Sugarcoat-シュガーコート- #50

第7話 prologue Chance on


age 戒斗19

 七月の終わりに家を出てから二カ月が過ぎ、アウトロー的な生活にも慣れた。
 やりたいことを見つけられて。
 叶多に約束したことは見つかっていないどころか、生計を立てるためにがむしゃらに働くしかない状況にあって探す余裕さえない。
 有吏の業で稼いだ金は別として、家を出ると決めてからアルバイトをやってきたぶん少しの蓄えはあったものの、まともなアパートを借りられるほどはなく、しばらくは日当をもらえる仕事を探して放浪者のように野宿でやり過ごした。
 おれにしてはまったく計画性のない、行き当たりばったりの生活はおもしろくもあった。
 夏が暑いということは知っているが、公園のベンチが寝苦しかった理由は暑さよりも蚊の襲撃だ。耳もとで飛びまわる蚊がたった一匹であっても、あんなにうるさいものだとは知らなかった。慣れるまでに時間が必要だったことは、時代劇の武士がよく口にするセリフ、不覚、という気分以外のなんでもない。
 まさに放浪者から、若いのに大変だな、とお茶だのカップ麺だのと(おご)ってもらったことについては若干、複雑な気もした。
 なぜなら、普通に生活しようと思えばできたからだ。所詮、お坊ちゃまのお遊びだと云われても反論できない。
 それでも有吏の金に手を出さないということについては拘りがある。もしくはプライドかもしれない。

 ――有吏という温床に浸かって守られてるからな。

 一年前、織志維哲(おりしいさと)の口にしたことがずっと頭から離れない。
 叶多という心を知ってますます疑問が明確になった。打算もなく見返りを求めるでもなく、まっすぐに向かってくる全幅(ぜんぷく)の信頼におれは見合うのか。
 そう思うようになって、有吏一族のなかで長として量られることではなく、ただ自分というものを確かめたくなった。
 なのに家を出ているいまもおれは見張られている。
 有吏一族というものがなんなのかわからないまま、あるいはその命令のトップに有吏という一族がいることさえ知らないまま、巡り巡っておれの動向は逐一(ちくいち)チェックされている。
 つまり、有吏一族に守られていることには変わりない。
 一族のなかには、いや、ほとんどがそう思っているんだろうが、今回のおれの所業をガキじみた反抗期と片づけている。
 それはそれでいい。おれは自分に証明したいだけだ。
 有吏という名を()いでも残るものがあるのか。

 一カ月近く、野宿生活を送ったあと、住みこみで手っ取り早く稼げる仕事を見つけた。パチンコ屋だ。二交代制の仕事はおれにとっても都合がよく、なるべく早番にシフトを組んでもらって夜は別のバイトに入った。
 昼間はパチンコ店、夜は深夜まで営業しているバーと、時間を調整しながら働くという生活が続いている。
 十月になってすぐ、大学の友人たちから、なぜ出てこないんだ、という電話とメールが一斉に入りだした。
 休学届を出したこと、復学の時期は未定であることを知らせると誰もが一様に驚いたがすぐに、おまえらしいな、と友人たちは勝手に納得した。友人といってもまだ付き合いは一年足らずと浅い。いま携帯電話に登録している番号やアドレスは一年前には存在しなかったものだ。
 おまえらしいな。
 そこまで云われるくらいの友人を持つという余裕をおれにもたらしたのは叶多に違いなく――。

 ふと、青南中等部の制服が目に入った。
 もちろん叶多ではない。青南を軸に考えれば、おれと叶多は真逆の方向に生活圏がある。この生活パターンに変わって早番で五時にあがり、夜の仕事へと着替えて駅に着くまでによくすれ違う。
 そのたびに、叶多が中等部に入学した日、制服姿を見せるために大学までやって来たことを思い返す。入学式を終えたことを報告して照れくさそうに笑う叶多の制服姿は、それだけで子供という枠を脱したように見えた。
 その時の危うい衝動までもが甦って舌打ちした。
 見かけるというよりは目につくようになったのかもしれない。
 おれも未練がましい。おまけに感傷的だ。
 振り払うように首をひねってかすかに笑う。

