Sugarcoat-シュガーコート- #51
第7話 No one is perfect. -1-
時計が午後七時を差す頃、叶多はテーブルの上に今日の晩ごはんを並べ始めた。
昼間はまだ暑さが残っているけれど、陽が落ちるとさすがに半袖では肌寒くなった。明日はもう十月だ。今日のメイン、シチューがさらに美味しく感じる季節へと突入している。
同棲を始めて一カ月あまり、戒斗の生活パターンもだいたい把握できた。
夏のツアーが終わってから公式ライヴはなく、テレビ出演の関係で特別に朝早かったり夜遅かったりするけれど、九月は半分以上、一緒に晩ごはんが食べられた。
いまはアルバム製作に入っていて事務所やスタジオに詰めていることが多く、いってらっしゃいとおかえりなさいを云う時間が不規則ではあるものの、芸能人だからといって役者業とは違い、活動時間帯自体は一般人とそう変わらないようだ。
戒斗の場合は仕事と別に有吏のことがあるから、それがスケジュールを複雑にしている。仕事が休みでも、気が休まるときがあるのかというくらいに出かけているか、家にいても電話しているか。
六月の終わりに戒斗と会えてから夏休みいっぱいまでツアー中だっただけに、叶多のあたふたのためにどれだけ時間を費やしてくれたかと考えると、“うれしい”を遥かに通り越して申し訳ない気持ちが湧いてくる。
同棲をしているいま、せめて戒斗の手を煩わせないこと。できるかどうかはともかく、それが叶多の心がけられる精一杯だ。
気づいたのは、夜の十一時以降から朝の八時までは有吏関係の連絡は完全に途絶えることだ。十一時の一分前になると、電話中でも有吏の掟なのだろうかと思うくらい、あとは明日だ、と云い放って戒斗は話を打ちきる。
少なくともこの一カ月のほとんどはその間、仕事にも有吏にも邪魔されずにふたりでいられた。そうは云っても睡眠時間が大半を占めている。残念な気もするけれど、叶多がいちばんいたいと願う場所は戒斗の腕の中であり、つまりは意識がなかろうと大切な時間だ。
今日はたまたま仕事でまだ帰ってきていないけれど、あと三十分もすれば戻ってくる。
レタスと薄切りたまねぎとワカメをフレンチドレッシングで和えたサラダ、魚介ベースのシチューを配分する。スクランブルエッグに茹でウィンナーを載せてケチャップをトッピングした中皿をダイニングテーブルの真ん中に置いた。
「あらぁ。美味しそう! 食べていいかしら?」
「どうぞ」
並べたてた料理を前にして子供みたいにわくわくと目を輝かせながら訊ねたのは、もちろん戒斗ではない。隣に住んでいる椎真理奈だ。
今日の真理奈は、料理の彩りが褪せて見えるくらいに艶やかなショッキングピンクのワンピースを着て、叶多がいつも使う席の斜め向かいに座っている。
「叶多ちゃんも座ってよ。なんだか私だけ先に悪いじゃない?」
真理奈もまた定位置になった席から上目遣いに見上げ、叶多の座る場所を軽く叩いた。
「そのまえにちょっと……」
真理奈の格好にもう一度目をやって叶多はベッドルームに行き、タンスを探るとすぐに戻った。
「真理奈さん、これ使って。出勤前なのにせっかくのお洋服が汚れちゃうかも」
「あら、気が利いてるわね。ありがとう。さあ、座って」
叶多がエプロンを渡すとどっちが家の主かと疑いたくなるしぐさで促された。叶多は席に着き、真理奈がシチューをたんまりとすくって頬張るのを見守った。傍から見たら、まるで女主人にお伺いを立てる召使いだろう。
「美味しいわぁ。ほんと、叶多ちゃんが戒斗のところに越してきてよかった」
心底から真理奈がそう云っているとわかる。多少、複雑な気がしないでもないが叶多は笑ってうなずいた。
同棲してからはじめての登校日に会って以来、真理奈は出勤時になると訪ねてきて、いってきますと声をかけていく。お客さんからのもらい物をおすそ分けと持ってきたり、何かと託けてやってくるようになって十日くらいした頃、叶多がカレーを作っていたときにちょうど訪ねてきた。
「カレーなの? いいわね。一人分作ってもカレーって美味しくないのよね」
「これ、明日のなんです。カレーって一晩置いたほうが美味しいから」
「へぇ」
