Sugarcoat-シュガーコート- #76

第9話 Dis-mis・s・ion -2-


 有吏館の逢瀬(おうせ)の間に入ると、見つけるまでもなく戒斗が目についた。
 立食用の料理がずらりと並んだ長テーブルの中央付近で、有吏本家の男たちがいつものように親族の出迎えをしている。半年前に母方の従姉の結婚式に招待されたことがあって、そのときに見た、披露宴会場前で主役たちが来客を迎える、というシーンに似ている。
 叶多は当然ながらほとんど毎日、目の前に見ているけれど、いまそこに戒斗がいることが不思議だ。それだけ長く、戒斗はこの場から離れていたのだとあらためて感じた。
 ブランクが埋まった気がしたと同時に、なんとなく新鮮な気持ちも生まれて戒斗に見惚れた。
 飛びつきたい危うさにかられたとき、叶多の衝動に気づいたかのように戒斗がこっちを向いた。視線が合うと、戒斗は何か云いたげに目を細めてから、また話し相手に注意を戻した。
 絡み合う視線は、夏のライヴであったアイコンタクトみたいでちょっとうれしい。
 今日まで戒斗は有吏館に滞在するけれど、明日にはまたふたりの生活に戻れる。そうなったらめいいっぱいハグしよう。すぐに新学期になって、また頼に邪魔されるし、戒斗のライヴツアーも始まって時間は制限されてくる。
 明日の誓いをたてると、叶多の中に湧いた無闇さが治まった。

 それからすぐ、叶多たちに気づいた哲が合流した。
 一家ごと並列に並んで順番を待っている間に、叶多の気分は違ったドキドキで緊張度を増していった。
「おまえ、大丈夫なのか」
「え?」
 不意に声をかけた頼を見上げた。
「なんかおまえ、正月の挨拶を、メリークリスマス、って云いそうにしてる」
「……そこまで舞いあがってないよ」
 叶多がむっつりして云い返すと、端にいる哲がひょいと顔を覘かせた。
「いままでどおりにしていればいい。戒斗くんに任せることだ」
「うん、わかってる」
 その『いままでどおり』というのが不器用な叶多には難しいのだ。要するに知らないふりをしろということ。
 そのうち、挨拶は否応なく八掟家に巡ってきた。
 哲の前に前首領、つまり戒斗の祖父の継斗(つぐと)、千里の前に首領の隼斗、頼の前に総領の拓斗、そして五年前までそうだったように、順番的に叶多の前には総領次位である戒斗が立っている。
 血筋だろうけれど、その四人の堂々たるぶりはそびえ立つような背の高さもあって、いつものことながら圧倒される。
 両家そろって正月の挨拶言葉を交わした。

