Sugarcoat-シュガーコート- #40
第6話 prologue Doggy girl & Doggines
age 叶多12 戒斗18
里佳がいないはじめての夏休みは、母の千里の買い物についていくくらいでほとんどを家で過ごした。
去年までのことを思うと泣いてしまうほどまださみしい。けれど、違う友だちをつくりたいとか、つくらないと、とか、そういう気持ちが動くわけでもない。
大げさな外出といえば、唯一、有吏一族の集まりだ。
そこでほぼ三週間ぶりに会った戒斗は、あの日よりもずっとやさしい瞳をして身近な感じがした。
もらったガラス玉を眺めながら今度会えるのは冬休みの集まりの日になるんだと思っていた矢先、叶多の了承も得ず、といっても子供の了承など必要ないのだろうけれど、千里が勝手に中学受験を決め、それにあわせて頼んだという家庭教師として戒斗はやってきた。
どんな人かを訊く気さえなく、その日になった。家庭教師が部屋に入ってくると同時に、背を向けたままの叶多を呼んだのは見知らぬ声ではなかった。
強要に反抗心いっぱいで怒っていたことは一瞬にして消え、叶多は振り向いた。
気づいたときは飛びかかっていた。
押し退けるどころか包み返した腕は心地よく、それからなんとか理由を見つけては抱きつく機会を狙っている。
例えば、階段を上ってくる足音が聞こえたらドアの目の前に待機して、開いたとたんに抱きつく。
「驚かそうと思って」
叶多はとても口実にはなりそうにない理由を口にした。
「ダックスフンドみたいだ」
そう云って戒斗は耳の横で二つに結んだ叶多の長い髪を引っぱる。
たぶん、見抜かれているんだろうけれど、拒否されるまでは絶対にやめない。
戒斗が最初に宣言したとおり、徹底した家庭教師ぶりには少し、いや、かなりうんざりした。横道に逸らそうとしても乗ってくれるのは一分あればいいほうで、すぐに軌道修正される。
そういうわけで、夏休みは午前中だけ二日越しにやってくる戒斗一色の勉強に追われる日々になった。
いま、戒斗は机についた叶多の横に座って答えあわせをしている。
「満点だ。よくやったな」
「でも参考書見てやってるところもあるから……」
与えていた算数の宿題の結果を見て戒斗が満足気なのに比べ、叶多は不服そうに返した。
「だからって参考書にこの答えが書いてあるわけじゃない。参考書のなかから解き方を見つけられるってことは理解できるようになったってことの証明だろ。一度にできる奴なんていない。学校で習ってるところは追い越したし、ちゃんと進んでる」
叶多はうれしそうに笑う。
戒斗も口の端を上げて応えると、ジーパンのポケットに手を突っこんでそのまま叶多に差しだした。
叶多は戒斗の手に載ったガラス玉二個を取りあげる。赤と黄色にそれぞれ白い猫の足跡がある。窓に向けて掲げると、外からの光線が当たって透けたガラス玉がきらりと光る。
叶多のくちびるがますます広がった。
「きれい。また戒斗が作ったの?」
戒斗から勉強を教わるようになって、最初の頃は遠慮がちだった叶多もいまは兄妹のように屈託がなくなり、戒斗が云うままにその名を呼び捨てするのもためらわなくなった。
「ああ。いまハマってる。勉強頑張ってるからやるよ」
「いいな、こういうの作れるって」
「ガラス、好きらしいな?」
「戒斗がくれたから」
「おまえが好きだと思って作ってやったんだ」
「え?」
叶多がきょとんと問い返すと、戒斗は顔をしかめた。
「あの橋で……ガラスのストラップが欲しくて危ないことしたんだろ?」
「え……っと……あの……だから、あれは……なんとなく、だったんだよ……」
叶多は困ったようにおずおずと打ち明けた。
たとえあれが石ころだったとしても、ガードを乗り越えていたかもしれない。
云いそうになってやめた。戒斗の表情がいつになく強張った気がする。それを隠すように戒斗は顔を背けてうつむいた。
「めちゃくちゃだ」
