Sugarcoat-シュガーコート- #88

extra A way to choose -latter-


 いまの那桜を見ていると、たとえ一族という障害があろうが、ずっと待った片想いの間でさえ、ただ『好き』と、誰にも(はばか)ることなく云えることがどんなにラッキーなことか、叶多には身に沁みた。
「那桜ちゃん、無責任でもあたし、いまの拓斗さん好きだよ」
「ありがとう。まだ叶多ちゃんが戒兄を変えたほど力にはなってないけど」
 那桜は小さく笑んで冗談ぽく答えた。
 美咲は納得していないとしても、それ以上は意見することはなかった。
「戒斗を変えたのはあたしじゃなくて、きっと戒斗が持ってたものだし」
「だから、それを引きだしたのは誰かって話」
 美咲は云いながら叶多を指差した。釣られて叶多は自分で自分を指差し、あたし? と問い返した。美咲は肩をすくめて答えなかったけれど、叶多はその態度に戸惑った。美咲はちょっとくらい認めてくれる気になったんだろうか。
「それにしても、ね。せっかく思い直したんだけどな……みんな、くっついちゃってるわりに前途多難な感じ。お姉ちゃんのことだっていまは黙認してるけど、お父さんはすんごく慌ててた。蒼ざめてたっていうか……普通に父親としての反応じゃないんだよね」
 美咲は情景を浮かべているのか、宙を見ながら怪訝そうに云った。
「そのことなの。叶多ちゃんに話しておかないとって思ったのは。もしかしたらわたしと拓兄のことで迷惑かけるかもしれない」
 美咲の発言を受けて那桜は深刻そうな表情に変わり、それが伝染して叶多も少し顔を曇らせた。
「どういうこと?」
「はっきりしないんだけど、わたしと拓兄がこうなったことで何か一族の計画が崩れたみたいなの。拓兄はわたしには絶対教えてくれないし、父が電話で話してるのを聞きかじっただけだから曖昧でごめんね。ただそのときに戒兄の名前が出てて……。拓兄に訊いてみたら心配ないって云ったし、戒兄のことだから何があってもビクともしないだろうけど。なんだか責任を感じちゃうし、わたしね、有吏一族のこと、ちょっと調べてみようって思ってる。といっても、わたしは家を出てるから情報源は少ないんだけど」
 那桜にしては大胆な発言だった。叶多が驚く傍らで美咲が疑うように那桜を見やった。
「ていうか、那桜ちゃん、本家なのに知らないの?」
「それは逆かもしれない。わたしに対してはみんな口を(つぐ)んでしまうから。小さい頃からそう」
 那桜はどこかさみしそうで、戒斗がまえに云ったことを思いだした。
『おまえんちを見てると家族っていいなって思う』
 詩乃の不思議な感じにしろ、有吏本家は“家族”になりきれていないのかもしれない。いまの三兄弟妹は別として、あの本家が集まった席は他人行儀に見えた。
「わかった。那桜ちゃんに協力する。あたしも気になってたんだよね」
 さっきまでの疎外したような態度もどこへやら、美咲はうんうんとうなずきながら那桜に乗った。
「叶多ちゃんも協力してよね」
「え……う、うん」
 有無を云わさない美咲にとりあえず了解の返事をしたものの、戒斗から教えてもらったことをぺちゃくちゃ喋るわけにもいかない。叶多は心の中でため息を吐いた。


