Sugarcoat-シュガーコート- #95

第10話 Cry Boy -3-


 はじめての大学の試験は戸惑ったわりに順調に終わった。
 試験中に有吏一族恒例の夏の親睦会があったのはちょっとつらかった。
 今回は深智がいるにもかかわらず、叶多は前日から有吏館に呼びだされた。詩乃の指名だ。春のときに手伝ったことから、お手伝いのリストに加えられたらしい。
 今度も戒斗は行かなくていいと引き止めた。
 それでも、認められることに繋がるかもしれない。それが叶多にできることであればやりたい。その気持ちのほうが大きい。
 有吏一族について調べると云いだした那桜の決心は変わらず、美咲とふたり盛りあがっている横で、叶多は一歩遠巻きに加わった。新たなメンバーとして深智まで参加宣言し、ますます活動に拍車がかかった。もっとも、叶多から見ても計画性は皆無で、まずはどこから情報を得るのかという基本さえ成り立っていない。
 久しぶりに会った深智はいままでと印象が違った。人形みたいな作り物っぽい表情が消えて、かわりにふんわりとした雰囲気を纏っている。
 深智は変わらず瀬尾のところで暮らしているものの、まだすんなりうまくいっているとは云えないようだ。それは瀬尾のなんらかの拘りのようで、深智もよくわかっていないと云う。
 頑張るから、大丈夫。
 深智が詳しく語ることはなかったけれど、その宣言はすっきりと響いた。
 自分が(けしか)けただけに、深智の様子は叶多をちょっと安心させた。


 それに引き換え、安心できていないのは昂月(あづき)と祐真のことだ。
 試験が終わってすぐ夏季休講に入り、八月も十日を過ぎた。
 あれから一カ月。祐真とは誰も連絡が取れないという状態が続いている。
 昂月は家にこもっていて、何度か出かけようと誘ったけれど断るばかりだ。差し迫った用件をつくって昂月しかいないと、泣き落としてやっと応じてくれた。
 久しぶりに会った昂月は至って普通にしている。
 買い物に付き合わせながら、叶多は戒斗から聞いたことにして祐真のことを訊ねてみた。昂月は泣きそうな顔になって、隠すようにそっぽを向いた。すぐに笑ってごまかしたけれど。

「祐真兄はね、妹離れしてるんだよ。あたしのことほっとけなくて。唯子さんとのことでは障害になってるし……」
 叶多はいきなり昂月の口から出た唯子の名に驚いた。叶多からすれば、祐真と昂月の間に唯子という接点はない。
「唯子さんとのことって?」
「あたしは祐真兄が連れてってくれないけど、叶多は打ち上げとか行くよね? 付き合ってるのを知らない? うちに来るとね、祐真兄と唯子さん仲良くしてるよ」
 叶多が祐真と唯子をセットで見たのは、年越しライヴとこのまえの内祝いパーティだけだ。急いで回想してみた。確かに仲はいい。唯子が祐真の世話を焼いている場面も何度か見た。
 けれど、それがカノジョとしてと云われても、そんなふうには見えなかった。あのなかにそう思っている人がいるんだろうかとさえ思う。叶多が鈍感だからそう見えないだけなのか。否、祐真の心を知っている以上、そんなはずはなくて。
 どういうこと?
「……戒斗はあんまり連れていかないからよくわかんないよ」
 叶多は曖昧に答えた。
「あ、そうなんだ。……あたしも兄離れしないとね、たぶん」
 昂月は祐真の答えをわかって受け入れようとしているのか。何気なく付け加えられた『たぶん』は昂月自身の答えなのかもしれない。
 すでにふたりともに在る答え。それでも納得できない気持ち。どうやってふたりは立ち直れるんだろう。


 アパートに帰り着いて玄関を開けるとギター音が聞こえた。まだ五時にもなっていないのに戒斗がいた。
「おかえり。今日は早かったんだね?」
 いつのまにか、どっちが帰るのが早かろうが、叶多から『おかえり』というのが慣例になっている。いまみたいに立場が逆の台詞を云うと、戒斗はおもしろがって叶多を見やる。
「ああ。アルバム作るのも、さすがに三回目となると流れがスムーズだ」
 三枚目のアルバムは二枚目からほぼ一年を経て十月の発売予定だ。
 航と実那都の内祝いパーティはデビュー一周年のお祝いも兼ねていて、一年の活動を経たFATEは確実に全国へ浸透した。順調すぎるほどで、だからこそこれからは着実な活動が要求される。一曲を生みだすのに、これまでになく戒斗は気を尽くしていた。おそらくはメンバーの気持ちも同じだろう。
「またツアーに入る?」
「発売と同時にツアー開始だ」
 叶多はうなずきながら、買ってきた“ご当地駅弁”を袋から取りだした。
 ギターを置いて和室から出てくると、戒斗はダイニングテーブルを覗いた。
「なんだ、これ?」
「デパートで今日限りの全国駅弁フェアやってたから、昂月と行ってきたの」
「へぇ、昂月ちゃん、こういうの好きなのか」
「じゃなくて、あたしが泣きついちゃった。どうしても本場物の牛タン弁当が食べたいって云って」
 戒斗は呆れたように肩をすくめた。
「云えば、仙台くらい連れてってやる。充分日帰りできるだろ」
「昂月も呆れてた。でも、ホントは――」
 叶多が云い訳をしている途中で戒斗の携帯電話から着信音が鳴りだした。その曲は有吏の音だ。戒斗は画面を確認して携帯電話を耳に当てると、寝室に引っこんだ。

