」
「一方通行かもしれないけど、友だちは友だちです」
 きっぱりと云うと、ひょこひょこした歩き方でついて来る叶多を振り返り、孔明は首をひねった。
「足、まだ悪いのか?」
「本調子じゃないことは確かです。治るのに三週間みたほうがいいって」
「どうしたんだ?」
「えっと……簡単に云えば、階段から落ちそうになって足をひねったんです」
「おまえは落ち着きが足りないからな」
 孔明は失礼なことを平気で口にした。叶多としては抗議したいところでも、落ち着きのなさは自分でも自覚していて、口答えをぐっと堪えた。その叶多の心中(しんちゅう)は一向に気にしていないようで、孔明は撮影室の奥隣のドアをノックして開けた。
「いらっしゃい。あら、いいじゃない?」
 更衣室みたいなロッカーを並べた部屋には三十代くらいの女性がいて、何を思ったのか叶多を見るなり目をちょっと見開き、それから満足そうにうなずいて孔明を向いた。
「伊柳さん、お願いできますか」
「任せて」
「じゃ、叶、向こうで戒斗さんと待ってる」
 どういうことなのか皆目見当がつかないまま、叶多は伊柳という女性と置き去りにされた。

「さあ、変身タイムよ」
「変身? あ、こんにちは。八掟叶多です」
「あら、きちんとしてるわね。私は伊柳冴子(さえこ)。撮影見た? あそこでカメラ扱ってたのが伊柳大地(たいち)で、私の旦那さま、兼、このスタジオのパートナーなの。私はメイクからファッションまでこなすコーディネーターやってる。今日はよろしくね」
「よろしく、って……」
 叶多が戸惑っていると、冴子は可笑しそうに首をかしげた。
「聞いてない? 今日は……えっと叶多ちゃんでいい? 叶多ちゃんをプロデュースさせてもらうわ。まずは服を脱いでちょうだい。衣裳はそうね……」
 人前で、女性とはいえ、いま知ったばかりの人前で服を脱ぐということに抵抗を感じないわけがない。が、女性はロッカーを手当たり次第に開けて洋服を選び始めている。
 叶多はしばらくためらったものの、戒斗は近くにいるし、承知していることは確かで、女性の意に従うことにした。
 あれよあれよという間に着替えさせられ、奥にある壁一面の鏡に背中を向けた格好で座らせられると、髪をホットカーラーで巻いて、その間に顔はいろんなもので塗りこめられた。
「蘇我グループの御曹司から依頼があったときはどんな子が来るのかしらって思ったけど。さすがに御曹司の目も高いわね。一目見てやり甲斐あるってピピッと来たんだけど、やっぱりもとがいいから想像以上」
 冴子は髪を整えながら満悦した笑みを浮かべた。
 もとがいいというお世辞に(ひた)る暇も、自分の格好を眺める暇もなく、行きましょう、と叶多は冴子に手を引かれた。
 撮影室に入ると、戒斗を確認する間も与えられずに、冴子はどんどん先に行く。
「いいかしら」
「どうぞ」
 冴子の問いにインタヴュアーの女性が答えた。機材やセットに気を取られているうちに、叶多は里佳の隣に座らされた。冴子は叶多と里佳の服を整え、髪を(いじ)ってから戻っていった。

「化けたよね」
 里佳の第一声はいつものとおり、ちょっと小馬鹿にした云い方だ。
「どんな格好か見せてもらってない。場違いってことだけはわかるけど」
 叶多は不安を丸出しにして恐る恐る辺りを見回した。カメラマンとインタビュアーの顔ははっきり見えるけれど、その奥にいる戒斗と孔明は逆光で薄らと姿がわかるくらいだ。
「足、大丈夫なの?」
 里佳の問いに叶多はまた目を戻した。
「うん。ちょっと挫いただけ」
「ごめんね、叶多」
「ううん。あたしが勝手に――」
「そうじゃなくて」
 高飛車な声は鳴りを潜め、里佳はどこか投げやりにつぶやいて不自然なくらい黙りこんだ。待ってみたけれど、里佳が口を開く様子はなく、叶多はおどけて首を傾けた。
「ケガしたら戒斗が動くなって云って、ホントに犬みたいに首輪をされそうになったよ。今日、やっと出られた。あのあと大学では大丈夫だった? 里佳がバラさなくて助かった。だって、あたしは里佳みたいにやれそうにないから。今度、戒斗から護身術を習うことにしたの。体力ないから倒しちゃうなんていうのは無理だけど、手を振り(ほど)いたり逃げる時間を稼いだりする方法があるんだって」
「叶多、あたし、ずっといろんなこと後悔してた」
 里佳はとうとつに叶多が喋るのを制した。
「里佳……」
「あの頃……。叶多、これから云うこと、云い訳にはとらないで。ただの事実を知ってほしいだけだから」
 里佳はいったん云い淀んだあと、里佳らしくきっぱりと前置きした。叶多がうなずくと里佳も応えてうなずく。

