Sugarcoat-シュガーコート- #101

Prologue FATE


 クリスマスが終わったと思ったら年の暮れ、そして年の初めと慌ただしく過ぎた。年が明けるとゆっくりできたのもつかの間、有吏一族の親睦(しんぼく)会がある。
 その前日の二日、叶多は例によって詩乃の召集を受け、朝のうちから戒斗と一緒に有吏館へ詰めた。春、夏、そしてお正月と、これで一通り巡ったわけだけれど、家事全般の手伝いをするよりはお喋りしている時間のほうが圧倒的に長い。無駄だと思わなくもない。ただ最初の春に比べたら格段に居心地はよくなって、叶多は自分が認められたんじゃないかと勘違いするほどだ。
 いまもダイニングでは昼食の流れのままにのんびりとした時間が過ぎている。
「叶多、ちょっといいか」
 女性が(にぎ)わうなかに戒斗の声が割りこんだ。
「あら、心配性ねぇ。私たち、人を食べる習慣なんてないのに」
 深智の母親が冗談めかすと、婦人たちの(しと)やかな笑い声がさざめいた。那桜をはじめ、娘たちもクスッと吹きだすような笑い方で加わる。
 前回の夏の親睦会では春と違ってバンドの仕事も入らず、戒斗も有吏館に泊まった。そのとき、戒斗は何かと(かこつ)けて叶多がいるところへとやって来た。それは叶多の様子を窺うためで、婦人たちにとって戒斗の意向はあからさまだったらしい。
 当の叶多はまったく気にかけていなくて、翌日の親睦会のとき、従姉妹たちの前で美咲にからかわれ、はじめて気づいたという始末だ。
 それはともかく、婦人たちに叶多と戒斗のことを否定する気持ちがないことはいまの反応でわかった。一族の反対が不安なだけに、叶多にはそれだけでもうれしいことだ。
「そういうことではありませんよ。叶多」
 戒斗はかすかに苦笑いしながら叶多を呼んだ。
「うん」
 席を立ってドアに近づくと、戒斗の手が背中に回って叶多を促した。背後でドアが閉まり、叶多は歩きながら戒斗を見上げた。

「戒斗?」
仲介主宰(なかがいしゅさい)の呼びだしだ」
「え……あたしと戒斗だけ?」
「ああ」
 戒斗は渋い声で答えた。
「よくないこと?」
「さあな。何を云われるにしろ、叶多は心配しなくていい。あとで説明する」
「大丈夫。戒斗といられるなら頑張れるから」
「そうしてくれ」
 戒斗は口を歪めて可笑しそうにした。
 奥深い廊下を進み、戒斗はこじんまりした応接部屋の前で立ち止まった。ノックの返事を待たずしてドアを開け、戒斗は叶多の手を取って部屋の中に入った。
 すでに仲介主宰との正月の挨拶はすませている。とりあえず礼儀として叶多は軽く一礼した。
 仲介主宰はわずかにうなずいて応え、座りなさい、と正面にある二人掛けのソファを示した。
 仲介主宰はイメージでいうとブラッド・ハウンド犬だ。有吏血族という以上、容姿に問題はないものの、いつも憮然(ぶぜん)とした印象を受ける。戒斗は叶多のことをダックスフントだと云う。同じ獣猟犬であるダックスフントとブラッド・ハウンドは仲良くできるんだろうか、と叶多は仲介主宰と対面しながらつまらないことを考えた。

「さて」
 仲介主宰はなぜかそこで言葉を切った。何を云われるかとどきどきしている叶多は、身が持たないほど待たされた。戒斗は催促することなく、根比べのように仲介主宰を見据えている。
「八掟の娘、きみは我が仲介家の役目を知らんだろうな?」
「はい」
「私はきみと次位のことを認めるわけにはいかない」
 ストレートに反対を示されると、叶多はかすかに躰を引いて困惑した表情を浮かべた。
「はい……わかってます」
 最初はかぼそくなってしまい、これではだめだと思って叶多はしっかりした返事を付け加えた。
 仲介主宰は挨拶のときよりはっきりとうなずいて表情を変えた。ブラッド・ハウンドの顔がビーグルになった感じだ。
「立場上はそうなんだが……私はけっして引き裂こうといるわけではない、ということを踏まえて話を聞いてもらえるか」
 思いがけない発言で、叶多はつい隣を見上げると、戒斗は首をすくめた。
「はい」
 仲介主宰は一度大きく息を吐いて話しだした。

