Sugarcoat-シュガーコート- #38
第5話 extra Candied poison's Night -first-
叶多が夕食の後片づけをしている間に、戒斗は玄関に置きっ放しにしていた荷物をベッドルームに運んだ。
照明のスイッチを入れると、ここにも見慣れない家具が部屋の奥にある。
なるほど、引き止めたわけだ。
エナメル塗装の白いチェストは光が反射するほど艶出しされ、真鍮の取っ手が少しレトロっぽく、シンプルだった部屋の雰囲気を柔らかくしている。
その天板に飾られたカットグラスが目について、かつて自分が作ったガラス玉を手に取り、戒斗はかすかに笑みを浮かべた。
もとに戻すと、ボストンバッグを開いて中身を取りだした。またすぐツアーに出なければならず、当面、片づけるのは洗濯するものだけだ。まもなく整理がついた頃に叶多がやって来た。
「戒斗、お風呂は溜める?」
「いや、シャワーでいい」
戒斗が振り返って答えると、叶多の顔に何かがよぎる。
その叶多は心の中で嘆息した。
シャワーじゃあ、一緒にって無理だ。隠せないし。って、もともと隠せるような場所じゃないんだけど。年中、シャワーってわけじゃないよね。や、どっちにしろいまは無理。それこそ、のぼせちゃう。
冬には恥ずかしいことなく一緒にお風呂ということもあるんだろうか。
じゃなくて。お風呂より、現実、イン・ザ・ベッドのほうが目のまえにある。
「どうした?」
戒斗が訊ねると、叶多の顔が赤くなった気がした。また何かおかしなことを考えているらしい。
「う、ううん! この中、見てないから」
叶多は、頭の後ろでまとめた髪が揺れて覗くほど首を振ると、クローゼットを指差した。
「大事なもの入ってるかもって思って。和室のところも触ってない」
「ここには有吏の仕事に関するものはない。それを心配してるなら」
叶多は、よかった、とつぶやいてうなずく。
「触ってほしくないっていうのはないから遠慮しないでいい。けど、エロ本とかDVDが出てこないって保証はしない」
云い添えると叶多は笑いだす。
「見たりするの?」
「どう思う?」
「そうだったら普通っぽくて安心する」
今度は戒斗が笑った。
「おまえらしい答えだ」
「明日は仕事?」
「明日一日は完全オフになってるけど、有吏に顔を出さないといけない。午後から出る。明後日からまた夏の最終ツアーで、帰ってくるのは三十一日だ」
「わかった。朝食はご飯とパン、どっち?」
「どっちでもオーケーだ」
「戒斗に好き嫌いなくてよかった。まだレパートリー、少ないから」
「厳密に云うと好き嫌いはある。ただ小さい頃から有無を云わさず食べさせられてたから、なんでも食べれる」
「有吏の家って厳しそう」
「いずれは本家の仕来りを学ばなくちゃいけない」
「……あたしでついていける?」
「やめるならいまだ」
戒斗は不安そうに訊ねた叶多を試すように見た。
叶多は考えることもなく、
「頑張る」
と宣言しきる。
戒斗はにやりと笑みを返した。
「そう云うと思った。心配しなくていい。おれは、叶多に変わってほしくない」
叶多は意味がわからずに首をかしげ、戒斗はそれ以上、答える気がないと肩をすくめて示した。
「叶多、シャワーさきに使うなら――」
「ううん、明日の用意あるから」
「朝から力入れなくてもあるもんでいい。ご飯と海苔、パンとコーヒーとか」
「そんなに簡単でいいの?」
叶多はおかしそうに目を光らせて問い返した。
「酒を飲むことが多くなって、朝からそんなに食べられなくなった」
「じゃあ、ラクする」
戒斗は部屋を出ていく叶多の後を追いながら、短く笑い声を漏らした。後ろから肩を抱きこむと、びっくりした叶多は小さく声をあげる。戒斗はすかさず前に回りこんで、開いたくちびるをふさいだ。
「おれもラクにして」
戒斗はすぐにくちびるを離し、叶多の剥きだしの耳もとに囁いた。叶多は腕を抜けだして耳を手で押さえると、首を縮めて笑う。
「くすぐったい」
叶多のまったく色気を無視した感に、戒斗は顔をしかめて抗議した。が、通じるはずもなく、叶多は問うように首をかしげる。無視したというよりは気づいていない。
迷いが生じる。同化したい気持ちとこのまま取っておきたいという矛盾した気持ちが交差した。
こんなことで悩むってどういうことだ? やっぱ――。
「おまえのせいだ。風呂、入ってくる」
戒斗はかすかにため息を吐いて背を向けた。
*
あたしのせい……って?
