Sugarcoat-シュガーコート- #84
Candied Valentine A Fal l
弱さを認めたあの夏から、いまだに苦手な感情がある。
そのうちの一つ、めったに味わうことのない、というよりもはじめて経験した感情は処理できていない。
誰かにそうされるくらいなら、自分がめちゃくちゃにする。
抱いている躰は湯たんぽのように暖かい。その頭の下から腕を引き抜き、起きあがると同時に布団を剥いだ。それでも目覚めることなく、ただ冷たくなった空気から身を守るように、縛った手足を縮めて躰を丸くした。
無謀な誘惑に駆られた。
夢現のなか、音が聴こえた。聴いたことのないメロディラインはそれでもすんなりと溶けるように耳に馴染んだ。音の出し方がいつもと違って柔らかい。
ギターの音は久しぶりに間近で聴いた気がする。
……ギター……いつもと……戒斗?!
叶多はパッと目を開けた。横向きに丸くなったまま視線を上に向けると、戒斗がギターを抱えてベッドの端に腰かけていた。
『いつもと違う』こと、に半ば戒斗じゃないかもしれないと恐れた叶多は、戒斗が目に入ってほっとした。
顔だけ反対を向くと、カーテンを開けた窓から見える空はすっかり明るくなっている。
「眠れたか?」
訊くまでもなく、叶多が夢さえ覚えていないほどぐっすり眠りこんでいたことは明白で、戒斗はギターを弾く手を止めて口端を片方上げた。
戒斗に目を戻し、笑みを浮かべながらうなずいた。叶多は頬にかかった髪を払おうとして、まだ手足が縛られたままであることに気づいた。痺れたりするほど強く結ばれているわけでもないのに、むしろ緩い感触なのに自分では抜けられない。
布団を剥ぎとられると同時に戒斗に縛られた手を差しだした。
「戒斗、これ――」
「叶多、おまえのことだからてっきりチョコ物を作ってるかと期待してたんだけどな」
叶多をさえぎった戒斗はからかうような口調だ。
話を逸らされたことには頓着せず、なんのことかと考えた瞬間、叶多はヴァレンタインデーをすっかり忘れていたと気づいた。人攫いに遭うまではちゃんと計画を立てていたはずが。
叶多の見開いた目は困った表情から、やがて責めるような眼差しに変わった。
「ファンからいっぱいもらったよね。それに甘い物、あんまり食べないくせに」
「叶多産限定は別だ」
戒斗は意味ありげに云うと、口を歪めて含み笑いをした。
戒斗は立ちあがり、ギターを壁に立てかけてからベッドに戻ってきた。伸びてきた手が叶多の頬に添うと、親指だけが動いて頬を撫でた。
「……戒斗?」
なんとなく不気味な気がして怪訝に名を呼んでみると、真上にある戒斗の顔がわがままな表情に変わった。
それは唯一読み取れるようになった表情で、叶多は目を大きく開いた。
「いまの叶多を見てると試してみたくなる」
「た、試すって何? ホント云うと、まだ躰がだるいの! 昨日い、いっぱいイ……イ、イっちゃったし、いまも立てるかどうか自信ない感じ!」
「だから?」
慌てて申告したにも拘らず、戒斗は取るに足りないとばかりに首をひねった。
ヴァレンタインデーって確か“聖”が付く日のはず。それなのに、クリスマスのときと一緒で、戒斗の顔にはやっぱり真逆の悪魔が宿っている。有吏とキリスト教が相容れないことはわかるけれど、ここまで反抗心を出したくなるものだろうか。
いや、そんな疑問はいまはどうでもいい。戒斗はだんだんと悪魔の顔に愉悦の表情を加えていく。
「まる二週間お預けだったしな」
「だから昨日――!」
「昨日は叶多のため。いまからはおれのためだ。まだ叶多を全部見ていない。甘い毒を舐めていない」
叶多のくちびるの傍で戒斗が脅すように囁いた。叶多は目を見開いて身を縮めた。
「こ、怖いよっ、戒斗!」
