Sugarcoat-シュガーコート- #37

第5話 Surprise Call -9-


「ご飯て……」
「おまえ、母さんたちに余計なこと云っただろ。だから邪魔しに来てやった」
「余計なことって頼がヘンなこと云うからじゃない」
「どこがヘンなんだよ。好きっていうのに入っちゃいけない境界線なんてない」
「だけど、普通ね――」
「って、戒斗さんも断言したぜ?」
 頼がさえぎってきっぱり云うと、叶多は目を丸くした。
 叶多は頭を整理しようと試みたところで、すぐにあきらめた。
「考えたくない」
「ふん。これ、母さんから預かってきた」
 叶多の混乱を見越していた頼は鼻で笑い、デパートの紙袋を差しだした。
「何?」
「洋服だってさ」
「ありがと。あとでお母さんに電話入れておく。適当に座ってて。ご飯つくるから」
「何すんの?」
「冷しゃぶのサラダとお豆腐の味噌汁に鶏肉の炊きこみご飯。頼は炊きこみご飯、好きだよね?」
「なんか損だよな、姉弟ってさ」
 叶多の質問には答えず、むっつりとして云った頼の真剣さが可笑しくて笑った。ますます不機嫌な顔になる。
「ごめん」
「ちぇ」
 頼は舌打ちをすると、ダイニングの向こうの和室に行って、つけっ放しだったテレビの前に座った。

 叶多は頼をほったらかして料理にかかり、それから失敗もなく準備が整った頃、玄関のドアに鍵を差しこむ音がした。
 戒斗に違いなく、考えてみればさっきの頼みたいに、戒斗はドアホンを押す必要がないんだと気づいた。
 玄関に行くと同時にドアが開く。
「おかえりなさい!」
 お馴染みの片方の口端を上げた笑みが返ってくる。
 ちょっと離れた叶多が一向に近づいてくる様子がないのに気づいて問うように見たあと、戒斗は荷物を“上がり口”に置いた。靴を脱ぎ始めた戒斗の視線が下りて、ふと止まる。
「頼の靴」
 訊かれるまえに云うと、戒斗は短い廊下に上がって叶多を見下ろした。
「来てるのか?」
「戒斗さん、お邪魔してます」
 頼が挑戦的な眼差しをして玄関に顔を見せた。
「その言葉の意味、わかってるんだろうな」
 戒斗はかすかに笑って頼に返した。
「勝手に上げちゃってごめんね。ご飯、食べにきたんだって」
「なんでわざわざここまで来て食べないといけないのか、疑問だな」
 そう云って戒斗は肩をすくめた。
「借りを返しに来たんですよ、叶多に」
「え、あたし?」
「楽しみにしとけよ」
 云い放って頼は奥に引っこんだ。
 叶多と戒斗は顔を見合わせる。と、戒斗がかがんで小難しい顔をした叶多のくちびるの端にキスをした。少し顔を離して、そのくちびるに笑みが宿ったのを確認すると、もう一度近づけて舐めた。
「美味しそうな匂いがする」
「うん。いま準備が終わったの。すぐ食べるよね?」
「ああ。間食してないから腹減ってる」
「じゃあ、早速」
「荷物、置いてく――」
「戒斗、それはあとで!」
 叶多はさえぎって戒斗の腕を両手でつかむと、そのまま引っぱってダイニングへ連れていった。
「座って。頼もこっち来て」
 ダイニングテーブルの和室に背を向ける位置に戒斗を座らせた。その側面に、呼ばれて来た頼が座る。

「ビールいる? 缶ビール買ってるよ」
「いや、昨日飲みすぎてるからお茶でいい」
「何時まで飲んでたの?」
「二時過ぎてただろうな」
「それって昨日じゃなくて今日だよ?」
 二人に麦茶を渡しながら叶多が指摘すると、戒斗はそれがどうしたというように首をくいと傾けた。

「戒斗さん、一つ訊いていいですか」
 頼が口を挟んだ。
「なんだ?」
「有吏は裏だって云いましたよね。それなのに、なんでいちばん目立つような仕事やってるのかって疑問に思ってます」
 戒斗は椅子にもたれて口をかすかに歪めた。
「簡単に云うなら……自分を試す場所が偶々(たまたま)、音だったってことだ。維哲さんが貴刀に場所を見つけたようにな」
「維哲兄ちゃん?」
 いきなり出てきた異母兄の名に、頼は眉間にしわを寄せて問い返した。
 叶多も思わず手を止めて戒斗に目を向けた。
 戒斗は肩をそびやかす。
「頼、おまえは頭がいい。だからこそ、おまえもいずれ疑問に思うときが来る。表に比べて有吏塾はその何倍もの力を出しきらなきゃならない。けど、所詮は温室に過ぎない」
 頼は戒斗の云わんとすることを見極めようと、顔を険しくして考えこんだ。

