Sugarcoat-シュガーコート- #47

第6話 Like master,like girl ? -7-


「それで『則くん』て誰なんだ?」
 和久井が車を出すと、隣に座った戒斗がとうとつに訊ねた。
 叶多はきょとんとした表情で戒斗を見上げる。
「え、さっき会ったよ? 芳沢則友くん」
「お互い、自己紹介やったんだ。それくらいはわかってる」
 戒斗は淡々と云い返した。なぜか口調に(とげ)を感じる。
「じゃあ、何……?」
「だいたい、なんで崇さんとこにいるんだ?」
「崇おじさんのところにはずっと通ってたの。ガラスをいろいろ作らせてもらってた」
「いつから?」
「えっと――」
「ああ……云わなくていい」
 自分でした質問を取り下げた戒斗は眉間にしわを寄せ、それからすぐに思い当たる節があったようで、叶多に視線を戻した。
「おれが消えてからそう経っていない頃だ。そうだろ?」
 叶多が驚いた顔でうなずくと、戒斗は、なるほどな、とため息を吐くように笑った。

「戒斗のことが現実じゃなくなっていく気がしたの。戒斗とは家で過ごすことがほとんどだったし、立ち会ってくれた人が全然いないって気づいて」
「主宰たちがいるだろ」
「家族じゃ足りないんだよ。家って、起きたときに夢だよって云い張られたらそれまでじゃない?  それに、ホントに夢じゃないかって自分で自信がなくなったり」
 戒斗のみならず、運転している和久井までも堪えきれずに笑い声を漏らし、叶多は顔をしかめた。
「暗示かかりやすそうだしな」
「……笑い事じゃない。それで、崇おじさんしか思いつかなくて……っていうか、崇おじさんしかいないよね?」
「それはわかった。けど、こんな不意打ち喰らうまえになんで崇さんとのことを話してくれなかったんだ?」
「……話さなかったんじゃなくて……戒斗のことでいっぱいだったし、いろいろあったし……」
 叶多が上目づかいに戒斗を見るとおもしろがった瞳に見返された。
「確かにいろいろあったな」
「とにかく、戒斗と会ってからは行ってなくて、話す項目に入ってなかったっていうか……」
 困ったように云うと、叶多は首をすくめた。

「それで、あいつはどういう立場にいるんだ?」
「あいつ?」
「芳沢則友」
「則くんのこと、崇おじさんから聞いてなかった?」
「まったく」
 戒斗が不服そうに一言で答えると、叶多はかいつまんで経緯を話した。
「……それで則くんは五月から本格的にやり始めたんだよ」
「ふーん」
 戒斗は曖昧な相づちを打って黙りこんだ。
 和久井は聞いているはずもいつものように、一切口を挟むことはない。
「戒斗、あたしの作ったガラスね、付け値っていうので売ったんだって。それで二万円もらったんだけどいいのかな? ちゃんと材料費とか差し引いたって……」
 長引いた沈黙を破って叶多が云うと、戒斗はかすかに驚いた眼差しを向けた。
「腕、いいってことだ。崇さんがそう云ってるんならもらっておけばいい」
「よかった。それで自転車を買おうと思って」
「それくらい買ってやれる」
「ううん。ふたりで使うものとかは甘えちゃうけど、あたしのは自分で買うよ」
「へんなとこで自立心あるんだな」
「なんとなく」
「それくらい勉強も自立心を持てないのか」
 戒斗がそう振ったとたん、叶多は肩を落とした。

