Sugarcoat-シュガーコート- #102

第11話 Encounter -1-


 新年度の四月になって授業開始から三日目、ぽかぽか陽気が続いている。学食はテラス派が断然多い。高校のときと変わらず、陽と永のおかげで叶多たちもテラス席を陣取って、食事はゆっくりできた。
 食べ終わったあとは雑談しながらも暖かいぶん、叶多はなんとなく眠気を覚える。片手を口もとにあてて小さく欠伸をした。
「八掟、眠りこけて椅子から転げ落ちる、なんてことになるなよ」
 別れ間際、目敏く欠伸に気づいた陽はそう云い捨て、叶多が抗議できないうちに、高笑いする永とふたりで自分たちのキャンパスへと戻っていった。
「もう。高校生じゃないんだし……」
 席を立ちながら叶多が文句を零すと、昂月(あづき)はくすくすと笑った。
 昂月と(けい)は今日のように、たまに叶多たちと合流することがある。もともと叶多たち四人は交流があったわけだけれど、昂月が高弥と付き合いだしてから、FATEの集まりで陽と永も何度か顔を合わせて話すようになった。
「叶多って、いろんな人から大事にされてるよね」
 慧がからかった。
「ああいうのを大事にされてるって云うのかな」
「愛情表現のやり方って人それぞれでしょ」
 ユナが半ばふざけて答えると、叶多はますます首を傾けた。
 心配されていることはわかっていても、もっと云い様がないだろうかと思うのはいつものことだ。もっとも、高校のときと比べると口調はほんの少し軟化した。渡来自動車のことも勉強しているというし、陽はなんとなく一歩先を行って落ち着いた感じがする。
「叶多、今日は次で帰るんだよね」
「うん」
「あと一つっていっても、眠らないようにね!」
「だから、大丈夫だよ!」
 昂月の追い討ちに叶多はツンと云い返して、笑い声を背にユナたちとは違う教室へと向かった。大学も二回生になって二十歳になるのは叶多がいちばん先だというのに、まるでいつもいちばん年下の扱いだ。
 自分だってそうしっかりしてるわけじゃないくせに。
 内心で昂月につぶやいてから、ふと叶多はユナたちを振り返った。昂月を真ん中に会話を交わしながら別の校舎に向かっている。
 昂月の様子は、立ち直る、という以前に、何事もなかったように変わらない。


 祐真の死からあっという間に半年を越え、その間にいろんなことがありすぎた。
 叶多と戒斗の間にあったこともそのうちの一つだ。
 FATE内では、専属の作曲家として付いていた良哉が、今年に入って完全に音楽活動をやめてしまった。祐真の死からずっと考えるところがあったようで、戒斗は何度も良哉に電話していた。良哉は、気持ちの整理がつかない、あるいは整理をつけようとしているのかもしれない。
 三カ月前の内輪でやる年越しライヴでは、前の年で見た雰囲気とは違った。奏でる音が激しいというよりは荒々しく、楽しそうに見えるけれどそう見せているだけで、どこかみんなの気持ちがずれている。
 戒斗は詳しく話さない。本来、感情を隠すことに()けている戒斗が隠しきれなかったほどに、それぞれに苦しいのはわかっている。戒斗が話してくれたところで叶多には何もできないけれど、祐真がいまのFATEを見てどう思うのかも想像がつく。
 年が明けるとまもなく、去年みたいにずるずるとはならずにライヴは終わった。

 バラバラにはならないよね?
 例年どおり会場となったミザロヂーを出て、みんなと別れたとたんに訊ねた叶多を見下ろすと、戒斗は苦笑した。
 大丈夫だ。普段、鈍くさいくせにどうしてそういうとこに気づくんだろうな。

