Sugarcoat-シュガーコート- #83

第9話 epilogue Be tied -latter-


 翌日の火曜日、深智が落ち着いたというメールが戒斗から入った。学校帰り、叶多は和久井の迎えで戒斗とまた病院に向かった。
 深智は叶多の顔を見るなり、ちょっと決まり悪そうにして戒斗から瀬尾へと目を向け、瀬尾がうなずいてみせるとまた叶多に視線を戻した。
「叶多ちゃん、ありがとう」
「ううん。お礼を云われるようなこと何もしてないよ」
「そ?」
 深智は首をかしげると、ベッドから降りて叶多の横に立つ戒斗を見上げた。
「叶多ちゃんを借りていい?」
 戒斗が首を小さく斜めに動かすと、深智はほっとしたような表情を浮かべた。
「叶多ちゃん、レストルームでお茶しない? 美味しいケーキがあるんだよ」
 深智に強引に手を引っ張っられ、叶多は病室から連れだされた。

   *

「戒斗、叶多さんから聞かれましたか」
 戒斗がソファに座ると、瀬尾が缶コーヒーを目の前に置いた。
「なんのことだ」
 その返事に瀬尾はため息を吐くように笑った。それから、瀬尾は昨日叶多に話したことをほぼそのまま繰り返した。
 聞き終わった戒斗は呆れたように鼻先で笑った。
「裏切りっていうより愚行だ。啓司、おまえ、この十年何やってたんだ?」
「……ガキの頃以来だな。その呼び方」
 叶多の誘拐計画の加担についても責めることなく、戒斗は拍子抜けするくらいに簡単にあしらった。それは叶多の見解が正しかったことを証明していて、瀬尾は思わず笑みを漏らす。
「はぐらかすな。おれが有吏を出た頃、おまえが“羅刹(らせつ)”と呼ばれるまでに荒れた理由がそれか?」
「戒斗と同じだ。足掻(あが)いている」
「一緒にするな。おれはすぐに認めた。足掻いていたわけじゃない。迷っただけだ」
 瀬尾は眉をわずかに上げて戒斗を見やり、それから片側の口端を上げてふっと笑んだ。
「そうだな。おれもやっと認められたのかもしれない」
「そこで終わるなよ。気持ちがあるなら手に入れるべきだ」
「そこまで云いきれるほどの真価があるのか?」
「愚問だ」
「なるほど。すでに溶けているらしい」
「なんだ、それ」
 瀬尾は答えずにただ可笑しそうな目を向け、戒斗は顔をしかめた。
「啓司、立場は関係ない。一族に不要なことは撤廃しようとおれはやってる。必要不可欠な反乱もあるだろ。束縛の忠誠は要らないんだ」
「おれは束縛されているわけじゃない」
 戒斗は当然だと云わんばかりに肩をそびやかした。そしてかすかに(あご)を突きだす。
「なら、おまえが乗ればさらに説得しやすくなる」
「おれは駒なのか」
「捨てがたいどころか、無二が手に入るだろ?」
「……はっ。戒斗、十年前は考えられない発言だな。溶けるのもいいかもしれない」
 瀬尾の二度目の『溶ける』発言に、戒斗は呆れ返って肩をすくめた。

