Sugarcoat-シュガーコート- #85

Candied Graduation KANATA Complex -first-


 雨が降るたびにだんだんと暖かくなりつつあるけれど、そのぶん天気が悪い日も多い。
 高等部卒業の今日。心配した雨は降ることなく久しぶりにすっきりした青い空が広がった。卒業という、いままでの環境を離れるさみしさよりは、(さわ)やかにステップアップできそうなわくわく感のほうが大きい。
 青南学院の共同大ホールでの式典は、卒業生とその親たち、そして在校生の代表と、ホール椅子はすべて埋まり、(おごそ)かに滞りなく終了した。

 卒業証書を手に教室へ戻ると、担任の金元が教壇に立ってクラス全員をゆっくりと見渡した。
「卒業、おめでとうございます」
 それはいつもの気さくさと違っていて、他人行儀とさえ思えるくらい、一音一音をはっきり発音した丁寧な祝辞だ。
「なんだよ」
 肩透かしを食わせられた男子生徒の一人が顔をしかめていそうな声で云った。すると、金元は生真面目にした顔を一転して砕けた表情に変えた。
「まあさ、おまえたちはこれからが勝負だって云いたいわけだ」
「どういうことですかぁ?」
「そういうことだよ」
 金元はまったりと質問をした女子生徒を指差した。
「はぁ……?」

「これまでは学校とかご両親とか、いろんなルールがあって、していいこと、してはいけないことを示されてきたはずだ。けど、社会に入ればもちろん、大学に入ったら自分の判断に任されることになる。大学なんて、成績を心配してくれる先生なんてめったにいないぞ。つまり、おまえたちはこれからさき、どう自分というものを確立できるのか、自分との勝負というスタート地点に立ったんだ。どんな法律があっても犯罪者は絶えないだろ。だから極端に云えば、自分の意思が法律になる。二十才までは間違いを犯しても社会が守ってくれる。その間にどれだけ成長できるのか。もしくは、ずっと甘えっ放しで生きるのも、落ちぶれて生きるのもいい。けどな、そのさきに何があろうと、そうしたのは誰でもない、自分だ、ってことだけは忘れるなよ。なぜなら、この青南高等部を卒業できたということは、ご両親がおまえたちを立派に育てたという証明にほかならない。そして、おまえら自身が乗りきってきたという証でもある。その実績を出発点にして、自分の中にどう法律をつくれるのか、おれは楽しみにしてる」

 選択は違えどもほとんどが持ちあがりで、新地という不安もあまりなく、悠々自適な大学生活を送ろうと目算していただけに、金元のエールは激励にもなり、戒めにもなって効いた。
 (はや)したてる男子生徒はいても、それは照れ隠しのようなもので、誰もが金元の言葉を胸に留めたようだ。
 それからクラス全員からの記念ということで、金元には文化祭に作ったピクセル画を贈った。裏面には一人一人がメッセージと誓いを書いた。広げてみるには大きすぎてどうかと思ったけれど、金元は半ば泣きそうになりながら感激した様子で受け取った。
 それを見て、叶多もちょっと涙した。一年という短い間だけの担任でも、その一年の間にはやっぱりいろんな時間があった。
 一時間近くお別れの時間が続き、そのあとは事前に有志を募っていた卒業パーティ――というのは大げさだけれど、卒業式に来てくれた親たちを追い払って――というのは聞こえが悪いけれど、とにかく帰して、参加者は近くのファストフード店に向かった。