 こうやって対面すると、叶多は六年半前の瞬間を思いだす。
 戒斗にじっと見られて、馬鹿げた行動に立ち会わせたことが恥ずかしかったり、ただ単に恥ずかしかったりで顔を伏せたものの、ついまた見上げて、ということを何度も繰り返した。
 いま立場はまったく違っているのに、その時の気分と重なった。
 叶多がこっそりと照れくさく笑うと、戒斗は口を歪めて答えた。
 同じ場面を同じ気分で繰り返すと、幼いなかでもすでに気持ちが芽生えていたとわかる。
 両親たちの会話が一段落するまで、叶多はもじもじしながら黙って立ち会った。
「叶多、喋ることないのか?」
 戒斗がおもしろがった声で問いかけた。
 ここで戒斗に話しかけられるとは思っていなくて、叶多は大きく目を開いた。加えて、戒斗の話し方は普段と変わらない。
 叶多はちらりと見た隼斗とまともに目が合って、蒼くなったのか赤くなったのか自分でもわからないほど冷や汗をかいた。
「だって……」
「普通でいいんだ」
 戒斗の言葉に、叶多は困惑して伏せた顔をまたすぐに上げた。
「そう?」
「そうだ。さっきは飼い主見つけた犬みたいにしてたけどな」
 戒斗がからかったとおり、あのときは気分的に犬化していた。
 叶多の頬がカッと火照り、戒斗の横で拓斗が小さく音を立てて息をもらした。叶多が目を向けると、ここでもまた拓斗と目が合ってしまった。
 驚いたのは、その音が笑い声だったらしいこと。
 拓斗の雰囲気がこれまで見たことないくらい柔らかくなっている。
「犬、か」
 納得したように拓斗はつぶやくと、困惑して顔を赤らめた叶多を上から下まで一通りしてから、見比べるように戒斗に目をやった。
 そこに冷やかしを見取って顔をしかめた戒斗と、ふざけたように肩をすくめた拓斗は無言で言葉を交わしたようだ。
 叶多には仲のいい兄弟に見えた。実質、兄弟だけれど、少なくとも叶多の記憶にはこういう打ち解けたふたりの姿はない。
「戒斗さん」
 叶多が驚いている最中、頼がとうとつに声をかけ、戒斗の注意を引きつけた。
「今日、叶多にタツオさんつけましたか?」
「いや」
 戒斗が怪訝そうにしながら否定すると、頼は考えこむように眉間にしわを寄せた。
「どうした?」
「いえ」
 頼はかすかに肩をすくめて言葉を濁した。
「頼――?」
「さあ、行こうか」
 叶多が不思議に思って呼びかけるのと、その場を後続者に明け渡そうと哲が声をかけたのが重なった。
 戒斗も何か云いたそうにしていたけれど結局は呼びとめることもなく、叶多に、あとでな、と小さくうなずいて見せた。

 親族がそろうと隼斗の代表挨拶があって、立食パーティに入った。
 中央の長テーブルを囲むように丸テーブルがあって、それぞれが思いのままに集まり、食事をしながらの歓談が始まった。
 叶多も同年代の女の子たちの中に入って近況報告をし合い、叶多のばんになると戒斗とのことは省いて話した。
 けれど、有吏館に宿泊する遠方の子を除けば戒斗を久しぶりに見る子も多く、加えて芸能人として活躍中ということもあり、結局は戒斗の話題に占められた。
 今日以前にこの場で戒斗を見たのは十代のほんのはじめ。いまは十代の後半に入ったとあって、異性を気にせずにはいられない。女の子たちは、以前とは違った意識で戒斗を見ている。
 そうなると、ずっと近くにいることを知られている矢取美咲は羨望の的だ。
 美咲が適当にあしらっているなか、打ち明けられないもどかしさと、何か発言するにしても美咲に嫌な思いをさせたくなくて、叶多は複雑な心境でその話題を傍観した。きれい事ではなくて、叶多の幼稚な臆病さだ。
 あれから美咲は何をするでもなく、拘っているのは叶多だけかもしれない。

「そういえば、叶多ちゃんも戒斗とは仲良かったよね」
 突然、話をふられて叶多は慌てた。
「あ……うん。家庭教師やってもらってたから……」
「そうだよね。あの頃から戒斗、ちょっととっつきやすくなったんやけど」
「名前呼ぶのに“さん”はいらないって云われたときは感激したんだよね」
「そうそう。昨日の夜も、あたしたちの誘いに乗ってくれてカードゲームしたとよ」
「ええなぁ。叶多ちゃんみたいに、うちも東京住んでたらよかったわぁ」
 一頻(ひとしき)り、ため息が満ちた。
「でも、遠くから憧れてるだけのほうがいいかも。近くにいると、嫌なことも見えちゃうし」
 美咲が口を挟んだ。その目がちらりと叶多を見る。
「嫌なことってなん?」
「ホントに好きになって、自分が対象外で、おまけにわけわかんないカノジョがいるって知ったらつらくない?」
「え……まぁ、そやなぁ……」
「美咲ちゃん、それホントなの?!」
「例えば、の話だよ。ね、叶多ちゃん」
 美咲に同意を求められると、当たり障りなく控えていた叶多は鼓動が飛び跳ねるくらいにびっくりした。それがどういう意図か考えあぐねて答えられず、叶多は曖昧に首をかしげた。
「そっかぁ。考えてみれば親戚っていっても生活レベルって全然違うし、いまは芸能人だし、世界も違う感じ。あたしじゃ釣り合わないかも。憧れですましておくほうが無難かな」
「生活レベルとか芸能人ってことより、戒斗にとって、戒斗のためにどうなのかってことのほうが問題だと思うけど」
 美咲はまるっきり当てつけのように手厳しい。
 美咲が拘っていないはずはなく、叶多はため息を吐きそうになった。自分のことを考えてみれば云わずもがな、簡単にあきらめきれない気持ちはたぶん美咲も同じだ。
「美咲ちゃんて云うことが大人やわぁ」
 従姉妹たちが一斉に賛同してうなずくと、今度は堪えきれずに叶多はそっとため息を吐いた。

