Sugarcoat-シュガーコート- #104
第11話 Encounter -3-
「貴仁、なんだ、この女子高生は?」
機械音をかき消すような崇の笑い声のなか、貴仁の従兄はまともに叶多を指差して、不機嫌極まりない顔つきで貴仁を見やった。
「女子高生、じゃなくって、女子大生、です」
そこは耳聡く、叶多は訂正した。
「おまえが?」
叶多に向き直った貴仁の従兄の問いかけに、初対面でいきなり『おまえ』呼ばわりかと思ったけれど、その横で笑いを堪えている貴仁が目に入ると気が逸れた。不躾なのは叶多のほうが先だったと気づいて恥ずかしくなった。
「あ、へんな質問してごめんなさい。ちょっと納得いかないというか……いえ、それはどうでもいいですよね。ともかく、幼く見られるのはいつものことですけど、貴仁さんの一つ下で、れっきとした大学生です」
「ふーん。で、さっきのCARYとか戒とか、なんの話だ」
目を細めて叶多を追求する貴仁の従兄は、どこからどう見ても尊大な態度だ。
「いえ、その……CARYっていう化粧品CMのモデルさんがいて、戒はFATEっていうバンドのベーシストでリーダーなんですけど――」
「どっちも知ってる。CARYがCMやってるシーニックコスメはおれの親父がやってる会社の一つだ」
叶多は思いがけず、ぶっきらぼうにさえぎった貴仁の従兄をびっくり眼で見つめた。
「え。そうなんですか!」
「叶っちゃん、それで戒斗くんとCARYがどう結びつくんだろうな?」
「則くん、どう思う? 戒のカノジョはCARYなんだって!」
「叶ちゃん、云ってることが見えない。戒斗さんは叶ちゃんと同棲してるだろう」
貴仁は首をひねって口を挟んだ。
「CARYというのが有名なのかどうかは知らんが、戒斗のことは飯食ってるときにテレビで騒いでたな。交際してるという話だった」
崇はおもしろがって報告したけれど、叶多にはやっぱりショックだ。
「崇おじさん、それホント?!」
「叶っちゃん、大丈夫。CARYより叶っちゃんのほうが魅力的だよ」
「ホント?」
「おれもそう思う」
「そうかな」
則友に続いて貴仁が同調すると、叶多はその気になってタツオみたいに頭を掻きそうになった。
「おまえら、CARYの素顔知らないくせに無責任なこと云って、こんなのを上せさすな」
まったく水を差す発言と一緒に、貴仁の従兄の人差し指がまた叶多の鼻先に来た。
「こんなの、ってちょっと酷い」
叶多は小さく不満を口にした。
「なんだと?」
「い、いえ!」
貴仁の従兄から睨まれて、叶多は慌てて首を振った。触らぬ神に、ではないけれど、なんとなく反感を煽りたくない性格らしいことは動物的な勘で察した。
「叶っちゃん、このまえ作ってたやつ、きれいにできてるよ」
則友は可笑しそうな声で云いながら作品棚に近寄った。話題が逸れて、叶多はこれ幸いと則友のあとを追う。
叶多は棚から慎重におろされたガラスの器を受け取った。気泡を詰めこんだサラダボールは表面がでこぼこで、手から滑り落ちることもない。緑黄色の野菜が盛られたところを想像するだけで、美味しそう、と独り満足した。
「よかった。今日はこの取り皿を作ろうと思って」
「わんこ、いくつか注文もらってる。急ぎは赤丸してるが、期限付きはだめだって云ってるから焦ることはない。順番はわんこに任せるぞ」
「うん。ありがと」
机の上にサラダボールを置くと、注文表が入った箱の中を覗いた。手に取るとざっと五枚くらいある。
今年の初め、工房の近くに住む人から“こういうのが欲しい”という依頼を受けて、来客用の盛り皿を作ったのだけれど、その評判がよかったらしく、口コミで特注が来るようになった。大学の長い春休みの間、ようやく注文を乗りきって落ち着いたところだ。
時間がかかってしまうのは申し訳ないけれど、おざなりにはできない。特注というプレッシャーや時間を取られる忙しさより、いまは注文が来るといううれしさのほうが大きい。
叶多は身支度をして、まずは自分のぶんから取りかかった。自分のとはいえ、サラダボールのセットはプレゼントだ。今月、誕生日を迎える深智に、去年の叶多の誕生日にお祝いをもらったお返しを兼ねてプレゼントすることにしている。
深智は、実家にヘルパーがいるだけに料理がまったく駄目で、叶多は何度か呼ばれて手伝いに行った。料理だけは叶多のほうが器用だと胸を張って云える。