 いまみたいな戒斗を見るたびに疎外されたように感じてさみしい。叶多の中の贅沢な感情。共有できるところとできないところの境目がなくなることはきっとない。どんな“ふたり”だってそうだ。
 叶多の不安は、何もできていない自分。戒斗はどんな馬鹿げたことだって叶多のために時間を使う。それを知ったら、戒斗の気持ちを除外しても“好き”が止まることはない。けれどその反対。叶多は気持ちのほかに、何を武器に戒斗を引き止められるんだろう。

 だめだな……あたし。不満に思ったら天罰ものだって祐真さんに云っちゃったのに。あ……そういえばプレゼントもらったんだった。お互いさま? 引け目を感じることないって……つまり、遠慮しなくてもいいのかな……。

 叶多はつと考えこんでから、結局は何も考えないと云われそうな結果にたどり着いて寝室に行った。
 電話中の戒斗は案の定、顔をしかめた。まえと同じことを繰り返していると叶多は気づいた。けれど、そのさきを考えるよりは触れたい気持ちが大きい。
 ベッドに腰掛けた戒斗の腿を跨いでピタッとくっついた。首と肩の境目を舐めると、汗かいた肌はちょっと潮っぽい。戒斗の腕が叶多の腰をきつく抱いた。それでもやめずに、首筋を上がって顎のラインをなぞる。さらに上ってくちびるにたどり着いた。喋っている最中だというのに、叶多はおかまいなく戒斗のくちびるを舐めた。
「ちょっと待ってくれ」
 戒斗は電話の相手に云うなり、送話口をふさいで首を傾けると、叶多のくちびるに喰いついた。戒斗の腕が頭の後ろを抱えこんで、叶多を逃げられなくさせる。
 ぅんっ。
 苦しく呻いてもますます戒斗は深く叶多の口の中を侵してくる。肺が破裂しそうに上下した。
 んぁあっ。
 戒斗が離れたとたん、叶多の口から苦しげな声が漏れた。
「二度目だ。自分からやられに来たってことわかってるな?」
 戒斗もまた荒く息を吐いていて、脅迫めいた低い声で宣告した。
「違う――」
「声出したら向こうに聞こえるからな」
 今更の抗議を無視して戒斗は警告しながら、叶多をベッドに転がした。戒斗は左手で抵抗する手をまとめ、叶多の頭上に括ると、携帯電話を左耳と肩で挟んで送話口から右手を離した。
「で、役員連中はどうだ?」
 戒斗は何事もなかったように切りだし、また電話の相手と話し始めた。

 空いた右手でミニワンピースをたくしあげ、戒斗は剥きだした叶多の腿の上に載って身動きさせなくした。
 ワンピースの中を這いあがった手がブラジャーを押しあげた。叶多が身を捩ってもかすかに胸が浮くくらいで、括られた手は解けず、下半身も足先を動かすことしかかなわない。
 戒斗は小さなふくらみを包んだ。感触を確かめるように捏ねていくうち、柔らかくなっていくふくらみとは逆行して、胸先は硬く尖る。
 叶多は耐える間もなく、反対側も同じように反応させられた。戒斗が平然と相づちを打ったり、話したりしているのに、叶多の理性が全部奪われそうになる。訴えるように首を振っても、戒斗は許さなかった。指が胸先をつまむ。
 ぅふっ。
 堪えようとした胸が反り返ったけれど、結局は戒斗に預けた格好になった。
 だめっ。
 叶多は自分を制御しようと頭の中で叫んだ。違うこと考えないと、胸に集中して声が出てしまいそうになる。
 戒斗の電話に意識を向けようとしたけれど、戒斗を知った躰は、やっぱり戒斗に知り尽くされていてうまくいかない。弱点だらけになった躰は、叶多の意思を無視して勝手に熱を生みだしていった。
 戒斗の信じられないくらい冷静な目が、叶多の反応をつぶさに見ている。熱に浮かされたような自分と、冷静どころか普通に電話中という戒斗との差が恥ずかしくて、叶多は目を閉じた。そうしたことで、ますます戒斗の指先に感覚が集まった。
 声を堪えているのがつらくて涙が滲む。くちびるをかんで躰を震わせていると、戒斗の手が下へと下りていった。下着の中に侵入され、叶多は抑制できないままに短く嗚咽を漏らす。
 ぅくうっ。
 閉じた脚の間に潜りこんだ指が沿うように撫でただけで、叶多はふわりとした感覚の中に入った。脚を閉じたままだと触覚全体を一度に攻められている感じがして、急激に押しあがっていく。躰に力が入り、耐えようと硬直した。息を吐いたら声になりそうで呼吸もろくにできずに、頭がぼんやりした。
 もう耐えられない。
 そう思ったのと、脚から重りが取れて口もとに息を感じたのは同時だった。