「あたしの親、あのあとすぐ離婚したの。お母さん、四年生のとき働き始めたじゃない。そこで男できちゃって、それで離婚。お母さんは男のとこ行って、あたしはお父さんとふたりで引っ越したの。ずっと()めてて、あの家にはあたしもお父さんもうんざりしてたから。学校のこともあったし。って云っても、学校の問題はあたしが自分でやったことなんだよね。わかってたけど、あたしは認められなくて叶多を責めた。美紅(みく)たちから聞かされたことは、あとからだんだんと意味が違ったんじゃないかって思うようになった。叶多のこと、弱くて泣き虫で、あたしがいないとなんにもできないんだからって思ってた。でもそれはあたしの都合だよね。叶多は弱くなんかなかった。誰だって泣きたくなるようなときに限って泣かないんだから。叶多が来てくれてうれしかったんだよ。でも……あのとき、あたしは叶多に弱いと思われたくなかった。悪あがきだったけど。お母さんがあたしよりも男を選ぶってわかって、バラバラになるって簡単なことで、だから誰にも頼りたくないっていうのもあった」

「里佳……」
「同情なんかしないで。ゲームを始めたのも家のせいじゃない。あたしが意地悪なだけ」
「同情なんてしてないし、後悔してたのはあたしも同じ。里佳が云ったとおり、ゲームはあたしも同罪だよ」
 里佳は首を横に振って薄く笑った。
「叶多のことは青南大に入って半年くらいして知った。渡来くんは有名だし、ユーマのことから叶多の友だち、昂月(あづき)さんだっけ? かなり噂になってたから。はじめは叶多が笑ってて……よかったって思ったけど、そのうちいろんな気持ちがごちゃごちゃになって……。叶多と戒のこともすぐわかった。あとをつけちゃったから。やっぱり嫉妬なのかな……」
「里佳、戒斗のこと――」
「そういうことじゃなくて、叶多が幸せそうだから。あたしがいなくてもちゃんとやってきたんだ、ってさみしくてうらやましくて。あたしはずっと意地張ってきて、叶多には負けてる。それをやっぱり認めたくなくてまた意地悪した。成長してないよね」
 里佳は顔をうつむけて呆れたように笑った。それは里佳自身に向けているに違いなく。
「あたしは強くないし、里佳に勝ってるとも思ってない。かわいそうだとかも思わない。ねぇ里佳、あたし、いつかまた里佳に会えたら、避けられても絶対に云いたいって思ってたことあるんだよ」
「何?」
「里佳、大好きだよ。ずっと大好きだよ」
 そうやっと伝えられた瞬間、見せてくれた里佳の笑顔はずっと昔の笑顔と同じだった。

 きっといま、あたしも小学生みたいな顔で笑っている。

   *

 フラッシュが連続して焚かれるなか、戒斗はそれと気取られない程度に息を吐いた。
「CARYもあんなふうに笑うんだな。ふたりとも格好が似てるし、双子のようにしてる」
 隣に立つ孔明の言葉を受けて、戒斗はあらためて叶多を見つめた。
 いつもストレートな髪は緩やかに波打ち、無造作にふわりと顔を縁取っている。膝丈のワンピースの色は里佳のブルーと対照的にチェリーピンクだ。上半身は肩が剥きだしになるキャミソール型で、それとは逆行して下半身はバニエでボリュームアップされているぶん、華奢(きゃしゃ)な躰がより強調されていた。
 化粧していても叶多らしさは消えていない。孔明が云ったとおり、コーディネーターの腕は確かだ。が。
 見せたくない。
 戒斗は無意識に内心でわがままを漏らした。
 加えて、いま見せている叶多の笑顔は戒斗に向けるものとは違う。ずっと叶多が抱えてきた里佳への思いを知っている。それでも戒斗は馬鹿げた、もしくは子供じみた嫉妬を感じなくもない。
 複雑な気分極まりなく、戒斗は嘆息した。
「あら!」
 脇で待機していたコーディネーターが、今度は泣きだした叶多に慌てて近寄っていく。里佳が笑いながら叶多を抱き寄せてなだめている。
「写真ができたら差しあげますよ」
 そう云ったあと、ふたりの様子を見ていた孔明は、叶多を待っている間に大まかに事情を話したせいか、よかった、と付け加えた。
「おまえのおかげだ」
 戒斗が云うと、言葉に詰まった気配が感じられる。暗さに慣れた目が孔明の怪訝な表情を捉えた。
「おまえ、じゃなくて『孔明さん』じゃないんですか」
「いつまでも丁寧にやってどうする。別に仕事で付き合ってるわけじゃない」
 戒斗が云いきると、孔明は奇妙な面持ちになったのち、一頻(ひとしき)り笑った。
「なんとなく叶には何かしてやりたくなったんだよな。なんでだろう」
 お邪魔虫はまた一匹増えた。幸いにも新米虫は自分の気持ちに鈍感らしい。いや、幸い、とは限らないのか。
 戒斗は顔をしかめた。