「どうしよう夏休みの宿題……」
「とりあえず、明日絶対に持っていかなきゃならないのをやればすむだろ」
「どうして三年生なのにあんなにたくさん宿題あるんだろう。ほかの高校ってあっても少しなんだって」
「受験なしの進学を選択すれば当然だろ。青南は有名どころが多いけどお金や人脈で合格とか卒業ができるほど甘くない。だからこそのステータスになってる」
「……なんか間違った気がする」
「このまえは青南に行ってよかったって云ってなかったか」
 戒斗は笑いだす寸前の様子でからかった。
「着きましたよ」
 叶多が云い返すまえに和久井がマンション前の道路脇に車を寄せた。
 叶多はため息を吐いて和久井が開けたドアから降りた。同時に戒斗は反対側から自分でドアを開けて降りる。
「では叶多さん、ご健闘を祈ってますから」
 和久井もまたおもしろがっている。
 叶多は首をかしげて不満げながらも、和久井に時間を取ってしまったことのお礼を云った。
 和久井は最初に会ったときと別人ではないかと思うくらいに柔らかく微笑んで、どういたしまして、と叶多を見下ろし、戒斗に目を向けた。
「では」
 和久井は一礼をすると、戒斗がうなずいたのを確認して車に乗りこんで帰った。

「叶多、行くぞ。ため息吐いても進まないし、覚悟を決めるほうが効率的だ」
 背中を押されてマンション内へと向かいながら、叶多は並んで歩く戒斗を見上げた。
「手伝ってくれる?」
「交渉するのか?」
「交渉しなくてもどうせ結果は同じだし。ツアーに行くまえみたいに……」
 叶多は困惑して、歩きながら少し躰を引いた。
「どうせ、ってやっぱ嫌なわけだ」
 戒斗は首を小さくひねって気を悪くしたような表情を見せると、コンパスの差におかまいなく、叶多を置いてすたすたと階段を先に上っていく。
 叶多は急いで追った。
「違うっ。そんなことない」
 追いついて両手で腕をつかみ、叶多が否定すると、戒斗は立ち止まってしてやったりと笑みを漏らす。
「交渉成立だ。面倒な説得しないでいいな?」
 また計られた。けれど、今回は叶多のほうが上手だ。単純に実行日が延びるだけにすぎないけれど。
「でも今日は無理だよ」
「……なんで?」
「……最中なの。倒れたのはそのせいもあったかもしれない」
 遠回しに云うと、しばらくして戒斗は思い当たったようだ。戒斗は露骨に顔をしかめ、叶多は笑った。
「いつ終わるんだ?」
「えっと、完全に終わるまで五日かかるからあと三日」
 今度は戒斗がため息を吐くばんだった。

   *

 帰ってすぐ宿題と格闘しだしてから二時間を越え、時計を見るととっくに四時を過ぎている。
 叶多の集中力も途切れがちだ。けれど、ちょっとでも鉛筆を置こうものなら、家庭教師の頃に戻ったように戒斗の視線が突き刺さる。
 国語の書き取りを終わると、とたんに数学の宿題が差しだされた。
「よくこんなの覚えてるよね」
 高校数学の復習という名目で学校から配付された二十ページの問題集を見ながら、叶多は疲れたようにつぶやく。
(きた)えられ方が違う」
 戒斗はあっさりと一蹴した。
「因数分解とか普通に生きてて使うことある?」
「使う使わないの問題は数学じゃなくて頭だ。脳みそが柔らかいうちに思考回路を形成してる。数学で何を学ぶかって云えば発想の転換。働かないんだったら勉強しろ。とにかく頭を使え。それに尽きる。どんな単純な流れ作業だって頭を使うのと使わないのじゃ結果が違ってくる。自分を見る人の目も。雑談はいい。だいたいの解答式は書いてやってる。ちょっとは自分で考えてやるべきだ。あとはなんだ?」
「古文。土佐日記の現代語訳」
「全部じゃないよな?」
「うん、十日分を選んで」
「……数学は手付かずのままだったし、よくこれだけ放っておけるな。ある意味、おまえを尊敬する」
 戒斗はダイニングに広げたノートや教科書を見渡して、大げさすぎるほどに息を吐く。皮肉にほかならない。
「……戒斗、気分転換に先にごはん、作っていい?」
「コンビニで充分だ」
 戒斗は端的に叶多の希望を退けた。
「集中できなくてかえって能率悪いよ。気分転換てどんなことにも必要じゃない?」
「云い訳は一端(いっぱし)だな」
 目を細めて咎めた戒斗だったが、ふと何かを思いついたように口端をかすかに歪めた。
「コーヒー淹れてくれ。その間に現代語訳、ネットから拾ってやる」
「ほんと?!」
 単純に喜んだ叶多は戒斗がうなずくと、わかった、と席を立って“流し”に行った。