「叶多ちゃん」
 那桜が出ていって布団に入ったのは日付が変わろうとする頃で、寝転がったとたん、美咲が呼びかけた。
「うん」
「あたしね、戒斗から卒業できそうな気がする。まだ好きって気持ちはあるけど」
 美咲の声は至って静かだ。
「美咲ちゃん……」
「戒斗はお姉ちゃんのだからって、ずっと云えなくて……戒斗に好きって云えたことホントによかった。戒斗は酷いくらい簡単に拒絶したけど、いままでと全然態度は変わらなくて、ちゃんと受け止めてくれたってわかるんだ。叶うとか思ったことないけど、けっこう伝えられないこともつらいんだよ。さきに進めないっていうか……」
「うん」
 叶多にしても同じだった。やっと見つけて五年ぶりに会えた日。約束がその場(しの)ぎのことで、受け入れられないとしても、好き、と伝えてから終わりたい。その気持ちをただ戒斗に知ってほしかった。
「お姉ちゃんの好きな人がいつのまにか戒斗から啓司さんに変わっていて。気づかなかったけど、いま考えてみると納得できちゃうの。啓司さんがいると、お姉ちゃん、目がずっと追ってる感じ」
「深智ちゃんも気づいてなかったんだよ。瀬尾さんからは絶対動かない気がしたし、だから、ちょっと――」
 美咲は叶多をさえぎるように起きあがった。
「叶多ちゃんのせいでお姉ちゃん、あんなことしたんだね!」
「あ、ぃや……えっと……」
 美咲の態度に気を緩めて、叶多は余計なことを告白したようだ。責めたてるような目に見下ろされ、叶多が弁明に詰まっていると、やがて美咲はくるりと目を回してため息を吐いた。
「まあいいけど。秘密にしといてあげる。うちのお父さんにバレたら縛り首かもね」
 美咲は冗談めかして云ったけれど、さっきまで三人で話していたことを考えると、叶多はあらためて自分がたいへんなことしたんだと思い至った。戒斗にも拓斗にもなんらかの役割という立場があるように、それは瀬尾にも当てはまる。
「どうしよう」
「叶多ちゃん、戒斗を(さら)ったんだからその時点で覚悟できてないとおかしいでしょ」
 美咲は肩をすくめてさらりと叶多を追い詰めた。
「とにかく、ね。お姉ちゃん見てても、叶多ちゃん見てても、それに那桜ちゃんも。なんだか、好き、って想って想われるのっていいなって思った。いままで戒斗以外に関心なかったけど、あたしも今度は絶対そういう人を見つける! 叶多ちゃんも協力してよね」
 また強引に美咲に迫られた。たぶん、そういうのは見つけるものじゃなくて見つかるものだと思ったけれど、そこは突っこまないことにした。
「美咲ちゃん、あたしも意地悪されてよかったことがあるんだ」
「何?」
「写真。なんだか戒斗と一緒にいることに満足しちゃってて、写真撮るとか思いつかなかったし、あれ、初のツーショット写真なの!」
 ぷ。
 美咲は小さく吹きだし、ふたりの間にあったわだかまりが全部解けた気がした。
 けれど、やっぱり美咲で。
「叶多ちゃんのが伝染して、戒斗がおバカにならないといいけど」
 茶々を入れるのは忘れなかった。



 親睦会を無難に乗り越えて次の週、四月の初めの月曜日には大学の入学式があった。高等部卒業からあっという間の大学生昇格だ。
 やっぱり戒斗は叶多に知らせないまま時間の都合をつけて来てくれたけれど、もしかしたら、と思ったところで高等部から四倍に増えた学生たちや来賓が多すぎて探しだせなかった。たぶん、忍者みたいに気配を消しているに違いないと馬鹿げたことを思った。
 それから大学生活の最初の一週が駆けるように終わった。これまでとまったくシステムが変わり、何がなんだかわからないうちに過ぎてしまって叶多の頭の中はパニックだ。
 ユナとは同じ文学部でも、叶多は美術史学、ユナは図書館情報学と専攻が違っていて一緒とは限らず、不安は増した。青南大のキャンパスはそれほど散らばっていないけれど、経済学部の陽と理工学部の永とはキャンパスの接点がない。
 唯一、一緒になるのは昼食時だ。大学にしてはめずらしく、学生食堂は各キャンパスの等距離の位置に設けられている。戒斗に云わせれば交流を広げ、つまりは視野を広げる目的があるということだ。
 それはともかく、叶多には心強くて元気になれる場所だ。なんだかんだと陽に苛められても、永にからかわれても、叶多は四人でいられる時間に助けられている。

「どう、大学は?」
「あー、まったくつかめないって感じです」
 戒斗の質問に首をかしげながらユナが返事をした。
「ユナちゃんがそうなら、叶多が混乱してるはずだな。毎日、泣きそうにしてる」
 この一週間、あたふたした叶多を見てきた戒斗が暴露した。一緒のテーブルについているほとんどの目が、おもしろがった表情を宿して叶多に集中した。
「酷い」
 叶多が顔を赤くして抗議すると、戒斗はニヤリと口を歪めた。それでまた笑みが広がった。