 叶多がその発言に立腹したことは云うまでもなく、それからなだめるように戒斗は、神社行くぞ、とお参りに行って、そのあとは家に着くなり襲われた。戒斗がわざと叶多を怒らせて、結果、さらりと話を逸らされたと気づいたのはずっとあとだ。戒斗の云うとおり、叶多はやっぱり鈍くさい。
 FATEが壊れるとは思わないけれど、バラバラになるのは簡単なことを知っている。ずっとまえに叶多が経験したように。幼かろうが大人であろうが、それは至極簡単なことなのだ。
 大丈夫だ、とそう云う戒斗を信じられない理由はない。
 それ以来、戒斗に訊ねるのはなんとなく(はばか)れて、ただ、FATEは大丈夫、と叶多はお(まじな)いみたいにつぶやくのが口癖になっている。

 一方で、いちばんつらいはずの昂月は相変わらず平然として見えた。ただ、誰にも触れられたくないという頑なな雰囲気を感じさせ、叶多はともかく、慧でも入りこめなかった。そんな昂月を唯一動かしたのは高弥で、ふたりはそれからいつも一緒だ。
 叶多の場合はFATEの飲み会があっても戒斗が連れていくことはあまりないけれど、高弥はずっと昂月を同伴しているらしい。
 たまにふたりそろった様子を見ると、高弥の眼差しは昂月に向いていることが多く、そこに高弥の気持ちが見える。高弥は以前よりずっとずっと気さくになって話しやすい。その変化が何よりも気持ちを証明している。
 昂月も高弥に対して身構えたところはなく、一見すればうまくいっている。ただ、昂月は祐真の話題が出ても本音を漏らさないどころか表情さえ変えることなく、それはまだ傷が癒えていないことを示している。
 見ているしかできないことはやっぱりもどかしい。


 叶多はため息をつきながら、教室へと方向転換した。と同時に携帯音が鳴る。いま別れたばかりの陽からだ。
『八掟』
「うん、何?」
『云い忘れたけど、おまえ身の回りに気をつけろよ』
 いきなり物騒な云い様に叶多は思わず携帯電話を遠ざけた。意味もなく画面を眺めていると、おい、と携帯電話から声が漏れてくる。
「あ、ごめん。それで渡来くん、いまのなんの話?」
『ユーマとFATEの繋がりが知れたうえに神瀬の件で、“戒”のことが出回ってる』
「戒斗のって?」
『文化祭の飛び入り参加の話からヘンに尾ひれついて、青南に“戒のカノジョ”がいるってな。まあ、実際そうだし、ヘンてこともないけどさ。大学じゃ同棲してようがお咎めはないだろうし、戒も覚悟はしてるはずだ。それは問題ないとしても“お化けファン”は付き物だ。用心するに越したことはない。おまえの周りはおかしな奴が多いからな。とにかく気をつけろ』
「わかった。教えてくれてありがと」

 陽はふんと鼻を鳴らして電話を切った。なんだかんだと発言はやさしくないのに、心配してくれる陽の存在は戒斗の存在とは別のところで心強い。
 好き、というだけで戒斗を追ってきて、再会してからそれに戒斗が応えて、叶多はただ満足して周りを取り巻く状況なんて深く考えなかった。陽の気持ちは叶多を戸惑わせた――いや、いまだに戸惑っているけれど、叶多と戒斗のふたりの気持ちだけでは許されない状況下、何も説得できるものを持ち合わせていない叶多にとっては、唯一自分の存在価値を高めてくれる保証だ。身勝手な解釈だけれど、戒斗といることに怯むことなく、逆に後押しされて、一緒にいていいんだと認められている気になる。
 “戒のカノジョ”。つぶやいてみると、高校生じゃなくなったぶん、ちょっと大人な響きだ――と感動している場合じゃない。
 陽の云うとおり、後ろ指を指される理由はないけれど、戒斗の仕事が仕事だけに、昂月が酷い目に遭ったことを思うと憂慮するべきことではある。

