Sugarcoat-シュガーコート- #98

第10話 Cry Boy -6-


 アパートの部屋に戻ると、叶多は玄関先に佇んでため息を吐いた。
 貴仁が蘇我家の人間であることなんて叶多がわかるはずもないけれど――いや、あんなふうに偶然に知り合うなら戒斗だってわかるはずのないことだろう。いちいち顔写真つきの蘇我家名簿があって、それを全部頭に入れているのならともかく。
 それでもなんとなく落ちこんだ。自分が戒斗の足を引っ張っている気がした。
 和久井が云うように、いろんなことが同時進行しているのなら、叶多は余計に支障を招いている。有吏一族には認めてもらうどころか破門されそうだ。
 もう一度大きくため息を吐くと、叶多はスニーカーを脱いだ。
 せめて、大丈夫、と答えた“普通にふるまう”こと。それくらいは助けにならないと。

 エアコンをつけて和室から南側のベランダに出た。洗濯物を取りこんでいるときに玄関のドアが開いて、戒斗が帰ってきた。荷物を置くような音に続いて、浴室から水音がし始める。叶多が部屋の中に戻るのと、戒斗が和室に入ってくるのが同時になった。
「早かったね。もっと話しこむかと思ってた」
「重要なことほど、だらだらやったって意味はない。和久井とはそれ以上に通じてるからな。阿吽(あうん)の呼吸ってやつ」
「だからなのかな」
「なんだ?」
「和久井さんていつもすごくタイミングよく現れるから」
 叶多が不思議そうに首をかしげると、戒斗は可笑しそうにして近づいてきた。
「テレパシーじゃあるまいし、そこまでタイミングは計れない。いまは携帯っていう便利なものがあるだろ? ちょっと細工すればワンプッシュで合図できる」
 そんな単純なことだったのかと思いつつ、メールを打つのは早いけれどメカ音痴な叶多は首をすくめた。
 戒斗は叶多の前で立ち止まると、手から洗濯物を取りあげて畳の上に放った。疑問に思うまもなく、戒斗は叶多の顎をすくった。焦点が合わなくなるほど戒斗の顔が近づいて、叶多は習慣的に見開いた目を閉じた。

 緩く開いたくちびるはすぐに侵入を許して、戒斗は口の中を這い回る。その柔らかい触れ方に、かまえた気持ちがなくなって叶多は力を抜いた。とたん、戒斗の手が頭の後ろを支え、もう片方が腰を抱いて引き寄せた。シフトチェンジした戒斗の舌は、苦しいほどに叶多の中を這いずる。まるで食べられるんじゃないかと思うくらい乱暴に感じた。
 酸欠になりそうで、叶多は手を上げて戒斗の背中を叩いた。戒斗はすんなりとくちびるを離して、わずかに距離を置いた。音を立てて喘いだ叶多と同じように戒斗の息も荒い。戒斗がまた距離を詰めて、叶多の口端を舐め、溜まっていたキスの蜜をすくった。
「……戒斗?」
「覚悟できてるよな?」
 シフトチェンジしたのはその表情も同じで、戒斗は叶多のジーンズに手をかけ、ジッパーを下ろした。
「でもまだ――!」
「わかってる。四日目だろ? 風呂場なら問題ないはずだ」
 浴室は水音が続いている。この暑いのに、シャワーじゃないのがめずらしいと思っていたら、やっぱり戒斗はやる気満々らしい。今日の様子からして、お月のものが拒絶の理由に足りないことはわかっていた。
 気絶なんてしたくない。だから、せめて逆らわないこと。
「じ、自分で脱ぐ! み、見られるの恥ずかしいから五分してから来て」
「……何を今更って感じだけどめずらしく従順だし、まぁいい。行けよ」
 その云い方も歪めた口もとも悪魔的で、戒斗が手を離した瞬間に、引き止められないよう叶多はその脇をすり抜けた。背中を追ってくる忍び笑いまで悪魔っぽい。