 それからはあちこちに話題が散らばりつつ時間が過ぎた。
 叶多は『あとでな』をすっかり忘れ、戒斗が近づいてきたことにも気づかなかった。
「叶多」
 驚いてびくっとした手からガラスコップが滑り落ちそうになる。それを、横から戒斗が手を出してすくった。
「戒斗!」
「来て」
 問い返す間もなく、戒斗はコップをテーブルに置くと、叶多の背中を押して連れだした。背後でちょっとしたどよめきが起こったけれど、振り向く勇気はない。
「戒斗、こういうとこでは足音立ててもいいと思う」
 あとで女の子たちにどう云い訳しようかと考えながら、叶多は文句を云った。
 戒斗は小さく笑った。
「犬ってさ、びっくりしたときの反応がおもしろくて驚かすのをやめられないんだよな」
「酷い。ただでさえ、落ち着きないって思われてるのに、あそこでコップ割っちゃったらますますランク落ちしちゃう」
「なんだそれ」
 人の間を縫って歩きながら、戒斗は呆れたようにつぶやいた。
「戒斗、どこ?」
 叶多はゆっくりと先導されながら、ふとどこへ行くのか聞いていなかったと気づいた。
「父さんのところだ」
「……誰の?」
「おれの」
 叶多はピタリと止まった。合わせて戒斗も立ち止まる。
「……戒斗」
「ちょっとした報告だ」
「ここで?」
 叶多の不安な表情を見て、戒斗は口を歪めた。
「どこだって一緒だろ」
「でも……」
 報告ということではなんの心構えもなかっただけに、叶多は尻込みした。
「ここでキスしたっていい。そのほうがかえって手っ取り早いかもな」
 叶多はびっくり眼で戒斗を見上げた。口を歪めた笑みは冗談か本気か区別がつかない。どうする? と問うように戒斗は首をかすかにひねった。
「……わかった」
「どっちだ? キス? 報告?」
 答えを知っているくせにわざと訊いた戒斗は、やっぱり叶多をからかっていたのだ。冷静に考えれば、こんな場所で戒斗が破廉恥(はれんち)な行為を曝すわけがない。
 叶多が少し口を尖らせると、不意打ちで戒斗の顔が近づいた。
「戒斗っ」
 叶多は犬みたいに二歩くらい飛びのいた。それを見て戒斗がニヤつく。戒斗にとって叶多は完全に玩具化していて、いまも明らかに反応をおもしろがっている。
「叶多は何も云わなくていい。行くぞ」
 叶多は渋々とうなずいて、先を行く戒斗のあとを追った。
 拗ねた気分が緊張を少し緩くした。
 いつかは、と思っていたし、ここで会って、無視できない事実があるにも拘らず知らないふりをするのも気まずいと感じていた。