 その間に叶多はテーブルに料理を並べ、戒斗の真向かいに座った。
「頼、考えるのはあと。できたてだから早く食べよ」
「っておまえ、早く追いだそうと思ってるだろ」
「あたりまえだよ」
 頼はあっさりと認めた叶多を不満そうに見やり、一方で戒斗は声にしないまま口の端を上げて笑った。
「食べて。おかわりもしていいから」
 叶多の言葉を合図に音楽の話題を中心にして食が進んでいく。

「ここでこういうメニューが並ぶって思ってなかった」
 戒斗が彩りに富んだ料理を見てふっと笑んだ。
「料理しない? 器具は基本的なのはそろってるみたいだけど」
「やっても、せいぜい一品。家でまともな食事っていいな。家出て以来だ」
 戒斗が本気でそう云っているのがわかり、叶多の顔が綻んだ。そして油断した。
「じゃあ、これから毎日頑張る!」
「……毎日って?」
 戒斗は叶多が口にした言葉の端にあるニュアンスをつかんで、怪訝そうに問い返した。
 叶多は失言に気づく。
「あ、あー……あのね、戒斗……」
 頼が帰ってからと思っていたのに。
 戒斗をごまかせるくらいの、当座の云い訳を必死で探したけれど見つからない。
「叶多、昨日、ここに泊まったんですよ」
 頼が叶多の頭脳フル稼働をまったく無駄にして告げると、糸が張りつめたように部屋がしんと静まった。

「それで?」
 戒斗はまったく無感情で説明を求めた。
「だから――」
「頼、いい。あたしが……。えっとね……あたし、引っ越してきたの。必要なもの……全部持ってきた……勝手に……ごめん……」
 戒斗が目を細めていくに従って、叶多の声はだんだんと小さくなっていった。
 やがて途切れると、戒斗は部屋を見回す。出窓の枠に、叶多の部屋にあったガラスの小瓶が並んでいるのが目に入った。和室を振り返ると見慣れない棚がある。
「何を考えてるんだ?」
 正面に向き直った戒斗は呆れかえった声で問いかけた。
「……半年も待たなくてもいいかなと思って……」
「叶多」
 名前を呼ぶにも子供を諭すような云い方で、けっして喜んでいる声ではない。
「戒斗もいますぐにでもって――」
「何も考えないならって前置きしたはずだ」
 戒斗はにべもなく云い返した。
「和久井さんにも相談しに行ったの。和久井さんはいいって云ってくれた。戒斗はうれしく――」
「和久井のところへ行った、のか?」
 戒斗はさえぎってさらに叶多を追いこむ。
「ごめん、勝手なことして。和久井さんにも注意された」
「勝手なことばかりだな」
 叶多は目を伏せて、色が白くなるくらいにくちびるを強くかんだ。

「叶多」
 成り行きを観ていた頼が叶多の口もとに手を伸ばした。そうしながら頼は戒斗を見定めるように()めつける。
「口が切れるぞ」
 戒斗に目を据えたまま、頼は叶多に注意した。戒斗は表情を無にして頼を見返す。
「叶多、おまえ、昔っから泣き虫でさ、怒られたり、なんかあるたびに隠そうとしてよく風呂に入って泣いてた。それなぐさめながらさ、母さんたちはおれとおまえの生まれる順番を間違えて認識してんじゃないかって本気で思ってた」
 叶多が目を上げると頼は手を離した。かすかに笑みを漏らした叶多のくちびるに色が戻る。
「だから叶多」
 そこで言葉を切った頼を見て、叶多は首をかしげる。
「昔みたいにさ、一緒に風呂入ろう。そしたら、ヤなこと忘れられるだろ」
 叶多は一瞬、緊張感を忘れて驚きに目を見開く。

「頼」
 まるっきり馬鹿げた発言で、煽られているのがわかっていても戒斗は口を挟んで頼を制した。
「なんですか」
 戒斗は答えずに、ただ表情もなく頼を見据えている。
 やがて頼は身をすくめて立ちあがった。
「はいはい、帰りますよ。叶多も引き取っていきましょうか?」
「どうする?」
 戒斗は頼には答えず、叶多に(ただ)した。
「……ここに……いる」
「だそうだ」
 今度は頼に向けた。
「なら、潔く退散しますよ。ただし、今日のところは。叶多、これで借りは返したからな」

 頼が帰ったあと、帰ったほうがよかったかもしれないと思うほど部屋は静かになった。目も合わせられないほど落ち着かない。

「叶多」
 戒斗が呼ぶと、叶多の躰が慄いたようにピクリと震える。
「我慢するなって云ったのはおれだ」
 そう云った戒斗の声に読み取れる感情は何もない。
 しばらくして戒斗の口から漏れたのは、短くても、間違いなくおもしろがっている笑い声だ。
 叶多は気後れしながらも戒斗に目を向けた。叶多の瞳をしっかりと捕えた戒斗の瞳にも笑みが見える。
「なんでだろうな。先回りしてやってるのに、おまえはいつもそれを簡単に(くつがえ)す」
「戒斗……」
「叶多、こっち来い」

