Sugarcoat-シュガーコート- #45

第6話 Like master,like girl ? -5-


 二カ月ぶりに訪れた街は特に変わったこともなく、昼間のいちばん暑い時間帯のなかでもしっとりとした空気を感じる。
 商いと住居を兼ねた家がずらりと並ぶ通りは昭和の名残を残し、古びた木の壁は黒っぽく色を変えている。珊瑚(さんご)色とクリーム色と赤茶色の煉瓦(れんが)をランダムに敷き詰めた歩道、その隙間から顔を出した緑の草と、そして黒ずんだ壁が絶妙なコントラストを(かも)しだしている。
 これを寂れたと表現する人が多いけれど、叶多からすれば居心地のいい情緒に溢れた街だ。

 しっくりくる心地よさは、この街が戒斗とはじめて出かけた場所であることが最大の要因かもしれない。それが初デートと思っているのは叶多だけに違いないだろうけれど。
 あのときは本当に子供だったし、いや、いまもどちらかというと大人よりは子供に近いけれど、きっと戒斗からすれば恋愛の対象外だったはず。胸なんて完璧にぺっちゃんこだった。女の子、よりはやっぱり子供で。
 約束の(もと)に別れたのは約一年後の十三才。そのときも大して成長していたわけでもなく、それを考えると叶多はいま、格段に昇格した気がする。
 子供だと思っていたら絶対に戒斗がやるはずのないこと。
 ……あ、あんなことや、こんなこと……。
 だめっ、また思いだしてる。
 戒斗が油断できない人間であることを思い知らされた。
 今日みたいな不意打ち、どうやってかわせるんだろう……じゃなくて、どうやったら慣れるんだろうの間違い。だって……あんなふうに戒斗に触られるの……怖いけど……嫌いじゃない。……あたしって……えっち……ち、違うっ。あたしは戒斗限定で触られるのが好きなだけなんだからっ。
 叶多は立ち止まって雑念を振り払うようにプルプルと頭を振った。

「叶っちゃん、何してるの?」
 吹きだしそうな声で呼びかけられた。
「……(のり)くん! どこか出かけるの?」
 ちょっと先にある店の入り口に見えたのは芳沢則友(よしざわのりとも)だ。顔を赤くしながら叶多が小走りで駆け寄ると、おもしろがった眼差しに迎えられた。
「久しぶり。出かけるんじゃなくて、メシ食ってきて帰ったところ。叶っちゃんが独り芝居しながら近づいてくるのを見てた。夏休みなのにしばらく来ないから崇さんがさみしがってるよ」
 則友は全体的に肩くらいまで伸ばした髪を後ろで一つに束ねていて、届かない前髪辺りはそのままに垂らして頬にかかっている。繊細ながらもどこか荒削りな顔立ちは男という雰囲気で、崇をずっと若くした感じだ。血縁でもないのにふたりは似ている。崇と違うのは性格も話し方も穏やかなところだ。ちょっと則友を知れば女性のほうからなびくのは間違いない。
 二十七才という年齢を思えば、彼女がいても奥さんがいてもおかしくないのにまだフリーらしい。独身である崇のように女性よりもガラスがいいのだろうか。
「ちょっといろいろあって」
「いろいろ?」
「うん」
 則友は笑みに(ほころ)んだ叶多の顔をじっと見つめる。
「何か付いてる?」
「その顔じゃ、いろいろっていいことなんだろうなって思って」
「そ、いいこと!」
 大きくうなずくと則友は明らかに吹きだした。
「今日はゆっくりできるの?」
「うん。作りたいものがあって」
 叶多はそう云いながら、“たか”の看板を立てかけたショーウィンドウを覗く。凝ったデザインのワイングラスやらお皿が、いかにも高価ですといわんばかりに飾られているけれど、相変わらず、スペースがもったいないくらいに空いている。
「あたしのがなくなってる」
「けっこうまえになくなったんだよ。お客さんも、ないってがっかりしてる人が多い」
「ほんと?」
 叶多の大きく開いた目が期待に煌く。
「叶っちゃんの作品ファン、多いんだ。僕も含めて」
「うれしい」
「早く入って。崇さんが喜ぶ」

