Sugarcoat-シュガーコート- #77

第9話 Dis-mis・s・ion -3-


 戒斗が本気で笑ったせいで、あの時を繰り返すようにふたりは一斉に注目を浴びた。
 有吏家のテーブルにいたときからすでに注目されていたのかもしれないけれど、気づかないふりをしてやり過ごしていた努力が水の泡だ。
 叶多は変わらず、顔を真っ赤にした。
 それを見て戒斗はニヤつきながら、行くぞ、と哲がいるほうへと向かった。
 その哲はなぜか従兄弟受けが良くて、いまも周りには従兄弟たちが群がっている。

「戒斗、やっとつかまえた。おじさんたちとばっかり話してるから近づけなかったんだよ」
 不意に背後から話しかけられた。
 戒斗と同時に後ろを振り向くと、矢取深智みちが優雅に首をかしげた。
 下手したらやぼったくなる前髪ぱっつんに胸もとまである真っ黒い巻き髪が、深智を人形みたいに見せる。背は妹の美咲より低くて、叶多とそうたいして変わらないのに、憧れるほどきれいだ。もっと云えば、きれいという言葉ではくくれなくて、美人と可愛いのどちらでも表現できそうな顔立ち。つまり、だれもが惹かれるに違いない。
「ここで会うって久しぶりだよね。ここじゃなくても会えなくなってるけど」
 深智はからかうように付け加えた。
「プロになってから、なかなか時間が取れなくなったからな」
 叶多が見上げていると、戒斗は肩をすくめて答えた。その声にも表情にも特別何かがあるわけではなくて、ただ、FATEの仲間の唯子や実那都に見せる気安さと同じものがあるだけだ。
「お正月のお食事会は来るの?」
「ああ。ツアーの合間になるけど予定に入れてる」
「そ」
 短く、けれどうれしそうに云った深智は叶多に目を向けた。美咲が見せたような反感はなく、それどころか屈託なく笑いかけられて叶多は戸惑った。
 あれから戒斗に訊けなかった、美咲が云う『お姉ちゃんがいたから』への疑問は解決していない。けれど漠然とした答えは自分で見つけた。
「叶多ちゃんも来ない?」
「え?」
「有吏リミテッドカンパニーで恒例になってる家族まるごとのお食事会なの」
「でも――」
「今回はうちが主催だから遠慮しなくていいんだよ。それに、結局は今日来てる親族ばっかりだし、戒斗も一緒だし、ね?」
 深智は叶多をさえぎり、最後は戒斗に向けて同意を求めた。
 再び戒斗を見上げると、わずかに顔をしかめている感じがした。
「都合ついたら連れていく。それでいいだろ?」
「いいよ。待ってるね、叶多ちゃん」
 微笑んだ深智はくるりと背を向けた。一歩進むごとにふわふわの髪が背中で揺れている。

「……戒斗」
「なんだ?」
 叶多が沈みがちな声で名を呼んだのに答え、戒斗が真面目に促したにも拘らず。
「あたしも深智ちゃんみたいにきれいになれるかな」
 その呆気ない発言にすかされて、戒斗はまた吹きだすように笑った。
 叶多としてはあまり深く考えたくなかっただけで、直後に戒斗は、そのまんまでいい、と云ったのだけれど、その時の『そのまんまでいい』はなんとなくうれしくなかった。

 それから、戒斗がこっそりと哲に経過を報告した。そのあとは成り行き上、従兄弟たちに戒斗を占領された。
 そのすきを狙ったように、叶多は同年代の従姉妹たちに引っ張っていかれた。
 戒斗に連れていかれたのがなんだったのか、しつこく訊かれたのは云うまでもない。
 従姉妹たちには哲の病気なんて云い訳になるはずがなく、考えたすえ、とりあえずは進学問題の話をダシにして、有吏の家にはまた戒斗に勉強を見てもらったお礼の挨拶をしただけだとしのぎきった。
 美咲の誤解がヒントになったわけだけれど、結局は自分で自分の馬鹿さかげんを露呈したわけで、実際のところで戒斗を頼ったというのは違っても、その美咲から、やっぱりね、という表情で見られるとちょっと落ちこんだ。



