Sugarcoat-シュガーコート- #34

第5話 Surprise Call -6-


 瀬尾に案内されるまま、カウンターを左に行ってその先の階段を上がり、二階の応接室に入った。
「一寿にはなんの用があって?」
 ソファに向かい合った瀬尾は、スーツのポケットから煙草を取りだして口に(くわ)えた。
「あの……和久井さんに知らせたいことが……許可をもらっておきたくて……」
「許可って?」
「えっと……」
 云い(にく)そうにしている叶多に、瀬尾はふっと笑みを見せた。
「賢明です。初対面の僕に気を許すべきではありませんよ。それにしても……」

 瀬尾は煙草の煙を吐きだすと、叶多をしげしげと見つめた。二つに結んだ髪に今時に沿った短めのスカートという学生服は、いかにも少女という言葉が似合っている。上から下まで見やり、また叶多の顔まで視線を戻すと初心(うぶ)を示すように桜色に頬が染まる。
 瀬尾はとっておきの家業スマイルを見せた。
「……何かヘンですか?」
 それがどういう隙であれ、つけこむとどんな女も陥落する。が、叶多には通じなかったようで、ただ単に不安に戸惑った質問に瀬尾は笑った。

「戒斗には敵わないらしい」
「え?」
「その昔、戒斗に女遊びを勧めたのは僕です」
「あの……」
 昔というのがいつを指すのかわからないけれど、それでも気分がいいものではなく、加えて戒斗は叶多が和久井を訪ねていることを知らず、この時点で叶多が知ることを戒斗が望むだろうかと考えて口を挟んだ。
「キミを不愉快にさせるつもりじゃない。戒斗の告げ口をしているわけでもない。反動がキミなのかと思ったら妙に感慨深い、というところです」
「……意味がわからないです」
 おもしろがって叶多を見つめる瀬尾に、ストレートな物云いを望むのは無理なようだ。
 話しているうちに緊張が少し解けて部屋を見回しかけたとき、ドアが開いた。入ってきたのが和久井とわかって叶多はほっとする。少なくとも和久井の会社はここで間違いないことを確認できた。

 叶多が立ちあがろうかとすると、和久井は軽く手を上げて制した。
「叶多さん、今日はどうされたんですか」
 なぜか歓迎の欠片もない口調で和久井は訊ねた。
「あの……すみません、急に。聞いてもらいたいことがあって……」
 叶多は初対面の和久井を思いだし、また何か失敗したんだろうかと困惑する。
「一寿、責めることもないだろう」
「啓司、おまえ、余計なこと云ってないだろうな」
「一つくらい云ったかも、な」
 和久井は顔をしかめて瀬尾を見た。
 確か、和久井は瀬尾より一つ年上のはずなのに、二人には先輩後輩の関係はないようだ。これも有吏一族の特徴だろう。有吏本家への崇拝精神は誰もが心していることだけれど、追随する分家間での年功序列は同年代ではまずない。同等として互いを扱う。有吏本家である戒斗すら、総領という立場の兄である拓斗を“兄さん”と呼ぶことはなく、対等に渡りあっている。

「帰ったほうがよければ――」
「いいえ、今更です。戒斗は当然、このことを知らないんでしょうし、帰りは送っていきますよ。ここから独りで帰したと知れたら、それ以上にお叱りを受けます」
「当然、て……?」
「あなたがここに出入りすることを、戒斗が望まないことは明白だからです」
 叶多が訊き返すと、和久井はそう返し、考えこんでしばらく黙った。その横で、瀬尾は口を出すことなく和久井を窺いながら煙草を吸っている。
 実を云うと、哲もここを教えるのにかなり渋った。なんとか理由を云って納得させたけれど、やはり和久井も、()いては戒斗も不愉快にさせることだったらしく、叶多は自分の軽はずみな行動を後悔した。

「やっぱり帰り――」
「我々の役目を話しておきましょうか」
 再び叶多をさえぎって云うと、どうされますかと問うように、和久井は細めの目を少し見開いた。
「……はい。聞きたいです」
 驚きつつも叶多が真剣に答えると、和久井はうなずいた。