 駅構内に入って電車を待っていると着信音が鳴った。携帯画面で相手の名を確認してから通話ボタンを押した。
『戒斗か?』
 叶多の異母兄、維哲はあの日と同じように問いかけた。
「どうしておれの番号知ってんだ」
『まえので通じなかったし、オヤジに聞いた』
「叶多には教えないでくれ」
『オヤジからもそう云われてる。なんでだ?』
「おれもいろいろ考えてるってことだ」
『それと叶多と連絡を取らないことがどう関係するんだ?』
 維哲は不服そうに問い質した。
 維哲の口が軽いとは思っていないが、叶多に関しては別だ。叶多を溺愛(できあい)していると知っているだけに、泣きつかれて万が一ということもある。この電話も叶多のためのはずだ。
 まだ何も見えていない不透明ななか、叶多に無責任な期待を増やすわけにはいかない。
「だから考えてる。叶多と約束したことがある、とだけ云っておく」
『……おまえ、有吏を出てるらしいな』
 維哲は追及せずに話題を変えた。おれの意思を尊重したようだ。
「ああ」
『……ふーん……おまえはタダ者じゃなかったらしい』
 維哲は曖昧な相づちを打ったあと、何か思い至ったように云った。
「おまえに云われたくない」
 おれは前と同じセリフを吐いた。電話の向こうで維哲が高笑いをしている。
『叶多のこと、訊かないのか?』
 維哲は予測していなかったことを訊いてきた。一瞬、時間が制止し、頭の中だけがフラッシュバックした。
「……叶多を裏切るつもりはない」
『はっ。おまえ、相当に堅物な奴だな』
「だから、おまえに云われたくない」
『わかった。じゃあな』
 再び高笑いが聞こえ、こっちが返事する間もなく電話は切られた。
 訊かないのか――。
 即答で拒否できなかった自分の弱さにおれは舌打ちした。
 堅物なんかじゃない。誠実でありたいだけだ。信頼に応えなくてはならない。

 いつもの駅で電車を降り、改札口を出たとたんに今日の目的である音が耳に入った。
 駅構内を出るとちょっとした広場になっていて、その中央にオブジェがある。
 立方体を七つ、ありえないバランスで無造作に重ね、いちばん上に一つまともな状態で乗っかっている。全体的に見てもとても理解できないオブジェにはタイトルがあって、“七転び八起きケセラセラ”とやっぱりわけがわからない。
 一度よく見てみたら、立方体はどれもサイコロだった。どの目が出るかは運任せ、つまりは“なるようになるさ(ケセラセラ)”ということなのだろうが、おれはそれでやっていけるほど悠長な性格でも立場でもない。
 音の出所はそのオブジェの台座に座っていた。

 これまでも夜の仕事に行く途中に何度か見かけ、時間の許す限り、そいつが奏でるギター音と歌に聴き入った。
 ロックでもないポップでもない(とん)がった音と、ともすれば乱暴すぎる荒い歌い方がかえって繊細さを強調し、何かを訴えてくる。
 惹かれた。いや、その言葉では甘すぎる。
 数えきれない人が群がり、おれが来て以降、ぶっ続けで五曲を歌うとこれで終わりと云うようにそいつはギターを置いて立ちあがった。
 背が高く整った顔立ちは歌と同じように繊細であり、尚且つ一匹狼を連想させる野生の孤独を漂わせて冷たく見せる。
 そんな印象を打ち消すように、右手を大げさに揺らして左の腰のほうまで持っていくと、ピエロもどきのおどけた挨拶をした。拍手が沸き、人々は散っていく。

「どうだった?」
 そいつはまた台座に腰を下ろしておれを量るように見上げた。
「ウマすぎる」
 ははっ。
 かまえた硬さをなくして笑った表情から年下だということがわかった。
「来年の春、プロデビューが決まってる。ウマくないとまずいだろ。おれは祐真(ゆうま)神瀬(かんぜ)祐真、十七だ」
 祐真は可笑しそうに云って自己紹介をした。
「おれは有吏戒斗、十九だ」
「へぇ。もっと年上かと思ってた」
「お互いさまだろ。それに、もっと年上だと思っていたにしては最初から砕けた喋り方だ」
 祐真はまた声に出して笑った。
 時間の許す限りではなくじっくりと聴きたいと思いだし、一週間前に名前も聞かないまま祐真から予定を聞きだして今日に至った。

 祐真は問うように少し首を傾ける。
「音、好きなのか? 何扱う?」
「ギターだ。独学だし、おまえより劣ることは確かだ」
 おれが質問に答えると、祐真はギターを差しだした。
「なんか弾いてみろよ。聴いてみたい」
「しばらくやってない」
 そう云いつつもギターを受け取ると、祐真が空けた場所に座って軽く指を動かした。久しぶりの弦の感触に胸が(うず)く。感覚を取り戻すと、指が意思を持ったように滑りだし、何度か聴いた祐真の曲を弾いた。一通りメロディラインを忠実に弾いたあともう一度、アドリブを加え、リズムを変えて同じ曲を奏でた。
 引き終わったとたん、祐真が笑いだす。通りがかった人の拍手が届いてきて、おれは祐真につられるように笑った。
「すごいな! 違う曲になってる。作曲やるのか?」
「そこまでの感性はない」
「そうなのか? おれはいいもん持ってると思うけどな」
「光栄だ」
「独学だけに押さえ方がめちゃくちゃなとこもあるけど無理を感じさせない魅せる(はじ)き方だ」
「誉めすぎだろ」
 おれが口を歪めると祐真は肩をすくめ、
「おれは()びない主義」
と答えた。