そんな深智も同棲から一年がたち、ようやく苦手な料理に慣れて、余裕ができたぶん、盛りつけとか器に興味を持ち始めたようだ。少しでもわくわくと楽しめるような手伝いができればそれに越したことはない。
「これ、おまえが作ったのか」
お皿の形を整えるのに没頭していた叶多は、不意に横柄な口調で声をかけられた。
工房内を見回すと、則友と貴仁は崇のガラス削りに見入っている。
貴仁の従兄がそれまで何をしていたのか、叶多はいることさえ忘れていた。もっとも、叶多の客というわけではないから、別に相手をする必要はないはずだ。
「はい。試作品ですけど」
「へぇ」
貴仁の従兄は手にしたガラスを目の前に持ってきて眺めている。いま作っている取り皿の試作で、縁が歪に波打っている。
「もらっていいか? 灰皿に使えそうだ」
「え、いいですよ。……」
煙草吸うんですか――とそう貴仁の従兄に訊ねようとして、叶多はふと、聞いたはずの名がまったく頭に残っていないことに気づいた。叶多ははたと貴仁の従兄を見つめた。ここでまた名を訊こうものなら、散々な仕打ちが返ってきそうだ。
「なんだ?」
叶多が何か云いかけたと気づいたようで、貴仁の従兄はかすかに眉をひそめた。
「あ、煙草吸うのかなと思って。あたしの周り、めったに吸う人がいないから――」
「おまえの周りっていえば、さっきの話。おまえ、あの戒と付き合ってるのか?」
叶多をさえぎって貴仁の従兄がした質問は、納得いかない気持ちを甦らせる。
「付き合ってるというのを超えて同棲してます」
同棲を強調しながら叶多がきっぱり宣言すると、まるで奇妙なものを見るような眼差しが向く。
何を思っているのかは見当がつく。世間に触れ回されるのは避けたいし、まず叶多を見てどういう反応が返ってくるのかを考えても、むやみに口外しないほうがいいとわかっているのに、つい主張してしまった。
「へぇ、戒の趣味も変わってるな」
案の定、貴仁の従兄は侮辱的な感想を口にした。
「外見上、似合わないことはわかってますから」
「確かに。おまえの場合、CARYと比較すること自体が間違ってる」
そこまでの確信を持って云われると、自分を弁えている叶多もさすがに傷ついた。
どんなに酷いことを云われようが、好意的に互いを知っている人とそうじゃない人との間には感覚的に落差がある。やっぱり貴仁の従兄は無作法で、叶多は傷ついた反動から腹が立ってきた。
叶多はプレゼントにするお皿を作る気分が失せて、とうとつに貴仁の従兄に背を向けると、できあがりかけていたガラスを溶解炉の中に突っこんだ。
「そのお皿でよかったら、持ってっていいですよ」
背中越しで叶多は投げやりに云いながら、暗にかまわないでほしいと伝えた。
「ああ……その……いまのは冗談だ」
癇に障るであろう態度に立ち去るかと思いきや、貴仁の従兄は思いがけず後悔したような声で侘び、叶多はつと振り向いた。口は悪くても、気遣う気持ちがゼロというわけでもなく、しかめた顔は戸惑っているようにも見える。
「いいんです。CARYがどんなに奇抜な化粧をしてても、モデルになれるくらいきれいなのは想像つきます。あたしはどんなに化けたって敵いませんから」
「そんなことはない。……ってシーニックの社長は云うだろうな」
叶多が少しおどけて云うと、貴仁の従兄はちょっと間を置いて付け加えた。自分の意見じゃないのかと突っこみたいところでも、照れ隠しのように見えなくもない。
お相子ということで、いまなら訊き直せるだろうか。そう思って叶多は訊いてみることにした。
「あの、さっき名前聞いたと思うんですけど、度忘れしちゃってもう一回教えてもらっていいですか。……いえ、度忘れしたというよりはあたし、バカみたいなこと考えてて聞いてなかったかも……」
叶多の声はだんだんと小さくなる。貴仁の従兄は躰をかがめながらぐいっと顔を近づけると、叶多の顔の間近でその瞳を剣呑に光らせた。叶多の読みは安易すぎたようで、形勢がいきなり逆転した。今度は叶多が後悔した。
「なんだと?」
「ご、ごめんなさい。あたし、ホントにバカなんです。一つのことしか考えられなくって。だから――」
「このおれの名前を聞いても反応しないと思ってたんだが、それ以前に聞いてなかっただと? おれが名乗ってやったのに、か?」
戒斗のことを自信満々な“俺様”だとちょっとだけ思っていた時期もあったのだけれど、貴仁の従兄は戒斗よりもとんでもなく尊大すぎた。
「だから、ごめんなさい。教えてもらえれば今度はちゃんと――」
「蘇我孔明」
え?
