Sugarcoat-シュガーコート- #68

第8話 Get in the way -5-


 どれくらいぼーっと突っ立っていたのか、叶多は階段を上ってくる足音に気づいた。
「八掟、いいかげん戻るぞ」
 振り返ると、ちょうど陽が踊り場で立ち止まって叶多を見上げた。
「どうしてここにいるの?」
「呼びだしくらってたから来てみた」
「……もしかして……聞いてた?」
「ていうか聞こえるだろ。階段のある場所は反響しやすいし。こっち、専用教室ばっかだからいいけど、だれかに聞かれたらヤバい話だよな」
 からかわれるかと思いきや、陽は案じるように顔をしかめている。
 叶多が下りていくと一階の階段下にはユナと永も待っていて、ユナは謝るように顔の前で手を合わせた。
「あの子、従妹だったよね?」
「うん。美咲ちゃんのお父さんは戒斗のお父さんの会社の専務さんなの」
「へぇ。なんか面倒くせぇ状況だな」
 気持ちを整理しきれないまま永に追い討ちをかけられ、叶多はますます気を落とした。
「お姉ちゃんって連発してたけどなにかあるの?」
 ユナに聞かれて、叶多は美咲の姉、深智(みち)を思い浮かべた。戒斗の妹、那桜(なお)と同級生で、美人聡明という言葉が似合う人だ。
「……あたしにもわかんない」
「おまえ、悪戯があの美咲って子だとわかってたらしいけど、戒に話したのか?」
「云ってない。確信なかったし……」

 戒斗はなんでも話すように云うけれど、何気なく発言したことが違って捉えられることはずっとまえに学んだ。
 だれかの不利益になりかねない無責任なことを簡単には口にできない。美咲の告白を聞いたら尚更話せそうにない。
 かといって、自分で解決できるのだろうか。

「まあ、目下のところは明日の事情聴取をどう乗りきるか、だな」
 陽はなにを思案しているのか、独り言っぽくつぶやいた。
 叶多は出そうになったため息を押し殺した。
 思慮にまったく欠けた、自分の欲求のままにとった行動は自分に跳ね返ってきた。
 そうしたことで傷ついた人もいて……。
 変わらず無責任極まりない自分が嫌になって、一緒にいられるということに、叶多ははじめて後ろめたさを感じた。



 放課後の居残りは今週末の文化祭が終わるまで続くわけで、暗い帰り道にも慣れた。
 いくつかのグループと入り混じりながら、叶多はユナたちと連れだって教室を出た。
 昼休みの呼びだしから戻ると好奇心に満ちた目がいくつも向いたけれど、永の一睨みでそれもなくなった。こういうときの永の力は偉大だと思う。
 下駄箱まで来ると、このところの悪戯がトラウマみたいになっていて、叶多は少しブルーになった。原因もだれかということもわかっていながら、それでも気分のいいものではない。
 今日の今日でなにもないだろうと思っていたのに開いた靴箱の中に白い紙が見え、叶多は一瞬びくっとした。よく見ると屑ではなくちゃんとした封筒だ。
「また入ってた?」
「ううん。今日は違うみたい」
 ユナが声をかけると、叶多は否定しながら首を振り、封筒を開けた。

 入っていたのは二枚の写真で、秋祭りの日、駅まで迎えにきてくれた戒斗の車に乗ろうかという一枚と、もう一枚はいつなのか、部屋のドアが開いてちょうど出てきた叶多と戒斗のツーショットだ。
 戒斗と一緒の写真を撮ったことはなく、こうやって客観的に見ると、制服であることも手伝ってまるでちぐはぐなカップルにしか見えない。
 あたしだけうれしそうに笑っている写真って――。
「なんか、いかにも通いつめてますって感じだな」
 叶多が思ったことを代弁したのは陽だった。覘きこまれていることを知って、叶多は慌てて封筒にしまった。
「バランス悪いってことはわかってるよ」
「ふん。戒がどう出るのか楽しみなとこだけどな。おまえ、戒にちゃんと話せよ」
「……うん」