「仲介家は有吏の血脈を守るためにある。先の大戦では数多くの一族を失った。一族の中で血脈を築いていくのが困難なほどだ。そこで人選を始めた」
「人選、ですか」
 叶多はどういうことか把握できず、それに応えて戒斗が補足し始めた。
「有吏が古来(こらい)存在してるのは云っただろ。一族の分家数はいまの比じゃなかった。つまり、一族間で充分に血脈は守れるまでになっていた。大戦でそれが不可能になって、一族としての機能さえ難しくなった。手っ取り早く一族を安定させようと(たみ)との縁を結んだ」
「それって……」
「政略婚だよ」
 仲介主宰がためらった叶多のあとを継いだ。
「いまもですか?」
「当然だ。大戦まえと同等まで戻すには程遠い。有吏は二千年以上をかけてそこまで築いてきたんだよ。それを百年にも満たないというのに到底及ばない」
 叶多は思考力をフル回転させた。戒斗と仲介主宰は叶多が答えを出すのを待っている。
「もしかして……あたしにも誰かいるんですか」
「きみだけじゃない。次位もそうだ」
「深智ちゃんですよね」
「いや、違う」
「違う?」
「もともとはきみの云うとおり、次位には有吏生粋(きっすい)の血脈を守るために矢取(やとり)家との縁が用意されていた。が、総領の件で変更を余儀なくされたんだよ」
「……拓斗さん?」
「そう。蘇我一族のことは知らされているかな」
「大まかなことだけです」
「有吏はいま蘇我との関係改善を図っている。その約定(やくじょう)として両家は交換婚をすることになっている。総領は蘇我家から(めと)り、那桜さんは蘇我家へと嫁ぐ」
「それじゃあ……」
 叶多はつぶやくと驚きに丸くなった目を戒斗に向けた。戒斗は首をわずかに動かして叶多の無言の問いかけに答えた。
 那桜が曖昧ながらも、叶多に迷惑をかけると云っていたのはこのことだったのだ。
「驚くのは早いだろう。総領の代理として次位が引き受けるべきとするなら、那桜さんの代理は誰かということになる」
 そう云われて、叶多は素早く考え廻り、やがて思い至った。
「……あたし、ですか」
「そのとおりだ。矢取家の娘という案も出たが、精神的にどうかという声が上がってね。(おきて)(まも)るべき立場としてある八掟家はこれまでにいろいろと問題があった。いや、いまもきみ自身が問題を引き起こしている。波風を立てるような者は一族の中にはいない。しかし、不満があるのは否めない」

 叶多は半ば呆然とした。無意識に戒斗の手の中に自分の手を滑りこませた。戒斗が脚の上でその手を強く握り返す。
「心配しなくていい。おれがそうはさせない」
 見上げた戒斗の目に動揺はない。
 叶多の強張(こわば)った表情が少し緩んだのを見届け、戒斗は仲介主宰に目をやった。
「仲介主宰、蘇我一族は問題含みです。約定が有吏の利になるとは思えません。誰もがそうわかっているはずです。一族から犠牲者は一人も出すつもりはない」
 戒斗が云いきると、仲介主宰は満足げにうなずいた。
「そうだ。“上”の存在も絡んでいるとわかれば、もはや約定は約定とならない。蘇我一族にとってはともかく、有吏一族にとっては物騒(ぶっそう)博打(ばくち)になる。上については、八掟の娘、きみの――」
「叶多、ですよ」
 戒斗が不愉快そうに口を挟んだ。仲介主宰は困ったものだという表情で、ふたりの繋いだ手をちらりと見ながら笑みを漏らした。
「ではあらためて。叶多さん、のお手柄だ。すでに分家間での不満は解消された」
「それなら何が問題です?」
「貴方の父上、首領の一存だ」
 戒斗は険しく顔をしかめた。
「次位、きみは母上、詩乃さんのことをどう思う?」
 仲介主宰の質問は不意打ちで、戒斗は眉をひそめた。
「どういうことですか」
「例えば、次位が本家にお住まいだった頃、詩乃さんが独りで出かけられたことはあるのか」
「わかりませんよ。学校と会社の行き来で、おれは家にいることがあまりありませんでしたし」
「詩乃さんが出かけるときは必ず首領がお付きだ。本来なら、本家直属の護衛である衛守(えもり)家がなすべきこと。嫁がれてきた最初の頃はそうなされていたはずが……。衛守家が本家から出ていかれた経緯をご存知かな」
「いえ」
 戒斗が答えると、仲介主宰は落胆した息を吐いた。
「衛守家はさすがに本家を護ってきただけのことはある。我々主宰にも口を(つぐ)む。首領が蘇我一族との関係改善を打ちだしたのは、衛守家が本家とともにあった生計から独立した頃だ。この()に及んでも首領が関係改善を主張する理由は、そのあたりにあるのではないかと思っている。我々従者は本家あってこそ。有吏一族の中に、ゆめゆめクーデタを(かす)めるような下卑(げび)た分家はない。だからこそ――」
 仲介主宰はそこで言葉を切った。