 叶多は浴室に入って手早く服を脱ぎ捨てると風呂場に入った。
 五分たつまでまだあると思って急ぎもせず、お湯を躰にかけていたとき予告なく戸が開いた。
 驚いて躰をひねったと同時に、あってはならない、ではなく、ありえない、でもなく、見たくても見られなかった戒斗の“それ”が、(ひざまず)いた叶多の目の前にあった。
「振り向くなって云っても遅かったな」
 叶多が無駄に恥ずかしがるのとまったく正反対に、戒斗は平然として、いや、それを通り越して反応をおもしろがっている。
 触れたときもそうだったけれど、当然ながら小さい頃の頼とは違っている。終始その形状を維持しているわけではないことを知識として知ってはいても、よくこれをズボンの中に収納できるなと叶多は馬鹿みたいなことを思った。
 これがあたしの中に入るんだろうか……。無理!
 叶多は内心で叫んだ。
 いや……あたしは本物のえっちを望んでいるはず。無理なんて云ってる場合じゃない……。
 頭の中がぐちゃぐちゃになって一瞬、犬みたいにパクつこうかと思った。叶多が目を逸らすこともできないうちに戒斗がかがんだ。ついつい、引き寄せられてそれに目がついていった。
「飢えた犬が餌を追ってるように見える」
 その言葉にはっとして叶多はそこから目を上げた。そんなに物欲しそうにしていたんだろうか。戒斗の目と合って、のぼせそうなくらいに顔が熱を帯びた。
「やだ……」
 意味もなくつぶやくと、戒斗はニヤリとして問うように眉を上げた。
「男も女も形が違うだけで、グロテスクなのは同等のはずだけどな」
「……知ってる。このまえ自分の見て、卒倒しそうになったから」
 戒斗は小さく吹いた。叶多はますます赤くなっていく。
「それなのに、あんなところをな、な、舐めたり、って……戒斗ってわかんない」
「叶多が云う“あんなところ”が、おれは最高に美味しくて気に入ってるんだけどな。とりわけ、叶多が自分の“あんなところ”を見てるとこ想像するとそそられる」
 戒斗の口が歪んだ。
「そ、想像なんてしなくていい!」
「もう遅い」

 手から洗面器を取りあげられ、躰を軽々とすくわれて戒斗の躰にすっぽりとはまった。
 お(わん)を重ねたみたいな体勢で、戒斗は背後から叶多の脚の間に膝を割りこませた。
「戒斗!」
 逃れようとしたとたん、戒斗の膝が開き、叶多は痛む寸前まで開脚させられて動かせなくなった。お尻の下から脚の間にかけて、戒斗の慾が微妙に位置している。
「抑えないでイケよ」
 叶多の耳もとに囁くと同時に戒斗の手はそれぞれに胸を包んだ。
 あっ。
 撫でるよりはつかむようで、攻撃はすぐに胸の先に移った。後ろからという格好はベッドのときと方向が違って、触れる指が余計に巧みに動く。
 あふっ。
 じれったい感覚が下腹部に走り、叶多は身を捩った。それと同時に敏感な場所が戒斗の“それ”に触れ、その感覚にぴくりと腰が跳ねた。
 あっあ、あっ……。
 堪えきれなくなった声が溢れだす。出しっ放しのお湯がバスタブから零れ始めた。
 叶多はこれまでにない、へんな状態に置かれていると気づく。
 戒斗は胸先に集中していて、それに反応してちょっと躰を捩るたびに脚の間が戒斗の慾に触れ、絶妙なタッチで擦れる。その叶多の動きに戒斗のがピクリと反応すると、またそれに応じてしまう。下半身が震えた。
 攻めているはずの戒斗が耳もとで呻く。そのくぐもった声と耳もとにかかる息に背中がぞくっとした。
「あ、あ、ああっ……戒……斗……あ、なん……だか……ヘン……なの。あ……ふっ!」
「そのまんま感じればいい。おれもイッてやる」
 その意味を把握できないうちに、戒斗は胸先を弄ぶ指の動きを変えた。叶多のいちばん弱い、つまむような触れ方だ。腰が跳ねて、濡れた場所が戒斗の慾で擦られる。
 や、んっ……あ、あぅ……。
 うっ。
 叶多がひっきりなしに声を漏らす背後で、戒斗もまた呻いた。快楽に任せ、さらに快楽を得ようとする叶多が、躰から零れだす蜜を戒斗に擦りつける。久しぶりに感じる温かい滑りは急速に戒斗を押しあげた。
 叶多の胸を弄る手が痛みすれすれの強さでつまんだ。びくっと躰を跳ねて叶多は背中を反らせた。
 んぁっ、あ、あ、ぁあ……んくっ……ぅふ…………。
 胸と脚の間の感覚がシンクロする。叶多の躰が強張った。一瞬後、その先に感覚を投じて、同時に悲鳴を漏らした。
 戦慄(わなな)く腰が戒斗に刺激を与える。
 戒斗もまた苦しげに呻き、長かった抑制を解いて慾を放った。
 ピクリと震える戒斗が感覚の尖った場所に触れ、叶多の躰は痙攣した。
 戒斗は荒い息を吐きながら叶多を抱きしめ、寄りかかっていた壁に頭をもたらせた。叶多もまたぐったりとして戒斗に背中を預けた。仰向けのカエルみたいな無防備な格好でも、上下する戒斗の胸が揺りかごみたいで安心する。
 やがて鼓動が治まると、叶多は一度深呼吸をした。