 今日は戒斗が約束したライヴ招待を実行してくれた。卒業祝いから入学祝いまで兼ねて、ミザロヂーでの打ち上げの席にも参加させてもらっている。叶多がFATEのメンバーと会うのは年越しのライヴ以来で、ユナたちと同様、ちょっと緊張した。
 すぐに打ち解けたものの、はじめて会ったマネージャーの木村には胡散(うさん)臭く見られ、()いてはお祝いを一段階幼く見られ、つまり高校入学のお祝いだと勘違いされたわけで、叶多は辟易(へきえき)した。
 叶多はただ従妹として紹介されるかと思っていたのに、戒斗が、一緒に住んでいる子です、と云ったときは不安のあまり硬直してしまった。
 木村は侮蔑した眼差しをちらりと叶多に向け、信じられないと云いたそうに戒斗を見やった。またここでも戒斗の立場を微妙にしてしまった気がする。それから完全に無視されたままだ。
 歓迎されるはずはないとわかっている。だからといって落ちこまないというわけではない。ちょっと沈んでいるときだっただけに、戒斗にからかわれたことで気が逸れた。

「最初は誰だって戸惑うだろ。戒斗と良哉は卒業してるけど、おれ含めてほかはまだ青南大生なんだよな」
「え、そうなんですか」
 FATEが青南大で生まれたことは知っていたけれど、いま航が云ったことは初耳で、永が先立って問い返した。
「おれと高弥は一年、健朗は二年残して休学中。卒業したいと思ってるけど復学は未定だ」
「いまの人気ぶりじゃ、戻るのはまず無理な気がするな」
「あ、でも一緒に卒業できたらうれしいかも」
 陽に続いてユナが期待に満ちた声で云った。
「そうするためにはまずトップに上って安定する必要がある」
「戒斗、おまえの上昇志向には敬服するよ」
「できないはずないだろ?」
 良哉が参ったとばかりに云うと、戒斗は挑戦するように問い返した。
「何年、見てんだよ」
「あと二年だ」
 その宣言に航は笑いだした。
「そこで見極める」
 にやりと笑い返した戒斗は声を落として付け加えた。それを受け、航は別のテーブルにいる木村をちらりと見やった。
「妥当だな」
 航はうなずいて同意した。
「なんの話ですか」
「方向性の話です。つまりウケる曲を作らされるか、やりたいことをやるかって違いですね」
 永の質問に、とてもヘビーな音を出す人とは思えない話し方で健朗が説明した。
「やりたいようにできてないってことですか」
 ユナが不思議そうに問い返した。
 叶多は初詣のときに戒斗が云ったことを思いだす。FATEが抱えているディレンマ。いまのメンバーを目にすると、戒斗だけではなく、全員一致の思いらしい。
「やりたいことをやるには事務所が大きすぎた」
「ああ。祐真でさえ、いまだにぶつかってるからな。今度のことで余計に(こじ)れてるし……」
 戒斗のあとを継いだ航は顔をしかめた。伴ってメンバーの表情が一様に曇った。なんとなく聞いてはいけないような雰囲気で、叶多は質問しようとしてやめた。ユナたちもそう気づいてか何も口にしなかった。
「祐真でさえっていうよりは、祐真だから、だろ。あいつは妥協を知らないから」
「そういうおまえもだろ、戒斗」
「おまえらがおれのことをどう思ってるのか知らないけど、妥協してなかったらFATEはまだプロになってない」
「どういう意味だ」
 高弥が苦笑いしながら返した。戒斗の発言は取りようによってはメンバーへの侮辱になる。その戒斗は口を歪めて笑った。
テクニック(テク)に妥協してるつもりはない」
 戒斗が云ったとたんに何を思ったのか、航がニヤニヤしだした。
「らしいけど、叶多ちゃん、ギタリストってさ指先器用だし、戒斗のテクがどうかってのを訊いてみたい――」
「航」
 戒斗が制した一方で、いきなり振られた叶多は意味がわからずにきょとんとした。
「もう、航ってば。叶多ちゃん、下品でごめんね」
 陰った空気が消えてテーブルが笑いにさざめくなか、隣にいた航の彼女、実那都が恥ずかしそうに小声で謝ったことで、叶多はどういうことかに思い至った。気づいたところで簡単にやり過ごせるほど叶多は成長していない。ユナたちの反応を見る勇気もなく、店内のオレンジ色の照明がかろうじて赤面した顔を隠した。