「蘇我孔明、だ」
貴仁の従兄――蘇我孔明は、忘れるなよ、というように脅迫じみて首をひねった。
叶多は脅迫に慄くどころじゃなく、蘇我孔明の顔を間近にしながら目を見開いた。息をこくんと呑む。
そんな叶多を見た孔明は口を歪めてニタリとした。
「わかったか」
まさか。
「まさか、蘇我グループを知らないってことはないだろう。その驚きぶりからすればわかったようだな」
叶多の内心の声に同じ言葉を重ね、孔明は躰を起こすと、自尊心丸出しで顎をわずかに突きだした。
ふたりの『まさか』という意味が違えば、叶多の驚愕の捉え方も違っている。
蘇我本家が蘇我グループという企業組織を持っていることは知らされている。FATEのギタリスト、健朗の父親が最高経営責任者に就く、貴刀グループと肩を並べるほどの世界的有名企業だ。
それを知らないはずはないという、孔明のプライドの高さが叶多の慌てぶりを救った。
ひとまず怯えることはないのだということはわかったけれど、鼓動が異様に大きく、叶多は動揺の本来の意味を孔明に知られてしまうんじゃないだろうかと不安になった。
「蘇、我さんですね。蘇我グループはもちろん知ってます」
少し痞えながらも、叶多はなんとか笑ってみせた。当然そうあるべきだ、といわんばかりに孔明はうなずいた。
「忘れるなよ。いくらバカだとはいえ、この次会ったとき名前云えなかったら縛り首だ」
有吏と蘇我の現状に加え、いまの叶多の心境ではあまり笑えない冗談だ。とりあえず名を知ったいま、記憶喪失にならない限り、叶多が忘れるということはありえない。
「だ、大丈夫です」
「ほんとか? 顔色が悪い気がするんだが。まあ、おれを前にして不届きだったことを考えれば、卒倒しそうなのもわからないではない」
呆れるくらいに自己中心的な考え方だけれど、叶多も人にとやかく云えるほど思考力のレベルは高くない。それに、孔明が尊大なのは蘇我という血筋のせいもあるだろう。
どうしよう。戒斗……。
「叶ちゃん、どうかした?」
いつのまにか貴仁が近くに来ていた。
「ううん。蘇我さん、煙草吸うんだって。それで蘇我さんが試作のお皿を気に入ってくれたの。CARYがきれいだって話してて。それで、さっき蘇我さんの名前をちゃんと聞いてなくって、いま聞いたんだけど、あの蘇我グループの人なんだね?」
いま叶多が云ったことは、自分でも支離滅裂になっているとわかる。貴仁がいつものことと思ってくれるように願った。
「ちゃんと聞いてなかったって? 戒斗さんのことが気になってたんだろうけど、叶ちゃんらしいね」
貴仁が可笑しそうに小さく吹きだすと、叶多はほっとする。それから貴仁は叶多の耳に顔を近づけた。
「孔明、変わってるだろ。威張り散らしてヘンにおっさんぽい奴なんだ」
その囁き声に叶多は目を丸くしながら、さっきの孔明の口調を思いだして、次の瞬間には笑いだした。それで緊張が解けたものの、一気に緩みすぎて泣きそうになったのをなんとか堪えた。
「貴仁、なんだ?」
孔明は渋い顔だ。耳打ちとはいえほんの近くにいるのに、やはり機械音で聞こえなかったらしい。
「いや、なんでも。それより孔明、叶ちゃんを苛めるなよ。叶ちゃんの崇拝者は敵に回したくない奴が多いからな」
「は? こいつに崇拝者なんているのか? 戒だってこいつが追いかけてるだけだろう」
貴仁の忠告をまったく本気にしていない、失礼な云い方だ。ムッとしたことで、叶多の気分が少し立ち直った。