叶多は首をひねった。訳のわからない言葉を吐いて浴室に入っていく戒斗を目で追ったものの、すぐに気を取り直して明日の用意をした。といってもお米をとぐだけで終わる。戒斗が簡単でいいと云うし、お味噌汁を添えれば大丈夫だろう。
あとは電話だ。千里が心配しているに違いなかった。ダイニングの椅子に座って携帯電話を開き、呼びだすと受話器はすぐに取られて千里の声が応じた。
「お母さん、洋服、頼からもらったよ。ありがとう。わざわざ買いにいってくれたの?」
『あら……その様子じゃあ、まだ開けてないのね』
千里が電話の向こうでがっかりした声を出した。
「え?」
『開けてみればわかるわよ。それより戒斗さん、大丈夫だった? 頼は教えてくれないし』
「うん。いいって云ってくれた」
『そう聞いて安心したわ。思いだすわねぇ。じゃあ、はじめてじゃないにしても初夜は初夜だし。頑張ってね』
叶多が訂正する間もなく、千里は含み笑いを残して一方的に電話を切った。
まだれっきとしたヴァージンなのに。訂正するのも今更でおかしなことになる。
千里が口にした『初夜』という言葉は、またドキドキを思いださせた。大丈夫、と云い聞かせ、ふっと肩の力を抜いたとき、千里が一計ありそうに云った紙袋が目に入った。
和室の入り口に置いた紙袋の前に座りこむと、真ん中のテープを切って中身を取りだした。触った瞬間になんだか嫌な予感がした。いざ目にして、予感が当たっていたところでうれしくもない。肩の部分を持って目の前にかざすと、目を凝らすまでもなく向こうが透けて見える。シースルーの、おそらくはナイティを着る勇気などない。ご丁寧に替えがきくようにちょっと形の違う白とピンクが入っていて、またその手助けをしようといわんばかりに大人なランジェリーが詰めこまれている。
「叶多、いいぞ」
いきなり背後から戒斗の声が聞こえ、叶多は慌てて出した物をしまった。
「う、うん!」
叶多は明らかに挙動不審で、戒斗が気にして近づくと同時に、勢いあまって袋に入りきれなかったショーツが飛びでてその足もとに落ちる。
「あ、あたしの趣味じゃないから! お母さんが勝手に……!」
察した戒斗がニヤつきながら叶多の横にかがむと、レースの縁取りをした光沢のあるショーツを袋の中に入れこんだ。
「嫌いじゃない。おれの楽しみがマンネリ化するようだったら試してみてくれ」
「楽しみ……って」
戒斗は動揺をつかれて戸惑った叶多の頬に触れた。
「躰、早くきれいにしてきて。おれはそのままでもいいけど抵抗あるだろ?」
ますます叶多の表情が困惑に揺れる。
戒斗はスポーツブランドのハーフパンツ姿で、上半身は首にスポーツタオルを引っかけているだけの裸だ。この季節だからおかしくはない。見慣れている、けっして貧弱ではない頼と同じ格好でもあるのに全然違う。
簡単に云うなら成熟した大人の裸。有吏塾で鍛えられたと云っただけあって、洋服を着ているときにはわからなかった精悍としか表現しようのない躰が目の前にある。
叶多の脈拍が急速に跳ねあがる。
「戒斗、どうしよう……」
「……どうしたんだ?」
「心臓、壊れそう」
そう云った叶多の首筋の脈がピクピクしている。
「いまからそんなんでどうするんだ? 逃げるか?」
叶多は強く頭を振った。戒斗は口端で笑う。
「あんまり出てこないようだったら襲いにいく」
戒斗が叶多の鼻を摘みながら冗談めいて云うと、少し叶多も落ち着いてうなずいた。
「じゃ、入ってくる」
若干声を上ずらせて云うと、叶多は立ちあがった。
*
戒斗は立ちあがって冷蔵庫まで行くと麦茶を取りだした。戒斗が麦茶を飲んでいる間に、叶多は着替えを持ってバスルームに入っていく。
それを見届けると戒斗はふっと笑みを零してつぶやく。
「面倒くさい奴」
それでも手放せない。五年という冷却期間、正確にいうと抵抗期間は無意味だったかもしれない。
そう思うほど、おれにとって叶多は毒だ。毒だと気づいた時には手遅れになっていたほど、奥まで染みこんだ砂糖漬けの毒。手を出したら最後。さきには中毒症状が待っている。いや、すでに症状は出ているのか。
けれど、やられてばかりではいられない。
どっちを選ぶ?
戒斗は自分に問いかけた。