「……真理奈さんもよかったら明日、食べにきませんか。お店のほど美味しいわけじゃないですけど」
あまりにもうらやましいといった相づちに、思わず叶多は誘ってしまった。まさに“しまった”だ。それから、出勤時間が早い土日祝祭日の前夜と、気を遣っているのか、休み当日を除いて三人で取る夕食が多くなった。
戒斗が咎めるも、真理奈はどこ吹く風でやってくる。
叶多はいまだに戒斗と真理奈の関係がよくわかっていない。
高校の同級生ということまでは判明に至ったけれど、異性同士でもこんなふうに付き合えるのだと感心するくらい、会話とかボディタッチとか二人とも互いに遠慮がない。
ボディタッチといってもベタベタではなく本当にさりげないものだ。例えば話している途中でさえぎるように肩に触れたり。真理奈の職業がホステスなだけに抵抗がないのか。加えて、真理奈のしぐさがやけに色っぽいのも職業柄なのか。
気になることはそれくらいで、害もなければ、というよりはむしろ学生時代の戒斗が聞けたり、ホステス業の笑えるようなエピソードが聞けたりと夕食の時間は楽しい。
それに真理奈は本当に美味しそうに食べてくれる。
いまも叶多に食べたいと思わせるほど、茹でウィンナーをプリッと音を立てて口に入れた。
「あたしも摘んじゃおうかな」
「自分で作ったんだから、律儀に戒斗を待ってないで食べなさいよ。そんなことで怒るような男じゃないでしょ」
「そうですよね。じゃあ、お行儀悪いけど……」
叶多はウィンナーを手づかんだ。
真理奈もまた手を伸ばす。合わせて胸が邪魔そうに揺れた。
そういえば、何気に大きい胸も気になってついつい目が行ってしまう。コンプレックスを感じているせいかもしれない。
「そんなに気になる?」
「はい……。……え?」
「私の胸。いつも見てるから」
真理奈がそう云うと、叶多は思わず躰を引いて椅子ごと転びそうになった。
「い、いえっ……ぃや、やっぱり見てるかも……ち、ちょっと、うらやましいなぁと思って」
焦ったすえに認めると、真理奈は叶多の胸にちらりと目をやり、何を思ったのか手を伸ばしてTシャツの上から触れてきた。手を引っこめた真理奈はぷっと吹きだした。
「かろうじてBカップくらいよね? 確かに小さいけどいいんじゃない、戒斗がそれでいいんなら?」
なぐさめになっているようでなっていないようで、話の方向性を鑑みても危うく、叶多は返事ができずに曖昧に笑って顔を赤くした。
真理奈はふふっと可笑しそうにして叶多をしげしげと見つめる。
「な、なんですか?」
「叶多ちゃんて全体的に小さいじゃない? よく耐えてるなって思ってるんだけど」
叶多はなんのことかわからず、首をかしげて真理奈を見つめた。
「……耐えてるって?」
『ふふ』という笑い方がどういう意味を含んでいるか、叶多にはまったく教訓になっていなかった。
叶多がウィンナーをかじったとたん。
「戒斗のって、興奮してなくてもそのウィンナーよりかなり大きいでしょ?」
……。
叶多の時間が止まった。
かまわず真理奈は続ける。
「女の躰って不思議よねぇ。まあ、赤ちゃんが出てくるくらいだから……」
ぐっ。
かじったウィンナーが丸ごと食道に流れこんだ。途中で詰まりそうになって叶多は拳で胸を叩く。
「あらら、叶多ちゃん、大丈夫?!」
真理奈は席を立って叶多の背を擦った。
ようやく痞えが取れ、全力で五十メートルを駆け抜けたように荒く呼吸を繰り返した。
死、死ぬかと思った……。
叶多は滲んだ涙を指先で拭った。
「何やってんだ?」
いきなり不機嫌な声が飛びこんだ。
「あら、戒斗。お帰りなさい」
「か、かいとっ……お、お帰りなさいっ」
落ちつく間もない戒斗の帰宅でまたどこかにウィンナーが引っかかった気分だ。スリムな黒いジーンズを穿いた下半身に目が行きそうになるのをなんとか留まった。
戒斗はへんに上ずった声の叶多を見ると、かすかに目を細める。何かあったらしいことは考えるまでもなく、視線を移して真理奈を訝しく見やった。
「真理、おまえ、いいかげんにしろよ」
「あら、心外。何もしてないわよ」
「なら、離れろ」
「やぁね。私に嫉妬してどうするのよ」
戒斗は首をひねって警告した。
