Sugarcoat-シュガーコート- #61

第7話 extra Candy floss -first-


 週明けの昨日、そして今日と帰ってきたテストはまずまずの出来で、結果表は平均七十七点というラッキーナンバーが二つも並んでいる。まずまず、というのは控えめすぎる。叶多にとっては驚異的な数字だ。
 いずれも余裕でクリアしたユナと永と同じく、叶多はほくほくした気分で昼休みを迎えた。
「ま、簡単だったからな」
 報告しあっていると、陽は皮肉っぽく笑ってせっかくの達成感に水を差しかねない口調でつぶやいた。
 叶多はお弁当を(つつ)いていた手を止めて正面にいる陽を見上げた。
「そうなの?」
「やっぱ、気づいてないよな。どの教科もいつもよりランク落ちてた。そう云うと余計にプレッシャーになるだろうと思って試験中は云わなかったけどさ」
「渡来、何点取ったの?」
「九十七」
「嘘だろ」
「おまえらに散々付き合ってやったんだ。復習に復習を重ねたようなもんだし、それくらい取れる。かえって百点取れなかった自分に納得いかない」
 叶多たちは尊敬の眼差しを陽に注いだ。
「渡来くん……脳みそ、分けてくれない?」
 叶多が云ったとたん、まるで蔑視する視線がおりてきた。
「ばーか。脳みその分け方なんて知ってたら、おれは今頃こんなとこ、いねぇよ。ていうかさ、そこでまた思考停止するところがおまえらのレベルの低さなんだよ」
「何が云いたいの?」
 陽のあまりの云い様に、叶多たちは三人とも顔をしかめ、ユナが代表して抗議した。

「常識的に考えてさ、いきなり進学基準が変わるってヘンだと思わないか。おれらよりも親のほうが黙っちゃいない。親のステータス志向で入ってる奴が多いのにさ。しかも親にはなんの説明会もなしだ。明らかにおかしいだろ」
「あ……云われてみれば。うちの親、必死に幼稚園受験させたのに何も文句云わなかった」
「そうだよな。おれんとこもいつもならうるせぇくらいに尻叩かれっけど、なんも云われなかった。勉強会やってるせいかと思ってたけど違うのか?」
「おれらに云うより早く、親んとこにはメールの一斉送信で連絡行ってた」
「え?」
 確かに青南学院は現代の利便性を活用して、親への通信手段としてメール登録をさせている。それがこんなことにも使われているとは思いもしない。
 叶多たちは信じられない面持ちで陽を見つめた。
「結論からいくと、単なる脅しだったらしい。(たる)んでるには違いないから(かつ)入れたんだろ。簡単だったとはいえ全体平均は文句なしに上がってるし、成果はあったってことだろうな。ほかの奴には云うなよ。親は口止めされてるし、パニクるから」
「……なのに渡来くん、どうしてそこまで知ってるの?」
「おまえの弟」
「え、頼?」
 叶多は呆気に取られた。
「そう。勉強会始めてすぐ、おれの弟経由で連絡あった。頼もおかしいと思ったんだろ。いろいろ()ぎまわって、おまえんちの母親の携帯メールを盗み見したんだってさ」
「なんで渡来くんに連絡あってあたしにないの?」
「なんでだと思う?」
 陽は口を歪めて笑った。よからぬ裏がある笑い方だ。
「な、何」
「打倒、戒斗」
「へ?」
「云ったはずだ。ただじゃ終わらせない。成果あっただろ」
「成果って……あたしに……」
 跳ね返ってくるんだから。
 またへんに突っこまれそうで、叶多は最後まで云うのはやめた。

 そういえば金曜日、いつの間にか眠ってしまってて、脅しのわりに戒斗は何もしなかった。……と思う。まさか寝ている間にそうされて気づかないってことはないだろう。そのあとも普通だったし、単なる脅しだったのか拍子抜けした。や、けっして期待してるんじゃなくて……普通にやられてもつらいんだけど…………やっぱり脳みそが腐れそう。
 それはともかく頼。甘えたの仮面を被ってる裏で、やたらと異常発達した頭をフルに使っているらしい。知らない間にほんとに陽と繋がっているなんて、やっぱり気を許さないようにしないと。