「こうやってそろって学校を出るっていうのは最後かな」
 教室を出ると、ユナがぽつりと云った。
 大学の専攻はそれぞれに違っているからキャンパスが離れることもあって、ユナの云うとおりかもしれない。
「っていうセリフで泣くって、やっぱりおまえ、そのうち面倒くさいって戒から捨てられるんじゃないか?」
 陽が目敏(めざと)く叶多の目が潤んだことに気づいて、呆れた口調で脅した。
「……これでも気をつけてるんだよ。それに、戒斗はそのままでいいって云ってくれるし」
 陽は鼻を鳴らした。
「おまえさ、まさか子供できてんじゃねぇよな?」
「……。ここ、こ……」
 不意打ちも不意打ちで、予想だにしない陽の質問に、言葉もうまく口にできず、叶多の頭が真っ白になった。
「健康優良児のおまえが、あの二週間続けて月曜日休んだのって絶対おかしいんだよな。おまえは腹痛だって云ったけど、頼は貧血って云うし。どっちも妊娠用語だろ。来たと思ったら眠り被ってる。従姉が子供できてさ、ちょうど一週間まえに会ったんだよな。妊娠してから何してても眠たいってさ」
「……こ、子供ってできてるわけ――っ!」
「叶多、ストップ!」
 ユナがデジャ・ヴかと思うくらい、まえと同じように叶多の口をふさいだ。
 千里にも似たことを云われたけれど、それから半年たっても頭に血が上ってしまうのは相変わらずで、せっかくの晴れやかだった気分も薄れて叶多はちょっと落ちこんだ。
 けれど、三分の一くらいは頼のせいだ。
 頼のバカ。
 陽と頼がそろっているところを見ないだけに、通じていることをすっかり忘れていた。しかも、いつの間にか名前を呼び捨てるまでになっている。というより、見えない裏は見ようとしない自分のほうが馬鹿なんだろう。
 叶多が泣きそうな顔で躰の力を抜くと、口からユナの手が離れた。陽は叶多を見下ろしてせせら笑う。
「な、何?」
「できるわけない、ってことはないはずだ。だろ?」
「だ、だから……!」
「だから、なんだよ」
「……ぃ、や……なんでもない」
 最後まで進んでない……とは口に避けても云えない。それにこの場合、避妊してるからと答えても恥ずかしすぎることには変わりない。
 陽はしばらく探るように目を細めて見つめたあと、叶多の赤らんだ頬から下まで見下ろして、それからまた顔まで戻ってきた。
「そのままでいい、か?」
「……な、何が云いたいの?」
「別に」
 ニヤリとした陽は、とても『別に』という雰囲気ではない。
「おれは変わってもらってもかまわないけど」
 叶多はそれが含んだ云い方だとわかったのに、何を云いたいのかまではわからない。
「渡来、まだあきらめてないの? 頼くんを受け入れるあたり、すんごく大人だし、戒斗さんじゃ勝ち目ないじゃん」
 いや、そう大人でもない時があったんだけど。と、叶多は思いつつも否定しなかった。突っこまれても説明できない“時”だ。
 陽はユナの発言を聞いて不機嫌そうにした。
「そのまんまでいい、かぁ。あたしはなんだかグッとくるけど」
 ユナは焦がれた眼差しを宙に向けた。
「おれもそう思ってるぜ」
「永、ありがと。あたしも、ね」
 普段は強面のくせに、いまの永はこっちが恥ずかしいくらいにユナを見てデレデレしている。ユナがすかさず答えたあと、ふたりはラヴモードに突入した。
「おれが云ったのは意味が違う」
 永の変わりように陽は呆れ返ってつぶやき、当然、聞こえていない“ふたり”の横で、叶多は、じゃあどういう意味? と独り疑問を持ったのだった。

 ファストフード店はほぼ青南高等部の生徒たちで貸切状態になった。
 ほかのクラスの子も入り混じって賑やかに沸いたものの、特に叶多のクラスの子たちは、金元の“はなむけ”の言葉のせいか、普段の“バカ騒ぎ”ではなく、うるさくない程度に“和気あいあい”と時間が過ぎた。流れで行ったカラオケボックスでは、やっぱりバカ騒ぎになったのだけれど。
 男子の盛りあがりに乗せられ、時間を忘れているときに戒斗からメールがあった。仕事が片づいたようで、終わったら迎えにいくというメッセージだ。
 夕方から八掟の家を訪ねる約束をしていた。実家でささやかな卒業祝いの食事会を開く。
 カラオケは個人の都合で帰っていいことになっていて、叶多は『すぐに帰れる』と返信した。戒斗はすぐ近くにいるのか、まもなくのメールで『十分後に行く』と返ってきた。
「あたし、帰るね。これから実家に行くことになってて」
「お迎え?」
 ユナがかすかに期待の眼差しで訊ねた。
「うん」
「わお。じゃあ、永、あたしたちも帰らない?」
「そうだな。陽?」
「ああ、おれも帰る。戒に会うのは久しぶりだしな」
「……もしかして会いたかったの?」
「めでたい奴」
 叶多が冗談で訊いたにもかかわらず、本気ととった陽は素っ気なく云った。
 不満に小さく口を尖らせた叶多は、すっかり陽の『別に』を忘れていた。

