Sugarcoat-シュガーコート- #75

第9話 Dis-mis・s・ion -1-


 いかにも高級なテーブルと椅子がモダンに配置された店内は、すべての席が埋まっている。カップルばかりで、一見すればただの男女のデート風景だ。
 そのうち、隅にある一つのテーブルに向かった。
「このまえの話、考えてくれた?」
 焦げ茶色の革張りのソファに座ると、良い所のお嬢さま然とした、その品のいい顔がこっちを向いた。
 即答はせず、ジャケットのポケットから煙草を取りだして咥えた。彼女がすかさず、テーブルに置いたジッポライターを差し向ける。顔を近づけ、火を点した。
「どうなの?」
 深く吸いこむとため息を吐くように笑い、一緒に煙を吐きだした。
「おれが承諾すると思う? 犯罪だ」
「裏街道で“羅刹(らせつ)”って異名のある男のセリフじゃないと思うけど」
 面と向かって異名を口にする奴はめったにいない。眉をつり上げると、彼女はからかった様子で首をかしげた。
「それに、犯罪にされない力を持ってるはずよ?」
「そういう話が通じるには、相手が違うだろ?」
「本気でどうこうしようってわけじゃない。ちょっとした意地悪」
 つんと澄ました声には悔しさが滲みでていた。
「きみがどう出ても意味はない。結果はわかってる」
 鼻先で笑うと思いのほか、強い眼差しで睨まれた。
「意味なんて求めてない。結果なんて関係ないもの」
「制裁ものだ」
「理由が欲しいの。それだけ」
「おれへの影響、考えてるのか」
「へんな遊びを一緒にやってたわりに、薄情な関係なんだね?」
 彼女が“遊び”を承知していたことに多少驚きを見せながらも、その皮肉には薄く笑った。
「問題は“おれ”との関係じゃない」
 彼女の思うところはよく、というよりはまったく理解できない感情だが、その気持ちを否定するつもりはない。
 当然が当然にならなかったことで表面化した(ひず)みは、いつか修正しなければならないことも心得ている。
「協力してくれないんなら、ほかの人を頼むよ。逆論から云って、羅刹に依頼するのがいちばん安全だと思ったんだけど」
 どう説得しても本気らしい。彼女の云うとおり、彼女がそれを実行しようとするのなら、“守らなければ”ならない。すなわち、適任者は自分しかいないということになる。
 深々としたため息が煙草の煙とともに目の前に充満した。
「……わかった」
「ありがとう」
 優雅な彼女の顔に華やかな笑みが浮かんだ。
「ヘンなことやるより、別の奴を探すほうが得策だと思うけどな。きみなら……」
「極上を知ってランクを落とせる? それとも、羅刹が相手してくれるんなら考え直してもいいけど?」
 それがありえないと承知していて口にしたということは、彼女の意志が固いことを示している。
「出よう。打ち合わせだ」
 とうとつに立ちあがると、彼女を伴って外へと出た。
 クリスマスまえ、大通りはイルミネーションのオンパレードで(きら)びやかだ。裏通りに入りこんで、ふたりは車を止めた駐車場へと向かった。
 しばらく歩くと、彼女の気品とはまったく相容(あいい)れない、ネオンに満ちた歓楽街が広がる。住み慣れた街並みはさっきの大通りに引けをとらないくらいに明るいが、ロマンティックに清々(すがすが)しい向こう側と違って、こっち側はむさ苦しくけばけばしい。
 物騒な(やから)が多い場所にも拘らず、見た目だけでなく、実情も“お嬢さま”な彼女は物怖じしない。その理由は“守られている”事実があるからに他ならない。



 戒斗とはじめて迎えた大晦日から元旦にかけての年越しは、そのことを感動する間もなく終わった。
 元日、おせち料理にありついたのはお昼過ぎだ。
 ゆっくりおせちを(つつ)きながら、戒斗宛ての年賀状に目を通したとき、お正月を一緒に過ごしている意味を実感してじんとした。
 けれど、その感動に浸かったのもつかの間、片づけが終わるなり、また戒斗に(さら)われた。場所は云わずもがな、寝室。
 頼は終業式の日から実家に戻ったのに、そのクリスマスイブから二日後にはお月の物で、その間、叶多はなんとかやり過ごして戒斗に手を出させなかった。
 昇格なのか降格なのかよくわからないけれど、とにかく戒斗は吸血鬼から狼男に変身寸前だった。というより、変身してしまったのかもしれない。叶多は完全にグロッキーで元日は終わった。
 えっちで始まりえっちで終わった一年の初日。さきが思いやられる。
 や、別に……嫌いじゃない……。『ぃゃ』と云いつつ……あ、声が小さくなったのはその……本心ではないわけで……つまり、戒斗に触られるのはすごく好き。でも、やっぱり脳みそが溶けちゃいそう。
 自分で自分に説明するなどという、叶多の頭の中は無意味にあたふたした。