「叶多」
 学校からの帰り道、駅構内を出たとたん、呼び止められた。声のしたほうを向くと、道路脇に止まっている見慣れた車が目に入った。
「戒斗!」
 叶多は駆け寄って、開いた助手席の窓から車の中を覗きこんだ。
「乗れよ」
「どこ行くの?」
「崇さんとこ。お祭りだから来ないかって」
「あ、今日二十七日!」
 叶多が助手席に納まったのを確認して戒斗は車を出した。
「叶多が来ないから痺れ切らしてるんだろ」
 試験が終わった土日は、戒斗が有吏の用事で昼間中不在だったこともあり、それまで気が張っていたぶん、叶多は伸びきったゴムみたいに家でぼうっとしていた。
「そういえば、作りっ放しのグラスがあったのも忘れてた」
「作りっ放し?」
「うん。あい橋に行った日に作ったの」
「あの人騒がせな日か」
 戒斗は運転しながらちらりと叶多を見下ろした。決まり悪そうにした叶多と目が合うと口の端で笑った。
「それが……」
 叶多は云い淀んで言葉を切るとため息を吐いた。
「なんだ?」
「あれ……進学のこと、ただの脅しだったって……」
「……ふーん。まあ、それでもいい機会だったんじゃないか?」
 驚きもしない、といっても戒斗があからさまに驚くことはないけれど、どこか不自然なくらい平然としている。こういう場合、平然とするよりはおもしろがるだろう。
「もしかして……知ってた?」
「なかなか観察力が鋭くなってる」
「酷い」
「とうとつすぎるし、当然、疑うべきところだ。伝手(つて)を当たってみた。それからおまえの母さんにも裏付け取った」
「お母さんも知っててわざとあんなふざけたことを云ったんだよね……。絶対、酷い」
「せっかく頑張ってるのに水は差せないだろ。それに得たものがあったはずだ」
 戒斗が云う得たものは確かにある。
「でも……あれだけ落ちこんで……あたしってホントにバカ丸出し」
 気落ちした叶多を見やって、戒斗はやっぱりおもしろがるように小さく笑った。
「それで、どこから聞いたんだ? 学院側が云うはずないよな」
「え……それが……渡来くんから聞いた。……おおもとは頼なんだって。なんだかおかしいと思ったらしくて」
「いつ?」
「え、今日の昼休みに――」
「そうじゃなくて、頼と渡来はいつ気づいてたんだ?」
「勉強会始めてからすぐなんだって」
 見ていた戒斗の横顔は険しさから一転して無表情になった。
「……そういうことか」
 声をかけづらい雰囲気でしばらく沈黙に付き合っていると、なんらかの整理がついたのか、ようやく笑みの潜んだ声で戒斗はつぶやいた。
 戒斗がいつもに戻ってほっとしたのと自分の浅はかさに叶多はため息を吐く。
「あたし、人間不信になりそう」
 戒斗は小さく声に出して笑うとちょうど赤信号で止まり、叶多の頭の後ろに手を回した。
「あいつらと違って、少なくとも、おれは叶多のことを考えたすえのことだし、不信の対象にはならないはずだ」
 戒斗は『あいつら』が何を考えたのか見当つけたらしい。
 叶多は頭を引き寄せられ、同時に戒斗の顔も近づいてふたりのくちびるが触れた。
 戒斗が離れ、叶多が瞬間的に閉じていた目を開けると、そうだろ? とすぐ傍から問いかけるような眼差しが注がれる。返した笑顔に答えを見つけた戒斗は口を歪めて、また前に向き直った。

