Sugarcoat-シュガーコート- #69
第8話 Get in the way -6-
「目敏いな」
戒斗がかすかに笑って声をかけると、美咲はつんと顎を上げた。
「どうして叶多ちゃんなの?!」
「いきなりなんだ?」
「あたしだって戒斗が好きなのにっ。我慢してたんだよ。いつかホントに妹になったって、かまってくれるならそれでいいって思ってたのに、叶多ちゃんは……!」
成り行きで告白するも、戒斗は驚かないどころか情さえ動かさない。美咲は最後まで云わずに下唇をかみしめた。
「それでいろいろやってくれたってわけだ」
戒斗は薄く笑って鎌をかけた。
「ちょっと意地悪しただけ。あたしのことをなんて云ったか知らないけど、叶多ちゃんはずるいから。こんなふうに戒斗を御方につけるのが上手で、勉強だって戒斗に見てもらって、いっつも戒斗に頼りっぱなしで――」
「叶多からおまえのことは何も聞いていない」
戒斗がさえぎると、美咲は目を見開き、次の瞬間には決まりが悪そうな顔になった。
「叶多ちゃんてすごいいい子ぶってるんだ」
美咲は悪あがきを吐いた。
「美咲、どうしてって疑問に思うってことは、おまえなら、って理由があるんだよな? 挙げてみてくれ」
戒斗は至って真面目に訊いたのだが、美咲は意地悪だと受け取ったようで責めるような目が向く。
「あたしは……勉強、自分でできるし、ほかのことも誰かを頼らなくたってできることのほうが多い。だから叶多ちゃんよりは戒斗の役に立てる。お姉ちゃんには敵わないけど顔も負けてない。背だってあたしのほうが戒斗に釣り合ってて、スタイルだって自信ある!」
美咲が答えると、戒斗は理由にならないと云いたげに首を振ってかすかに笑った。
「なら、訊く。そういう条件で選り好みするようなおれでも好きになれるのか? もしくは、そういうおれがいいのか?」
戒斗の容赦ない質問に美咲はぐうの音も出ず、ぷいと顔を背けた。
仕事がてらで有吏家との家族ぐるみの行き来は頻繁にあるが、戒斗が家を出てから、美咲が戒斗と会うことは少なくなった。
物心がついた頃の記憶では、戒斗も拓斗も表情がなくて、なかなか自分から近づくことができなかった。拓斗はいまだにそうだけれど、戒斗はそれなりにかまってくれて、だんだんと近づけるようになった。
言葉も表情も乏しい。それでもいったん受け入れてくれると、戒斗の自分に対する許容範囲が広がった感じで居心地がいい。
親族が集まったときは、従姉妹たちのなかでも戒斗が気軽に話すのは美咲と深智くらいで、そのうえ、従兄弟間でもあまり親しそうに話す人はいなかった。
自分たちは特別なんだと得意にさえ思っていた。
それなのに突然、戒斗は変わった。
だんだんと、だった自分に比べて、叶多はいきなり戒斗の中に侵入して改造して、美咲からせめてというささやかな“特別”を奪った。誰でも受け入れるようになった戒斗を、美咲は“誰でも”と共有するしかなくなった。
どういうわけか、戒斗が家を出たと同時にふたりは離れてしまって、苛立ちは消えていたのに、またくっついて、しかも一緒に住んでいるとわかると黙って見過ごせなくなった。
美咲は返事を待っている戒斗に視線を戻した。
「あたしも戒斗に訊きたい。じゃあ、叶多ちゃんとあたしのどこが違うの? お姉ちゃんを気にしなくていいなら、どうしてあたしじゃだめだったのか、もっとわからない」
戒斗は口を歪めて肩をすくめた。
「それはおれもわかってないから答えられない。さっき、おまえが理由を教えてくれるかと思ったんだけどな」
その答えは美咲に反論できなくさせた。
「どうする、まだ続けるか?」
戒斗は曖昧に訊ねたが、美咲は何を云われているのかくらいわかる。
「もういい。どうせあたしはあきらめてたことだから。でも、お姉ちゃんはそうはいかないかもね」
「美咲、深智とおれに漠然と将来があったことは否定しない。けど、それは家同士の話にすぎない。それ以上に期待させたはずはない。深智にも、もちろんおまえにも」
傷つけることを厭わず、『もちろん』という残酷な言葉を付け加えた戒斗を、美咲は恨めしく見つめた。
「あたしはお姉ちゃんの御方だから」
「そうしてくれ。おれのわがままには違いない」
戒斗は美咲の脇をすり抜け、先で待っている千里のところへ向かった。
「戒斗、好きな気持ちは叶多ちゃんと同じだから!」
その背中に向かって美咲が叫んでも、戒斗は振り向くこともなければ足を止めることもなかった。
何を話しているかなんて、この距離にある叶多からはまったくわからない。かといって割りこんでいくこともできずにただ見守っていると、戒斗が歩きだした。
千里と合流して正面玄関に入る寸前、叶多のほうを向いた戒斗はうなずいたように見えた。
「叶多、戒――!」
「榊、余計なこと云うな。騒ぎになる」
慌てふためいてやってきたユナを陽が鋭くさえぎった。
「もうなりかけてるよ。だから、わかったの」
実際、このクラスでも窓際にはちょっとした人だかりができていた。
美咲と話していたことが人目に曝される時間をつくって、余計に注目を集めたのかもしれない。まだ、誰かという特定までには至っていないようだ。
「目立つ奴って遠目で見ても目立つんだよな」