「どうだ?」
「え?」
「グロくても使えるだろ?」
「……使えるって?」
「よかっただろ?」
 そう云って、戒斗は脚の間をなぞった。まだそこは過敏なままで、叶多は呻きながら腰を震わせた。
「んふっ……つ、使って……ない」
 叶多は息を切らしながら否定した。往生際が悪いのは自分でもわかっている。自分だけイクのが独りえっちしているみたいに恥ずかしかったけれど、さっきは本当に独りえっちまがいだった。
「おれもイッたし、素直に認めてもいいはずだ」
「……ホントにイッた?」
「感触でわからないか?」
 ……。
 確かにお尻に触れる戒斗は、さっきまでより硬度をなくしているけれど。
「見てない」
「見てどうするんだ」
 戒斗が可笑しそうにつぶやいた。
「だって……あたしはいつも見られてるし」
「だから?」
「やっぱり恥ずかしい」
「なら、恥ずかしいのを忘れるほど感じさせてやろうか」
 それは申し出ではなく意思表示で、云い終わるまえに戒斗の指は動き始めた。
「あ、あ……待って、今日は、抵抗、しなかったし、あと、一回……あくっ」
 云っている間も休まず脚の間を這う指が、手加減なしで叶多の中に潜った。
「一回? 三日間触ってないんだけどな」
「あふ……じゃ、あと……あ、ぁん……二回で――」
「だめだ。おれに話しておくべきことを話さなかった。おまけにあのコバンザメ連中はなんだ。極めつけは触らせたよな」
 戒斗は低い声で罪状を挙げると体内を探りだし、叶多には反論のための口を開く間も与えず、そのかわりに底のない快楽を開いた。



 夏の間、戒斗は主要都市のライヴをこなし、九月に入ると今度はアルバム発売に続くツアー準備に入った。叶多は戒斗の仕事に合わせてスケジュールを立て、去年よりはずっとふたりでいられる時間が増えた。
 一見、平和でなんの憂いもないようでも、変わらず祐真とは連絡が取れていない。叶多はどう思われようが、馬鹿げた理由で昂月を誘いだすことに三回だけ成功した。昂月の笑顔はそのたびにだんだんと薄くなっていった。
 一方で、“たか”に行っては何度か貴仁と会った。なんとなく居ついている感じだ。貴仁のガラス作りは真剣なように見える。けれど、やっぱりチャウダーで、どこかつかめない感じがした。
 戒斗には貴仁と会うと必ず報告をしている。どこから会ったという情報が行くかわからないし、黙っていて知られたとしたら報復は避けられない。話してみると、別に不機嫌になるでもなく、戒斗はいつもの“それで?”のときみたいに至って普通に聞いている。