 カラオケ店よりちょっと先にある駅前の駐車スペースで待っていると、メールからほぼ十分後、戒斗の車が止まった。
 ユナたちが目に入ると、戒斗はすぐに降りて車を回って傍に来た。
「戒斗、卒業式、ちゃんと終わったよ!」
 叶多は歩道から一段下の車道にジャンプするようにおりて報告すると、戒斗は口を歪めて首をかすかにひねった。
「こんにちは!」
「ああ、久しぶり。卒業、おめでとう」
「ありがとうございます。戒斗さんに云ってもらうと感激しちゃう」
「今度のライヴに招待するよ。FATEからの卒業祝いだ」
 ユナが歓声をあげ、永も、よっしゃ、と興奮気味に雄叫(おたけ)びをあげてからお礼を云った。戒斗は可笑しそうにふたりに向かってうなずいてみせると、陽に視線を移した。

「八掟は違うって云ってるんだけどな、戒」
 陽はとうとつな出だしからいったん言葉を切った。
 戒斗は眉をかすかに上げて無言で問いかけた。
「子供できたんじゃないかって話だ」
「わ、わわ、渡来くん?!」
 何を云うかと思いきや、まったく念頭から消し去っていた話題の再燃に、叶多は慌てふためいて叫んだ。
「どこからそうなるんだ?」
「訳わからない理由で休ませただろ」
 叶多とは正反対に、戒斗は驚くこともなく、おもしろがった眼差しで余裕を見せた。
「理由がなんにしろ、そこにないことは確かだ。叶多に無茶をさせるつもりはない」
「っていうより、『そのまま』がいいらしいな。おれは変わっても問題ないけど」
 すかさず陽が喰いつくと戒斗は顔をしかめた。
「何が云いたい?」
「云ってもいいのか?」
 戒斗は肩をすくめた。
「なら、遠慮なく。ロリータ・コンプレックス」
 一瞬、しんと静まったのは気のせいなのか。
「渡来」
 呆れたように声をかけたユナの横では永がため息を吐いている。
 叶多はピンとこないまま、目の前の戒斗と斜め後ろにいる陽を見比べた。陽はしたり顔で、対して戒斗は睨むように目を細めて陽を見ていたけれど、やがて顔を斜めにうつむけると息を吐くように笑った。
「そうじゃない」
「十二才だろ」

 叶多は首をかしげ、考えこむように宙を見上げた。
 ……十二才? ろりー……た……こん……プレックス……略してロリコン?! つまるところ……ロリータ、って……あたし――。
 うれしくもない正解にたどり着くと、叶多は目を見開いた。見上げた戒斗は平然としてあしらえるようだけれど、陽の反撃はいつまで続くのか、さきが思いやられる。
「問題は年じゃない。重要ポイントは別にある。叶多、行くぞ」
 戒斗に促され、叶多はなんとなく惨めな気分で助手席に収まった。

 戒斗は運転席に回ると、ドアを開けかけて、その手をいったん止めた。
「渡来、変わってもそれはそれでいい。ただ、どこまで『そのまま』でいさせられるか、それが男として腕の見せ所だ。時田、そうだろ?」
 永は突然ふられて慌てながらも、賛同を示してうなずいた。
 戒斗は口を歪めて笑ってみせた。

 車内にいた叶多は戒斗たちが何か話しているのに気づいたけれど、エンジン音とカーステレオのせいで聞き取れず、窓を開けてみた。と同時に、またな、と云う戒斗の声が聞こえただけで、すぐに戒斗は運転席に乗りこんできた。
「じゃあね!」
 手を振りながら、叶多とユナが声をかけあうのを見届けると、戒斗はクラクションを鳴らして車を出した。


「大人だよねぇ」
 車が出ると、むっつりした陽をそっちのけで、ユナはため息混じりに云った。
「陽、戒には敵わないってわかってんだろ?」
「ふん。それでも試合は投げださない主義。さっきのが効いたのは確かだ」
 ユナと永は顔を見合わせてため息を吐いた。

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