Sugarcoat-シュガーコート- #41

第6話 Like master,like girl ? -1-


 予定を狂わされて怒るより、結局は自分自身にも負けて戒斗は叶多との同棲に踏みきった。
 公私ともに自由が利かないだけに、これがいちばんベストだと考えも変えた。おまけに――まさに“おまけ”といっていい虫を追い払うにも都合がいい。
 不完全燃焼の嫌いもあるが、無機質な楽しみと違って反応の返ってくる楽しみには満足至極だ。完全燃焼もいいが、出だしが家庭教師だったせいか、叶多に関しては“教える”ということに楽しみを見いだしている気がする。何を差しおいても、いちいち示される反応がもたらす愉悦はすぐには捨てがたい。男の征服慾が満たされるということにすぎないのだろうが。
 明け方に襲ったときも昨夜の反応と変わりなく、苦痛と快楽の区別がつかずに叶多は泣いてしまった。セックスで、()くのではなく泣かせるのもどうかと思うが、叶多にしかありえない最初の反応に味を占めた。
 ほかの誰にも見いだしたことのない感情と紙一重にある、めちゃくちゃにしたいという衝動。悪趣味と云われても反論できない。
 女として触れられるのがどういうことなのかを知った叶多は、隠せないほどに困惑している。
 今朝の朝食ではなくブランチになった食事まで、照れている感はあったものの、叶多はなんとかやり過ごしていた。が、時間がたつにつれてだんだんと現実味を増しているようだ。有吏の会社に行くついでに実家へ行こうと和久井の車に同乗した叶多は、目が合えばすぐに逸らしてしまうほどだった。
 どんなシーンがスライドショーされているのか、叶多の頭の中を覗いてみたくなる。
 帰り道に和久井の冷やかしが待ち受けていることを思うと面倒くさいが、そのぶんの見返りとしては叶多に埋め合わせをさせるに限る。


「次が最後だ。おまえの見解を聞かせてもらおう」
 革張りの椅子に悠然と背を預けた父の隼斗(はやと)は、残りの一議題となって戒斗に発言を求めた。
 有吏リミテッドカンパニーの会議用の一室には、部屋を占領するほど広い丸テーブルを囲んで重役が集まっている。南側に面した窓のブラインドの隙間から差しこむ夏の光は、エコロジーが叫ばれる現代、照明の必要なく、それだけで八畳ほどの部屋を充分に明るくしている。
 椅子に仰け反って資料を手にしている者もいれば、机に肘をつき、こめかみを支えて目の前に散りばめた資料に見入っている者もいる。
 内容についてはこの重役会議までに誰もが細部まで熟知しているはずで、資料に目を通す必要もないのだが、会議では他者の意見と照らし合わせ、ベストな方法を探らなければならない。
 有吏一族の長として、また有吏リミテッドカンパニーの代表としてある以上、隼斗は会社についても最終決定権を持っている。が、実質上、会社自体を(にな)っているのはいまここに同席している、仁補主宰(にほしゅさい)矢取(やとり)主宰であり、今日もまた恒例のとおり、それぞれの二人の息子たちと兄の拓斗という計九名で、いくつかの議題について最終決議を図っているところだ。
 戒斗は背もたれから躰を起こし、テーブルの上に腕を置くと、与えられていた議題の調査結果と及んだ結論の報告に当たった。

高登(たかと)不動産は世代交代すべきです。この不況にあのワンマンぶりではすぐではなくても、さきは火を見るより明らかだ。いまや全国に散らばっている従業員はもちろんのこと、取引先への影響は必至です。人の意見を参酌(さんしゃく)するどころか聞くことすらしないトップは不要だ」
「どうする?」
貴刀(たかとう)の傘下に入れてはどうですか」
「貴刀か……」
「しかし、貴刀は巨大化しすぎではありませんか」
「この際、貴刀にはとことんコングロマリット化してもらえばいい。維哲(いさと)さんが次期後継者の最有力候補の下で働いている以上、業種が増えればそれだけ有吏も各方面に対して動きやすくなる。無論、貴刀にとっても有吏の存在は強力なバックアップになる。後継者の吉川紘斗は間違いなく、器のある男ですよ」
「会ったことがあるのか?」
「FATEのギタリストの貴刀健朗は知ってるでしょう。その義兄ですから」
「決まりですね」
 拓斗が云い添えた。
「どこから攻める?」
「聞く耳持たないということは、交渉は無理です。トップへの執着心は人一倍のようですし。株買収でしょう」
「高登不動産は上場してないが」
「資料を見ると代表の高橋氏の未公開株持ち分は四〇パーセント。外側を固めればいける数字だ。依頼人によると、株主の多くは高橋氏の傲慢(ごうまん)経営に辟易(へきえき)している。後継者も育つ環境にないらしい」
「しかし、息子が二〇パーセントを保有している」
 戒斗は指摘した矢取主宰に目を向ける。
「息子の高橋州登(しゅうと)とは不仲と聞いています。その証拠に、高橋州登はまったく畑違いの仕事に就いてる。高橋氏が息子に株を譲渡したのは外部の株主に対する牽制(けんせい)であって、会社を手放したくないゆえの保全策だと思われます」
「ジャーナリストだったな」
「はい。三十一才という若さながらも政財界専門のやり手らしいです」
「……逆に危なくないか? 有吏の存在が知れてはならない」
「やり手なだけに、その逆をついて利用する手もあります」
「利用?」
「そうです」
「……この件、このままおまえがやるか?」
「なかなか動けない身ですので、じっくり時間をかけてよければ。高登もまだある程度の体力はありますし、その間に株主を取りこんでいけば延命措置にもなる。仁補主宰、了朔(りょうさく)に補佐をお願いしたいんですか。依頼者を伝手(つて)に内部に潜入して不動産経営のノウハウを学びつつ正確な情報をつかんでもらう。それに伴って了朔に後継者候補の人選を任せたい」
 戒斗は仁補主宰からその次男の了朔に目を移した。戒斗より一つ下の了朔はうなずき、即座に了解を示す。
「僕はかまいませんよ。(のぞ)むところです」
「私もかまわない」
「会議は終わりだ」
 仁補主宰に重ね、隼斗の返事で決着がついた。
 隼斗は手遊びの道具になっていたボールペンをテーブルに置いた。