 早めに打ち上げは切りあがって、アパートに帰ったのは十時半だった。
「戒斗、祐真さん、どうかしたの?」
「歌えなくなった」
 ダイニングの椅子にバッグを置く手が止まった。
「え?」
「歌えない、曲が作れない。簡単に云えばスランプ」
 戒斗の云い方は淡々としているけれど、心配という言葉が足りないくらい気がかりになっているのはわかった。叶多が不安そうに見ると、戒斗は笑みを見せながら継いだ。
「けど、あいつなら大丈夫だ。乗り越えられる」
「うん。きっとね」
 叶多が力強く答えると、戒斗は見せかけの笑みから、本当に可笑しそうにくちびるの形を変えた。

 祐真が打ち明けてくれた秘密。祐真はいま、もがいて足掻いて結論を出そうとしているのかもしれない。
 祐真の妹、昂月(あづき)は同じ文学部で、専攻は違うけれど一緒になることもある。昂月を探して話しかけてみたら、祐真に頼まれなくても友だちになれそうなくらい波長は合った。
 その昂月には那桜と同じ陰が見える。那桜と違うのはそれが消える瞬間さえないということ。
 好き、に忠実に進むことを選んだ拓斗。祐真はどこへ向かうんだろう。

「戒斗、このまえ那桜ちゃんから聞いたよ。拓斗さんとのこと」
 叶多の中では祐真と拓斗のことは繋がっているのだけれど、戒斗にとってみればとうとつだったらしく、驚いたように片方の眉がかすかに上がった。
「どうだ?」
「那桜ちゃんはまだ悩んでるところがあるみたいで、でもあたしはいいかなって思った。美咲ちゃんからは無責任だって云われたけど」
 曖昧な質問に叶多がそう答えると、戒斗は小さくうなずいた。

「叶多」
「うん?」
「ほかに云っておくことは?」
「え?」
「那桜から聞いたことをおれに云わずに一週間放った」
 戒斗は真剣な口調から(なじ)るような口調に変わった。今度驚いたのは叶多のほうだ。
「違うよ。なんとなくいまになっただけで――」
「自覚がない」
「戒――」
 問答無用とばかりに戒斗のくちびるが叶多の云い分を封じた。
 んっ。
 抵抗する間もなく、膝丈のワンピースをたくし上げられながらダイニングのテーブルに倒された。戒斗の手がおなかから素肌を上り、ブラジャーを押しあげてふくらみを待ったなくつかんだ。上半身はキスでテーブルに押しつけられ、痛いほどに息苦しい。
 それを帳消しするように戒斗の指が胸先に感覚を集中させた。叶多の背中が浮く。耐えきれない。そう思ったときにやっと戒斗が離れた。
 力なく見上げた戒斗の目は激情に駆られている。
「……戒斗?」
「風呂入るぞ」
 戒斗がその気を示す言葉を吐いた。
「待って。明日、月曜日――」
「朝は何もしなくていい。送ってやるし、それでいいだろ」
 そう云って戒斗は口を歪めた。ちょっと残酷さを含んだその笑い方も、だんだんと好きになっていく。
「戒斗、好き」
「イクのも好きだろ?」
「わかんない」
「素直じゃないな」
「でも戒斗は大好き。ずっと好き。全部好き!」
 好き、が並ぶと、戒斗は痴情をもがれて笑いだした。
「じゃ、風呂は一緒ってだけで勘弁してやる」
 そう云って攫われた。

 戒斗が少しずつ秘密を曝してくれるのとは逆行して、叶多には云えない秘密が増えていくのかもしれない。
 それは選んだ道から逸れるのではなくて、しっかりと踏みしめて進めるように。
 正しいとは云えなくても、間違いだと云われても。
 ただそこにあるのは。
 好き。

* The story will be continued in ‘Candied Birthday’. *

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