 “たか”に着くと、戒斗が云うところの、痺れを切らしている、わりにはあっさりと崇に迎えられた。歓迎ぶりがいつもと同じであろうが、そう不思議なことでもない。
 崇の印象は、いちばん最初に感じた“怖い”から“温和”というイメージに変わった。常に克己(こっき)的で、たまに痛いところを突いたり豪快に笑ったりするけれど、露骨に喜怒哀楽を示すことはあまりないのだ。
「叶っちゃん、これ」
 崇たちの邪魔をしないように作品棚を眺めていると、一段落ついた則友が後ろから声をかけた。則友の差しだした手には表面がでこぼこしたグラスが載っている。
「これ、このまえのだよね」
「そう。どう?」
 叶多はグラスを回して眺めた。あのときはどこか(いびつ)で納得がいかなかったのに、いまこうやって見るとどこも問題ない。でこぼこのシルエットがきれいなラインになっている。

「なんだかいい感じ。何が気に入らなかったのかな……」
「あのときはわんこが完璧を求めていたからだろうさ」
 崇が口を挟んだ。ガラス削りを見守っていた戒斗も一緒にやって来た。
「完璧?」
「そうだ。人間というのは悩んだり迷ったりするほど自分を否定し、自分に完璧を求める。通り過ぎればそこになんらかの美を見出せるんだがな。いまのわんこがそうだ」
「つまり、どういうことだ?」
 崇に続いて戒斗が叶多に問いかけた。
「え? ……んーっと……気持ちが変わったら見え方も違ってくるってことで……つまり……わかんない」
「美しいから完璧だというわけじゃない。逆もしかり。美はどこからでも引きだせる、ということだな」
 崇はますます迷路にはまりそうな哲学を談じた。
「つまり、どんなに頓珍漢(とんちんかん)なことやっても、そこに真剣さがあるならバカげたことじゃないってことだ」
「なんだか酷いこと云ってない?」
 おそらくは車の中で話したことを引き合いに出していると気づき、叶多は首をかしげて戒斗を見上げた。
「そこは見方を変えるべきだな」
 戒斗はすまして云い返した。
「戒斗の云うことって難しい」
「簡単に云えば、叶っちゃんが何やっても戒斗くんにとっては許容範囲内なんだってさ。だろう?」
 口を挟んだ則友は戒斗に同意を求めた。
「大まかなところは合ってますよ」
 戒斗は少し口を歪めて笑みらしきものを見せた。
 その様子はちょっとまえまでの陽に対する態度と似ている。陽と違って則友は至って普通で、叶多からすれば戒斗が硬すぎる感じだ。

 もしかして戒斗って意外に人見知り激しい性格だったりして。

 叶多はそれまでの会話から外れて勝手な結論を出すとこっそり笑った。が、戒斗は目敏くそれに気づいたようで、目を細めて叶多を見つめる。叶多は慌てて口を閉じた。

 それから崇たちの作業に付き合って六時半頃にそろって工房を出た。
 神社に向かって歩いている途中、子供たちがはしゃぎながら追い越していった。街灯を頼りにしないと危ないくらい暗いけれど、その先の神社の入り口から境内までは臨時の照明と灯篭(とうろう)で充分なくらい明るい。例年どおり、近所の人がやっている持ちだし露店もたくさん並んでいるようだ。

「いいなぁ、近くでお祭りがあるって。子供たち、楽しそう」
「私から見れば、わんこも毎年、子供たちと一緒になって楽しんでるように見えるがな」
「崇おじさん!」
 則友が吹きだし、戒斗もおもしろがって隣を歩く叶多を見下ろした。
「もう、崇おじさん、余計な一言多いんだから」
「確かに」
「そのとおり」
 戒斗、次は則友と続いて叶多に同調した。
「ふふん。私の楽しみだ」
 崇は悪びれもなくつぶやき、その両脇で顔を見合わせた戒斗と則友が互いに笑みを交わした。
 その瞬間、見上げた戒斗の横顔から角が取れたように感じた。

BACKNEXTDOOR


* Candy floss … (英)綿菓子 (米)cotton candy