一寿(かずひさ)が叶多さんに一目置く理由がわかった。叶多さんは“人”をつかむ。無意識で、しかも両側から」
 戒斗はふんと鼻を鳴らして首をかすかにひねった。さして喜んでいるふうではない。
「戒斗、立場的には願ったり叶ったりだろ。けど、気に入らないってわけだ」
「それが(あだ)になることもある」
 戒斗はふと目を逸らして窓の外に目をやった。
「……“(かみ)”のことか?」
「さっき、和久井から話者認識の結果を聞いた。別荘にいた連中とは一致しなかった。叶多との電話ではかすかにしか声が録れなかったし、百パーセントとは云いきれないらしいが、啓司、おまえはどう思う? 有吏は見破られたと思うか?」
「叶多さんを通したっていう、直接の接触がないことを考えるとまだ模索段階じゃないか? 親睦会は表面上、一般公募をとっての親子参加型のコミュニケーション活動になってるし、名簿が漏れるわけもない。白を切れば通せる。まずの問題は、叶多さんと一緒にいた上が、なぜそこにいたかってことだ。蘇我家の内情に通じているのか……」
「それとも蘇我家に紛れこんでいるのか。それならどういうことだ。あの力を失った上は誰だ。どっちが本物だ?」
「善か悪か、という問題もある。おれがあのとき見た車は、頼が見た車とたぶん同じだ。わざとおれに存在を知らせて追わせた。それを善と解釈すれば、八掟家……というより、こうなると叶多さんか……それはともかく、親睦会のときの尾行はなんらかの警告ともとれる」
 戒斗は顔をしかめてうなずいた。
「上の目的がなんであれ、有吏が照準内に入ったことは確かだ。叶多が“見込まれた”ことも。維哲(いさと)さんの話では蘇我家は内乱の可能性がある。そのことと関係があるかもしれない」
「調べる価値がありそうだ」
「頼む」
「承知。それで、上のことについて叶多さんは?」
「わからないの一点張りだ」
 戒斗の云い方はけっして納得したものではない。
「いまは無理に追及できる状態じゃない」
 それがどういう意味かわかると、瀬尾はわずかに顔を曇らせた。
「……叶多さんが?」
「あんな連中だ。こめかみにも肩にも(あざ)が残ってる。叶多がどうもないわけないだろ。見た目は普通にしている。まるで何もなかったようにな。そのこと自体が普通じゃない」
「すみません」
 戒斗の声から表情が消えたと同時に、瀬尾は忠臣に返った。
「二度目はないと思え」
「無論です」

   *

「叶多ちゃんに謝らなくちゃ。お礼も」
 病棟の隅にあるレストルームに座ると早速、深智が口を開いた。叶多は少し身構えたけれど、その瞳は声の感情と一致してすまなさそうにしている。
「ううん。ホントに何もやってないから」
 叶多がそう返すと、深智は見たことのない心許(こころもと)なげな表情をしている。しばらくためらった様子でいて、やがて首をかしげて(しゃべ)りだした。
「叶多ちゃん、十年前の誘拐のこと聞いたよね? わたしも啓司から聞いたの。わたしは戒斗のことを誤解してた。なんだか……いままでわたしがやってきたことって……思ってきたことってなんだったのかって……意味が全部なくなった感じ。最初が間違ってるんだもんね。わたし……どこか狂ってて叶多ちゃんを同じ目に遭わせようとしてた。ごめんね。きっと謝っても足りないけど……消えちゃいたいくらい後悔してる」
「うん。それも瀬尾さんから聞いたよ」
「……そ。でも啓司は叶多ちゃんのことが好きだし、やるつもりはなかったんだよ。それは信じてほしいの。わたしは……わたしが云うのはヘンだけどそう確信してるの。啓司は叶多ちゃんが大好きなんだよ」
 どこか不安定だった深智は、瀬尾から事実を聞かされたせいか落ち着いて見える。けれど、叶多から目を逸らして二回繰り返した深智の言葉は、瀬尾がすべてを打ち明けたわけじゃないことを示している。
 そして、瀬尾を庇う深智は肝心なところを誤解して、たぶん自分の気持ちにさえも気づいていない。
「深智ちゃん、あたし、(さら)われたときね、ずっと戒斗の名前呼んでた。助けてって云ってるんじゃなくて……傍にいてほしいから。もしかしたら、十年前の深智ちゃんも戒斗を呼んでたかもしれない。でもね、あのとき、深智ちゃんが何度も何度も呼んだのは戒斗の名前じゃなかったよ」
 叶多がそう云うと、深智はびっくりしたように丸くした目を向けた。
「深智ちゃんはさっき意味が全部なくなったって云ったけど、あたしにはちゃんと意味のある時間が見えるよ」
 瀬尾と深智、ふたりにとって正しいこと、(ある)いはそうあるべきことはひとつしかないはず。けれど、そこからさきはふたりが決めること。それでも――。
「あたし、戒斗から好きって言葉は云われたことないし、自分に自信とかもないけど、どんなバカげたことでも、戒斗はちゃんと付き合ってくれるの。気づいたら傍にいてくれてるし、戒斗の中にあたしがいるってわかる。だから、あたしは好き光線ずっと出しっ放し。戒斗に云わせれば、犬がしっぽ振ってるんだって」
 ちょっとだけ後押しした。