 その夜、戒斗が帰ってきたのは叶多がお風呂に浸かっているときだった。
「遅くなった」
 気配なくいきなりドアが開き、びっくりした叶多が湯船の中でジタバタすると戒斗は可笑しそうにニヤついた。
「おかえりなさい」
 云い終わらないうちに戒斗は浴室を出ていった。
 陽には話すと返事したけれど、うまく説明する自信はなく、お風呂の中でもまとまらない。行き当たりばったりだと、余計なことまで云ってしまう自分を知っている。

 うだうだしたまま浴室を出ると、戒斗はまた寝室にこもっていた。
 いつもなら邪魔しない。けれど、叶多はそっと戸を開けた。
「戒斗……」
 電話中だとわかっていながら寝室に入ってきた叶多を見て、戒斗が怪訝そうに目を細める。
 話している最中にもかまわず、叶多はベッドに座った戒斗の(もも)の上に(またが)った。条件反射的に戒斗の片腕が叶多の躰に回る。
 戒斗が押しやらないとわかると、ぴったりくっついた。ふざけて叶多は目の前にある首筋に口をつけた。手を出せないのをいいことに、戒斗の真似をしてペロリと舐め回すと、平然と相手の話に相づちを打ちながらも戒斗の躰が反応した。
 そのうち、叶多は今朝の仕返しを思いつく。動物みたいに歯を剥きだして咬みついた。戒斗の右腕に力がこもって強く()めつけられ、叶多は苦しくなって口を離した。
「……わかった。あとは明日だ」
 戒斗は話を切りあげ、電話の向こうに強引に云い渡すなり携帯電話を閉じた。

「なんだ?」
 戒斗は少し躰を引いてぶっきらぼうに訊ねた。
「怒った?」
 茶化して叶多が問いかけると、戒斗は小さく首をひねった。怒っているよりは呆れているようだ。
「なにやってるか、わかってるのか」
 叶多自身もよくわかっていない。たぶん考えたくないだけだ。
「猫は気まぐれなんだよ」
「猫?」
「そ、猫」
 叶多は笑いながら軽く応じたあとうつむいた。
「叶多?」
 戒斗の手が叶多の首を支える。
「戒斗……話があるんだけど……」
「ああ」
「でも、なんて話していいかわかんないの」
「……なら、とにかく話してみたらどうだ?」
「うん…………もうちょっと考える」
 ためらったすえ、叶多は顔を上げ、おどけて云った。
 いつもと違うことに気づきながらも、戒斗は気に留めていないふりをして含み笑った。

「なら、考えてる間に……」
 つぶやくとともに戒斗は向きを変えて叶多をベッドに押し倒した。
「待って!」
 叶多は迫ってくる戒斗の口を両手でふさいだ。こうなることは当然わかっていたけれど、戒斗を止めてしまうのは叶多の気持ち的な条件反射だ。
 戒斗は睨むように目を細め、顔を上げて叶多の手から逃れた。
「挑発したくせに逃げようったって無理だ」
「挑発じゃなくってハグ!」
「そういう云い訳が通用するには場所が悪すぎだ。おまけにやってることも違うだろ」
 戒斗は左手で自分の首に触れた。そこには叶多の歯形がくっきり残っている。
 叶多は困って目を伏せた。そのさきを考えないまま、戒斗に触れたいと思ったことは否めない。
「だって……考えられなくなる」
「今朝は考えるのに時間がかかるって云ってたよな。いまは話す気ないようだし結果出るまで待てない。迷ってるのか悩んでるのか、いったんそこから離れたらすっきりするかもしれないだろ」
「そう……かな」

 戒斗は胸の上に力なく置いた手をそれぞれつかみ、叶多の顔の両脇に(くく)るように自分の手を重ねた。
 叶多が目を上げると、戒斗がのしかかるようにして見下ろしている。
 恥ずかしさに赤面するよりも、不安にドキドキするよりも、つらさが怖いよりも、いまはただ触ってほしいかもしれない。
 また目を伏せた。戒斗の息遣いを口もとに感じる。けれど、一向にくちびるは降りてこない。
 叶多はためらうように口を開いた。とたんにいつになく乱暴に口の中を侵された。
 積極的になれたのはキスを受け入れるまで。
 ここ最近の緩々(ゆるゆる)な触れ方は叶多を油断させる手だったのかと疑うほど荒っぽいキスのなか、酸素不足に陥って叶多の思考回路は壊された。
 残った知覚は終わりの見えない、快楽とすれすれのつらさだった。