なんに対してそう云ったのか、額にかかった少し長めの前髪を左手でかき上げて力なく戒斗は笑った。不安にドキドキしていた叶多はそれを見て少しほっとした。
「高いところ、ちょっと苦手になった」
首をすくめて叶多が云うと、戒斗は小さく笑みを漏らす。
「自業自得だろ」
「じごうじとく、って?」
「自分のせいってことだ。少しくらい教訓になってないと割に合わない」
「意味わかんない」
「小学生のガキじゃあ、な」
単なるからかいのはずが、感情を隠す術を知らない叶多の顔があからさまに曇る。
「どうした?」
「……ううん」
夏休みもあと四日で終わる。戒斗が家庭教師をやってくれるのもあと一回だ。そうしたらすぐに、里佳の名前さえ消えてしまった二学期が始まる。
おまけに高校生の戒斗と小学生の叶多ではまったく接点がない。小学生では会いにいくことさえ物理的に無理だ。
「ガラス作ってるところ、連れてってやろうか?」
戒斗がとうとつに云いだし、叶多は顔を上げるとうれしそうに瞳を見開いてこっくりとうなずいた。ふたりでいることが多くなっても、それは家庭教師に限ったことで外へ出かけることは一度もなく、叶多は戒斗の誘いに飛びついた。
「じゃ、三十日のテストで百点とったら次の日……夏休みの最後の日に連れてってやる」
「そんなのできないよっ」
「できる」
即座に断念した叶多の言葉を打ち消して、戒斗はきっぱりと反対のことを云いきった。
「戒斗とあたしは全然違うんだよ」
「違わない。有吏の血を引いてるなら頑張れるはずだ」
戒斗が抗議を退けると、叶多は口を尖らせた。
「九十点にしてくれないと頑張れない」
「百点だ」
「……じゃ、あきらめる」
どうせ終わりなんだし。
いい思いをしたらしたぶんだけ反動が耐えられなくなるかもしれない。里佳のことでそう学んだ。自分に見合っているぶんだけでいい。求めることは間違いだ。
「叶多――」
「大丈夫。やれるところまでやるから」
さえぎってそう云い、首をかしげて笑った叶多を見ると、戒斗は考えこんで黙った。
「わかった」
しばらくして戒斗は素っ気なくつぶやいた。
怒らせたかもしれない。それから帰るまで、戒斗はからかうことも笑うことも、一度さえなかった。
嘘でも頑張るって云えばよかった……。
三十日、時間どおりに来た戒斗は泣く必要なんてなかったと拍子抜けするくらいに常と変わりない。
いつもと違っていたのは叶多のほうだ。机に座って待っていた叶多を問うように見て、今日は真面目だな、と戒斗は笑った。
「最後くらい、ちゃんとしなきゃと思って」
「最後?」
「早くテスト! せっかく覚えたのに忘れちゃいそう」
怪訝に眉をひそめた戒斗に気づかないまま、叶多はそこに答えが見えるわけでもないのに、暗記したことを引き止めるように上目遣いに宙を見て催促した。
「わかった」
笑みの潜んだ声で戒斗は応じ、机の上にプリントを二枚置く。
「始めていい。裏表四教科、休憩なしの一時間半だ」
容赦ない戒斗に文句を云いたいところだけれど、喋ると忘れそうな気がして叶多は二回うなずいて答えた。
戒斗はこっそり笑い、机とは反対側の壁につけられたベッドの傍の床に座る。叶多が問題を解いている間、ベッドに寄りかかり、本を読んだり叶多を眺めたりして過ごした。
叶多の机に向かう後ろ姿は、ちょっと突けば折れそうなくらいにかぼそい。ほんの子供だ。
けれど、今度の経験のせいか、時折へんに大人びた表情を見せるときがある。大人びたのではなく、冷めた考え方をして自分にかかる負担を軽くしようとしているのかもしれない。
このまえもそうだ。勝手に結論づけ、闘うまえにあきらめることを選んだ。
それはそれで、世間を渡っていくには必要な処世術だ。けれど、すべてがそれでいいということではない。あきらめていいことと、あきらめてはならないこと。その見極めをないがしろにしてはいけない。
叶多にとって今回の件は簡単に解決できることではなく、いろんなことを考えているんだろう。