 水曜日から九州へのツアーに出て、土曜日の今日、そして明日と二日間の福岡ライヴが終われば、いったん東京に帰る予定だ。
 その間、気にかけて叶多に電話をかけると、至って元気な声が返ってくる。今朝の声もそうで、心配していたことは思い過ごしかと考えていた矢先、夕方近くになって()から電話が入った。
『戒斗さん、いまいいですか』
「どうした?」
『叶多のことですけど、戒斗さんが出てから夜、眠れなくなってるんです。いつも節約って云ってたくせに夜になると使わないところまで全部照明つけてしまうし、水曜日はとりあえず消したんですけど、夜中に呻き声が聞こえて、見にいったら金縛りにあったみたいになっていました。それから眠れてなくて、次の日は休みだったからよかったんですけど、叶多は真っ昼間中寝てました。いまもそうです』
 戒斗は頼の報告で、一緒に眠った叶多の躰が祈るような格好で何度となくビクッと強張(こわば)ったことを思いだした。
「わかった。頼、今日は帰るなよ」
『そのつもりです』
「また電話する」
 戒斗は電話を切るなり小さく舌打ちした。



 叶多の中で、拉致(らち)事件のことは半分くらい夢だったような気がしている。それは、考えたくないという気持ちがそうしているのかもしれない。
 けれど現実に起こったことで、おそらくはその影響が生活のリズムを狂わせてしまった。
 夜になると落ち着かない。夜というよりは暗い場所のような気がする。部屋を明るくすると少し落ち着くから。眠れないことには変わりないけれど。
 戒斗が留守にすることが多いいま、叶多はお邪魔虫の頼がいることをはじめてよかったと思った。それなのに日曜日の午後になって、昼夜逆転した叶多をわざわざ起こして突然帰ると云いだし、頼は帰ってしまった。
 ライヴが終わり次第、戒斗が帰ってくるのはわかっているけれど、何時になるかわからないし、それまでどうやって夜をすごそうかと叶多は思い(わずら)った。
 帰ってきたらびっくりしちゃうだろうな。
 叶多は心の中でつぶやきながらため息を吐いた。
 自分でもわからない何かがどこかで(つか)えている。

   *

 戒斗がアパートまで帰り着いたのは、商用イべントのヴァレンタインデーという日が終わろうかという頃だった。
 鍵を開けて入ると、頼が云っていたとおり、寝室は開けっ放しで家中の照明がつけられている。
「叶多」
 いつもなら音を聞きつけて呼ぶまえに出てくるはずが、テレビの音のせいか叶多は呼んでも現れない。玄関先から見える範囲では、ダイニングにも戸を開けっ放しの和室にも姿は見当たらない。
 わざと足音を立てて和室に行くと、叶多は玄関からは死角になる隅っこに膝を抱えて座っていた。
「お、お帰りなさい」
 近づく戒斗に飛びつくでもなく、目の前にかがむと逆に叶多は躰を引いた。
「どうした?」
「なんだか……あたし……おかしいの」
「わかった。先に風呂入ってくる。大丈夫か?」
 叶多はこっくりとうなずいた。
 額に手をやって叶多の髪を後ろに撫でると、薄くなったもののまだ残っている痣が見えた。
「一緒に入ってもいいけどな」
 からかうように云い、赤くなった叶多を見届けて戒斗は浴室に行った。