「そのわりに濡れてた。っていうよりは零してたな」
指摘されると恥ずかしさのあまり、叶多は抗議する気力も取りあげられて目を閉じた。目尻に涙が滲んだ。
舐めるような短いキスのあと、パジャマのボタンを外されて、戒斗から手をつかまれたと思ったとたん、紐が解けて自由になった。袖から腕を抜くと下半身に移り、足首の紐も解かれてパジャマのズボンとショーツを一緒に引き下ろされた。
暖房が入っていて寒くはないのに、これから自分がどうなるのか、それを考えて叶多はプルッと身震いした。
戒斗の手が睫についた涙を拭った。それからまた短いキス。
合わせた膝を無理やり割って戒斗が脚の間に入った。投げだした右手を取られ、右の足首をつかまれた。何をされているのか答えがまとまらないうちに、右の手首と足首が一緒に括られた。
「か、戒斗っ?」
叶多は驚いて奇声をあげた。
「セックスで人を縛ることに興味なかったし、やったこともないけど、縛られた叶多を見てるとそそられるんだよな。倒錯的なのもいいかもしれない」
見上げた戒斗はニヤリと口を歪めた。
呆然としているうちに、叶多は左側も同じように括られた。
戒斗の躰が邪魔しなくても脚を閉じられない格好にさせられ、叶多は隠しておきたい場所を無防備に曝している。膝を閉じようとすればお尻を浮かさざるをえない。そうなったら自分では見えない場所まで曝すことになって、これ以上に恥ずかしい。
「戒斗、やだっ、解いて! 見ちゃだめっ」
耐えられなくなって目を閉じた叶多だったけれど、戒斗が眺めているのはわかって悲鳴をあげた。
「感じればいいんだ」
早くも悦に入った声で云い渡すと、戒斗は前のめりになって叶多のくちびるをふさいだ。戒斗の両手は楽々と叶多のふくらみをそれぞれに包む。
昨日キスがなかったぶん今日はしつこく、戒斗の舌は自在に叶多の口の中を侵した。同時にふくらみをつかんだ手は捏ねるように動いて、胸は熱く火照っていく。手のひらと胸先が擦れるたびに小さく呻いた。叶多のその反応に気をよくした手のひらは指先にとってかわる。
着替えるときもお風呂のときも自分の躰に触るけれど、そのときはまったくなんともないのに、戒斗にちょっと触れられただけで何も考えられなくなるのはなぜだろう。
指先が無遠慮に弄り始めると、叶多は喉の奥で呻いた。
高まっていく感覚に抵抗して躰に力が入るも、両手は足首に括られているせいで背中を反らすこともままならず、かわりに腰が迫りあがった。
下半身を押しつけられた戒斗は浮いた躰の下に片腕を入りこませ、叶多の腰を抱いた。
持ちあげられた腰はすぐに下ろされたのに、逆に叶多のお尻と脚が宙に浮いた。
んっ。
叶多は口をふさがれたまま呻いて抗議を示した。
「戒斗、もうやだ……」
戒斗が口を離すと叶多は泣きそうな声で訴えた。ちらりと目を伏せて見た腰の下には枕があって、ますます自分を曝していた。
「云っただろ。おれのためのカタルシスだ」
日頃から自分が戒斗の云うことを半分も理解できているんだろうかと、叶多は疑っている。いまは言葉の意味すらわからない。
戒斗が身をかがめながら行く先を目指して口を開くと、叶多は慄いて、訊ねようとしていたことも脳裡から消えた。
あ…んっ。
胸先が暖かい湿地帯に埋もれた。もう片方には指先が絡み、ずんと躰が沈んだ感覚の中に入った。
いまの戒斗にやさしさや緩さはなく、強く強く這いずり、叶多の躰はどんどん快楽に開いていく。
んぁっ、あ、あ……。
動きを制御された叶多は受け入れるしかなく、執拗に苛まれるなかでただ快楽だけが鮮明になった。
イキそうな感覚に入ったけれど、まだ戒斗はそこに触れていない。このままで到達するには惨めなほど恥ずかしい。叶多は必死で自分の躰を抑制した。