「父さん、話がある」
 戒斗は家族としての口調に変え、隼斗を呼び止めた。
 隼斗はわずかに眉を上げてうなずくと、重役たちに目をやり、無言で出ていくように促した。
「拓斗もいてくれ」
 戒斗は続いて出ていこうとした拓斗を引き止めた。拓斗は、ああ、とかすかにうなずいてまた席につく。
「なんだ?」
 戒斗はそう訊ねた隼斗に目を据えた。
「一緒に暮らすことにした」
 そこにいるだけで無視できない存在感を(かも)しだし、精悍な風貌(ふうぼう)をした隼斗は一瞬だけ眉をひそめ、その表情に何かを映しだした。観る間もなくそれはすぐに消える。
「……八掟の娘か」
 とうとつな報告にもかかわらず、隼斗は驚きを見せるどころか、なんの件かを察し当ててつぶやいた。
「やっぱり知ってたのか」
「一族間のことであれば尚更だろう。隠しているつもりだったのか?」
「いや。むしろ、公にする機会を狙ってる」
「いつから?」
「昨日から」
 すでに強行したと知って隼斗は苦虫を噛み潰したような顔を(あら)わにする。
「それがどういうことかわかってるのか?」
 戒斗は肩をすくめた。
「拓斗のことがやっと片づいたと思えば……そろいもそろって」
「すみませんね」
 拓斗がかすかに首をひねり、口を挟んだ。その実、悪いと思っているふうでもない。身の振りを内外ともに明確に示した拓斗はいま、以前では考えられないほど柔らかく落ち着いている。

「おれは代用されるつもりはありませんから」
 戒斗は絶対の意思をもって云いきった。
「そういうわけにはいかん。八掟の娘のことは勝手にしたらいい。別れられないのなら手もとに置いておけばいい。だが、こっちの話も進める」
「……愛妾(あいしょう)にしろ、と?」
 戒斗は目を細め、隼斗の本意を探った。
「そうとってくれていい」
 隼斗はあっさりと云い放った。
「それほど軽く見てるのか?」
「お互いに同じ立場であれば(うれ)うこともないだろう」
「叶多はそんなに器用じゃない。それに……」
 云いかけて止め、何かを振り払うように戒斗は一度首を振った。
「いつからだ?」
「なんの話だ?」
 うっ(ぷん)を抑えて素っ気なく問いかけた戒斗に、隼斗も質問で返した。
「父さんが意思を(ひるがえ)したのはいつだ?」
「翻した覚えはない」

「そんなはずはない。おれは、蘇我家のことはもう終止符を打つべきだと思ってる。蘇我家は有吏を出し抜き、挙句の果てに“上”(かみ)(たぶら)かして、そして裏切ったんだ。なぜ、また手を結ぶ必要があるのかわからない。どうしておれがそう考えるのか。それは父さんがそう思っていたからだ。先代である祖父(じい)さんに進言していたことも知ってるし、父さんが語る節々でもおれはそう受け取ってきた。八掟主宰のことも最後まで立ち回ったって聞いてる。それが首領という立場になったとたん、父さんは考えを変えて祖父さんの意に副ってる」

「変わったつもりはない。頂点に立つ者は翼下を守ることに宿命がある」
「けど、いま父さんがやろうとしていることは守ることにはなりませんよ。暗で在り続けるべきとした祖宗(そそう)の見識を無駄にするだけです」
 拓斗は戒斗と同じ意向であることを明確にした。
「主宰たちも賛同している」