   *

 戒斗が浴室から出て、荷物を整理しているのか、うろうろしている間も叶多は一歩も動かずにいた。
 やがて叶多のところへ来ると、戒斗は救出したときのように無言で抱きあげて寝室へと連れていった。いったん戒斗は寝室を出ると、ほかの部屋の照明を切ってきた。戻った戒斗が寝室の照明のスイッチに手をかける。
「戒斗、待って!」
 叶多は驚きながら即座に止めた。
「見られるのが恥ずかしいって云うだろ。今日は特別に暗くしてやる」
「ううん! 今日は明るくしてていいの!」
 云ってしまってから顔を赤くした叶多だったけれど、戒斗は取り合わずにスイッチを切った。
 とたんに叶多の躰が強張った。しばらく“夜”を経験しなかった叶多の目は機能せず、そして真っ暗闇にあの日と同じ、かすかに(こす)れるような音を聞き取った。
「戒――っ」
 恐怖が(よみがえ)って叫びかけたとたん、口が布みたいな感触で覆われた。叶多の思考が混乱した。
 目の前にいるのは誰?
 呆けたように頭が働かない。手首を取られても足首を取られても抵抗できず、なすがままに縛られた。
 叶多は寝転がった躰を起こされ、膝の下に脚が(もぐ)り、背後から丸ごと抱えこまれた。
「大丈夫だ。記憶を塗り替えてやる」
 戒斗の声に違いなく、手がパジャマのボタンを外して叶多の胸を(はだ)けた。
 暖房を入れたばかりの部屋はまだ寒い。胸を触られるとぞくっとして、それはこれまでの感覚とは違っている。寒さのせいでもない。

 一方で戒斗は手のひらに叶多の反応を(とら)えたが、ざらつく肌が反応の違いを教えた。
 戒斗は右手を下に滑らせ、難なく叶多の脚を割ってショーツの中に侵入した。いつも見せる無駄な抵抗がないのは恐怖のせいだろう。胸に触れれば連動してすぐに期待を溢れさす場所が、思ったとおり、いまは乾いて萎縮(いしゅく)している。
 戒斗は痛みにならないよう、ゆっくりと小さく指をうごめかした。左手はなだめるように胸のふくらみを交互に撫で回す。(ゆる)やかで変わらない動きに安心したのか、強張った叶多の躰がだんだんと弛緩(しかん)し始めた。