 その言葉がきっかけだったかもしれない。
 家に置いてきたギターを持ってきて連日連夜、ただ目的があるわけでもなく弾き始めた。
 あれから祐真とは身の上話をするほどの仲になり、音だけではなく人間性にも惚れこんだ。
 まもなくのデビューを控え、路上ライヴは二月を最後にすると祐真から聞き、最後の日はふたりでセッションした。終わると盛大な拍手のなか、祐真とそろっておどけた挨拶で応じる。はじめて経験する満足感と(たかぶ)った気分だった。

 人が散ると入れ替わりに少女が近づいてきて、おれと祐真にそれぞれ缶コーヒーを差しだした。
昂月(あづき)ちゃん、ありがとう」
 昂月はうなずいてまた駅の入り口に小走りで行くと自分のぶんを買っている。
 いつものことだが、昂月のはにかんだ表情を見るたびに叶多を思いだす。同じ年であるうえに、叶多と変わらないあどけなさを持っている。
「戒斗、昂月に手を出すなよ。おれのもんだ」
 昂月の姿を追っているのを気づかれたようで、祐真は恥ずかしげもなく釘を刺した。
 昂月は祐真の従妹になる。祐真は福岡出身で中三のときに自動車事故で両親を亡くし、父親の兄夫婦、つまり昂月の両親に引き取られた。
 昂月はたまにライヴに付き添ってくる。ふたりの様子を見ている限り、祐真が昂月を従妹以上に想っているのは訊くまでもない。
「人のものに手を出すほどおれは卑怯じゃない」
「おまえ、いまにも(さら)っていきたそうにしてる」
 祐真に指摘されると、一瞬おれは云い返すことを忘れた。やがて、首を振ってため息紛いに笑った。
「おれもまだまだ、だな」
「何云ってんだ?」
「昂月ちゃんに似てる子を知ってるだけだ。家庭教師をやってた」
「へぇ」
 安心させるために云ったつもりが余計なことを云ったようだ。祐真はニヤニヤしながらおれを見返した。
「なんだ?」
「大事なんだなって思っただけさ。おれと同じで」
 おれは肩をそびやかして答えなかった。否定しなかったこと自体が認めたことになるんだろうが。

 昂月はすぐに戻ってきてその話も終わり、しばらく祐真のスケジュールについて話した。
「戒斗、おまえさ、あんだけリズム感あるんならベースに転向しないか?」
 祐真が思いついたように云いだした。
「ベースに?」
「おまえの音に合う感性を持ったドラマーがいる。中学ん時、バンド組んでた奴。めちゃくちゃグルーヴィで激しい奴だ。おまえに不足ない。大学はこっち狙ってるようだし、組んでみたらどうかって思ったんだ」
「いきなりなんだ?」
 おれからすればとうとつすぎて顔をしかめたが、祐真は思いつきよりは以前から考えていたような口ぶりだ。
「おれが偉そうに云うことでもないけどさ、本気で音出してみないかってことだ。もちろん弾き方は違ってくるし、ベーシストは地味になりがちだけど、おまえの独創的な弾き方ならギタリストに引けを取らない。リズムキープは問題なさそうだし、独学で、しかも即興でおれの曲をクールにアレンジやれるくらいだからコード理論を消化できる力もあるってことだ。戒斗ならベースを弾きこなせる。そんじょそこらにないバンドつくれんじゃないかと思った。ヴィジュアル的にも」
「独創的って一歩間違えばめちゃくちゃってことだろ」
 おもしろがって口を歪めたおれに返ってきたのは、祐真の意外にも真剣な眼差しだった。
「そこをめちゃくちゃにしない、魅せるベーシストがここにいる」
 祐真がおれの胸先に人差し指を突きつけた。
「自称ギタリストなら吐き捨てるほどいる。魅せるギタリストを探すよりも魅せるベーシストを探すほうが大変なんだ。春休みにそいつらが来るし、会わせてやるよ」
「そいつら?」
「ああ、もう一人、ピアニストがいる。ギタリストが見つかるまでキーボードって手もある。つまり演奏はできるってことだ。それから見合うギタリストとヴォーカリストを探しても遅くない」
 おれはあまりの先走った話に笑いだした。
 今度は祐真も笑った。
「強制するつもりはないけど考えてみてもいいだろ」
「そうだな」

 このときは軽く受け流したおれだったが、そのうち真剣に考えるようになった。
 考えることはほかにもある。
 やりたいことをやるためには認めさせなければならない。
 本来(まっと)うすべきこと。大学への復学と有吏の業への復活。
 この半年でがむしゃらに働いて金も溜まった。夜のバイトを続けていけばなんとかなる。

 一カ月後、祐真を介して藍岬航(あいさきわたる)と日高良哉に出会った。

 叶多、やりたいことが見つかったかもしれない。

* The story will be continued in ‘No one is perfect.’. *

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* chance on … 偶然に出会う・ふと見つける(運命的な意)
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