 親睦会から二週間後の土曜日の午後、叶多は矢取家主催の食事会へと出かける戒斗に同行した。
 はじめて訪ねた矢取家はクリーム色の低い塀に囲まれていて、その中にある邸宅の、少し色を抑えたオレンジ色の壁がよく映えている。叶多の家を洋風と呼ぶのに対して、矢取家は西洋そのもので、格段上の豪邸だ。
 車を通すための特大の門は、それだけで芸術作品になりそうなロートアイアンの門扉でゴージャスと云うほかない。和久井の車が近づくと自動で開いた。
「有吏の会社って、すっごくもうかってるんだね」
 車の窓にへばりつくように身を乗りだした叶多は、ため息混じりにつぶやいた。戒斗と和久井が同時に笑った。
「表裏の業とも、失敗は許されないからな。仁補にほ主宰と矢取主宰はそれだけの指揮執行の責任を負ってる」
「有吏の家もこんな感じ? あたし、戒斗と暮らすまで有吏館のとこにあるのが戒斗の家だって思ってた」
「あんなバカでかい家に住んでもしょうがないだろ。有吏の家は矢取家とは真逆で純和風だ」
「もしかして忍者屋敷だったりしない?」
 真面目に訊くと和久井が小さく吹きだした。戒斗は呆れたようにため息紛いで笑う。
「そんなわけないだろ」
「まあ、叶多さんなら有吏のお屋敷で迷っても不思議ではない気がしますが」
「やっぱり広いんだ」
 和久井のからかいは、一歩間違えれば侮辱だけれど、なぜか叶多は反論する気にも怒る気にもなれない。それだけ、この半年の間に信頼できる間柄になれたのだと思う。

 車を降りてやたらと大きい玄関ドアから中に入ると、待ち構えていたヘルパーに奥の部屋へと案内された。
 家の中も徹底して西洋の雰囲気に統一されている。天井も高い。
 ヘルパーが開けてくれた部屋に入ると、あまりに大きな客間で、叶多は場違いなところに入りこんだ気がした。食事会という平凡な言葉では似合わない、立派なパーティだ。
「遅くなりました」
「お世話になります」
 戒斗に合わせて叶多が頭を下げると、いち早く深智が立ちあがった。
「戒斗、叶多ちゃん、いらっしゃい。座って」
 戒斗がバンドの仕事で急な打ち合わせが入って遅れたから、すでに有吏リミテッドカンパニーの役員含め社員として所属している出席者の八家族は、席について食事を始めていた。
 全員の目がふたりに向かってきた。その中には当然、有吏隼斗夫妻もいるわけで、顔ぶれをさっと見渡すと、叶多は思わず引き返したくなった。
 ただ、素っ気なくではあったけれど、親睦会のときと同じように隼斗から小さくうなずき返されたことがわかってほっとした。
 平行に並んだ二つのテーブルに親子別れて席が設けてあり、ふたりの席は隣ではなく向かいに座る格好で深智から勧められた。
 向かいといってもテーブルは広くて、内緒話ができるような距離ではなく、両隣が矢取姉妹で叶多はちょっと心細くなった。必然的なのかどうか、戒斗の両隣は矢取兄弟が控えている。

 後悔してもここまで来たら、なるようにしかならない。叶多はそう思うことに努めた。
 そもそも食事会に参加したのは、叶多が自分で云いだしたことだ。戒斗は渋ったけれど、矢取姉妹のことをはっきり知りたいと思った。ここで避けても先延ばしになるだけだとわかっている。
 問題が山積みになってから一度にどんと来るよりは、そのときそのときで向き合っていくほうが気分的にもらくだ。その気分的以前に山積みになったら、叶多は能力的にきっと処理しきれない。

 食事会は親たちのグループそっちのけで、深智の配慮から仕切りなおすように乾杯で再開された。
 当然のように矢取兄妹たちの先導でにぎやかな会話が広がっていく。戒斗が加わったことによって、専ら音楽や芸能活動の話題が中心になった。
「五年前は戒斗をテレビで見ることになるなんて考えられなかったよね」
 慣れない場で話に加わるタイミングがつかめず、ずっと聞き役に回っていた叶多は、深智の『五年』という言葉にびくっとした。
 叶多の気持ちが明確になって、ただ無邪気に告白して、それに応えた戒斗が口にした約束。“ふたり”という始まりはその瞬間、ほぼ五年前のことだ。
 深智はどこまで承知しているのか、気にしているだけに叶多は過剰反応した。
「そうそう。戒斗の家でやったお食事会のとき、那桜なおちゃんが強請ねばってくれて、やっとギター聴かせてくれたんだけど。四年前だっけ。その一回だけだったよね?」
「あんときはおれたちが大量に酒飲ませたからな」
「あ、そっか。戒斗が二十才になって、飲酒お初のときね」
「そ、だからノリノリで弾いてくれたんだよ。ね、戒斗」
 深智は可笑しそうに戒斗を見やった。
「戒斗、酔っ払ったの?」
 叶多がびっくりして訊ねると、戒斗は苦笑した。
「最初から強かったわけじゃない」
「あ、叶多ちゃんは戒斗が酔っ払ったの、見たことないんだ」
 深智は瞳をきらりと輝かせて、ふふっ、と笑った。