あの次の日のように、少し進んでは立ち止まりを繰り返し、時間が経つにつれて余計に現実化したことで、もしかすると一歩も二歩も後退している。
それでも凛としたあの姿が叶多の本質であることは間違いない。それを捨てさせたくない。
「終わりだ」
時計を見て戒斗は立ちあがり、机の横に置いた椅子に座った。
「自信は?」
「うー……んと、八十点くらい」
「自信ないところを囲んで」
顔をしかめた叶多に戒斗は青い蛍光ペンを渡した。叶多は六カ所を四角で囲んでからプリントを戒斗に差しだした。
「オーケー」
赤ペンを持った戒斗は丸つけをしないまま、プリントに目を通す。戒斗がプリントを机に置くと、叶多はドキドキしながら赤ペンの行方を見守った。叶多が青で囲んだなかの小問題を二カ所だけ、戒斗が赤で同じように囲む。
「上出来だ。九十二点」
「ホント?!」
戒斗が設定したテストの範囲自体は広くない。難易度も低いはずだ。それでも叶多には驚異的な点数だ。
「ああ」
戒斗はすぐに間違った問題を重点的に、自信がないと印をつけたところの説明を始める。
「テストに出そうなところしか問題にしてない。青で囲んだところはちゃんと自信持てるまで何回も見直すんだ」
「わかった」
「頑張ったな」
「うん!」
戒斗の誉め言葉に叶多の顔が笑みに綻ぶ。
「明日、朝のうちに連れてくから用意しとけよ。暑いけどバイクだし、万が一のためにトレーナーかなんか長袖を上に着ておくんだ。下はジーパン」
「え?」
「ガラス工芸。見たいんだろ?」
「でも百点じゃ――」
「叶多が百点とれるなんて端から思ってない。そんなに受験は甘くない」
叶多の表情が笑顔からびっくりに変わって今度はむくれる。
「酷いっ」
怒る気力があるならまだまだ見込みはある。
「けど、頑張ったのは成果に出てる。夏休みの日記、一つくらい変わったことを書きたいだろうし」
出かけもせずにほとんど独りで過ごしていることを知っている戒斗は口の端を上げて、どうだ? と問うように首をかすかに動かした。
「行く!」
叶多は迷うことなく返事した。
「そのほうがいい」
戒斗はにやりとして叶多の髪に手を伸ばして引っ張る。
「痛いよ……そのほうがって?」
「何も考えてないほうが叶多らしい」
叶多は怒るべきか喜んでいいのかよくわからずに複雑な表情が諸に出たようで、戒斗は小さく笑った。
戒斗が連れていったガラス工房は、叶多が住んでいる住宅街と違って、昔からあるような商店が立ち並ぶ下町の一角にあった。
“たか”と筆文字で書かれた大きな一枚板が、看板としてショーウィンドウに立てかけられている。ショーウィンドウの段々の棚には凝ったグラスやお皿が飾られているけれど、叶多でも簡単に数えられるくらいしかなく少しさみしい。
ふたりはショーウィンドウのすぐ横の引き戸を開けて、こじんまりとした店に入った。不用心なことに、誰もいなければ誰かが出てくる気配もない。
戒斗はかまわず奥へと入っていく。
「戒斗、いいの?!」
「ここで待ってたって誰も出てこないし、気紛れを待つほどおれは自由じゃない。まあ、叶多がこのまま明日までだって待てるっていうんなら、時間をへずっても付き合ってやっていいけどな。退屈しのぎには持ってこいの犬が目の前にいる」
戒斗は立ち止まって叶多を見下ろし、鼻先に人差し指を突きつける。
「……犬だったらよかったな。勉強しなくてすむし」
それに、戒斗に抱きつく理由なんて探さなくていいし。
戒斗は呆れたように笑うとまた奥へと歩きだした。叶多も急いで後を追う。
いったん店の裏口から外に出ると、石畳の道が二手に分かれ、それぞれ先に建物がある。住まいと工房だろう。戒斗は明らかに作業場らしい建物に進んだ。近づくにつれ、学校の授業で使った電動糸のこを使っているような音が聞こえてくる。