 衛守家は有吏リミテッドカンパニーの矢取家や仁補(にほ)家と同じく、有吏家の公然とした親族だ。和瀬ガードシステムとは別に警備会社を営み、戒斗を除いて有吏家の護衛を請け負っていることは知っているけれど、いま仲介主宰が口にしたことは叶多にはまったくわからない話で、二人をかわるがわる見守った。

 一方で、戒斗は仲介主宰の意見を受けて考えこむ。
 だからこそ――。
『頂点に立つ者は、翼下を守ることに宿命がある』
 そう云ったのは父であり首領である、隼斗自身だ。
 本家が裁断を誤算してはならぬ。
 本家に身を置く者の第一の心構えとしてそう教えられた。
「わかりました」
 しばしの沈黙ののち、戒斗の返事を受けて仲介主宰は立ちあがった。
「約定までタイムリミットは二年だ。首領の意志を変えられるといいが」
 そう云い残し、仲介主宰は応接室を出ていった。


 叶多は戒斗が口を開くのを待ったが、覗きこんだ戒斗は気難しい眼差しで、意味のない一点を見つめている。
「戒斗?」
 おずおずと声をかけると、戒斗は叶多を向いた。ほんのいまの表情とは一転して、戒斗は口を歪めて笑う。
「蘇我一族とのことをざっと話しておく」
「戒斗……いいの?」
「仲介主宰が云ったことを聞いただろ? おまえは一族から知る権利を認められたんだ」
「そう?」
「仲介主宰がどれだけの重大事を叶多の前で喋ったのか、全然わかってないな。しかも口止めすらされなかったことがどういうことかもわかってない。まあ、それが叶多なんだよな」
 誉められているとは云い難い。困惑した叶多を見て戒斗は笑った。

「有吏家の有史は藤原京から始まったって云ったよな。それ以前は豪族と呼ばれていた蘇我一族の傘下にあって、そこで大王、いまでいう天皇の偶像役を引き受けていた」
「偶像?」
「そうだ。少なくとも紀元前の天皇が神話だとされている説はそこにある。実在していない。蘇我は大和(やまと)王権を確実にするまで待ったんだ。それが飛鳥(あすか)だ。名もない頃の有吏と蘇我家の間に生まれた娘が推古(すいこ)天皇としてその地位についた。それが“上”家の始まりだ。有吏自体は表から手を引き、裏から王権を支えた。そのとき活躍した奴は誰だ?」
 そう問われて、叶多はいつか戒斗が云ったヒントを思いだした。
「え……っと、聖徳太子」

「聖徳太子という人物は存在しない。それも蘇我が仕立てあげた虚構だ。つまり有吏の役目だった。蘇我はもともと渡来人だ。有吏が蘇我の傘下にあったのは、蘇我を見極めるためでもあった。懸念(けねん)したとおり、蘇我の専横ぶりが目につきだして有吏は離れた。それが結果的によかったのか。有吏はそこで蘇我を潰すべきだったのかもしれない。蘇我は内乱を起こし、そのあとは天皇、つまり上家の内乱だ。有吏はタイミングを図りながら静観した。そして調停に入った。上を支える身として、裏方の役目が得策であることを勧告した。それから有吏と蘇我は人知れず天皇体制を支えてきた」
「それがどうしてこうなってるの?」