 ふたりは、叶多がいた場所からすれば長テーブルの反対側に回った。
 親族との歓談は一巡したのか、戒斗が空けさせていたのか、有吏本家は一つのテーブルを独占して一堂に会していた。
 まず、戒斗の両親、拓斗と那桜の目が向き、そして椅子に座った戒斗の祖父母が視線を上げた。
「父さん、あらためて報告です。おれはいま、叶多と一緒に暮らしています」
 出し抜けの報告に様々な意味合いの嘆息があがるなか、叶多は慌てふためきながら一礼した。
 顔を上げると、隼斗の苦り顔に迎えられた。
「戒斗、どういうことだ?」
 険しい声で訊ねたのは継斗だ。
 慄きながらもざっと見渡すと、知っていたのは隼斗と拓斗、そして那桜(なお)だけのようだ。那桜はうれしそうな微笑みを見せてくれた。戒斗の母親、詩乃と、祖母の百恵は純粋に驚いた眼差しを叶多に注いでいる。
「そのまま、ですよ」
 戒斗が淡々と答えると、継斗はしわの寄った右手を上げ、絶望じみたしぐさで自分の顔を撫でおろした。
「なんということだ。有吏にあってはならん――」
「貴方」
 嘆いた継斗の腕に手を添え、百恵が諌めた。
「戒斗、私の意向はわかっているはずだ」
「それは承知です。無論、祖父さんが同じ意見であることも。おれの意向を示しておくべきだと判断したまでのことです」
「有吏を解体する気か」
 隼斗が抑制しつつも声を荒げると、拓斗が横から一歩前に出た。
「そんなつもりは毛頭ありませんよ」
「むしろ、逆を狙ってる」
 拓斗に重ねるように戒斗が補足した。
「自覚が足りん。本家としてどうやって一族への示しを付ける?」
「転換期なんですよ」
「理想を追うのはいい。しかし、だ。現実には限界がある。伴って、予測不能なことも。これまで有吏の仕事に(たずさ)わってそれらを見てきたはずだ。最善策をとることはできても理想には届かない」
御意(ぎょい)。現実を見てこそ有吏の業は()きている。おれたちは理想を追ってるわけじゃない。有吏にとっての最善策を模索している」
 戒斗が切り返すと、しばらく呼吸すら許されない雰囲気で空気が張り詰めた。
 心なしか、逢瀬の間全体がしんと静まっている気がした。現実には子供たちのはしゃぐ声が叶多の耳に反響している。
 息苦しさのあまり倒れるんじゃないかと叶多が思ったとき、隼斗が吐き捨てるようなため息を吐いた。
「とにかくだ。公言は許さん。もう行け」
 戒斗は小さくうなずいて叶多を連れだした。

 叶多は『何も云わなくていい』どころか、そのまえに口を開く機会を与えられなかった。うまく歩けているのか、足がカクカクしている。
「戒斗」
 転びそうになって呼びかけると、戒斗は立ち止まった。
「どうだった?」
「え?」
「思ってたより酷かったか?」
 叶多は考えてみた。
 想像していたのはまったく無視されることと追い返されること。
 けれど、気に入らないまでも隼斗は一礼した叶多にかすかに首を動かして応え、少なくとも即座に追い返されることはなかった。犬みたいに追い払われたけれど。
 それに増して叶多の不安を緩和してくれたのは、拓斗に見えた歓迎だ。
「倒れそうになったけど平気」
 叶多が答えると戒斗は口を歪めた。
「公言は許さないらしいけど、いまやったことはほぼ公言したのと一緒だ。父さんもそれは承知している。それ以上、辛辣(しんらつ)にされなかったということはどういうことか、ということだ」
「……どういうこと?」
「そろそろ考える時期にきている、ということだろうな」
「……わかんない」
「わからなくても、離れる必要はないということだけは知ってろよ」
 戒斗はおもしろがった表情を一転して真面目に変えた。
「うん!」
 叶多が思いっきりコクッとうなずくと、懐かしい光景と重なって戒斗は笑いだした。

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