それなのに、戒斗の両手が絞るように小振りの胸をつかみ、片方を突かれながら反対側の胸先は咥えられ、痛いほどに舌が巻きついて吸いつかれたとたん。
ぅあ、ああっ。
叶多は声をあげ、耐える間もなく躰に震えを走らせた。
「ぅっ……戒斗……」
「泣くことじゃないだろ。まあ、おれは泣いてもらっても全然かまわないけど」
戒斗はショックを隠しきれない叶多を見下ろして、心痛など欠片も見せず、いけしゃあしゃあと云いきった。
叶多は目を開けて恨めしそうに戒斗を見上げた。口を歪める戒斗の笑い方は好きだけれど、いまは同じ口を歪めるにしても印象がまったく違う。いつもより残酷に見えるのは気のせいだろうか。
叶多の不安を余所に、戒斗はまたくちびるを襲った。
戒斗の様子を見るかぎり、一度や二度で終わる気はなさそうで、キスにぼうっと酔いながらも、叶多の涙はそのさきを悟ってこめかみを零れ落ちた。
そうしているうちに戒斗の手が曝した脚の間に下りた。剥きだしになった触覚器官を痛み寸前のタッチで擦られて、息苦しく胸を上下させながら喘ぐとキスは止んだ。深呼吸をしたのもつかの間、叶多は息を呑んだ。
あ、ああ……んっ。
キスは脚の間へととうとつに下りた。
たった二週間の間にその感触を忘れていた。加えて触られることなくイった場所はそれを待っていたみたいに貪欲さを顕わにした。
粘膜と粘膜がねっとりと絡みあい、蜜をすくい上げてちょっと吸いつかれたと同時に下半身がぶるっと戦慄いた。
んくっ、ああっ!
云い訳だったつもりが、夜中の行為は本当に尾を引いていたようで、二度目の瞬間に叶多の思考は白み、体力も尽きた。開かされた脚は閉じるどころか、くたっと開ききった。
それなのに容赦なく戒斗から与えられる快楽は尽きることなく、その感覚だけが息衝いていく。
ひくついている体内に戒斗の太くて硬い指が浅く侵入した。それだけでいっぱいになって、叶多は息を詰めた。
繊細な襞が擦られると、力尽きた躰が生理的反応で小刻みに震える。剥きだしにふくらんだ襞は戒斗の口に含まれて、舌が妖しくうごめいた。
あっくっ……。
その呻き声と同時に、戒斗の指先は叶多の痙攣を感じ取った。
指を引き抜くと蜜が溢れてきて、戒斗は口をつける。舐めあげてまた指を入れると、叶多の腰はぴくりと慄いた。
ぁう……ん、んぁ……。
戒斗の指が出入りを繰り返し、馴染んでいくと連動して叶多の口からは声が漏れる。それとともに、脚の間の入り口は蜜を零しながら濡れた音を響かせている。
けれど、叶多は自分があげる声も、体内から出る音も耳に入らなかった。自由にならない躰は抵抗する術も持たず、ただそこが貪るように、怖いくらい感じている。
体内でイクことを覚えた躰はまた痙攣した。
「か…い…とっ……ぁう……も……ぃや……んっ。狂……っちゃ…う……ぁ、ぁあ、あ、あ……っ…助…け……ってっ」
悲鳴も囁きにしかならず、わずかに残っていた叶多の意識は次第にぼやけていく。
戒斗は聞き入れることなく、むしろ叶多を追い詰めようと空いた手で胸先をつまんだ。
刹那、どこでイったのかわからないまま、叶多の躰は激しい痙攣に襲われた。
叫び声が遥か遠くに聴こえ、叶多の意識はなくなった。
縋るような悲鳴が途切れると、やっと戒斗は顔を上げて舌なめずりをした。
ぐったりとした叶多の裸体は拘束されたまましどけなく開け、戒斗の劣情をさらに煽る。
痙攣した躰から絞られるように蜜が出てきた。そのわずかに濁った蜜に戒斗はまた口をつけた。ゆっくり時間をかけてそこをきれいにしていくなかで、戒斗の抑制した激情はようやく収束した。
目が覚めてみると、叶多は裸のまま布団の中にいた。手足の紐は解かれ、向かいあった状態で戒斗の腕に包まれている。身動ぎすると腕が緩んで、叶多の頬に手のひらが添った。
