Sugarcoat-シュガーコート- #46

第6話 Like master,like girl ? -6-


 人がひしめく場所でも空港内はやはり涼しく、建物から一歩外へ出ると、不快という言葉が足りないほどの淀んだ夏の空気に襲われた。サングラスを外したらコンクリート一面から立ちのぼる陽炎(かげろう)が見えそうだ。
 普段から体力には自信があるものの、こう暑いと躰が重くうだる。暑さのせいだけではなく、五月のデビューから初の全国ツアーを終わり、やり遂げたという充実感に伴う倦怠(けんたい)のせいかもしれない。
 戒斗の隣で(わたる)が、あちぃ、と舌打ちするようにつぶやく。
 数歩前に立ったマネージャーの木村が、話し中だった携帯電話を閉じたとほぼ同時に、マイクロバスが目の前に止まった。
 FATEが所属する斉木(さいき)事務所の今期新入社員、明石(あかし)がバスから出てきて、メンバー各々が持っていた荷物を集めると、乗ってください、と戒斗たちを先に促した。
 この年、大学を卒業したばかりの明石は木村の補佐についてマネージャー業の修行をしている。

 マネージャーとしてベテランの木村は(いか)つい表情を崩すことはない。FATEのメンバーには及ばないものの百八十センチ近くの上背があり、躰つきもがっしりしているために自然と人に威圧感を与える。四十一才という中堅層ながら、斉木内では最もやり手のマネージャーとして上層部からも一目置かれた存在だ。
 それゆえに抑えつけられることも多く、FATEだからこその本来の力を出しきれないもどかしさがある。手腕は認めるが、いずれ木村と対峙(たいじ)するときがくることをメンバーの誰もが予期している。その時期を決めるのは、FATEのリーダーとしてよりは、メンバーそれぞれが自らの意思で追従した先駆者(パイオニア)としての戒斗にほかならない。

 木村は座席に着くまえに通路に立ったまま、バスの後方部に座ったメンバーに向かった。
「明日一日は休みだが、明後日からアルバムにかかる。十二月の発売を目指す以上、遊んでる暇はないからな」
 いちばん後ろの席を陣取り、高弥と良哉と並んで座った航に木村の視線が向いた。
「何が云いたいんですか」
 木村の含んだ云い方には誰もが気づき、航は険しい声で、質問するというよりは突っかかった。
 航は青南大学への入学を機に福岡から上京してきて、それ以来、ともに上京した同級生の西崎実那都(みなと)と同棲している。
 当然、マネージャーとしては気に入らないということだ。
 戒斗は抑制しようと、航、と名を呼んで引き止めたあと、木村に目をやる。
「木村さん、プロだっていう自覚は全員が持っています。いま、おれらのなかに遊びという感覚でやってる奴はいませんから。甘いことはわかっていますが、公私はわけて考えてもらえませんか」
「わかっているんなら控えるべきだ。女を堂々と連れて歩くまえに不動のトップに位置することのほうが先だろう?」
「木村さん、重ねて悪いんですが、おれもいま、一緒に住んでる彼女がいます」
 戒斗がとうとつに告げると、これまでになく木村が目を細め、もってのほかだと無言で責め立てる。
「北海道での件もそうだが、それを自覚があるって云えるのか?」
「おれらなりにクリアしていきます」
 至って冷静に戒斗が答えると、木村は半ば嘲笑するように鼻を鳴らし、(きびす)を返して前の座席に向かった。
 バスが動きだすとメンバーはそれぞれにため息を吐く。

「云うのがまだ早すぎたんじゃないですか」
 航たちの席より一つ前で、通路を挟んで隣に座った健朗(けんろう)が案じるように戒斗を見た。
 健朗は一昔前に貴刀(たかとう)財閥として政財界に君臨した一族の末裔(まつえい)で、その公にある有史は四百年を誇っている。
 敗戦後の財閥解体にあたり、貴刀一族は産業界からの撤退を余儀なくされ、いったんは退いたものの、そこはやはり血筋なのか、自らで一から伸しあがり、貴刀グループと名を変えてまもなく経済界のトップへと復帰した。
 その育ちの良さから来るのか、健朗の言葉遣いは出会ってから二年経ったいまも変わることなく丁寧だ。FATE内で最年少であるという理由よりも健朗なりの敬意のようだ。
 その証拠にどうでもいいような関係であるほど、健朗の言葉づかいは普通になっていく。
 そのギャップに自分自身で嘆息している健朗には健朗なりのディレンマがあるらしい。