戒斗はガタガタと音を立てて戸を開け、まるで自分の家みたいに勝手に中に入った。クーラーのきいた店内と違って、一気に熱に襲われて汗が吹きだす。工房内は、扇風機はあるものの役に立っているのか、外よりも暑いくらいだ。
中を見渡すと、右側の窓際に人の背中が見えた。戒斗に倣って近づく。
「ガラスを削って模様を入れてるんだ。江戸切子っていう伝統工芸品だ」
ガラスを削る音が止むことはなく、戒斗もその背に声をかけないまま、叶多に説明した。
それからけっこう長い時間待っていた気がする。ようやく手を止めた工芸師が立ちあがって叶多たちに向き合った。
叶多が、こんにちは、と声をかけるとじろじろと視線を向けられた。思わず、傍に立った戒斗の手に自分の手を滑りこませる。
工芸師は戒斗に比べれば背は低いけれど、大きさを感じさせられる。叶多の第一印象は“怖い”だ。
そのカテゴリに入れた瞬間、工芸師の瞳が綻びた。
「こんにちは、嬢ちゃん」
口もともにっこりとして、工芸師は繋いだふたりの手を伝って叶多から戒斗へと視線を移した。
「従妹の八掟叶多です」
「従妹?」
工芸師は何か云いたげに薄っすらと口を歪めた。
「そうですよ。叶多、崇さんだ」
叶多が崇から目を移して見上げると、戒斗は苦笑いらしきものを浮かべている。
「嬢ちゃん、このまえのハートのグラスは気に入ったかい?」
「はい。大事に飾ってます」
いきなりの質問に戸惑いつつ叶多はうなずいた。
「そうか。ふふん。従妹、ねぇ……」
鎌をかけて叶多に訊ねた崇は、思ったとおりの答えを聞いて鼻で笑いながら戒斗を見やった。
「崇さん、勘ぐりはナシですよ。叶多は小学生です。何もないですから」
「私には関係のないことだ」
そのわりには思っていることが見え見えで、戒斗は渋い顔をした。こういう場合、何を云ったところで余計に好奇心を煽りかねない。戒斗は放っておくことにした。
「ガラス玉、作らせてもらっていいですか」
「ああ、かまわん。私もまだしかけているものがある。かまってやれんが好きに使ってくれ」
「ありがとうございます。叶多、こっちだ」
崇はさっきのところへ戻り、また円盤のついた機械を回し始めた。
叶多は戒斗について、崇とは反対側のほうに行った。
「ちょっと見てろよ」
戒斗は窓際につけた机の椅子に座り、叶多は脇に立ってうなずく。
叶多が選んだ薄いピンクのガラス棒を置き型のバーナーで溶かし、戒斗が器用に玉にしていくのを見守った。ブルーのガラス棒を溶かして、玉の表面に付け、針の先で引っかいてハートを作った。
「どうだ?」
「すごい!」
叶多の瞳がきらきらと弾けている。
「やるか?」
「……できるかな」
「出来に拘らなければやれる。あとは練習するのみだ」
首をかしげて迷っていると、戒斗が立ちあがってかわりに叶多を座らせた。
「色は?」
叶多は同じピンクを選んだ。
左手に棒を持たせると、叶多が頼りなさそうに戒斗を見上げる。
「わかった。ちょっと歪になるけど、手、取ってやるから力抜いてろよ」
戒斗は無言の要求に応えて云うと、叶多の背後に回って手をそれぞれつかんだ。
叶多の手を持って、さっきやったように戒斗はガラス玉を作った。今度はハートより簡単な、猫の足跡を点々と描く。
「いいか?」
「うん」
叶多が大きくうなずくと戒斗は離れて、別の椅子を持ってきて横に座った。
「好きなようにやってみろ。失敗してもいいから」
最初はガラス玉を作る練習から始め、それから点打ちと、恐る恐るだった叶多も失敗を重ねていくうちになんとか様になったものを作れるようになった。
無心でやっていると、暑いなかにバーナーという最悪の条件も忘れた。
手が疲れた頃にようやく顔を上げると、黙って付き合っていた戒斗が叶多の額に手を伸ばして汗で張りついた髪をはらった。
「おもしろいか?」
「すごく!」
即答すると、戒斗が笑う。
「固まるまで待ってるか?」
「うん。夏休みの作品にする!」
はりきって云った叶多はその勢いのままに椅子から立ちあがる。
あ……れ……?