「大丈夫か?」
お決まりのセリフが頭上から降りかかった。
「魂、抜けた」
戒斗が笑うと躰を少し離して、叶多は批難の眼差しを向けた。
「酷いよ。戻ってこれないかと思ったんだから」
「だから、こうやって捕まえてるだろ」
そう云われれば、昼間のえっちのあとに戒斗が付き添っていることはめずらしい。大抵、ぐったり眠っている間に有吏の仕事で電話していることが多いから。
……。待って…………昼間……って。
叶多は倦怠感だらけの躰に鞭打ってベッドの上に起きた。
首をひねって外を見ると明るい。時計を見ると月曜日の十二時になっている。つまり、間違いなく昼の十二時で。
「戒斗、学校!」
叶多はぎょっとして寝そべったままの戒斗を見下ろした。
「ん。おまえの母さんから休みの連絡してもらってる」
戒斗はすまして何かを云い含んだ。
「……もしかして計画的?」
「セックスするために学校休ませるっておれも堕落したな。誰のせいだ?」
戒斗は罪悪感がないどころか、叶多に責任をなすりつけた。信じられない気持ちで戒斗を見つめた。
「このまえの月曜日に休んだのだって渡来くん、へんに勘繰るんだよ。今度、なんて云い訳したらいい?」
「そのまんまでいいだろ」
戒斗はできるわけないことを平気で口にした。そして片肘をついて躰を起こすと、まるで警告するように首をひねった。
「な、何?」
「ベッドの上でほかの男の話をするってどういうことだ」
険しい声に叶多はできる限りで躰を引いた。
「ほ、ほかの男ってなんかヘン、その云い方。渡来くんは友だち――」
「二回目。少なくとも思い浮かべたことは確かだ。しかも裸で」
戒斗の云い分は理不尽極まりなく、叶多は抗議しようとしたけれど、すぐさま戒斗は目の高さにあった叶多の胸に喰いついて裸だということを思いださせた。
「あ、やっ、戒斗、もうだめ!」
それだけで躰は反応してしまい、神経が剥きだしになった感じがして叶多は本当に怖くなった。
果たして逃れられるのか、ベッドを抜けだすより戒斗の首に巻きついて、叶多は精一杯の力を込めて伸しかかるように戒斗を押し倒した。
戒斗が笑みを漏らし、叶多の胸の下で重なった戒斗の胸が揺れた。
「ホントにだめ。これ以上やったら今度起きたときは絶対バカになってる」
「そうなっても拾ったからには最後まで見届ける」
「拾ったって……」
不満げにつぶやくと、また耳もとで笑い声がした。
「そうだな。極上の甘い毒を食べさせてもらったし、見返りに甘やかしてやるのもいいかもしれない。ほかのことが考えられなくなるくらいに。どうしてほしい?」
「え、えっと…………こうやって、くっついてゴロゴロしてる!」
「そういうこと云うか? 誘ってるようなものだ。自分で墓穴掘ってることに気づけよ」
権利を譲ったことで安心しきった叶多はとたんに見境のない発言をして、戒斗を呆れさせた。
「だって、戒斗も戒斗のハグも大好き」
遅ればせながら、告白の日に便乗して打ち明けてみた。といっても、日時関係なく口にしていることでわかりきった告白。
叶多の肩先に、忠告がなんの役にも立っていないと知った戒斗の力のないため息がかかったけれど、その腕はまもなく叶多の希望に沿った。
* The story will be continued in ‘KANATA Complex’. *
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* 文中意
a fall … 堕落、誘惑に負けること
カタルシス(katharsis) …
精神分析で、抑圧された感情や体験を外に出して、心の緊張を解消すること