「早かろうが遅かろうが結果は一緒だ。それなら早いに限るだろ?」
 戒斗が平然と答えると、健朗は肩をすくめて笑った。
「おまえはバンドのことしか頭にないと思ってたんだけどな」
「いい女が寄ってきても応じないはずだ。女に興味ないんじゃなくて、趣味が違ってたらしい」
 FATEの表には立たないが、大学は夏期休講中とあってツアーに参加した良哉、そしてヴォーカリストの伊東高弥が無表情に近く、背後の席からあっさりとしてからかった。
 “Purple Shout”と銘打ったツアー最後の遠征となった今回の出発のとき、彼らには一緒に暮らし始めたことを報告した。そのときもあの打ち上げのことを持ちだされて散々揶揄(やゆ)された。

 FATEは青南大学で生まれた。年は戒斗が年長で、航、良哉、高弥が二才下、健朗は三才下になるが、FATEに先輩後輩は関係ない。
 このFATEという場所は、戒斗に闇の部分があると承知しても色眼鏡で見ることがなければ隔たるでもなく、戒斗にとって真に守りたい友情が生まれたところだ。
 三年前に航と良哉と三人でFATEを結成し、その半年後に高弥が加わり、一年後に健朗を得てフル活動に入った。その結果、一年の休学を経た戒斗が大学を卒業したこの年に、とんとん拍子でデビューまでこぎつけた。
 良哉は作曲専門とツアー時の補佐的な参加のみで、そのまま在学して今度の三月に大学を卒業する。航と高弥は一年、健朗は二年を残して休学中だ。

「高弥、それ以上はいい。頼むから叶多の前でそういうことを云うなよ。気にしてるから」
「趣味が意外だってことは事実だ。けどよ、それよりはおまえが普通の人間だってわかって驚いた。っていうよりは、安心した、か」
「どういう意味だ?」
「何があってもおまえ、平然としてるし、完璧すぎて人間かって疑ってたとこある」
「これでアンドロイドなら精巧すぎて逆に気持ち悪くないか?」
 航の無礼ともとれる云い様に戒斗が切り返すと、健朗が笑った。
「あのキスシーンはまさに『人間』ですよね」
「もういい」
 健朗がまた引き合いに出すと、戒斗は容赦なくさえぎった。
 バスの後方は忍び笑いに満ちた。

 ツアーのことやら、取りかかるアルバムの話に沸くなか、戒斗は携帯電話を開く。
 空港に到着後、叶多へのメールを入れたが一向に返信がない。普段であれば、どうやったら短時間のうちにこれだけの文字入力ができるんだ? と疑問に思うくらい早く、長ったらしい返信が来る。
 戒斗は眉をひそめてワンプッシュでコールした。ますますしかめ面になるほど、通じたときは優に十回のコールを超えていた。
「叶多、どうした?」
『……えっと、戒斗くん?』
「……誰だ」
 ためらったような間を置いて訊ねたのは予想外の声であり、ましてや聞き覚えのない声で、戒斗はつと顔を上げ、鋭く、脅迫めいた低い声で問い(ただ)した。
『僕は崇さんにお世話になってる芳沢です。叶多ちゃんが倒れて……あ、ちょっと待って……崇さんとかわるから』
 しっかりと聴き取れるほどゆったりとした口調ながらも、一瞬、戒斗の中で叶多と崇という名が繋がらなかった。それがどういうことか、ある程度の理解に至ると、以前にあった光景がリコールする。
『戒斗か?』
「崇さん、叶多は?」
『ああ、大丈夫だ。まえと一緒で、夢中になりすぎたんだろうさ。いま、家のほうで眠ってる。今日、帰るって聞いてるがあとで迎えに来れるか?』
「はい、いまから行きます」
 電話を切るとすぐ、今度は和久井の番号を呼びだした。
「いま時間、空いてるか?」
『いつでも』
「あと二十分でアパートに着く」
『わかりました。十五分で行けます』
 戒斗は苛立ちのような曖昧なため息を小さく吐いた。
「どうかしたんですか?」
 健朗が気づいて戒斗を窺うと、軽く手を上げていな(・・)した。