そう云う永自身が『目立つ奴』なのだが、いまの叶多は到底、突っこむ気にはなれない。
戒斗が来てくれたことの安心と、さっき目にした美咲とのことに対する不安がごちゃごちゃになっている。
「……行ってくるね」
「きっと大丈夫だよ。頑張って」
断言したユナに送りだされ、叶多は複雑な気分で指導室に向かった。
戒斗たちは職員室の前で待っていた。丈長の黒いジャケットは別として、見たことのない服を着た戒斗と、茶系のスーツを着てめかしこんだ千里と、それになぜか、頼まで一緒にいる。
「戒斗……」
「大丈夫だ。当事者のおれがいなきゃ、終わらないだろ」
「叶多は心配しなくていいのよ。もとはと云えば、私が嗾けたんだから――」
千里が云っている途中で職員室の戸が開いた。
出てきた金元は戒斗を見て驚いたようだけれど、挨拶だけかわすと指導室へと先立って案内した。
奥の窓際にある長テーブルに金元と向き合って四人並んだ。
「今日、来ていただいたのは昨日連絡したとおりですが……」
金元は云いながら、持ってきた封筒をテーブルの上に置いた。おそらく写真が入っているのだろう。
「ええ。先生、実は主人が――」
「ああ、いいんです。事情はわかっていますから。八掟も年頃ですし、好きな男がいてもおかしくはありません。個人的に僕はてっきりそれは渡来だと思っていたんですが」
千里をさえぎって金元は訳知り顔で独りうなずいた。
「先生、ヘンなこと云わないでください!」
陽の名が出ると、戒斗がまたへんに捉えないかと思って焦った。当の戒斗はなんに対してか、かすかに眉をひそめた。
「事情?」
「お見合いしたものの、好きな奴がいればあきらめられないというのもわかります」
口を挟んだ戒斗にうなずいて金元が続けると、叶多の隣で千里はぎょっとした表情になり、反対側で戒斗ははっきり顔をしかめた。
「せ、先生っ、そ、それは――」
「お見合いってなんだよ」
戒斗の向こうで頼が呆れ半分、怪訝そうに訊ねた。
「ち、違うの――」
「お父さんの事業がうまくいっていないとかで、夏に北海道へお見合いしに行ったんだよなあ」
「……事業とか、北海道って……」
「弟さんはそこまで知らないのかな。あ、ひょっとして……云うべきじゃなかったんですね」
困惑した様子で金元から問われ、千里は赤くなったり青くなったりしながら、いいえ、おほほ、と笑い声を付け足した。
叶多が上目づかいで隣を見ると、いろいろと繋ぎ合わせたらしい戒斗はちょっと口の端を上げた。明らかに金元の誤解を汲み取っておもしろがっている。
「とにかく、僕としては事情を配慮すると大目にみたいところですが、彼が彼だけに目立ってしまうようんですよね。外で会うぶんならよかったんでしょうが、家に通うとなると……制服のままというのがまずいんだよな……」
金元はユナが云ったとおり、若いぶんだけ話が通じてものわかりがいい。それは得てして自分勝手な解釈となっていて、どこから誤解を解いていいのか、いや、解かないほうがいいのか叶多は考えこんでしまう。
「いえ、通っているんではなく一緒に住んでいるんですよ。だから制服での出入りも当然です」
微妙に緊張が漂う沈黙を破って戒斗はきっぱりと打ち明けた。
「は、一緒に住んでる?」
惚けて問い返した金元に負けず劣らず、叶多も驚いて戒斗を見つめた。
「そうです」
金元は返す言葉を失ったようで、しばし黙った。
「……その……今更なんだが、君はFATEの戒……さんですよね」
「はい」
「いや、実は僕、ファンなんですよ。こう見えてもいま、興奮はMAXというか……いや、それはいまはどうでもいいことで……」
「光栄ですよ」
話が逸れて金元が照れたように頭を掻くのを見ると、叶多は可笑しくなったが、これからどういう方向へ話が進むのかまったく見当もつかず、笑うまではいかなかった。
「それで、君と八掟とはどういった関係になるんですか?」
…………。
金元が自ら云った今更というべき質問に、叶多たちはそれぞれに顔を見合わせた。逸早く、千里が口を開く。
「あの……先生、戒斗さんは主人側の親族で、叶多とは従兄妹になるんです。いま、主人の具合が良くなくて私は付きっきりですし、それで叶多は戒斗さんに預けてるんです」
「ああ、そういうことですか。事業はまだうまくは……?」
「……いえ、その問題は解決したんですけど心労が重なりまして……」
金元と千里はまったく違った意味で互いに言葉を濁した。
千里の『任せて』は、哲を病気に仕立てあげて口実にする作戦だったらしい。お父さん、ごめんなさい、と叶多は心の中で合掌した。
「僕も一緒に戒斗さんのところにお世話になっていますから」
頼のフォローに驚きつつも、金元の性格を考えればうまく丸めこめそうだと叶多は思った。丸めこめそうというのはいかにもあくどい感じがして良心が痛まなくもない。
「なんというか……複雑になってきましたねぇ……」
「え?」
決着はついたかと思っていたのに、金元は言葉と同じく表情まで複雑にしかめた。
「いや、見合いの相手と彼と、戒さんでしょう。見合いの相手はともかく、彼と戒さんでは目立ちすぎますし、噂が大きくなるかもしれませんね」
彼、と、戒さん……って別人……?