目の前が暗くかすんだ。
「叶多っ」
ふわりと揺れた叶多に気づいて、戒斗は再び椅子に座らせた。
暑さから出る汗とは違う、すっと熱が引くような汗が出た。
戒斗はかがんで、うつむいた叶多を覗きこむ。
「叶多?」
「戒斗……くらくらする」
「暑さにあたったんだろう。家に連れてこい」
戒斗の焦った声を聞いた崇が声をかけた。
戒斗は慎重に叶多を抱きあげて、崇のあとをついていく。
昭和初期の色を残した家の中は薄暗く、土間から上がってすぐの居間に入り、叶多を寝かせた。
崇は扇風機とクーラーのスイッチを入れて奥に消えた。
脱がせた靴を土間に置いたあと、戒斗は叶多の横にかがむ。
「大丈夫か?」
戒斗が訊ねると叶多は声に出さず、かすかにうなずいた。
戻ってきた崇は麦茶とグラスをテーブルに置き、手拭いを巻いたアイスノンを戒斗に手渡した。
「首筋に当ててやれ。大したことはないと思うが様子を看ておくんだぞ」
「すみません」
崇は工房に戻り、戒斗はまず叶多を抱き起こして麦茶を飲ませた。きついながらもコップ一杯飲むと、叶多は、もういい、とつぶやいた。戒斗はまた寝かせて、アイスノンを首にあてがう。
「冷たいっ」
小さく叫んで叶多は首をすくめ、くすくすと笑った。
笑う気力があるなら、崇が云ったとおり、大したことないんだろう。
戒斗はひとまず安心して息を吐いた。
手を添えた細い首に目を止めると、体格も体力的にも自分とは違うんだということをあらためて知らされる。武道で人を投げることもあるが、それに比べればさっき抱きあげた叶多の躰は遥かに軽い。
黙って付き添っていると、やがて肩で息をしていた叶多の呼吸が穏やかに戻った。
「戒斗――」
「もう少し寝てろ」
起きあがろうとした叶多の額を押さえて戒斗は制した。
「もう平気。お茶飲みたい」
叶多は戒斗の手を退けて起きた。渡された麦茶を飲むとまたらくになった。
「最後の最後にまた迷惑かけちゃった」
叶多がつぶやくと、戒斗は眉をひそめる。
「昨日も云ってたけど、最後ってなんだ?」
「夏休みは終わりだし、家庭教師も――」
「夏休みで終わるって誰が云った? おれは云ってない」
「え? ……っと……お母さんとお父さんが、戒斗は忙しいから頼めるのも夏休みまでだろうって話してるのを聞いて――」
「余計な気遣いだ。おれが終わりだって思うまで最後じゃない」
「じゃあ……」
「いままでみたいなペースではできないだろうけど、受験するまでちゃんと付き合ってやる」
「ホント?」
戒斗は答えずにただ、片方の口の端を上げた。
叶多は躰を投げだすように戒斗にぶつけて巻きついた。
「ワン、て鳴きそうだ」
戒斗はくっと吹きだす。
「よくなったようだな」
そこへ様子を見にきた崇の声が割りこんだ。
叶多が顔を上げると同時に戒斗はゆっくりと腕を外す。
「邪魔かな」
「いいえ、配慮は無用ですよ」
疑うように崇の眉が跳ねあがる。
「単なる犬好き、というだけですから」
戒斗の云い訳を聞くと、崇は徐にちょこんと座った叶多の前にかがみこむ。
「円らな瞳……確かにそう見えなくもないな……嬢ちゃん、ワン、て云ってみぃ」
「……わん……?」
「崇さん」
「犬好きか!」
戒斗のたしなめる声も無視して崇は一言、云い飛ばすと豪快に笑い始めた。
「戒斗……」
叶多が困惑丸出しの顔で見上げると、
「気にすることはない」
と叶多の頭に手を置き、戒斗はあきらめの境地でため息を大きく吐きだした。
それから。
「犬は元気か?」
戒斗が訪ねるたびに崇はそう訊くようになった。
* The story will be continued in ‘Like master,like girl?’. *