 則友は崇の住まいへと入って、叶多の様子を覗いた。
 南向きの玄関の引き戸を開けると、今時はめずらしい土間から、高い上がり口がある。その狭い板張りに上がって戸を開けたところが居間という、昔ながらの家だ。
 六畳の畳部屋は小さなガラステーブルが一つ、南側にテレビ、そして北側の壁に戸棚があるくらいで散らかっていることもなく、いつもながら整然としている。
 則友はスニーカーを脱いで居間に上がった。
 ガラステーブルを戸棚のほうに押しやり、場所を空けた部屋の真ん中で叶多が横たわっている。
 倒れてからここまで運ぶと、叶多はしばらく横になっていた。眩暈が治まったとたんに起きだそうとしたが、有吏戒斗に連絡がついてこっちに向かっていることを知らせてからは落ち着いたようで、崇が勧めるままにまた眠りについた。

 南側に窓があるだけの薄暗い部屋ではクーラーがききすぎている。横向きに丸くなった叶多を見て、則友はタオルケットを肩まで上げてやった。
「小さいな」
 つぶやくと、ふと叶多が髪を留めたままなのに気づいた。きついかもしれないと思って則友はかがんでバレッタとゴムをそっと外す。
 出会ったのは叶多がまだ中学生のときだ。それからおよそ三年。自分が高校生の頃はどうだったか。それなりに中学の頃から女と付き合ってきたが、なんだろう、叶多みたいな子とは縁がなかった気がする。
「同棲か……」
 それが意味するもの。それでも、消えることのないあどけなさ。
 対面するまえに決着はついた。といっても、最初から負けは明らかだったのだが。
 しばらく眠っている姿を眺めていると、首筋に薄っすらとした(あざ)が見えた。則友は思わず手を伸ばした。

「そこまで、だ」
 触れる寸前、色のない声が割りこんだ。
 則友がゆっくり顔を向けると、開けっ放しにしていた戸の向こうに、上がることなく土間に突っ立った男がいた。
 いつからいたのか、それが“戒”であることはすぐにわかる。テレビで見る優男(やさおとこ)という印象とは違い、則友が想像したとおりの感情が無い様で見返された。
「失礼」
 則友は手を引っこめ、慌てることもなくかすかに笑った。

 戒斗は問うでもなく答えるでもなく、少しだけ首を動かした。
 緊張した空気が立ちこめる。
「どうだ。安心したか」
 あとを来た崇に声をかけられ、緊張感は緩んだものの、戒斗は答えないまま上がりこんだ。
 則友は立ちあがり、無言で戒斗に場所を明け渡した。