 恐怖の記憶がこびりついた暗闇で、何も見えず、何も聞こえず、ただ叶多の意識は躰を撫でる手に集中していった。背中に感じる鼓動が叶多の肌を温め、躰の奥には小さな熱が生まれた。
 やさしい動きをじれったく感じ始め、口で息を吐けないかわりに叶多の躰が震える。熱が勢いを増した。
 叶多の反応を熟知した手が胸の上で一瞬だけ止まり、手のひらにかわって指が胸先を摘んだ。潤む感覚と一緒に背中を鼓動に押しつけた。
 脚の間のデリケートな(ひだ)にあった指は少し下りて、躰内の入り口へとほんのわずかに侵入した。
 う……っ。
 簡単に受け入れるにはまだそこは湿っただけで、引きつった違和感に叶多は呻いた。けれど指先がじんわりとうごめいたとたん、躰の奥が(うず)き、叶多は身震いして伸ばしていた脚を縮めた。そうしたことで入りやすくなった指先が、無遠慮に出入りを繰り返して叶多の触覚を目覚めさせる。
 腰を(よじ)ると今度は胸先を(いじ)られた。
 んんっ……うっ。
 口がふさがれた叶多は首を()け反らせて、こもった呻き声を漏らした。
 硬くなった胸先が揺らされると、疼きが下まで伝わり腰が震えた。その叶多自らの動きで躰内に入った指先から快楽を得る。
 んぅ……う、う……っ。
 次第に水の音が立ち、それがだんだんと大きくなっていく。
 いったん快楽という感覚を取り戻すと、しばらくそこから離れていた躰は急速にそのさきを求めた。
 それとともに恐怖は消えて、入れ替わりに恥ずかしさが甦った。
「イっていい」
 戒斗の声だ。
 そう意識したとたん、戒斗の指の危うい動きに追い詰められて叶多の躰がびくんと跳ねた。
 んんっ……ぅんっ。
 戒斗の腕の中で叶多の躰が痙攣(けいれん)した。躰の中に浅く埋めた指先にも収縮が伝わってくる。
 叶多の快楽が収束しないうちに再び指は動き始めた。
 う、ううっ……んっ。
 叶多は呻きながら抵抗を示して首を振った。が、戒斗は止めるどころか指を抜いて、溢れた蜜を繊細な襞に広げるように塗りたくった。戒斗の左手までが滑りやすく濡れた場所に下りてきて、敏感にふくらんだ柔肌をつかむ。躰内に侵入した指先と同時に(まさぐ)られると、叶多は訳がわからなくなった。
 天を仰いで祈るような格好のまま、快楽は待ったなしで弾けた。
 うう……んぅっ!
 口呼吸ができずに苦しさのあまり、意識が遠のきそうになって叶多の胸が大きく上下する。それでも戒斗は容赦なく叶多の感覚を押しあげようとする。強く首を振ると戒斗の手が離れて口を解放された。

「ぅはぁっ……戒……斗……」
「どうだ」
「もぅ……ぃい」
 息が上がったまま叶多が答えると、戒斗の愉楽に満ちた笑みが耳もとで聞こえた。
「まだだ。今日は気絶するまでやってやる」
「戒斗っ」
「声を聞かせろ」
 命令するなり、ショーツを足もとまで下げられた。足首が(くく)られたまま戒斗の膝が叶多の膝頭の間に割りこんで、(かえる)みたいに脚を広げられた。
「戒斗っ、(ひも)、解いて!」
「だめだ」
 ますます身動きできなくなった下腹部に戒斗の手が伸びる。手首を縛られた腕を伸ばして邪魔するも、まだ余韻の中で力を取り戻せない手は簡単に払いのけられて、戒斗の両手がさっきの続きを始めた。
 浮いた腰が激しく震える。戒斗の指がどんな動きをしているのかもわからない。
 あっ、ああぁぅっ……。
 指先の妖しさに耐えようとすればその力に押されて中から蜜がトクンと押しだされ、谷間を伝う感覚に叶多は身震いした。
 抗う気持ちも空しいほど、攻める戒斗に促される快楽が叶多の理性を(むしば)んでいく。躰が小さく波打った。揺れる腰は逃れるためなのか快楽を得るためなのか自分でもわからない。
 ぅぁっ……んくっ。
 飛び跳ねるような三度目の痙攣が叶多の躰を走り抜けた。弛緩する間もなく戒斗がそのさきに突き進んだ。
「待っ……て……戒……斗……も……無理……っ」
 止まない痙攣に叶多は恐怖を抱いた。クリスマスのときのような白と見紛う光に染まる感覚が近づいている。
「大丈夫だ。救ってやるから任せろ」
 戒斗の指が浅く出し入れされるたび、(ぬめ)った液体をかき回すような音が立つ。流れだすのを止めるすべもなく、どんどん下へと伝って零れているのがわかる。
「……もぅ……やっ……怖いっ……よ……戒……斗っ……ぅあ……んっ」
 脚の間の自分の蜜液でひんやりとした感触と対照的に、躰の奥は熱がふくらんでいる。
 ぅんっく……っん。
 戒斗を止められないまま息を継ぐ間もなく、叶多は続けざまにイク感覚に入った。
 ゃ……ん……ぅく……ぅっ。
 涙(まみ)れの呻き声が部屋の中を満たし、叶多は快楽と苦痛の狭間(はざま)にはまりこむ。
 何度目なのか、息の根を止められた感覚に喘ぐ声さえ出すことなく、叶多の意識はプツンと途切れた。