「蘇我は所詮、渡来人。野望を持って国を渡ってきた一族だ。野心を捨てきれない。この国を治めるだけでは飽き足らず、一世紀前から露骨に世界を狙い始めた。二度目の大戦は明らかに()が悪かった。蘇我は世界の時勢を見誤り、過信した。やめるべきだと有吏は何度も上に進言した。始めるまえも最中も。独裁を狙う蘇我にとって有吏は厄介者以外のなんでもない。蘇我は進言を逆手に取り、有吏が“上を捨てた裏切り者”であると上に思いこませた。その包囲網を破れず、何人もの一族が散った。戦場にも向かった。けど、誰も聞き入れない。民は恐怖を崇拝にすり替えられて煩悩(ぼんのう)されていたんだ。見誤ったのは有吏も同じだ。情報が(ひら)けていくにつれ、蘇我の野望がふくらんでいることを見過ごした。そのうち有吏が(さと)すまでもなく敗戦は目に見えてきた。それでもまだ蘇我は野望にしがみついた。民の被害は想像を絶した。そういうなかで有吏は米国の情報をつかんだんだ。被害が拡大するまえにと、曾祖父(ひいじい)さんは危険を承知で自ら上との接触を図った。結局は間に合わずに、面会に至るまで二つの地は壊滅した。あとは史上にあるとおり、上は敗戦を宣言した。有吏にとって力を失った上はもう上ではない。有吏は一極集中の結末を学んだ」

「それが……バランスを取ってるってこと? 蘇我から国を守ってるってこと?」
「そういうことだ。上は蘇我に(あざむ)かれ、有吏に見限られた。けど、上は後悔していた。蘇我を通じて何度も面会依頼が来た」
「会ったの?」
「いや。蘇我は信用するに値しない。ただ、上は利用されたにすぎない。有吏は蘇我を牽制(けんせい)しながら上と再び接触した。上には有吏の許しが必要だったのかもしれない。それからまもなく上は亡くなった」
「許しって?」
「有吏の八掟だ。それを上に献上した」
「あたしが云わされた?」
「そうだ。献上した時点で八掟は封印された。一族でも知っているのは(ごく)一部。まずその一族が漏らすはずはない」
「上が……誰かに……っていうか蘇我一族に話しちゃったってこと?」
「それは考えにくい。上は有吏との和解を望んでいた。勘繰(かんぐ)ってみて、有吏を利用するためだとしても、“人”になった上に有吏の力は意味がない。ましてや、今更になってもまだ蘇我を全面的に信用するほど、上は馬鹿じゃないはずだ」
「じゃあどういうこと?」
「上は(おり)から逃れたのかもしれない」
「檻?」
「上という立場は不自由だ。どれだけ権力を持っても、所詮、操り人形。上はそう気づいたのかもしれない」
 戒斗が教えてくれたことはあまりにも壮大すぎて、叶多は実感に程遠い。

「なんだか疲れた」
 思わず叶多がそうつぶやくと、戒斗は笑いだす。そして大きく息を吐いた。
「案外に身内では事がうまく運ばれてる。(たか)さんが云ったとおり、自然と()いほうに向かうってのは強みだ。至上の(あるじ)を手に入れたかもしれない」
 戒斗は独り言のようにつぶやいた。
「主って?」
「おれがわかってればいい」
 戒斗はにやりと片方の口端を上げ、かすかに顎をしゃくった。少しためらったあと無言の催促に応じつつ、叶多はふざけ心を出して戒斗のくちびるをぺろりと舐めた。
「足りないだろ」
 責めるような云い方だ。
「なんだかエスカレートしそうだし」
「よくわかってるな」
「けっこう戒斗のことわかってきたよね?」
 叶多がおもしろがると戒斗はしかめ面になって、それから攻撃的な表情に変えた。
「有吏一族に人を喰う習慣はなくても、おれにとって叶多を喰らうのは病みつきになってる」
「だめ――っ」
「じゃない」
 戒斗はさえぎるように引き継いで、叶多の顔を手で挟みこむ。
 くちびるが触れる瞬間。

「叶多ちゃん、入るからね!」
 驚いて飛び跳ねた叶多は戒斗の額に頭突(ずつ)きしてしまった。戒斗が呻く。
「戒斗、大丈夫?!」
「……大したことない」
 戒斗はため息を吐いてドアを見やった。そこに腕を組んで仁王立ちした邪魔者は美咲だ。
「やっぱり」
 美咲の一言はしてやったりと云わんばかりににやけた口調だった。

* The story will be continued in ‘Encounter’. *

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* 英訳 FATE… 宿命(運命)
* 史実、またその異説をもとにした、まったく嘘の歴史です。

Material by 世界樹-yggdrasill-