   *

「叶多」
 戒斗は傍にかがんで名前を呼びつつ、叶多の頬に触れた。
 叶多は何度か目を(またた)いて顔を上向け、そこに戒斗を認めるとびっくりしたように瞳を見開いた。
「戒斗?」
「大丈夫か」
 そう訊かれると、自分の置かれた状況を把握するのに叶多は素早く部屋を見回す。思いだしたと同時に、うれしそうに浮かんでいた笑みに取ってかわり、叶多のくちびるは惨めそうに震えた。
「平気……じゃな……い」
「どうした?」
「……明日……始業式なの」
「それがなんだ?」
 不思議なくらいに淡々と戒斗は促した。いつになく冷たく聞こえる。
「戒斗……どうかした?」
「どうかしたのはおまえだろ。話、逸れてる」
 叶多は目まで逸らした。
「……いろいろあって……後回しにしてて……忘れてた」
「だから、何を……」
 戒斗は催促している途中で思い至った。呆れるよりはあまりの叶多らしさに、うだうだした気分も拍子抜けした。
「はっ……なるほど。それで卒倒したってわけか」
 戒斗がおもしろがって笑うと、叶多は伏せていた目を上げた。それまで硬かった戒斗の表情が和んでいる。
「どうしよう……」
「いまから帰ってやるしかないだろ」
「戒斗……無理」
「無理じゃない」
 戒斗が断言すると叶多の瞳に期待が満ちる。
「おれは手伝わないぞ」
 叶多の期待を無下(むげ)に却下した。
「酷い」
「誰のせいだ?」
「ケチ」
「理不尽だ」
「……」
 叶多はくちびるを少し突きだしてまた惨めな表情に逆戻りする。
「そうだな……交渉してもいい」
「交渉って?」
 戒斗が思惑ありげにくちびるを歪める。察した叶多の顔が赤くなると、戒斗は声を出して短く笑った。
「でもいまは――!」
「とにかく帰るぞ。起きれるか?」
「うん」

 戒斗にさえぎられ、叶多は手を引かれて起きあがった。そこで、危うい会話になりそうなところを中断された理由を気づかされ、また頬を赤くした。上がり口に崇と則友が控えている。
「わんこ、大丈夫か」
「うん、もう大丈夫。心配かけてごめんね。則くんも」
「どういたしまして」
 則友は温和に答え、叶多たちが土間に下りると、わずかに見上げながら戒斗を向いた。
「挨拶、遅れたけど電話に出た芳沢則友です」
「有吏戒斗です。お世話かけました」
 戒斗は小さくうなずいて挨拶に応じてから、崇に目を向ける。
「崇さん、迷惑かけました。またあらためて出てきます」
「ああ、ふたりで出てこい。気をつけてな」
 ニヤニヤした崇を見やると、戒斗はあからさまな勘ぐりに顔をしかめた。おそらくは二重の意味がこもっている。
 叶多は戒斗に()かされるようにして崇の住まいを出ると、店を通り抜けた。当然のように道路脇には車が止まり、待機していた和久井が後部座席のドアを開ける。
「叶っちゃん、忘れ物」
 追ってきた則友を振り返ると、バレッタとゴムが差しだされた。
「ありがとう。またね」
「ゆっくり休むんだよ。じゃあ、気をつけて」
 則友が下がると、戒斗は無表情で則友を一目してから叶多に続いて車に乗りこむ。
 和久井はドアを閉め、則友と店から出てきた崇に一礼をすると、運転席に乗って車を出した。

   *

「崇さん、彼、何者ですか?」
 公共の電波で見せている印象とたったいま見た印象はまったく相容(あいい)れない。高貴さと非情さが紙一重に存在して、近づきがたい雰囲気を与えられる。当然のように運転手が控えているというのも普通ではないことを教える。
「有吏リミテッドカンパニーは知ってるか」
「え? コンサルティングの会社ですか? それなら名前だけは知ってますよ」
「ほう。知ってるということは、おまえは熱心な営業マンだったらしいな」
 則友は心外だというように崇を見やる。
「いいかげんにはやってきてませんよ。あそこは、立案させたら間違いないって云われてる。そのぶん、報酬がバカ高いようですけど」
「そこの子息だよ」
「え……」
「それ以上のことは知らん」
「それ以上って、何かあるんですか」
「だから知らんと云った」
 崇の答えは自分が振ったわりに無責任で、則友は崇に目をやり、これ見よがしにため息を吐いた。
「則、戒斗には勝てんぞ?」
 崇はニヤリとして言葉に含みを持たせた。
「なんのことですか」
「ふふん。おれをごまかそうなんて百年早い。おまえも戒斗も、な」
 惚けたにもかかわらず、崇は澄ましてそう云うとさっさと店の中に入っていく。
 則友は再びため息を吐いて後を追った。

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