 叶多がちょうどコーヒーをテーブルに置いたところに、戒斗が現代語訳のプリントアウトを終わって和室から戻ってきた。
「叶多」
 叶多がカップから手を離すと同時に、椅子に座った戒斗がつぶやいて腰を引き寄せた。
「戒斗?」
 強引に腰を持っていかれ、バランスを崩した叶多はよろけながら、横向きの格好で戒斗の足の上に載った。立ちあがろうとする間もなく、戒斗が顔を傾けてくちびるをふさぐ。
 んっ。
 戒斗のキスはふたりの境界線をわからなくさせるほどしつこく熱い。息をするも酸素が足りなくて気を失いそうになる。躰から力が抜けそうになった瞬間、戒斗がくちびるを離した。
 戒斗に寄りかかった叶多の顔は上気していて、悲鳴まがいの呼吸を繰り返す。間髪を入れず、首筋に戒斗のくちびるが下りると、叶多の躰が震える。その間に戒斗の手がTシャツの(すそ)から潜りこんで這いあがってきた。
 戒斗っ。
 叫んだつもりが囁きにしかなっていない。
「気分転換に付き合ってやってる。それに交渉は成立したはずだ」
 戒斗は再び顔を下ろして、叶多の言葉を防いだ。戒斗の手は胸の真ん中からブラジャーの中に入りこむ。撫でるように左のふくらみを包む手が胸の先に当たっただけで期待が顕わになる。大きな手が妖しく、すくうように動きだした。キスを受けながらますます叶多の息が上がっていく。離れようとしても戒斗の腕が頭を支えていて身動きがとれない。
 ん……ぅんっ。
 戒斗の指が尖った感覚を捕らえると一際大きく呻き声が漏れ、叶多の躰が小さく跳ねる。逃すことなく集中する指の動きに震えが止まらなくなった。躰の芯がじれったいほど熱くなる。快楽を知ったことで、離れていた期間が余計に躰を敏感にさせている気がした。

 戒斗はふと左腕に濡れた感触を覚えた。顔を上げると、叶多の閉じた目を縁どる睫毛(まつげ)が濡れて黒く光る。解放されても閉じることを忘れたくちびるから、指を動かすほどに抑えきれない啼き声が出始める。戒斗は手を止めた。