「宜しい。有吏の業は抜きにして、和久井家の本業は、いわゆる極道に位置する裏社会にあります」
 ついさっき階下(した)で交わされた瀬尾と従業員たちの会話と、最初の和久井から受けた印象がかみ合って、叶多は驚くよりは納得した。
「瀬尾家はよく云えば接客業、平たく云えば水商売です」
 続いて瀬尾が自ら説明した。
「そして有吏一族としての我々の役割は“窓口”です」
「窓口?」
「気づかれてますか。有吏一族に一つとして同じ姓を名乗る分家がないことに」
 叶多は目を伏せて素早くいま思いだせるだけ頭の中に分家の名を連ねた。確かに全部の姓が違っている。
「有吏一族は人知れず奔走(ほんそう)している組織です。“構成員”であることを気づかれてはならない」
「……蘇我家にってことですか?」
「……聞かれたんですか?」
 和久井はかすかに驚きを宿して問い返した。
「名前だけです。事情は全然わかりません。戒斗からの宿題なんです。あとは有吏の仕事も大まかなことだけ」
 叶多が鼻にしわを寄せて云うと、和久井と瀬尾はそれまでの真剣な眼差しに可笑しそうな笑みを宿らせた。

「蘇我家は組織があること自体は当然わかっています。が、構成員が“誰”であるのかを知らない。蘇我家が構成員として知っているのは和久井家と瀬尾家だけなんです。つまり、我々が蘇我家と有吏家の橋渡しをしていることになる。それとともに“依頼”の窓口としても。裏社会はいろいろな情報が出回りますから。組織は知る人ぞ知る存在です」

「有吏家と蘇我家は仲良くないんですか?」
「ずっと以前は協力者、もしくは同志だった。だんだんと見解が違ってきたというところです。それが決定的になったのは一世紀近く前。それを機に公にすることなく名を伏せてきた“有吏一族”は、蘇我家のまえから我々の先代を窓口に残して散ったんです」
「僕たちが窓口となっている以上、組織とコンタクトは取るはず。それなら?」
 瀬尾が試すように叶多を見ている。
「見張ってれば、誰が“組織”なのかわかる?  だから和久井さんと瀬尾さんは一族の集会にも出席できないし、あたしは個人的にここに来ちゃいけないんですね」
 叶多が答えると、瀬尾は微笑んで、そのとおり、とうなずいた。
「我々は有吏分家と直接に会うこともなければ連絡を取り合うこともない。蘇我家も裏を使ってきますから。だからこそ、下手にこそこそ連絡を取り合うよりも、堂々と連絡を取れる場所を確保したほうが手っ取り早い」
「それがこの仕事ですか?」

「そうです。有吏家は世間に資産家として通っている。ならば、そこに警備としてついても怪しくない。子息である戒斗のボディガードとして動いても不自然じゃない。和久井と瀬尾を名乗る者以外、ここの社員でさえ有吏との関係は表面上のことしか知りません。裏社会に家業のある我々が表の要人を守る仕事にあることについては、蘇我家を牽制(けんせい)する意味でも利がある」
「えっと……」
「普通なら極道が公に要人と繋がる職にあることは考えられない。公安が放っておかないから」
 瀬尾が考えこんだ叶多にヒントを提供した。
「……ということは警察にも有吏一族の……えっとなんて云うのかな……あ、手が回ってるってこと?」
「そういうことです。どこに有吏が潜んでいるのか、蘇我家は戦々恐々としている」
「じゃあ、逆に蘇我家のことはどうなんですか?」

「末端までつかんでいます。蘇我家は飛鳥時代から公の名を持った一族ですよ。それに引きかえ、我々が暗に有吏という名を引き継ぐようになったのはその一世紀後、藤原京の時代です。それまで有吏一族は暗の名もなく仕えていた。いまとなっては、有吏の祖宗(そそう)が名を公然としなかったことほど賢明な判断はないと思っています」