「叶多、もうそろそろ出かけるわよ」
「うん、すぐ下りる!」
 下から声をかけた母に答えると、叶多はバッグを取り、久しぶりに八掟家の自分の部屋を出た。
 今日、三日は年の初めに恒例となっている有吏一族の親睦会の日だ。
 お正月の挨拶を兼ねて昨日、戒斗と一緒に実家に来て、お昼を食べた後、叶多だけが残って泊まった。
 しばらく……正確に云えば、やりたいことを探すために家を出て以来、親睦会に顔を出さなかった戒斗だったけれど、今日は出席の意向だ。
 戒斗は昨日から有吏館に泊まりこんでいる。本家は遠方からの親族を招くのに、前日は有吏館に詰めるのだ。
 これまでも前日はそうしていたと聞かされて、叶多ははじめて思い至った。親睦会という、父の哲に云わせれば一族の大事な行事の場でさえ、戒斗は叶多と会うことを避けていたということ。
 半年前の夏の親睦会ではツアーが重なり欠席したわけで、れっきとした理由があったというその思いこみもあって、叶多は単純に忙しくて出席できなかったのだと考えていた。
 出席できない、ではなくて、出席しない。
 その徹底ぶりと、戒斗が『迎えにいく』までの『必要な時間は永遠』だと考えていたことを照らし合わせてみた。
 それほどまでに何があるんだろう。
 信頼とは別の位置で叶多は心許(こころもと)なくなった。


 千里と頼とともに、叶多は電車で有吏館に向かった。哲は主宰という立場上、本家と同じように昨日から出向いている。
「お母さん、戒斗とのことは内緒にしておくほうがいいんだよね?」
 戒斗は何も忠告しなかったけれど、叶多が(わきま)えておくべきことには違いない。
「そうねぇ。哲さんに云わせれば、いまは微妙な時期らしいから」
「こういうことで微妙じゃない時期になることなんてねぇだろ」
 電車を降りて階段を下りながら叶多が訊ねると、先を行く千里の曖昧な発言に続いて、一段後ろを歩く頼が指摘した。
「どういうこと? 頼は全部わかってるの?」
「ある程度はな」
「……いつも思ってたんだけど、お母さんてどこまで知ってるの?」
「どこまでって云われても説明できないわよ。一族のなかでさえ、知らされていることと内密にされていること、それを知ってる人と知らない人の差は大きいんだから。それだけ奥が深いってことでしょ」
 気難しい顔をして、ふーん、と叶多は相づちを打った。
「とりあえず、戒斗さんが叶多とのことを解決するってことは、一族の転機になることは確かだな」
 そう聞くと、叶多はますますふたりが認められることは難しいということを実感させられる。
「まあ、おれはどっち転んでもいい。どうせ、叶多が手に入るわけじゃねぇし」
「あら、頼がここまでお姉ちゃん子だったとはねぇ」
 千里はちらっと振り返って、禁断の話に動揺するどころか能天気に頼をからかった。
「姉ちゃん、じゃねぇよ。どう見たっておれのほうが上だろ」
「どう見たって、ってどういうことよ!」
「んじゃ、どこがおれより上回るって云うんだよ」
 頼は顎をかすかに上げて叶多を促した。とっさに答えられなかった叶多は考えてみたけれど、結局は何も見つからない。
 頼は(ざま)見ろと云わんばかりにせせら笑った。
 叶多に対する頼の態度は“甘えた”と虐待が混載していて、戒斗のところで一緒に住むようになってからは余計に扱いにくい。いまはまるっきり虐待モードだ。
「叶多」
「何よ」
 叶多は口を尖らせながら、立ち止まって頼を見上げた。躰をかがめていた頼の顔がびっくりするくらい近くにあった。
「キスして」
「へ?」
 一瞬にして甘えたに変わった頼の要求に呆けた返事をした。同時に、階段の途中ということをすっかり忘れて一歩下がった叶多は、足もとをすくわれたように躰を揺らした。