「違う。祖父さんと父さんに追随しているだけだ。穏便にすませたいというのもわかる。だからこそ、主宰たちも賛同している。けど、この件に関しては逆効果だ。見てのとおり、蘇我家の(はかりごと)で上はまったく力を失った。蘇我家は協定を結ぼうとしてるわけじゃない。今回の申し出は有吏を潰すことにある。張り合わなくても争うことになっても有吏は“八掟”を守る限り、衰退なんてありえない。完全に自主独立すべきだ」

「……若いな」
「その言葉だけであしらってもらいたくない」
 ため息と見紛うような囁きを聞き逃すことなく、戒斗は即座に云い返した。
「それはそれで通ったとする。しかし、八掟の娘にはすでに――」
「云われるまでもなく、仲介(なかがい)家の思惑はだいたい見当ついた」
 隼斗はこれ見よがしに大きく息を吐いた。
「よりによって八掟家の娘と……。崇氏の件の報酬が家庭教師の許可と聞いたときからおかしいとは思っていたが…… 蘇我家の申し出とその娘と、どちらがおまえにとって利になるのかは明々白々じゃないのか?」
「蘇我家は不利益以外の何ものにもなりえない」
 戒斗は断言した。
「……八掟家の立場も悪くなるぞ」
「わかってる。父さんにどうこうしてもらうつもりはない。打開策は自分で探す。今日はおれの意向も含めて報告をしたまでだ。時間とって悪かった」
 戒斗は席を立った。次いで拓斗も立ちあがる。

「戒斗、いつまでバンドは続けるつもりだ?」
 不意打ちの質問に戒斗は怪訝に隼斗へと視線を戻した。隼斗がバンドに関して口出しするのははじめてのことだ。
「期限なんてない」
 戒斗はきっぱりと明言した。
「崇氏の後継者の件は放りっぱなしだ。両立できないのなら、どちらを取るべきか決まっているはずだ。いくら懇意にしているとはいえ、甘えるのも大概にしろ」
「放りっぱなしにしているわけじゃない。いいかげんな人間を提供するわけにはいかないだけだ」
 隼斗は眉を跳ねあげる。
「云い訳はいい。重役会議がおまえの都合優先になっていることも甘えだろう」
「おれ次第になってることは悪いと思ってる。けど、有吏の人間が表立ってることで逆に蘇我家を(けむ)に巻くには役立ってるはずだ。それにいまの時代、ネットを使う手もある。わざわざおれが出向ける時間を見計らう必要もない――」
「もういい」
 隼斗は一言で戒斗をさえぎり、退出を迫った。
 戒斗と拓斗は小さくうなずいて会議室を出た。

「悪いな、戒斗。おまえを振り回すことになった」
 階段を下りながら拓斗が謝罪を口にした。
「謝ることはない。そのかわりにおまえにはなんとしても首領をやってもらう。叶多には必要以上にヘンな負担をかけたくない」
「けど、結局はおまえにかかってくる」
「だから、必要以上に、って云っただろ。いずれ、叶多には話す。けど、いまじゃなくていい。那桜(なお)はどうしてる?」
「元気にやってる。働く必要ないのにバイトしたいって云うんだ。どうやってあきらめさせようか考えてる」

 拓斗はそう云って口を歪める。無感情だった拓斗をCLOSER(クローザー)と称した妹の那桜自身によって取り戻された笑みがそこにあった。
 有吏一族をまさしく震撼させた事態が落着したことを受け、拓斗と那桜はこの春から家を出て二人で暮らしている。

「大学も卒業になるし、バイトくらいいいんじゃないか?」
「おまえだったら許すのか?」
「そのときにならないと答えられない」
 すまして戒斗が云うと、拓斗はまた口を歪めたが、すぐ真顔に戻った。
「おれはここに属している以上、避けられないし、避ける必要もないと思ってるけど、那桜はまだ気軽に家に帰るというわけにもいかないようだ。たまに……これでよかったのかと考えるときがある」
「拓斗……」
 戒斗は階段の途中で足を止め、拓斗もそれに(なら)った。
「おれのためじゃない。那桜のためだ。おれは妹だろうが、そのことに関しては少しも罪悪感なんて持ってない」
「那桜だってそうだろ」
「おまえは知らないんだ」
「何を?」
 拓斗は自嘲するように顔を歪め、戒斗の質問に答えなかった。
「こうならなきゃ、那桜の行く末は知れてた。誰でもない、おまえだったことを、おれは最善の道だと思ってる」
 戒斗が付け加えると、拓斗はうなずいて、じゃあな、と先に会社を出ていった。

BACKNEXTDOOR


* Like master, like man. … ことわざ:この主人にしてこの下僕あり
  (日本語…勇将の下に弱卒なし;大将が強ければ家来も強いという意)
* 文中意
   参酌…他を参考にして長所を取り入れること
   愛妾…気に入りのめかけ
   祖宗…歴代君主