 撮影が終わったあと、仕事が残っている里佳とはスタジオで別れた。
 叶多はこれまでのいろんなことを考えて、車の中ではほとんど口を開くことなく家に帰り着いた。戒斗もあえて叶多の邪魔はしなかった。
「戒斗、ありがと」
 叶多のとうとつなお礼に戒斗は首をひねった。
「お礼を云うなら相手はおれじゃない。孔明だろ。なんか散々なことを云われたらしいな。そのお詫びって云ってた」
 叶多はふと考えこみ、それから思い至った。
 そういえば、“CARY”の話で比較すること自体間違ってるとかなんとか云われた。叶多は気にしていなかったけれど、孔明はずっと気に留めていたんだろうか。
 今日のことにしろ母親へのプレゼントにしろ、そして時折見せる気遣いも、孔明が無神経じゃないことを証明している。叶多に見せた横柄さ――戒斗はそれを“お坊ちゃま”と表現したけれど、それはやさしさを隠すためかもしれない。
「そうだけど、戒斗にも、ううん、戒斗がやっぱりいちばんなの。ずっといてくれたからここまで来れた気がする」
「気がする?」
「じゃなくて、来れた!」
 叶多が訂正すると、戒斗は可笑しそうに口を歪めた。

「あのね、里佳から写真もらったよ」
「写真?」
「そう。あのときの……これ!」
 バッグから取りだした写真を戒斗に差しだした。叶多がミザロヂーで待ち伏せした日の写真だ。あのとき光った数、三枚の写真がテーブルに並ぶ。
「戒斗との写真、あんまりないからうれしい。キスしてるのはちょっと恥ずかしいけど」
 叶多が単純に喜んでいるのに対して、写真を眺めた戒斗は顔をしかめた。
「なんでCARYが?」
「シーニックが依頼したらしくて、カメラマンはあたしをCARYだと思って撮ったんだって。写真が写真だし、里佳がシーニックから取りあげてくれたの。よかった。週刊誌に載らなくって」
「週刊誌にはどうしたって載るわけがない。そのまえに揉み消してる」
「え?」
「なるべく人目につかないようにはしてるけど、それでも追ってくる奴は追ってくる。これまでもスクープがなかったわけじゃない」
 叶多はびっくりして戒斗を見つめた。
「裏使ってる」
 戒斗は叶多の無言の問いに答えた。陽に云った、手段は選ばない、というのは本当だったらしい。

「あたし、護身術を頑張る」
「なんだ?」
 急に話題が変わって戒斗は呆れたように肩をすくめた。
「スクープされて、ファンから襲われても平気になりたいから。だって、“戒のカノジョ”があたしじゃないってやっぱりおかしい!」
 戒斗は笑いだした。
「真剣なんだよ」
「真剣すぎて、教えないほうがいいって気がしてきた」
「どうして?」
「抱いてるときに逃げられたら困る」
「逃げないよ!」
 思わず云ってしまってから叶多は大胆なことを口にしたと気づく。
「そうしてくれ。二日お預け喰らったし」
 戒斗が叶多の躰をすくった。
「それは戒斗が勝手に――」
「だからいまからやる」
「戒斗、まだ夕ご飯!」
「そうやって逃るんだよな。……そういや」
 戒斗は中途半端に云い終わった。叶多は嫌な予感がしておずおずと訊ねてみる。
「何?」
「いや、もう一つ、手錠があったなって」
「逃げないからっ」

 急いで云ったものの、どちらにしろ叶多にとっては似たような結果になることは違いない。
 お返しは絶対にする。
 観念しながらも、叶多はそう誓うのだった。

* The story will be continued in ‘The wild dog likes fresh flesh.’. *

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