 則友に背中を押されて叶多は店に入った。店内を素通りして奥のドアからまた外へと出ると、引き戸を開けっ放しにした工房から音が聞えてくる。
 中に入って声をかけないまま、崇が一段落つくのを待った。工房内を見回すと、以前は一台ずつしかなかった機械が二台に増えている。
 崇は回転する砥石(といし)で荒削りしたカット面を滑らかにし終わるとようやく立ちあがった。
「崇おじさん、こんにちは!」
「わんこがやっと来たか」
 叶多がいることに驚きもせず、崇はふふんと笑っていつものように犬呼ばわりした。まるで頭の後ろに目があるようで、むしろ犬は崇のほうではないかと思うくらいに鼻が利いている。
 叶多はかすかに眉間にしわをつくって抗議を示す。
 崇は叶多の頭を小突くように撫でてから、入口の左側の壁につけた棚まで行った。その引き出しを開けて封筒を取りだし、戻ってくると叶多にそれを差しだす。
「何?」
「わんこの売り上げぶんだ」
「……えっ、そんなのいらないよ?! 材料費とか全然、出してないし」
「ちゃんと差し引いてる」
「叶っちゃん、もらっていいんだよ。見てみたら?」
「どうして急に?」
 いままでこんなことをしてもらったことがないだけに叶多は戸惑いつつ、封筒の中身を覗いた。
「……に、二万円もあるよ!」
「わんこの腕も上がったし、欲しいって人が多くてな。付け値で売ってみた」
「付け値って?」
「買い手が思う値段で買ってもらうんだよ」
「泡入れのグラスが八個、アイスクラックのグラスが四個、色模様づけのグラスが十個、それとトンボ玉やらフュージングの小物が三十個。経費も(もう)けぶんもちゃんともらってる。稼いだ感想はどうだ?」
「うれしいに決まってる! 崇おじさんのに比べたらすごく安いけど、ていうか比べるっていうのが間違ってるけど、こんなに高く買ってもらえるって思ってなかった」
「ガラスの手作りはどうやったって一点ものだし、若い子から、孫にプレゼントっていうお年寄りまで人気あるんだよ。いろいろいいことがあったわりに叶っちゃん、泣き虫は相変わらずだ」
 則友は机からティッシュの箱を取ってきて叶多に差しだした。
「悲しくて泣いてるんじゃないよ」
「だから、泣き虫だって云われるんだよ」
「来たからには作っていくんだろう?」
 崇は顎で工房の奥を差すと、叶多はうなずいて答えた。

「今日は吹きガラスをやってく」
「何作るんだ?」
「ペアグラス」
「ペア?」
 則友が訊くと同時に崇も問うように叶多を見つめ返した。叶多の顔がかすかに赤らむ。
「うん……えっと最初から云うと、六月の終わりに戒斗に会いにいったの。それで――」
「居場所、わかったの?」
「則、FATEは知ってるだろう」
 口を挟んだ崇の至当な云い方に叶多は驚き、そして疑問を持った。
「なんですか」
「バンドだよ。ベースとかいう楽器を担当してリーダーも兼ねてる」

「え……いま売れ筋のFATEですか?!」
「崇おじさん、もしかしてずっと戒斗がどうしてるかって知ってたのに隠してたの?!」
 則友と叶多は同時に崇に問いかけた。
「そうだ」
 崇はふたりに同じ言葉で答えを示した。
「酷い」
 崇を責めるようにつぶやいて、叶多は口を尖らせる。
「あいつにはあいつの考えがあったわけだし、私が口を出すことじゃない。この五年間も、そう頻繁(ひんぱん)ではなかったが欠かさず顔を出しにきた。あいつが来るのはいきなりでいつも夜遅かったからな。わんことばったりってことはなかったってわけだ。どっちにしろ会えたようだし、ペアグラス作るって云うからにはうまくいったんだろう」
「そうなんだけど……」
 なんだかうまく丸めこまれたような気がする。

 十三才の夏に戒斗と会えなくなってから、一カ月後の八月の終わり。ガラス玉を眺めてばかりいた叶多は、一年前に戒斗が連れていってくれた“たか”のことを思いだした。はじまりはたぶんガラス玉。思い立つまま、哲に連れていってもらって、それから時間がある限り通うようになった。
 崇とずっと親しくなっていって、戒斗とのことを愚痴みたいに話せるようになると、それだけで戒斗とちゃんと繋がっている気がした。
 そういう状況下で、崇から戒斗が来ることを聞かされていたら、きっと叶多は会えるまで張りこみをやっていた。
 やりたいことを見つけられてデビューというところまで行き着いても、戒斗が自ら迎えにきたわけではない。居場所がわかって追いかけていってやっと迎えにきてくれたのに、それ以前に会いにいったらどうなっただろう。
 そこで逃げられたらショック死してしまいそうだ。ということはきっとこれでよかったのだ。
 会いたいという気持ちだけがいっぱいで、一緒に暮らせるとは思ってもいなかったし。とにかく、いま、は、まるで奇跡!