真理奈はアメリカ人のようにオーバーなジェスチャーで肩をすくめながら手を広げた。
「はいはい。もう行くわよ。じゃあね、叶多ちゃん」
「はいっ、いってらっしゃい」
真理奈が出ていくと戒斗は大きくため息をついた。
「何云われたんだ?」
「何も云われてないよ! えっと……ちょっとウィンナーを詰まらせちゃって……」
戒斗はテーブルに目をやると肩をそびやかして、
「腹減った」
と流しで手を洗い、叶多の向かいに座った。
「シチュー、温めなおすね!」
叶多は立ちあがってガスをつけた。追及されなかったことにほっとして小さく息を吐く。
「叶多、真理に遠慮する必要ない。嫌なときは入れなくていい」
叶多はちょっと驚きつつ、あらためて云った戒斗を振り向いた。まだ少し不機嫌なようだ。
「別に嫌じゃないよ。長居してるわけでもないし、食事はたくさんのほうが楽しいから。それに近くに親しい人がいたら心強いよ」
叶多が本気でそう云っていると知ると、なぜか不機嫌だった戒斗はやっと口の端を上げてみせた。
いつものようにほとんど叶多がお喋りするなかで食事が進んでいく。
「叶多、ウィンナー食べないのか?」
「へ?」
戒斗が指差したウィンナーに目をやると、せっかく忘れかけていたことを思いだし、想像しそうになって急いで振り払う。
「……あ……さ、さっき窒息しそうになったし! ……今日はもういいっ」
「ふーん」
戒斗は赤くなった叶多の顔を量るように見つめる。
「そ、それより戒斗、戒斗はどうして真理奈さんのことを真理って呼ぶの? 唯子さんのことは水納って呼ぶのに椎でもなくって真理奈でもないし。付き合いが古いから、その違い?」
話を逸らそうと叶多は思いついたままを口にした。
「そんなもんだ。話すと長くなる。叶多、それよりまだ終わらないのか?」
戒斗は語らず、叶多に次いで、なんとなく逸らしたように感じた。
が、そう気になったのも一瞬で、また話題が危うくなって叶多は顔を赤らめた。
「戒斗、しつこいよ?」
「中毒症状だ」
戒斗はすまして答えた。
このときはそれ以上しつこく迫ってくることはなく、納得したのだろうと油断していた矢先、戒斗は中毒症状を顕わにした。
明日の準備が終わるのを見計らったように炊飯ジャーのスイッチを押したとたん、戒斗に躰をすくわれた。
「戒斗っ」
「気にすることはない」
「だめっ。気にならないわけないよ!」
「デリケートだってことはわかってる。無茶はやらない」
お姫さま抱っこにドキドキするどころか慌てふためいて、あっという間にベッドに下ろされた。
戒斗はベッドの端に座り、顔にかかった叶多の髪を払う。
「でも、やなの!」
「なら、ここだけでいい」
戒斗の手がパジャマの上から胸に触れると、叶多は躰を震わせた。
「だって――」
「あと二日待ってこのまえみたいな目に遭うか?」
叶多をさえぎって戒斗は口を歪めて見下ろした。残酷ともとれる笑みだ。
叶多は即座に一カ月前の交渉事を思いだし、また躰がぷるっと震えた。
ただでさえ長く、いや長いのかどうなのか他人のことなどわからないけれど、いつまで続くのかと思うくらいの戒斗の意地悪が二回も繰り返され、疲れ果てた叶多は翌朝、寝坊して遅刻寸前だった。朝になっても躰がへんに重たかったことを思い、どっちがいいか、つかの間考えこむ。
……いまのうちに中毒症状、少し緩和しておいたほうがいいのかも……。
叶多が首を振ると、戒斗は満足したように口端を上げる。
ベッドに上がった戒斗は、叶多の脚の間に入ってその膝を立て、パジャマの上着の裾から両手を滑りこませた。
「か、戒斗」
「なんだ?」
「ホ……ホントにあたしで……満足してる?」
お腹を戒斗の手が這い、小さく呻きつつ、予てから気にしていたことを叶多は訊ねた。
「どういう意味だ?」
戒斗の手が止まる。
「まだ……最後まで進まないし……あたしの胸、小さいし……」
「叶多くらいが好みだって云わなかったか? それに加えて大きさの問題より、おれは感じやすい叶多が気に入ってる。こんなふうに」
含み笑いをしながら戒斗は奥に進み、手のひらで包んだ胸を撫でる。叶多の瞳が潤むのとどちらが早いかというくらいに戒斗の瞳が烟った。