「誰に仕えてたんですか?」
「ああ、あなたがあまりに素直に聞かれるので喋りすぎたようです。それは戒斗の“宿題”じゃないんですか?」
 鋭く察した和久井を見て、叶多は不満げにため息を吐いた。
「ここまできたら簡単なはずだけどな」
「あたし、考えるの苦手なんです。いつも違う方向に考えてるみたいで、わかるのは手遅れになってからってことが多いから。考えたくないっていうのが本音なんですけど」
 瀬尾はぷっと吹きだした。

「叶多さん、それで今日、私に聞いてほしいこととは?」
 和久井はいきなり本題に戻し、叶多はそのために来たにもかかわらずどうしようかと迷った。これから云うことは和久井のひんしゅくを買ってしまいそうだ。
「あの……」
 いったん、口を開いてまた閉じた。けれど、和久井が話してくれたということは、少しは受け入れてもらえているということ。だからこそ、ないがしろにして行動を起こしたいとまでは思わない。

「あの、戒斗が高校を卒業したら一緒に暮らそうって云ってくれたんです」
 瀬尾の口もとがにやつき、和久井はうなずいた。
「別段、驚くほどのことでもないでしょう。若干、早い気もしますが」
「いえ、それが……」
「まさか、また逃げだすんじゃないでしょうね」
 和久井が北海道の件を持ちだしてからかった。
「違います! そうじゃなくって」
 叶多は恥ずかしさに焦って否定した。
「そうじゃなくて?」
「あの、いま……戒斗がいない間に内緒で引っ越しちゃおうかと思ってます。断られないように。それで和久井さんに許可もらえたら心強いなってことで……」
 瀬尾が煙草の煙を詰まらせたように咳きこむ。
 和久井は見境ない叶多の発言に一瞬、言葉を失ったが、直後に初対面の日のように声を出して笑い始めた。
「いいんじゃないですか。すでに事は戒斗が目指す方向に動き始めていますし」
 しばらく笑ったあと、謎な発言は理解できなかったものの、叶多が拍子抜けするくらい和久井はあっさりと了承した。
 それから叶多は二人に送ってもらった。
 車を降りて深々と頭を下げると、和久井はうなずき、運転している瀬尾は軽く手を上げて走り去った。
 瀬尾と会えたことと、和久井が一族について教えてくれたことで、叶多はまたちょっと戒斗に近づけた気がした。

   *

 瀬尾は車を出すと、ルームミラーから見送る叶多が目に入ってふっと笑った。
 世間が群がるような美少女ではない。が、なんとなく……なんだろう。簡単に表現するなら。
「可愛いな」
「手、出すなよ」
 和久井は車を出すなりつぶやいた瀬尾に忠告した。
「それほど命知らずじゃない。いざとなったらどこまでも非情になれる有吏の資質は承知してる。おれも含めて。それ以前に、叶多さんは揺るがなかった」
「相手が悪い」
「六年前、戒斗が遊びやめるって云ったときは正直、信じてなかった。ここまで律儀(りちぎ)だとはな」
「だからこそ、自分の意思でついてるんだろ?」
「まあな。一寿、おまえが叶多さんを買ってる理由はなんだ? 前途が不透明ないまの時点で、あそこまで喋ると思わなかった」
「ある程度、知ってもらったほうがいい。理由を挙げるなら、信頼度だ」
「信頼度?」
「戒斗がどこまで叶多さんを信じられるか。無条件で叶多さんのために動けるのか。逆も然り」
「けどそれは、強みにもなれば弱みにもなる。吉と出るか凶と出るか」
「だから、そこがふたりの信頼度の極みだ。弱点になっても戒斗はそこで終わらない。終われないはずだ」
「へぇ……おまえの信頼度も並じゃないな」
「……上に立つ人間には(うつわ)ってのがあるってことだ」
「……誰のことを云ってるんだ?」
 含んだ云い方に気づいて瀬尾が訊ねると、和久井は肩をすくめて答えなかった。

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