いくら頭が悪かろうとそれくらいの国語力は叶多にもある。
「先生……彼、って……誰ですか?」
叶多がきょとんとして訊ねると、金元は狂人を見るような目を向け、次の瞬間には同情の眼差しに変わった。
「見合い相手に知られてはまずいよな。おまえも気の毒になぁ。彼のことをかばいたい気持ちはわかるが……」
金元はそのさきをためらって言葉を切った。
ますます混乱した叶多と違い、金元と話がかみ合っていないことに気づいて模索していた戒斗は、金元の手もとにある写真を指差す。
「写真、見せてもらえますか」
「僕はかまわないが、八掟、いいか?」
「はい」
わざわざ許可を求められる真意が理解できないまま叶多が答えると、茶封筒から出された写真がテーブルの上に二枚並んだ。
瞬間、叶多たちは硬直した。
…………。
「……これ……タツオさん?!」
叶多が唖然として叫ぶと、戒斗はくっと小さく笑い声を漏らした。
頼もハッと呆れたように短く笑って、千里は、なあんだ、とまるでがっかりしたようにつぶやいた。
「どうしたんだ?」
叶多たちの奇妙な反応を見て、金元は戸惑った声で訊ねた。
「この彼は警備員ですよ」
金元が持っていたのは、勉強会のときに叶多とタツオが一緒に買いだししているシーンと、通学電車の中、遠目で撮られたせいでふたり並んで見える写真だった。
叶多は写真を見て、電車の乗り心地が良くなった理由がわかった。叶多の背後に控えたタツオのあまりの強面さに避けられているのだ。
タツオにまったく気づかなかった鈍感さには自分でも呆れ、叶多はそっとため息を吐いた。
「警備員?」
「そうです。遅れましたが、本名は有吏戒斗と云います。有吏リミテッドカンパニーはご存知ですよね?」
「え、あ、戒さんて……ここのオービーの有吏家の方なんですか?!」
有吏の名は青南の中でどう蔓延っているのか、金元は慄いて問い返した。
「そういうことで、八掟家の事業、並びにお見合いの件については有吏の介入で落着していますし、この写真の彼についてはこちらで依頼している叶多のボディガードにすぎませんから。ほかに問題は?」
「いや、滅相もない」
金元はどこか頓珍漢な答え方をした。
「では、一件落着ということで。仕事がありますのでこれで失礼します」
「応援してます!」
金元が一ファンになって声をかけると、戒斗は、ありがとうございます、とお礼を云いながら立ちあがった。
「叶多、見送ってくれ」
「う、うん。じゃ、先生……」
「ああ、ここはもういい。あとはお母さんとちょっと話せば終わる」
戒斗と頼と一緒に廊下に出ると、ユナたちが目の前に待機していた。
「大丈夫だったよね?」
「うん。それが……」
そろって歩きながら写真のことを話すと、叶多たちと同じように呆気にとられたユナたちだったが、一瞬後には笑いだした。
「ま、乗りきったことは確かだ。これで卒業まで安泰だよな」
陽は頼と目を合わせたあと、思惑ありげに戒斗を見やった。
戒斗は探るように目を細めたが、やがて肩をすくめた。
職員室前の玄関口でユナたちと別れ、戒斗と一緒に外に出ると、叶多はやっと強張りが解けて一息吐いた。
「どうだった?」
玄関先の短い階段を降りたとたん、声をかけたのは美咲だった。
「おまえにはやられたな。楽しませてもらった」
戒斗がおもしろがって答えると美咲は笑い、それから叶多を向いた。
「叶多ちゃん、あたしは最初からあきらめてたからもういい。でも、叶多ちゃんが邪魔者なんだってことは忘れないでね」
「美咲――」
「戒斗、いい。美咲ちゃん、ありがと、教えてくれて」
戒斗をさえぎって叶多がそう云うと、美咲は泣きそうな表情で笑った。
「叶多ちゃん、意地悪してごめんね」
「ううん――」
「またやっちゃうかもしれないけど」
叶多がいいよと云うまえに、美咲は悪戯っぽく宣言して踵を返した。
