Sugarcoat-シュガーコート- #33

第5話 Surprise Call -5-


 その日の夜、九州に渡って落ち着いた時間を見計らい、叶多は戒斗に電話を入れた。
「戒斗、なんだか頼がへん」
『……どうした?』
 九州の様子を訊いたり、ニュースのように今日の出来事を一頻(ひとしき)り話したあと、叶多が戸惑った声でつぶやくと、戒斗は少し間を置いて問い返した。
「九回裏10対0でツーストライク、ノーボールでも絶対にあきらめないって……」
『ふーん……』
 戒斗はそう返事したきり黙ってしまった。電話の向こうに、あのライヴに行った日、叶多をミザロヂーから連れだしたときと同じ雰囲気を感じ取った。
「……戒斗?」
『頼は見る目があったらしい。どのみち、一人じゃ野球できないだろ』
「えっとそれが……一人じゃなくて渡来くんと組んだみたいで……」
 叶多がためらいつつ云うと、戒斗は再び黙った。
『……はっ。そのうち、メンバー九人揃うのか?』
 やがて戒斗はため息を吐くように笑い、口調もいつもに戻っていて叶多はほっと笑みを浮かべた。
「もう思い当たる人、いないよ?」
『もう、って渡来にしろ頼にしろ、おまえは思い当たってなかっただろ』
「え……それはそうなんだけど……」
 叶多が困ったように認めると、戒斗がくっと小さく吹きだした。
『おれと野球やってどうするんだって云っとけ』
 渡来と頼の今日の様子を見る限り、云ったところでますます二人を煽りそうだと叶多は思う。
「そのときは、戒斗がピッチャーなら、あたしがキャッチャーやるよ」
『野球、やったことあるのか?』
「ううん。でも戒斗のボール、どんなのでも受ける自信ある」
『どっからそう云いきれる自信がくるのか知らないけど頼りにしてるよ』
「任せて」
 叶多がためらいなく応じると、戒斗は抑えきれずに笑った。

「部屋の鍵、今日、お父さんからもらったよ」
『ああ。行くときは和久井に電話して迎えにきてもらえばいい』
「え、いい。自分で行ける。それくらいで和久井さん使ったら悪いよ」
『和久井はそれが仕事だからいいんだ』
「それが……って運転手?」
『ちょっと違う。今度、和久井に訊いてみればいい。和久井が話すかどうかは叶多次第だ』
 戒斗はからかうような笑みを含んだ声で云った。
「なんだか最近、考えれば考えるだけだんだん訳がわからなくなってる。和久井さんと瀬尾さんて有吏一族なのに集まりには来ないよね? 和久井さんとは北海道に行った日、はじめて会ったんだよ。瀬尾さんとはまだ会ったことないし」
『仕事柄ってとこだ。それも訊いてみればいい』
「それもあたし次第?」
『そのとおり』
 振るだけ振ってここまで放置されるとやっぱり考えること自体、億劫(おっくう)になりそうだ。考えるぶんだけ謎という深みにはまっているような気がする。

『戒斗、木村さんが呼んでる』
 不意に電話の向こうから、戒斗とは違う太い声がこもって聞こえた。戒斗が了解の返事をしている。
『叶多』
「うん、聞こえた。じゃ――」
『お、叶多ちゃん? 愛してるよぉ』
(わたる)
 割りこんでふざけた声が届くと同時に、戒斗が航をさえぎった。慌てた様子も怒った感じもなかったけれど、顔をしかめていそうな声だ。
『航はこういう奴だ。云っとくけどカノジョがちゃんといる。このまえミザロヂーで実那都(みなと)に会っただろ』
「あ、そうなんだ。ちょっとドキドキした」
 戒斗が電話の向こうでため息を吐いたのがわかった。
『じゃあな』
 少し不機嫌な声に叶多は小さく笑い、うん、と答えて電話を切った。



 夏休みもあと十日で終わる。今日は後期の出校日で宿題の提出と、あとは生徒会主導の平和集会があって終わった。ユナたちとファストフード店に寄って昼食をすませ、叶多は一人で家とは反対方向の電車に乗った。
 三十分くらいして降りた街はいまの時間帯、閑散としている。どちらかというと人が寝静まる頃に人が集まりそうな飲食店が多い通りを横切った。
 日射病になりそうなくらいの空からの強い日差しと、アスファルトからの熱気のなか、汗を滲ませながら哲に描いてもらった地図を片手に歩く。哲が云ったとおり、二十分ほどかかって、五階建てくらいのオフィスビルが並ぶ通りに出た。

 えっと、通りに出て右側のクリーム色の煉瓦風の壁だったよね……あ、あった。
 周囲から比べても代わり映えのしない目立たない色だけれど、看板が確認できた。
 “和瀬ガードシステム”
 三階建てのビルの屋上に青地に白の文字で記してある。
 哲から聞いてはじめて、和久井が父親の経営する警備会社の常務という職に在ることを知った。運転手ではなくてボディガードとして戒斗についているらしい。
 近くまで行くと、一階は左半分が事務所、右半分は駐車場で奥を突き抜ければまた駐車場が広く設けてある。建物内の駐車場には三台、高級そうな黒塗りの大型車が止まっている。和久井がいつも乗ってくる車と同じだ。事務所の自動ドアまで近づいていくと、人影が見える。
 いきなりの訪問であり、緊張しながらも叶多はドアの前に立った。