 呼ばれるままに叶多はテーブルを回り、椅子を引いた戒斗の前に立った。
 戒斗の手が上がって叶多の頬を捕える。引き寄せられて叶多は身をかがめ、ふたりのくちびるが軽く合わさった。
 戒斗はすぐに離れたと思うと、噛みしめていたせいで少し傷ついた叶多のくちびるを繰り返し舐める。
 そうされるうちに叶多は小さく笑いながら、戒斗の手から抜けだした。その時、今更で我慢していた涙が一滴(ひとしずく)、両目から零れ落ちる。
「くすぐったいよ」
「返してくれ」
 涙のあとを親指の先で拭いながら戒斗がつぶやき、叶多は応えて戒斗の肩に手を置くとかがんで舌を這わせた。そのくちびるが笑みに広がる。
 顔を上げると、戒斗の空いた手が叶多の腰を捕まえた。
「足、開いて」
「戒斗?」
「載って」
 戸惑いながら云われたとおりに戒斗の足の上に(またが)ると、ふたりの瞳の高さがほぼ同じになる。
 端整で強固な意思を宿した戒斗の顔に()かれ、叶多はそのくちびるに指先で軽く触れた。それを合図にしたように触れていた手を遠ざけられると、やさしさに欠けたくちびるが叶多を襲う。やさしさはなくても、熱に浮かされた心が叶多に流れこんでくる。溺れそうに息が苦しくなった頃、キスが左の首筋に下りた。くすぐったさに似た火照りを覚え、叶多は同じように首を傾けて戒斗の首を舐める。
 戒斗が呻いて顔を上げた。

「悪かった」
「戒斗は悪くない。あたしのわがままだから怒って当然――」
「怒ったんじゃない。おれは感情処理が苦手なんだ。うれしいことだろうが悲しいことだろうが」
「……戒斗にも苦手なことがあったんだね」
 叶多から驚いた眼差しを向けられて、戒斗は苦笑した。
「だから考えることを優先しようとしてしまう。条件を考えたら一緒に暮らすのに“いま”なんてありえない。少しくらいわかるだろ?」
「一緒にいたい」
「条件とほかに、それがどういうことを含んでいるかわかってるのか? そうするつもりじゃなかったのに、おまえはまえに逃げたんだ。躰のセーヴは()くけど感情のセーヴはそう利くわけじゃない」
「わかってる」

 戒斗は安易に答えた叶多の腰を強く引き寄せた。左手で自分の躰に密着させると、右手は叶多の鎖骨に置き、それから下に滑らせた。叶多は息を呑む。
「戒斗!」
 戦慄(せんりつ)とは全然違う、恥じらいしか覚えない。
「ドキドキしてる」
 瞳を合わせたまま、戒斗は手をひねるように動かした。叶多は小さく悲鳴をあげ、恥ずかしくて戒斗の首もとに顔を伏せた。
 もう一度同じことを繰り返されてくぐもった声を漏らすと、密接した戒斗の躰がはっきりと反応を返す。

「戒斗」
 戒斗の手が両方とも離れ、叶多は躰を起こした。
「簡単だろ? どうする?」
 口を歪めて戒斗が笑みを浮かべた。
「大丈夫」
 顔を赤くしながらもやはり安易な返事に、戒斗はため息を吐いて力尽きたように笑った。
「覚悟してろよ」
「じゃあ、いいの?」
「決めた。撤回する気は更々ない。後悔するとしたら叶多だ」
「しない」
「そう願ってる」
「うん。ご飯、食べなくちゃ」

 叶多は大きくうなずいて戒斗の上から降りた。
 ここでも簡単に痴情(ちじょう)から立ち直った、いや、痴情そのものが存在しないかもしれないのだが、叶多は戒斗にとって厄介そのものに思えた。
「食べたいのはご飯じゃないんだけどな」
「オバケ嫌い」
「なんの話だ?」
「ご飯残したらもったいないオバケ出てくるよ。だからほら、頼もちゃんと全部食べて帰ったでしょ」
 あの張り詰めた状況下で黙々と頼はご飯を食べきってしまったらしい。叶多が指差した頼の食器は空っぽだった。
 おまけに『もったいないオバケ』か。
 戒斗は笑いだした。

「本気で信じて云ってるのか?」
「信じる者は救われるんだって」
「云うべきところがずれてる」
「戒斗のことは信じてる」
「あたりまえだ」
不束(ふつつか)だけど頑張るからよろしくお願いします」
 真面目くさってお辞儀をすると、
「ああ」
と戒斗は短く応え、その瞳には叶多さえわかるほどのこの上ない悦楽を宿した。
「何考えてるの?」
「食後のデザートについて」
 叶多のくちびるに笑みが溢れた。

* The story will be continued in ‘Candied poison's Night’. *

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