 戒斗が云ったとおり、次の朝になると、叶多の中で話しておくべきことと話さなくていいことの区別がはっきりついた。
「戒斗、これ」
 家を出る直前に叶多は戒斗に写真を手渡した。
「なんだ――」
 訊ねながら受け取った戒斗の言葉が途切れた。かすかに険しくした顔を上げ、今度は無言で叶多に問いかけた。
「えっと……云うのが遅くなっちゃったんだけど、その……学校で噂が……あたしが男の人と不謹慎な付き合いしてるって噂されてて…… でも、そんなに大げさじゃなくって、あたし、こんなだし、あんまり信じる人もいなくてもうほとんど噂は消えちゃってたの。だから戒斗には云わなかった。そしたら、先生にこの写真が届いたみたいで……」
「それで?」
 云い(にく)そうにした叶多を戒斗が促した。戒斗はどう思ったのか、いつもの言葉にはなんの感情も見えない。
「今日の放課後、お母さんが来て話し合うことになってる。お母さん、任せなさいって云うから戒斗は心配しなくて大丈夫だよ」
 叶多が笑いながら首をかしげると、戒斗もまた、釈然としない表情でかすかに首を動かした。
「それだけ、か?」
「え?」
「昨日、話があるって云ってたことだ」
「うん」
「わかった」
 戒斗があっさりと返事をして、叶多はほっとした。

 それから叶多はちょっと待ってみた。今日は引き止める気はないらしい。視線を少し下ろすと、鎖骨のちょっと上に咬んだ(あと)が目に入る。伸びあがってそこを舐めた。
「じゃ、いってきます」
 口を歪めた戒斗がうなずいたのを見届け、叶多は部屋を出た。

 戒斗は叶多を見送ったあと、眉をひそめてしばらく写真に見入った。



 千里が云う、大丈夫、はどこに根拠があるのか、放課後が近づくにつれて叶多にはだんだんと気休めでしかなくなってきた。
 三時半に授業終了後、担任からの連絡事項があって終わりの号令がかかった。文化祭の準備にとりかかるまでには、暗黙の了解のうちにちょっとした休憩があり、教室はにわかにざわめく。
 約束の四時はもう目のまえだ。金元が教室を出るまえに叶多に目を留めて小さくうなずいた。
 それがプレッシャーになり、なにも手がつかなくなって叶多はため息を吐いた。

「戒はどうするって?」
 陽が来て、叶多の横の席の机に腰を引っかけた。
「どうもしなくていい。お母さんで充分」
「話してないのか?」
「話したよ」
「じゃあ、普通は来るだろ。覚悟してるって云ってたし――」
 窓の外を見ていた陽はなにかに気を取られたように言葉を切った。
「……覚悟してる、ってなんの話?」
「来たぞ。そうこないとな、見損なうところだ」
 叶多の質問はそっちのけで陽は独り言のように云った。
「……え?」
「戒が来た」

 慌てて立ちあがった叶多の椅子が音を立てて後ろの机に当たった。急いで窓際に寄り、外へと出られるガラス戸を開けた。校舎は正門から比べると少し高台にあって見晴らしがいい。
 すぐに南側の正門から正面玄関の方向へ歩いている二人が目についた。
 一人は千里で、その隣をスマートに歩いているのがだれなのかも間違えないようがない。
 叶多の視線に気づいたかのように戒斗の顔がこっちを向いた。表情は見えなくても、戒斗が叶多を捉えたことは確かだ。
 思わず一歩足を踏みだしたとき、視界の隅にだれかが入りこんで、叶多は足を止めた。
 戒斗は立ち止まり、千里となにやら話すと、千里だけが先に歩きだした。

「あれ、昨日の奴じゃないか?」
「……うん」

 残ったのは戒斗と、行く手に立ちふさがった美咲だった。

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