「いまにわかる」
貴仁は肩をそびやかして、叶多が不思議に思うくらい断言した。
孔明は信用していないように鼻であしらい、それから叶多を向くと、もう一個同じのを作れ、と手にしたお皿を示しながら命令した。
「同じのは無理です。機械で作ってるわけじゃないし――」
「似たようなのでいい」
孔明はにべもなくさえぎった。
「叶ちゃん、作ってやって」
貴仁はおもしろがっていて、叶多は渋々とお皿に取りかかった。その不満で気が紛れて、なんとかその場を凌いだ。
不安が甦ったのは、タツオの車に乗ったあとだ。
考えてみれば、貴仁は蘇我一族で、その従兄なら蘇我一族のはずで、それが本家の人間であってもなんらおかしくはない。接触する可能性は最初からゼロではなかった。
これからさき、本家でなくとも一族との接触はどれだけだって機会がある。戒斗は以前、そう忠告した。これまでも知らないうちにあったかもしれない。
ただ、事情を知ってから、何も前触れがなく実際に直面したのははじめてのことで、何気なくはやり過ごせない。
叶多は自分の覚悟の甘さに泣きたくなった。
家に帰っても落ち着かず、まるっきり夜になってしまうと、叶多は一年前の誘拐事件のことを思いだした。
タツオに云えばよかったのかもしれない。いや、云うべきなのだ。けれど、泣いてしまいそうで、そうしたら事が大げさになってしまう気がした。
ただ会っただけなのに。
叶多は自分にそう云い聞かせた。
料理をしている間は忘れていられたものの、作ったチャーハンとわかめスープはほとんど手つかずでダイニングテーブルの上に残っている。結局はラップをして片づけた。風呂に入ったりテレビを見たりとしてみたけれど気分転換にならない。
ついには我慢できずに叶多は家を出た。
八時を過ぎていて、タツオを呼ぶには気が引ける。いずれにしろ行き先は戒斗のところであり、気にすることもないだろう。
タクシーを使ってミザロヂーまで行くと、ドアには“貸切”という掛札が引っかけられていて、こもった音が外に漏れてくる。
叶多は携帯電話を開いて戒斗を呼びだした。三回目のコール音が終わると同時に通じる。
「戒斗?」
『ああ、どうし――』
「まだ終わらない?」
叶多が急くように問いかけると、戒斗はすぐ答えず、ちょっと間を置いた。電話の向こうは大勢の人がいるような雰囲気でざわついている。
『もうちょっとかかりそうだ。どうした? 家にいるんだろ?』
「ミザロヂー? 昂月もいる?」
会話はかみ合わず、戒斗がため息紛いで笑ったのが聞こえた。
『昂月ちゃん? 来てるけど――』
「あたしもいまから行っていい?」
叶多はすがるように訊ねても、戒斗はいいとは即答せず、逆に黙りこんだ。
「戒斗!」
『今日はだめだ』
どうして昂月はよくて叶多はだめなんだろう。
わかっている。怖さと紙一重の不安は子供じみている。
「わかった。明日は休みだったよね?」
叶多は露骨であろうがかまわずに話を逸らした。
『ああ。叶多――』
「話したいことあって、でも急ぎじゃないから。ごめん、邪魔して。ホントにあとでいいんだよ。じゃあね」
叶多は一方的に喋って、戒斗の、じゃあな、を待たないまま電話を切った。
目の前のドアを叩けば会えるけれど――。
この際、泣いてしまったら少しは気がらくになるかも、と思ったのに、心細すぎて、いざ泣こうとしたら泣けなかった。