指先に捕えられた胸の先が自分でわかるくらいに欲求を露わにして、叶多は恥ずかしさに目を伏せた。躰が震え、堪えきれずに口が開いて荒くため息を吐くような声が漏れた。
「叶多、心配しなくてもそのまんまでおれは充分に楽しんでるし、楽しみは増えてる。叶多の反応見てると、自分でイケるようになったら胸だけでイカせてやれるかもって期待してる。というより、イカせる」
愉悦の浮かんだ言葉に叶多は戒斗を見つめた。見開いた瞳に不安を宿らせる。
触れるだけではなく、口を歪めた戒斗がとことん弄るつもりだということを叶多は知った。
「戒斗……やっぱりやだ……んっ……」
拒否を無視して戒斗が本気で動きだした。
指先が敏感な触点を擦ると躰が震えて背中がベッドから浮く。神経がすべてそこに集まっている気がした。
戒斗は前かがみになると、叶多に覆いかぶさって顔を近づけ、誘うように開いたくちびるをふさいだ。いったん叶多の胸から手を放して、戒斗はパジャマのボタンを外していく。ナイロン地のキャミソールをたくし上げた。
小振りなふくらみと快楽を知って剥きだしになった淡いピンク色のアンバランスさが戒斗の加虐的な衝動を満たす。
「今更やめるつもりはない。云っとくけど、おれがしつこいのは叶多に限る」
残忍にも聞こえる囁きに叶多は怯えたように身震いした。
右の胸先が生暖かさに吸いこまれて、左側は弦を弾く硬い指先に無造作に揺さぶられる。隠すことさえ思い及ばないほど叶多の力は抜け、戒斗に攫われた。
あぅ……んふっ……あ……っ。
時間が止まったような静寂の中で叶多の啼き声だけが時の流れを教える。躰の奥が熱くなり、もどかしさだけが募っていき、叶多は狂いそうな怖れを抱いた。
「戒斗……もう……やだ……へんに……なりそ……ぅ……んっ」
嗚咽するたびに激しく上下する胸は戒斗に押しつける格好になって、叶多は自分で自分を苦しめた。
戒斗は顔を上げ、涙に塗れた叶多のこめかみを手で包んだ。
「イっていい」
戒斗が口もとで囁く。
「……戒斗」
「大丈夫だ」
戒斗は再び濡れた胸先を咥え、指先で捕らえ、もう一つ空いた手を開いた脚の間に入れてショーツ越しにデリケートな部分に触れると、叶多の啼き声が悲鳴に変わるのを待った。
程なくその時は来て、同時に強く摘んだ。
その刹那、叶多の中でふくらんだ感覚が弾けた。
んっ……ぃゃぁああ……っ――。
絶叫に近い声を戒斗がキスで閉じこめる。
戒斗はビクッと戦慄く叶多を抱いて、余韻が治まるまで触れるだけのキスでくちびるから喉もとまで繰り返し伝った。
やがて叶多の全身から強張りが解けると、戒斗は躰を起こしてパジャマのボタンを詰めてやった。
叶多は震える息を一つ大きく吐き、ショックが抜けきらずに泣きだした。
「戒斗……酷い……」
「怖がるんじゃなくて楽しめばなんの問題もないんだけどな」
「だって……絶対、普通じゃない。いくら無知でもそれくらいわかるよ……」
真理奈が今日、云ったことにしても普通のセックスを前提とした話だ。
「だから、おれと叶多、なんだ」
戒斗はしゃあしゃあと云いきった。
不満混じりの困惑に襲われて、また叶多の瞳から涙が零れる。
「これ以上、続けたくないならそそるなよ」
後ろめたさは少しも見せずに戒斗は片方の涙を手で拭って云い放った。
叶多が慌ててもう片方を乱暴に拭うと、戒斗が可笑しそうに笑う。
自分では動けなくなった躰を引き寄せられるままに任せて密着すると、戒斗の意思が叶多の腰の辺りに触れた。
ドキドキすると同時に重要なポイントに気づいたのはその瞬間。
……真理奈さんはどうして戒斗の……サイズを……。ウィンナーより……『かなり』ってどれくら……ち、違うっ…… でも、あたしが比較できるのといえば……小学生の時の頼くらいで……って全然参考にならないし……違う違うっ。
あらぬ方向に思考が及び、叶多は急いで妄想を打ち消した。
……だって、あたしも見、見たことないのに……だから、違うっ。想像するんじゃなくって……。
真理奈さんはいかにも見て知っているような口ぶりだった……。
…………。
疲れた。
考えるのをやめた叶多は気だるさの中ですぐに眠った。