それが美咲の精一杯の虚勢であることは叶多にもわかった。
同情されてもうれしくないだろうけれど、叶多は美咲の立場だったらとやっぱり考えてしまった。
「行くぞ」
戒斗に背中を押され、ふたりは並んで正門へと歩きだした。
「叶多、云いたいこと、もしくは訊きたいことは?」
ごく真剣な声が問いかけた。
「……仕事の途中だった?」
「CDジャケットの撮影中。抜けだしてきた」
どうりでジャケットから見え隠れするシャツが派手なはずだ。
けれどそんなことはどうでもよくて、重大なのは戒斗の時間を盗ってしまったことだ。
「ごめん、また……」
「なんだ?」
叶多が言葉を途切れさせると、戒斗はさきを促した。
「あたし……卒業するまで家に戻るよ!」
「わかった」
昨日から考えていたことだ。意を決して口にすると、戒斗は出し抜けにもかかわらずあっさりと認め、叶多はあまりの呆気なさに立ち止まった。
戒斗は叶多がついてきていないと気づいているはずなのに足を止めることなく、ふたりの距離はどんどん広がっていく。
呆然とその背中を見送っていると、やがて戒斗が立ち止まり、そして振り返った。
「理由は?」
まったくの無表情で声も冷たい。
「理由って?」
「戻るって理由」
「だって……自分のことばっかり考えて美咲ちゃんを傷つけた。それに、戒斗にはバカなことに付き合わせて迷惑いっぱいかけてるから! 今日も仕事の邪魔してる。ううん、邪魔より酷くて、足を引っ張ってるよ!」
戒斗は少しも可笑しいといった様子なく笑った。
「面倒くさいと思ってるのは確かだ」
自分で云っておきながら叶多は戒斗の言葉にショックを受けた。泣かないように口を結んでうなずき、そのままうつむいた。
「けど、叶多。迷惑だとか邪魔だとか思ったことはない。そうおれが思ってるっておまえが思ってることに腹が立つ」
叶多は驚いて顔を上げた。戒斗は変わらず冷たく叶多を見据えている。
「違うよっ。戒斗がそう思ってるって思ってるわけじゃない。あたしは何もまともにできなくて、ちゃんと考えられなくて……自分が嫌になってるだけ……」
「だから、叶多。おれはそのまんまでいいって云ってるはずだ」
「戒斗……」
「叶多の云いたいことはわかった。戻りたければ戻ればいい。けど、そのまえにおれが叶多を閉じこめる」
冷たい声とは真逆に言葉の意味が戒斗の熱を顕わにした。
どうする、と問うように顎をかすかに上げ、戒斗は答えを待たずして身を翻し、さっさと歩いていく。
考えるより早く、叶多は本能的に追いかけて、戒斗の手に自分の手を滑りこませた。強く握られると、叶多はほっとして握り返した。
ふたりとも黙ったまま正門まで来て立ち止まり、そこへすかさず和久井の車が横についた。
「叶多、どうするんだ?」
答えはわかっているはずなのに、戒斗は向き直って叶多に訊ねた。
「戻らない。戒斗と一緒がいい」
「その言葉、覚えとけよ」
「……え?」
「今日は覚悟しておけってことだ」
戒斗から冷たさが消え、そのかわりに残酷さと紙一重の楽しむような表情が目に宿って口もとが歪んだ。
赤くなった叶多を残し、戒斗は車に乗って窓を開けると誘うように顎を動かした。叶多はかがんで窓から覗きこむ。
「和久井さん、こんにちは」
「こんにちは、叶多さん」
和久井は斜め向いて可笑しそうに応じた。
戒斗に視線を戻すと同時に首の後ろをつかまれ、叶多は強引に引き寄せられる。和久井がいるのにもかまわず、戒斗は喰いつくようなキスをして叶多を解放した。
「じゃあな」
戒斗はニヤリとして叶多が立ち直るまもなく、車を出すように和久井に命令すると行ってしまった。
あっという間のキスは、叶多に終わらない夜を宣告した。
* The story will be continued in ‘Sweet die’. *