「叶多」
 目を開けると、間近にぼんやりと戒斗の目が見えた。叶多の目は雫が落ちそうなほど潤んでいて、戒斗は低く唸る。
「も……ぅっ……だめ……んっ……なの」
 囁くように叶多が訴える間も戒斗の指はうごめいている。戒斗が電話を切ったということにたどりつかないくらい、叶多の思考回路は役に立たなくなっていた。
「声出していい」
 戒斗はそう云って、忍ばせた指を戯れから本気に変えた。心持ち強く、撫でるように揺さぶったとたん、叶多は息を詰めて躰を反らせた。
 うぁ……んぁああっ。
 叶多は呆気なく堕ちて悲鳴をあげた。
 戒斗はなだめるように叶多のくちびるに舌を這わせ、顎から首筋へと伝いおりた。
 胸の辺りに纏わりつく服を(まく)りあげ、ふくらみを露わにした。火照った躰は白い肌をかすかに赤く染めている。
 戒斗はふくらみに差しかかる柔肌に口をつけた。強く吸いつくと、叶多が快楽とは違う痛みに躰を震わせて呻いた。戒斗はうっ血した場所を舐めてから、ピンクに色づいた胸先へと移った。
 甘く吸いつくようなキスが叶多の痛みを相殺していく。余韻が消しきれないうちにまた昇るような感覚が生まれた。
 あっふ……っ。
 叶多が喘ぐと、戒斗はゆっくりと離れた。
 んっ。
 叶多の呻き声は不満のようで、戒斗は小さく笑った。
 叶多が目を開くと、戒斗の満足げな眼差しと合った。
「もっと?」
 戒斗がからかって促す。戒斗の誘うような問いを自分の瞳が肯定しているとも知らず、叶多はうなずけずに目を伏せた。
「やっぱり素直じゃない。インラン、まではまだまだだな。あとは夜までお預けだ」

 戒斗は意地悪く笑うと、叶多を抱き起こして服を整えた。ベッドの上で向かい合ったまま、叶多の頬を包んだ。
「どうしたんだ?」
「何?」
 不意に問いかけた戒斗は至って真面目に様子を変えていて、叶多は首をかしげた。
「こういう見境のないことをする理由だ。まえのときは同棲解消しようとしてただろ」
「……よくわからないよ、自分でも。できることをやりたいって思ってるんだけど、そのできることを探せなくて……それがなんとなく不安」
「なんに対してそう思うんだ?」
「……いろんなこと」
 叶多はしばらく考えてから、また首をかしげて答えた。戒斗はため息を吐いた。
「情緒不安定はこの時季だからなのか? このまえ、おまえが泣くまでそれに気づかなかったけど」
 一カ月くらいまえのことを思いださせられ、叶多はちょっと恥ずかしくなった。あのときは、いま考えると馬鹿みたいに泣いた。いつにも増して子供っぽく。
「去年の今頃だったな、叶多が素直じゃなくなったのは」
「え?」
「会いたい、って云わなくなっただろ」
 戸惑って首をひねった叶多を見て、戒斗はくちびるを歪めた。

 叶多は一年前のことを思い巡らした。自分の贅沢さに気づいて我慢しだして、戒斗が同棲という約束を口にした。あれから一年後にこうしてふたりでいることを感動する傍らで、もっと贅沢になった自分が恨めしくなった。
 去年のこともこの時季だからこそだったのかははっきりしないけれど、そういうことまで考えてくれる戒斗が目の前にいることで、六年前に泣いたのは帳消しになった。
 ううん。それ以上だ。

 意識しないうちに叶多の口に笑みが広がった。戒斗は顔を近づけて、叶多のくちびるの端にちょっとだけ口づけた。
「そういう面では気づかないくらいおれは(うと)い。けど、傷つけようと思ってそうしてるわけじゃない」
「うん。それくらいわかってるよ。戒斗を信じてなくて泣いてるわけじゃないの。えっとまえに戒斗が云った……カタ……なんだった?」
「カタルシス」
「そう、それ」
「泣くのにも立派な云い訳ができたな」
 戒斗がからかうと、叶多は笑いながら首をすくめた。
「牛タン弁当、食べたいんだろ?」
「あれはだから口実で――」
「おれは牛の舌よりは叶多をディープに味わいたい」
「牛と比べる?」
 叶多がむくれると、戒斗は尖ったくちびるに咬みついた。
「あとでゆっくり喰ってやる」

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