「けどさ、あんときはもうプロを目指してたわけだろ。聴かせてくれないってただの出し惜しみだったのか?」
「というよりは、ただのプライド、だろうな」
「プライド、ですか?」
 叶多は首をかしげて、口を挟んだ拓斗に問い返した。
「そう。下手なとこを見られたくないってやつ」
「あ、でも祐真さんは最初に会ったときからすごく上手かったって云ってましたよ」
「祐真さんて?」
 深智が訊ねた。
「えっと、“PLACE”を歌ってるユーマって知ってるよね?」
「え、叶多ちゃん、ユーマと知り合いなんだ?」
 仁補了朔りょうさくが驚いた顔を叶多に向けた。深智がピンとこなかったことといい、その様子からすると、ここに集まった人は戒斗から祐真とのことを聞かされていないらしいと察した。
「じゃなくて、戒斗のお友だちです。FATEができたきっかけは祐真さんなんですよ。ね、戒斗」
「そうだ」
 戒斗は口を歪めて答えた。
「戒斗、おれ、ファンなんだぜ。なんで教えてくんないんだよ」
「わたしもよ!」
 不満げな従兄に加勢して端のほうから従姉が手を上げた。
「おまえらがファンだから、だろ。教えたら最後、会わせろってうるさくなるからな」
「確かに」
 拓斗がおもしろがって相づちを打つと、従兄がいじけたように舌打ちした。
「ふーん、叶多ちゃんだけは会わせてもらったんだ」
 笑いに満ちたなか、叶多の隣で小さく深智がつぶやいた。
「深智ちゃんもユーマのファンなの?」
 叶多は訊ねてみたけれど、うらやましがるわけでもなくただ淡々とした表情の深智は答えなかった。

 それから話題は昔にあった食事会のエピソードばかりになった。
 当然ながら叶多の知らない話で、聞き手に回りながらも加わろうと口を開きかけたけれど、その度に深智が発言して叶わなかった。反対隣の美咲は意図的なのか、無視しっ放しで話しかけづらい。そのうち、どういうことかに気づいて叶多は聞くだけに徹した。
「叶多」
 ふと戒斗が声をかけた。食べるのも一段落して、所在なくしていた叶多は顔を上げた。
「うん?」
「帰るぞ」
「もう帰っちゃうの?!」
 叶多が反応するより先に美咲がびっくりした声で問い返した。
「ああ。明日からまたツアー出るからな」
「あ、じゃ、あたしたちのだけ片付けてくる」
「叶多ちゃん、いいんだよ。町田さん、あ、お手伝いさんのことだけど、片付けはやってくれるから」
 叶多が席を立つと、深智がさえぎった。深智は至ってにこやかだ。さっきまでの疎外感は叶多の思い過ごしだったのだろうか。
「それなら、台所まで持っていくだけにします」
「じゃ、わたしも案内ついでに持っていくの手伝うよ」
 そう云って深智も立ちあがった。
「うん、ありがとう。戒斗、ちょっと待っててくれる?」
 戒斗に声をかけると、迷うように顔をかすかにしかめたものの、結局はうなずいて応え、叶多も笑みを浮かべてうなずき返した。

 深智の後をついていってヘルパーの町田さんに食器を預けた。
 キッチンは明るい場所にあって、その設備もアパートはもとより、叶多の実家よりも断然豪華で整っている。調理し甲斐がありそうだ。うらやましくて叶多がそう云うと、町田さんは満足げに、そうでしょう、と答えて、ちょっとだけだったけれどキッチン内を見せてくれた。
「叶多ちゃんて、取り入るのがうまいのね」
 キッチンを出て、何気なく発せられた声はどこか剣呑として聞こえた。横に並んだ深智を見ると、そこには穏やかな笑顔があって、叶多はそのギャップに怖さに近い驚きを隠せなかった。
「……深智ちゃん……」
「今度、ふたりでご飯でも食べにいかない?」
「え?」
「だって、しばらく戒斗もツアーでいないこと多いんでしょ? その合間にいいよね?」
 深智の云い方は断れない雰囲気で、叶多は動揺したまま、いつの間にかうなずいて承諾していた。

 客間に戻り、ふたりそろって矢取夫妻へお礼と早く引きあげることを謝ってから食事会をあとにした。
 矢取夫妻はほかの出席者の手前か、お礼を云う叶多に対して邪険にすることはなかったけれど、やっぱり素っ気なかった。
「戒斗、ツアーで出かけるの、月曜日じゃなかった? 早くなったの?」
 玄関を出ると同時に叶多は焦ったように問いかけた。
「いや、変更はない」
「でも、明日ってさっき――」
「嘘も方便」
「何?」
 戒斗に訊き返してもすぐには答えず、何か云いたげにしていたけれど、やがてがらりと表情を変えた。
「一週間ぶん、叶多をかせたくなった」
「戒斗っ」
 叶多はプルッと身震いした。すでに泣きそうな表情で顔を赤くしたとたん、和久井の車が横についた。

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