「しかし、どうりでなぁ。メールやっても、そのうち、ばっかりなはずだ。ここに顔出すより……なぁ?」
 崇は何やら考え深げに顎を(さす)りながら云った。
「ごめん。でもこれからはまたまえみたいに来るから」
「ということは、うまくいっただけじゃなくて落ち着いたんだ。よかったね」
「えっと……落ち着いたっていうか……いま一緒に住んでるの」
 叶多が照れて首をかしげると、それまで微笑んでいた則友の表情がかすかに強張った気がした。
 一方であまりの急展開に告白の瞬間、呆気にとられた崇だったが、やがて心得ていたように鼻を鳴らした。
「当然だな」
「当然て?」
「犬好きは犬を飼うのがいちばんだろうさ」
 犬、犬って、確かに犬になりたいって思ったこともあるけど……。
「それで今日は一緒に来れなかったの?」
 則友は笑みを浮かべて訊ねた。その顔から硬い表情は消えている。たぶんさっきのは驚いたせいだったのだろう。
「戒斗は今日からツアーなの。三十一日に帰ってくる予定」
「帰ったらふたりで顔出すんだぞ」
「うん。ここにずっと来てるってこと云ってなかったけど……あ、崇おじさん、云った?」
「云っとらんよ」
 叶多は不服そうに口を尖らせる。
「……なんだかずるい。崇おじさん、あたしと戒斗がすれ違ってるの、独りで楽しんでたんじゃない?」
「会えるときが来たら会える。そこに絆があるなら。運命とはそういうもんだ。あいつも“運命”に拘ってるようだからな」
「バンド名がFATE、つまり運命ですからね」
 FATEってなんだろう、と思って辞書で調べた叶多と違って、則友はすんなりと云った。
「崇おじさん、戒斗の驚く顔が見たいから、連絡あってももうちょっと内緒にしててね」
「わかった。じゃ、そろそろ始めるぞ。則、わんこを手伝ってやれ」
 崇の言葉を合図にそれぞれ作業にかかった。
 叶多はバックからタオルを取りだして首に巻くと、髪は一つに結んで落ちてこないように大きめのバレッタで上に留めた。
「しばらくやってないから普通に作ってみたらいい」
 溶解炉(ようかいろ)の前で横に付き添った則友が、叶多に吹き竿(さお)を渡しながら云った。
「うん」

 叶多は早速、受け取った吹き竿の先を熔解炉に入れて、ドロドロのガラスを巻きとった。吹き竿を傍の台に引っかけると、感覚をつかむように一度深呼吸をやってから口を当て、息を吹きこんで下玉を作った。その上にもう一度ガラスを巻きとる。
 叶多の云うままに則友が色ガラスを並べた鉄板に吹き竿の先を置いた。ドロドロとオレンジ色に固まったガラスをゆっくりと転がして色ガラスを付ける。折り重ねた新聞紙に水をたっぷり含ませた紙リンを則友から受け取り、左手に持った吹き竿の先のガラスを包むようにして形を整えていく。
 そのあと吹き竿を回しながら息を吹きこんだ。軟らかいうちにガラスをふくらませてハシという道具でくびれを作り、反対側の底に別の竿をつけてくびれの部分から切り離す。そこにできた穴を焼いてハシで開き、冷める前に手早く口を成形した。
 あとは除冷炉に入れてゆっくり冷やして完成だ。

「いい感じだ。鈍ってないね」
「でもちょっと腕が疲れた」
 叶多はへとへとの口調で云い、首にかけたタオルで流れる汗を拭いた。
「叶っちゃんのはバランスがいいんだよね。模様と配色と形」
「そう?」
「それに惹かれて店に入ったんだ」
「それで結局ここに居ついてる」
「しょうがない。天職に巡りあった」
 叶多がおもしろがると、則友は惚けた顔をした。