 あっ。
 叶多っ。
 すぐ傍にいた頼が反応するより早く、上から伸びてきた手が叶多の泳いだ手を取った。
「大丈夫?」
「あ、はいっ。すみませ……ん」
 手だけではなく、助け人のもう一方の手は叶多の腰まで支えている。安全策だとは思うけれど、ごく間近に顔があって、ほっとしたのもつかの間、叶多は違う意味でほんの少しドキドキした。
 ドアップで見ても隙のない助け人の顔は、男にしておくにはもったいないくらい肌もきれいだ。誰かというと和久井系で、和風のすっきりした顔立ち。
 戒斗をはじめ、きれいどころを目の前にすることが多くなったのに、驚くことには変わりない。美人は三日もすれば飽きる、というけれど、少なくとも美しい男に免疫は多少なりとついても飽きることはない。
 つい見惚(みと)れていると、頼が横から叶多の腰にかかった男の手を(はた)いた。
「いつまで触ってんだよ」
 男は叶多の体勢が安定しているのを見届けてから、かがめていた躰を起こして頼に顔を向けた。
 見上げた助け人は“男”というには戒斗より幼い感じで、それほど年がいっていないとわかった。もしかしたら叶多と同じくらいかもしれない。
「悪いな。彼女がめちゃくちゃ可愛いのでつい助けたくなったっていうか」
 か、か、可愛い! ってあたしのこと?! しかも、めちゃくちゃ、っていう修飾語までついてる!
「あら、まあ」
 赤面した叶多が内心で奇声をあげるのと、千里の可笑しそうな声が重なった。
「可愛い……って、おまえ、目がどうかしてんじゃねぇのか」
 叶多のめったに味わえない、せっかくの浮かれた気分に、頼はまるで水を差した。
「頼っ、あんたね、あたしのこと好きって云っておいてそれはないでしょ!」
「それとこれとは別なんだよ。見た目で好きになるんだったら、この世の中、あぶれ者ばっかりだぜ」
「酷い」
 何分、頼は『あぶれ者』には当てはまらないだけに云うことも容赦ない。
 同じことを云うなら、もっと違う云い方で気分よくしてくれればいいものを。例えば、戒斗が云う、そのまんまでいい、とか。
「第一、こいつはおまえの後ろ姿しか見てないはずだ。可愛いとか、あくまでこいつの妄想だろ」
 もっともな云い分を追加した頼を恨みがましく見ると、吹きだすような笑い声が降ってきた。
「カレシ?」
 助け人が問いかけると、叶多は頭が飛んでいきそうになるくらいに首を振って否定した。
「弟、です」
「ラッキー、かな」
 頼をちらりと見た助け人はニタリとした。
「残念だな、とだけ云っておく。行くぞ、叶多」
 頼は空笑いしながら云い返して、叶多の手をぐいと引いた。
「あ、ありがとうございました!」
 そう振り向いて云うも、頼に強引に引っ張られて転びそうになり、叶多は前を向いた。助け人が軽く手を上げたのだけ、目の端で確認した。


 駅構内を出ると、タクシーで有吏館まで向かった。
「なんだか緊張する」
 タクシーを降りて有吏館の門の下に立ち止まり、叶多は深呼吸をした。生まれてからずっと通ってきているのに、こんな気分ははじめてだ。
「当然、首領が歓迎するわけはないからな。せめてドジすんなよ」
「……うん」
 頼の追い討ちに、深呼吸は嘆息に変わった。
「ま、なんかあったらおれが口出してやるよ。維哲(いさと)兄ちゃんとの約束でもあるし」
「お兄ちゃん?」
「ああ。責任感じてるらし――」
 ふと頼が言葉を途切れさせた。
 頼を見上げるとその目が一点を見つめている。
 その視線を追うと、要塞のような有吏館を囲む壁際のちょうど道路の角部分に、一台の黒塗りの車が止まっていた。
 和久井の車に似ているけれど、一族との接触を避けているという和久井のはずはない。
「頼、どうかした?」
「……いや」
 頼の表情は険しい。
「叶多、頼、寒いんだから早く行くわよ」
 敷地内から千里が呼びかけた。
「ああ。行くぞ」
 返事をするのにいったん千里に目を向けた頼は、再びその車を一瞥(いちべつ)してから有吏館の門を(くぐ)った。

BACKNEXTDOOR


* dis-mis・s・ion … 造語 dismiss(追い払う・はねつける)dis(除去)mission(任務)
* 羅刹 … 人を喰う鬼