 あの日は何が違ったんだろう。コバンザメなんて気にする必要ないし、陽が触れたのを見たのもはじめてじゃない。
 はじめてなのは、戒斗が叶多のまえで慾を吐きだしたこと。
 叶多はすぐに意識が混濁して、まったく知らないのだけれど、戒斗に云わせればもう一回“抜いた”らしい。
 あれから、常のことで一緒にいると必ず触ってくるけれど、それだけで“抜く”ことはない。反応は間違いなくあるのに、叶多だけがイカされる状態が続いている。
 たったいまもそう。お風呂の中で抱かれた――というよりは玩具みたいに弄られただけだけれど、戒斗自身はイッていない。やっぱり触らせてくれない。抱きつくのも許してくれない。逆らったら一回ですませてくれなさそうで、目下のところ戒斗の云うなりだ。だって気絶というのはそこに行くまでがつらいから。
 あの日の違いを挙げるとしたら、蘇我との予告なしの対面でしかなくて。『いろんなこと』ってなんだろう。
 蘇我とかかわったのは貴仁さんがはじめてで。…………違う……大事件を忘れてた。
 あんなに怖い目に遭ったというのに、戒斗に守られているうちに、すっかり重要事項から蚊帳(かや)の外になるくらい記憶は薄れている。
 あれは目的が叶多でもなければ、有吏対蘇我というわけでもない、ただの私情。
 それでもあたしはあのとき、“誰”かと接触したんだった。
 そこまで思い至って、叶多はふと自分が何かを見逃しているような気がした。
 何?

「何を考えてるんだ?」
「え?」
 叶多は目線を上げて戒斗を見た。
 イカされたあと戒斗が躰と髪を洗ってくれている間に、ぐったりしていた叶多も回復した。いまは狭いバスタブの中、戒斗が最大限に伸ばした脚の間で叶多はお湯に浸かっている。戒斗の脚が背もたれにちょうどいい。
「相変わらず、風呂場は考え事する場所らしいけど、何回のぼせたら、“良い加減”を学べるんだろうな」
 叶多は少しくちびるを尖らせた。
「そんなに何回もないよ。……大したことじゃなくて……来週から大学始まるなって思ってただけ」
 戒斗は疑うように叶多を見たけれど追求はしなかった。
「祐真が戻ってくるらしい」
 とうとつに戒斗は報告した。叶多は躰を起こして戒斗の正面に向きを変え、びっくり眼を向けた。
「……ホント?」
「ああ。良哉が昨日連絡受けたって。歌も作り始めたらしい」
 祐真が姿を消してから二カ月半がたつ。その祐真が戻ってくる。音楽活動も再開した。それなら祐真は答えとちゃんと向き合えたのかもしれない。祐真がそうなら、きっと昂月もいつか……。
 叶多の潤んだ瞳を見て、戒斗は可笑しそうに見つめ返した。今日、戒斗がやけに穏やかに見えたのは、きっと叶多と同じ気持ちがあるからに違いない。
「よかった!」
 飛びつくように戒斗に抱きついた。お湯が大きく波打つ。
「飛んで火に入る忠犬叶多だな。一回じゃ足りなかったらしい」
「ち、違う!」
「問答無用。触った罰だ」
 結局、叶多をのぼせさせたのは戒斗だった。



 戻ってくる祐真を楽しみに待ち受けて、次の週、大学が始まった九月二十七日。
 話そうと思った昂月は休んでいた。慧が今日は休むと連絡を受けていたことを教えてくれた。
 明日でいいか、と思った。

 それなのに。
 その日から何気ない“明日”が来るまで、これまでに経験がないほどの時間が必要になったのだ。

 大学から帰ったのは六時を過ぎていて、バンドの練習で遅くなるはずの戒斗が帰っていた。
 いつものように、おかえり、と云ってもあのおもしろがった表情がない。それどころか、何かあったとすぐに感づくくらい無になっていた。
「戒斗?」
「祐真が死んだ」
 叶多の問いかけに重ねるように戒斗が告げた。
 とうとつな淡々とした二つの単語は、まるで外国語みたいに聞こえて理解できなかった。

 理解できたのは――。
 ありがとう。
 それは“さよなら”と云うかわり。

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* 次節は、これまでのふたりにない、特に叶多にとって衝撃的な展開となります。
  ふたりにとってのプロセスと許容していただけたらと願います。