 冷凍食品を生産している会社の営業マンだった三年前、則友はたまたま“たか”の前を通りがかった。高価だと一目で見てとれるガラス工芸品の中に、カラフルなガラスコップがポツンとあった。目に留まったそのガラスコップは、ショーウィンドウがさみしいからと、お遊びで叶多が作ったものを置いていたのだ。
 惹かれて何度か通るうちに、“たか”に出入りするようになり、戒斗や叶多がそうだったように“作る”ことに手を出した。
 趣味が高じて、ガラス工芸に魅了された則友は今年の五月に仕事をやめ、崇に弟子入りするに至った。
 則友とは三年来の付き合いで、叶多は戒斗のことやいろんなことで泣き言を聞いてもらったりと頼りにしている。

「機械が増えてるね」
「形から入るのもどうかと思うけど、崇さんを邪魔するわけにはいかないし、設備投資してもらったってわけ」
「形からって、則くんの作品、すごく素敵だと思うけど。則くんは売らないの?」
切子(きりこ)として売るには弟子の分際だし、僕のはまだまだ、だよ」
「それ考えるとあたしのって、お金もらっていいのかなぁ」
「そういう謙虚なとこ、叶っちゃんらしいな」
「則くんのほうが謙虚だと思うよ」
「ぷ。お互いで誉め合ってどうするんだろう」
 則友は小さく吹きだし、叶多の口も可笑しそうに広がる。
「誉めてくれる人ってあんまりいないからうれしい」
「彼って誉めてくれないの?」
「誉めてくれるよ。でも、則くんみたいにちょっとしたことでは全然」

「へぇ……テレビで見る彼、人当たりよく見えるけど実際はどうなのかな? 叶っちゃんから聞かされた感じではすごくクールだって思いこんでた」
「戒斗はクールなとこもあるけどやさしいよ。ユナも想像してたのと違うって云ったんだよね……あたし、戒斗のこと、へんなふうに話した?」
「というより……いまだから云うけど、普通さ、居場所を知らせないまま好きな子を放置するって考えられないよ。想像するとしたら、よっぽど堅物な人間か、もしくは世慣れた性悪な遊び人か。いずれにしろ、好きってことに対して冷めてるだろう?」
「痛いところついてる」
 叶多は困ったような表情で首をかしげた。
 実際、会えないどころか連絡さえ取れないということの必要性がどこにあったのか、叶多にはまったくわからない。
「ごめん、ごめん。不安にさせたみたいだ。大丈夫だよ、彼のいまの立場で同棲までするんだから」
「ううん、大丈夫、謝らなくていい。わからないことはあっても、戒斗を疑うようなこと、あたしは絶対ないの」
 則友は断言した叶多をしばらく見つめたあと、ふっとため息を吐くように微笑んだ。
「……そっか。僕も彼とはすれ違ってたみたいだから、会うのが楽しみだな……意外だし」
「何が?」
「叶っちゃんと戒が一緒にいるイメージが想像できないってこと」
「人からどう見えるかってわからないけど……背はでこぼこだし、顔は秀作と駄作だし、イメージできないくらい、へんてこりんかも」
「駄作って……謙遜しすぎだ。そんなことないから……」
 則友はフォローするつもりがそれ以上続けられず、堪えきれないように笑いだした。

 それから叶多は毎日、“たか”に通いつめた。
 少し休め、と崇に云われつつも、集中してしまうとやめられない。思うようにいかないと違うものを作ったりして気分転換をした。
 試行錯誤を繰り返しながらイメージどおりのペアグラスにこぎつけたのは、戒斗が帰ってくるという日だった。
「できたか」
 除冷炉にグラスを入れた叶多の満足そうな横顔を見て、崇が声をかけた。
「うん!」
「彼、もうすぐ、帰ってくるんだろう?」
 則友に云われて時計を見ると正午を過ぎたところで、羽田に到着している時間だ。
「帰らなくちゃ。戒斗が時間あったら明日、一緒に取りにくる」
「明日は始業式だろうから、昼からだね。楽しみにしてるよ」
 則友の言葉に、ふと叶多の表情が止まる。
「……忘れてた」
 則友に云われて突然、叶多は気づいた。
「叶っちゃん……? 叶っちゃんっ!」
「わんこ!」
 集中したあまり熱気を気にかけず、体調的にデリケートな時期であったことに加え、悲惨に迫りくる現実に文字どおり、叶多の目の前は真っ暗になった。
 問題なのは始業式ではない。

 やっぱり犬がよかった……。

BACKNEXTDOOR


* ガラス工芸の用語解説
   泡入れ:ガラスの中に気泡を閉じこめて模様をつくる
   アイスクラック:氷のようなヒビを入れて模様をつくる