 ユーマの死からその家族が公然となり、死因があらぬ噂を呼んで、妹である昂月を目掛けて大学まで取材攻勢が及んだ。昂月は、話すことはありません、とその一点張りで穏やかに対処していた。
 世間一般には顔も所在も伏せられたけれど、大学内ではプライヴェートはまったく無視され、知らない人はいないというほど昂月は時の人となった。囁きが囁きにならず、笑ってやりすごしていたものの、あからさまな指差し確認には昂月もうんざりしていた。
 それが連想ゲームのように、ユーマからFATEの話題になって戒の名が出て、叶多にまで波及してくるんだろうか。
 もし高等部のときのように噂に翻弄(ほんろう)されるとしても、今度は戒斗の手を借りなくても自分でどうにかできるはずだ。去年、戒斗とこじれたときだって、叶多はみんなに隠しとおせたくらいだから、それだけ対処できるようになったということ。
 とにもかくにも陽の忠告はありがたい。直撃されるまえにちょっと覚悟する時間はある。



 西洋美術史の講義を終えて校舎を出ると、叶多は大学の正門に向かいながら携帯電話を開いた。心配されるまでもなく居眠りなんてしていない。メール画面でそう入力してグループ送信した。
「叶多」
 携帯を閉じたと同時に背後から呼び止められた。立ち止まって振り向くと、やたらと大人っぽい女性が四人並んで近づいてくる。そのうちの一人は、いままで同じ教室にいた美術史科の子、岡田珠美(たまみ)だ。高等部では三年のとき、同じクラスだった子でもある。
「珠美?」
 なんとなく気圧(けお)された気分で、叶多は思わず一歩下がった。
「あなたと戒ってどういう関係なの?」
 珠美ではなくその横の女性からいきなりで、彼女たちにとってはおそらくの核心を突かれた。
 一時間半前に陽から云われたばかりであり、覚悟するには足りず、戒斗に相談する暇もないままに突撃だ。叶多は引きつりながらもなんとか笑って見せた。
「あの……戒、って――」
(とぼ)けないでよね」
 まさに惚けようとしたのだけれど見事にさえぎられ、ちらりと見た珠美が顔の前で謝るように手を合わせた。
「ど、どういう関係……って……従兄です」
「従兄妹同士で一緒に暮らすってどういうこと?」
「え?」
 叶多はぎょっとしてまた一歩下がった。逃さないと云わんばかりに彼女たちもまた詰め寄る。
「珠美から聞いたんだよね。文化祭のときの話」
「叶多、ごめん。あのユーマの妹、昂月って子の話をしてて、ユーマとFATEが仲いいって話になって、それで……。でも、わたしだけじゃないんだよ。叶多の名前はまだ出てないけど、戒のカノジョが青南大生だってことはけっこう噂になってる」
 珠美はすまなさそうに云い訳をした。

 文化祭のことは別に口封じをしたわけじゃなく、戒斗が飛び入り参加でライヴをやってくれたということがあって、暗黙の了解で叶多と戒斗の繋がりは伏せられていたにすぎない。それが(おおやけ)になろうと従兄妹同士という云い訳があれば問題ないと思ったのに、同棲のことが発覚するとは思っていなかった。

「話したことは別にいいけど……一緒に暮らすって……?」
 認めたことにならないようにと叶多が曖昧に訊ねると、珠美は小さく首を傾けた。
「このまえ、妹と高校で待ち合わせしてたときに偶然、金元と会ったんだけど。そしたら大学の話から叶多の話に流れて、金元ってFATEのファンじゃない? それで、八掟はまだ戒のとこにいるのかな、って漏らしたんだよね。そういうことを聞き逃すわけないでしょ」
 金元先生……個人情報を漏らすなんて教師のくせに口が軽いんだから。
 叶多は内心で金元を(なじ)った。それはともかく、立派な嘘の理由はとりあえず準備万端だ。ここに至って頼には感謝するのみで、頬っぺたくらいならチュウしてもいい。
「あ、だからそれはお父さんの具合が悪くて、それでしばらく弟と一緒に戒斗のところに――」
「いまは、ふたり、でしょ。悪いけど、尾行しちゃったんだよね」
 胸を撫でおろしたのもつかの間、叶多は目を見開いてそう云った彼女を見つめた。
 どうしよう……戒斗は隠すつもりはないって云ってたけど、でも……。
 すぐ答えないと怪しまれるとわかっていても、どう受け答えすればいいのか皆目見当がつかない。
 焦って蒼くなったあまり、不意に腕をつかまれて、叶多は小さく悲鳴を上げた。後ろを振り向くと、叶多のすぐ傍に見知らぬ女性がいる。