「こんに、ちは……」
 自動ドアが開くなり、言葉をかけた叶多だったけれど、だんだんと声が小さくなる。
 中にいたのは三人で、その目が一斉に向けられると同時に、叶多は場所を間違えたと思った。
 ドアを入ってすぐ設置されたカウンターの向こうには事務机が片側三台ずつ向かい合わせで三列並び、奥には、カウンターを向いて、単なる事務机というよりは重厚な大きめの机が三台ある。いまは左側の列に二人、そしてその奥の机に一人といる。
「嬢ちゃん、なんか用か?」
 二十代と(おぼ)しき小太りの男が席を立ち、カウンターまでやってきた。
 座っていたときの印象より意外に背が高く、小太りというよりはずっしりとした体格だ。睨みつけるような眼差しに()されて思わず叶多は一歩下がった。
 事務所は至って普通の雰囲気に見えるものの、住人が普通ではない。同じスーツ姿でも着る人が着るとどうしてこうも印象が違って見えるのだろう。

「あ、あの間違えたみたいです。す、すみません、お邪魔しましたっ」
 怖さのあまり上ずった声で云いつつ一礼すると、叶多はくるりと身を返した。その瞬間、まともに人とぶつかった。
「うわっ」
「きゃ」
 よろけた叶多の腕がとっさにつかまれて、ぶつかった主に躰を支えられた。
「すみませんっ」
 叶多はろくに顔も見ないまま、再び謝罪の言葉を口にして体勢を立て直すと横をすり抜けた。
「叶多さん?」
 聞き覚えのない声が自分の名を呼ぶ。ぴんと来ないままも叶多は自動ドアを出る一歩手前で立ち止まった。
 振り向くとそこには“見目麗しい”という言葉がぴったりなスーツ姿の男性が立っている。差し詰め、戒斗を“カッコいい”と表現するのに対して、“美しい”というところだろうか。
 こんな人が知り合いだったら忘れるはずないのに、叶多には名前を知られていることに慄くくらいまったく見覚えがない。
「あの……お知り合いでしたっけ?」
「ぷっ。少なくとも、僕は存じてますよ」
 叶多のポカンとした表情を見て小さく笑った彼は丁寧な言葉を使った。
 こういう云い方って……。
「瀬尾の坊ちゃん、ご存知なんですか」
「あ、瀬尾さん?! もしかして戒斗の――」
 瀬尾は云いかけた叶多の口を慌てて押さえた。奥には見えないように、空いたほうの手で人差し指を立てて口もとに持っていく。
 叶多は目を見開き、口をふさがれて声にできないかわりにこくこくっと二回、大きくうなずいた。
 瀬尾はまた吹きだしそうに笑って手を放す。
「こんなところでどうされたんですか?」
「あの、和久井さんを訪ねてきたんですけど」
 瀬尾は背後を振り返った。肩くらいまでありそうな長く黒い髪を後ろで一つに束ねている。チャコールグレーという微妙な色合いのスーツをなんなく着こなした横顔は顎のラインもきれいだ。
 強面ではあるが和久井といい、瀬尾といい、戒斗はもちろんのこと、有吏の血統が男子に及んでは優生に働いていることには間違いない。

「一寿は?」
「若頭は顔役(かおやく)に呼ばれてお出かけですが、もうすぐ帰ってみえるかと……」
 え……若頭って、若い魚のお(かしら)。このまえ、慶事でもらった鯛の塩焼き、お頭ごとお吸い物にしたら美味しかったんだよな……じゃなくて。それって和久井さん? 呼び方が……ってことは見た目だけじゃなくってもしかして……。
「タツオ、ここではそういう呼び方やめろって云われてるだろ。同じ会社の雇われの身で坊ちゃんと云うのもまずい」
 瀬尾が鋭く目を細めて『タツオ』と呼んだ男を見やった。
「す、すんません……や、じゃねぇ……すみませんでした。気をつけます」
 タツオはさっき叶多を威嚇した様子とはまるで違い、平身低頭して瀬尾に謝った。
「瀬尾常務、タツオはここに所属したばかりです。その筋が長かっただけに勘弁してやってください」
 そのスジって……おでんするには暑いし……じゃなくて。
 料理のことばかり考えているせいか、ついつい食べ物と結びついてしまうあたり、また誰かに単純思考回路だと云われそうだ。それはさておいて、タツオを庇った痩せ気味な中年男性の口調も、ちょっとイントネーションが違うような気がする。
「ここは要人の利用が多い。タツオ、おまえは見込まれてここにいるんだってことを忘れるな」
 その声に情けは見えなかったけれど、かけた言葉には瀬尾のタツオに対する信用があった。
「はいっ。心得て修行いたします!」

 なんだか云い方が古い。それに主従関係が明らかすぎる。やっぱり……。
「叶多さん、こちらへどうぞ。一寿はすぐ戻ってくるようですから」
 向き直った瀬尾はタツオに向けた表情とは一変して、(あで)やかな笑みを向けた。
「はい。お邪魔します」
 瀬尾に返事したあと、叶多は普通に云えば従業員の彼らに一礼した。
「ごひいきに」
 タツオはやっぱり普通にない返事をした。
 瀬尾が呆れたように肩をすくめる傍らで、ぷっと叶多が笑うと、タツオは心持ち顔を赤くして、体格に不釣り合いなしぐさで頭を()いた。

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* 文中意 顔役 … ボス(町や仲間内で勢力を持った顔を知られた人)