「叶多、イキたいか?」
「……でも――」
 拒否ではなく反論でしかないとわかると、返事を最後まで待たずに戒斗の手が下りた。ショートパンツどころかショーツの中に入ろうとしたとたん、片隅に押しやられていた叶多の理性が甦った。
「戒斗、やだっ」
 叶多は身を捩りながら戒斗の手首をつかんで制止した。
「わかった」
 戒斗はあっさりと手を引き、それでやめるかと思いきや、また上まで舞い戻り、今度は右のふくらみを襲った。
 またもや叶多の理性が飛ぶ。体調とは別の要因で躰の奥が潤むのが感じ取れる。時間の観念がどうでもよくなった頃、戒斗の手がようやく止んだ。
 ぅ…んっ。
 叶多はほっとしたのか物足りないのか、自分でもはっきりしないどっちつかずの声をあげた。恥ずかしさと離れがたさが重なりあい、叶多は脱力した腕をやっと上げて戒斗の首にしっかりと巻きつく。
「やっとハグした」
 そう云われれば、今日はハグする機会を逃していた。
 躰が密着しているせいで戒斗の声が木魂(こだま)して届き、ふっと笑みを漏らした躰がかすかに揺れた。戒斗のハーフパンツ越しに、高揚した戒斗自身が叶多の右の太腿に触れた。
「戒斗……」
「そこまで気持ちが入っててイケないってつらいだろ」
 またまごついている叶多に気づいて、戒斗は恩着せがましくからかった。
「頼んでない。戒斗が勝手にセーヴしてるんだよ?」
「セーヴしなきゃ、おまえ、毎回気絶してる」
「そういうのって自信過剰って云うんじゃない?」
「叶多とのセックスは飽きない限り、自信は尽きない」
 すかさず戒斗は切り返した。
 叶多はわざと咎めるふりして戒斗の背中を叩いた。
「気分転換できただろ。残りは徹夜してもやるんだ」
 叶多は躰を起こし、手加減ない戒斗を恨めしそうに見つめた。
 まだ潤んでいる瞳と少し腫れたように赤く染まったくちびるが戒斗の目に入る。
 まだ足りない。
 戒斗は衝かれたように叶多の顔を挟んで引き寄せた。戸惑いながらも叶多が目を伏せ、触れようかとする寸前、動きが止まる。
 タイミングを計ったようにドアベルが割りこんだ。
 徹夜どころか危うく、自分自身が怠慢させるところだった。戒斗は一度首を振って慾を払い、薄く嘲笑いながら叶多を下ろした。
「おれが出る」

 戒斗が玄関先に行って、叶多は自分の椅子に戻った。コーヒーカップを取るとすでに冷めている。クーラーのきいた中でも躰には熱が残っていて、冷めたコーヒーがちょうどいいといえばちょうどいい。
 玄関のチェーンを外す音が聞こえ、話し方から知り合いらしいと察した。
「戒斗、お客さん……頼っ!」
「戒斗さんがいない間、来るかと思えば音沙汰なしだし、だから邪魔しに来てやった」
 玄関が見えるところまで行くと、客ではなくお邪魔虫の頼が入ってきた。
 けれど。
 苦い顔をした戒斗とは真逆に、叶多は大げさににっこり笑った。
「頼、いらっしゃい」
「なんだよ」
 頼は部屋にあがりながら、叶多の異様な歓迎ぶりに怪訝な顔をした。
「頼、頼のぶんまでごはんつくってあげるから手伝って。まさか好きだって云っておいて、邪険にしたりしないよね?」
「あ? いまになってそんな逆効果なことするわけないだろ」
 叶多が強引に同意を求めると、ある種、弱点を衝かれた頼は軽く乗った。
「叶多」
 察した戒斗がたしなめた。
「頭、使ってるの。これでも。あとで自分でもちゃんとやってみるよ」
「なんの話してるんだ? ていうか、何を手伝うんだ?」
 叶多と戒斗をかわるがわる見ながら頼は訊ねた。
 叶多は頼をダイニングに連れてきてテーブルに座らせる。
「これ、頼は頭いいからできるよね」
 ゴマすりの言葉は忘れず、叶多は数学の問題集を頼の前に広げた。
「は? まさか……おまえ……宿題を後回しにした挙句、おれにさせる気か」
「やっぱり頭の回転速ーい。男に二言はないよね、頼?」
「ほんとにあとで見直す気があるのか疑問だ」
 頼を軽く丸めこんだ叶多に呆れつつ、戒斗はため息を吐く。
 頼が渋々とヒントの書かれた問題集に取りかかる傍らで質問に答える戒斗、というふたりを尻目に叶多は夕飯の用意を始めた。

「なんで中学生のおれにできて、叶多ができないんだ? やっぱ、絶対、生まれた順番を間違えられてる」
 ぶつくさと文句を云いながらも、夕食の準備がすむとほぼ同時に頼は問題集を終えた。
 気持ちを解放したぶん、おれって甘いな、と頼は思う。
「さすがだ」
 頼に(ねぎら)いをかけた戒斗もまた、結局は人にさせるという悪事を黙認したわけで、おれも甘いな、と思うのだった。

BACKNEXTDOOR