 戒斗の腕の中で叶多の躰が痙攣したままぐったりとなった。
「叶多」
 名を呼んでも反応はなく、戒斗は片手で汗ばんだ叶多のこめかみを撫で、まだ痣がかすかに残っていた場所にくちびるをつけた。
 もう片方の指を叶多の躰の中から引き抜くと、同時に溢れだす蜜液をすくった。ティッシュで脚の間とその下の濡れたシーツをきれいにすると、叶多を横たえて服を整えた。
 戒斗は涙の痕をくちびるでたどり、小さく笑みを浮かべると叶多の横に寝そべった。


 叶多が覚醒すると、暗闇の中で隣に息遣いが聞こえた。
 身動きするとまだ縛られた格好のままだ。
 それでも戒斗に抱かれた記憶が鮮明すぎ、暗闇に対する恐怖は消えて、そういう自分に安堵した。
「戒斗……」
 戒斗を呼ぶと同時に叶多は泣きだした。
 戒斗はすぐさま応えて起きあがると、叶多を起こして抱えこんだ。
「大丈夫だ。泣いていい」
「う……く……怖……かった……の……」
「わかってる」
 叶多は小さな子供みたいにしゃくりあげて泣いた。
 長い時間そうして、やがて嗚咽(おえつ)に変わり、ただ黙って付き添う戒斗の腕の中で叶多の気分も落ち着いていった。
 戦慄(わなな)いた息を吐くと、戒斗が少し腕を緩めた。戒斗の息が近づいたと思ったとたん、叶多の震えるくちびるがふさがれた。吸いつくように繰り返されるキスは叶多をなぐさめるようで、躰から力が抜けた。
 戒斗はまた叶多の躰を横たえ、その脇で片肘をついた。
「戒斗」
「やっと泣いた」
 戒斗の声には笑みが(にじ)んでいた。
「なんだか……わからなくなって……」
「ああ。深智があんなだったし、たぶん泣く機会を失ってた。気が張ってたんだろうけど、そういう強さは叶多には必要ない。泣きたいときに泣くのがおまえの強さだ」
「……わかんない」
 叶多が不思議そうに眉をひそめると、戒斗はその気配を察したのか笑い声を漏らした。

「戒斗、でも助けにきてくれるってことは信じてたから」
「当然だ。どこまでだって迎えにいってやる」
「……やりたいこと見つけても迎えにきてくれなかった」
「蒸し返すか? 理由はわかってるはずだ。それに、この期に及んで今更の問題だ」
 そのとおり、何を取っても今更、戒斗を疑う余地は叶多の中には皆無で。
 う……。
 叶多がまた小さくむせぶと、(おもむろ)に戒斗の手がパジャマのボタンに掛かった。
「やっぱ、叶多が泣くとそそられる」
「戒斗、もう――っ?」
「眠らせてやるだけだ」
 そう云って戒斗が首もとに吸いついた。
「戒斗、紐を外してないよ!」
「今日はそのままでいろ。たとえ地獄の底だろうが、夢の中だろうが迎えにいってやる。眠ればいいんだ」
 戒斗の言葉は“安心”という効力を持った薬のようで、叶多は小さく、うん、とつぶやきながらうなずいた。
 戒斗のキスは額から始まって、叶多は目を閉じた。頬を滑り、叶多の笑みを浮かべたくちびるに一時止まって、あやすように舌で舐められた。
 それから触れないところはないというほど、ゆっくりと隙間なく這い伝わって胸に届く頃、叶多は暗闇の中で深い眠りについた。

* The story will be continued in ‘A fall’. *

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* 文中意
   話者認識 … 生体認識の一種
   会話の内容を聴き取る音声認識とは異なり、話す人を特定するもの