「あんたたち、バカね。こんなチンケな子、戒のカノジョなわけないじゃない」
 女性はおもしろがった口調で珠美たちを(さと)した。
「でも、この子は一緒に住んでるんだから――」
「だから、従兄妹同士だってこと。あれだけ売れてる戒があんなところに住んでるわけないでしょ。この子が間借りしてるだけの話。それに、戒のカノジョの話、さっきワイドショーでやってたわよ」
「えっ? 誰なの、それ?!」
「“CARY(キャリー)”」
「嘘っ」
「ホント。ケータイでチェックできるんじゃない?」
 珠美たちは一斉に携帯電話を取りだした。
 叶多は話の成り行きに口を挟む気力もなく唖然としながら見守っていると、画面を覗きこんでいた彼女たちから、ホントだ、という嘆き声が上がった。
 え……ホントだ……って? ……戒のカノジョって、あたし、じゃない?
 混乱してびっくり眼になった叶多に珠美が目を向ける。
「なんだ。青南大生っていうからてっきり叶多のことだと思ったんだけど、やっぱり従兄ってだけなんだ。ごめんね」
「そうよね。考えてみれば……」
 珠美に続いた彼女は途中で言葉を切った。その目が叶多を上から下まで一通り見回し、それだけで何を云いたいのかは明らかだ。
「たしかに、CARYも青南大生って噂あるし。CARYなら敵わないよねぇ。ごめんね」

 CARYなら、に加えてさっき口を出した彼女は果たしてかばってくれたのか、チンケな子、という言葉が相俟って叶多はがっくりと肩を落とした。それでも傷つくよりは、実際ワイドショーの話とは違うとわかっているのに、“戒のカノジョ”が自分じゃなかったことのほうがショックかもしれない。
 CARYは一年前から話題を呼んでいる、化粧品会社のコマーシャルモデルだ。奇抜な化粧だけに素顔はわかっていないけれど、青南大生らしいことは叶多の耳にも入っている。
 戒斗とCARYの繋がりはまったく不思議なことではない。というのも、三月に発売されたFATEの新曲で、プロモーションビデオに出演しているからだ。
 珠美たちは、軽い『ごめんね』を連発して校舎に戻っていった。

「落ちこむことないでしょ。戒斗さんて叶多さん一筋みたいだし」
 戒ではなく“戒斗”と云った彼女は可笑しそうにしている。どうやら、戒斗のことも叶多のことも、彼女は“知っている”らしい。
「あの……会ったことあります? あ、戒斗の知り合いですか」
「その質問の答えはどっちもノー。いまから叶多さんとお友だちになりたいと思ってるんだけど」
 どう? と問うように彼女は首をかしげた。叶多と同じくらい長くまっすぐな髪が揺れ、細い顔立ちが垣間見えた。背格好は似てるけれど、年は叶多よりちょっと上だろうか。可愛いさのなかにも、どこか暗い影を感じてよく雰囲気がつかめない。
「お友だち、ですか」
「そう。どうかな?」
「……いいですよ」
「そう? あたしは蒼井毬亜(あおいまりあ)。手毬の毬にアジアの亜。よろしくね」
 毬亜と名乗った彼女は人懐(ひとなつ)っこく笑った。

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