Sugarcoat-シュガーコート- #32

第5話 Surprise Call -4-


 お盆の五日間の休みを経て、哲は今日から通常に戻って出勤した。
 哲が休みだと、千里と二人で話す機会がない。千里と哲は四六時中一緒にいて、料理している時すらリビングに居座って会話が飛び交う。新婚時はとっくに過ぎて年頃の子どもたちがいるにもかかわらず、お風呂まで一緒とは如何(いかが)なものかと思う。
 いや、(ねた)んでいるわけじゃなくて……いや、やっぱりうらやましいかも。あ、でも戒斗のところに行くことになればあたしも……って……ど、どうしよう……。

「叶多、何独りで赤くなってるの? ぼーっとしてやってると火傷しちゃうでしょ」
 千里に注意され、叶多は自分と戒斗のお風呂シーンを急いで頭から振り払った。
「わかってるよ」
 叶多はオーブンミトンをはめた手で、少し冷めたオーブンの中からトレイを取りだした。小さめのシューがキツネ色に膨らんで、生地の焼けた香りも申し分ない。シューを上下二つに切っていく。

「ねぇ、お母さん」
「何?」
「お母さんて、結婚するずっとまえからお父さんと同棲してたんだよね」
 カスタードクリームと生クリームを詰めて早々と味見をしていた千里は、シュークリームを喉に詰まらせたようで拳で胸を叩く。
「な、なんで知ってるのよ!」
「昨日、お母さんたちが結束会に行ってるとき、おばあちゃんに戒斗とのことを話したら、教えてもらったんだ」
「んもう、お義母さんたら余計なことを」
「押しかけてきたんだって聞いたよ」
 叶多が訳知り顔で云うと、千里は首をすくめて観念したように笑った。
「そうでもしないと、哲さん、いつまでも維哲(いさと)のお母さんに忠義を尽くしそうだったから」
「いまはともかく、それってお母さんの片想いだったってことだよね……お母さんとお父さんが知り合ったきっかけって何?」
「偶然じゃなくて必然だったんだけど……叶多はまだ知らないほうがいいかも」
「まだってどういう意味?」
「いずれはわかることだから」
 千里は首をかしげて曖昧に笑った。
「なんだか謎がだんだん増えてく。反対はされなかったの?」
「有吏の一族はどちらかというと歓迎してくれた。梅竹(うめたけ)の親族は諸手(もろて)を挙げて賛成する人なんていなかったけど」

 そういう千里の実家、梅竹家は江戸時代から続いて皇室ご用達を誇る老舗(しにせ)の和菓子屋だ。
 いまは伯父、つまり千里の兄が梅竹屋を受け継いでいる。こういう時世で、品質に拘るあまり、皇室ご用達といえども経営がらくというわけではないらしい。ただ、その拘りが信頼に繋がって地道に成り立っているようだ。
 昔気質(かたぎ)な家系だけに婚姻ではなく同棲という形に反対があったというのもうなずける。
 一方で八掟家を哲に任せたいま、八掟の祖父母たちは有吏一族における自分たちの義務を果たしながらも旅行三昧(ざんまい)で、叶多からすれば優雅な生活だ。
 戒斗とのことについては祖母に話した時点で反対されるかと思っていたけれど、哲の恋路を邪魔したことへの後ろめたさみたいなものがあるらしく、叶多には、頑張りなさい、と云ってくれた。

「でも、哲さんが追い返さなかったことで、自分の気持ちも見る目も信じられたから。なんて。ふふ」
「ふーん、そっか……」
 叶多はしみじみと相づちを打った。
「何よ?」
「あたしも押しかけちゃおうかな……」
「いいんじゃない?」
 あっさりした千里の答えに叶多は目を(みは)った。
「え?」
「いまでも半年後でも変わらないと思うけど。ふたりとも覚悟があるなら。戒斗さんがああ云ったってことは覚悟があってのことだし、あんたの気持ちが変わるとも思えないし?」
「変わるわけないよ」
「それじゃあ、善は急げってね。前途多難だからこそ既成事実、早くつくったに越したことはないかも」
「いいの?」
「嫌なの?」
 普通の母親なら考えられないようなことを(けしか)ける千里を見て、叶多は笑いだす。
「やる!」
「娘にこんなこと勧めて、哲さんには叱られちゃうわね」
 千里はそうつぶやいたけれど、それはありえない。むしろ、しょうがないな、と哲は笑って許すだろう。
 たぶん、戒斗も。


 午後になってから、ユナが永と陽を連れて叶多の家にやって来た。ユナが家に来ることは約束のうちだけれど、いまから行くよ、という電話のときにシュークリームを作ったことを知ると、ユナは永の好物だから連れてきてもいいかと訊ねた。断る理由もなく、当然のように陽も一緒に来るという経緯に至った。
 陽と永が叶多の家に来たのははじめてだ。

 この二人と対面するのを楽しみにしていた千里は、リビングに通すと二人を見比べ、叶多の情報からどっちがどっちか見当がついたらしく、
「あなたが渡来くん?」
と陽に向かって問いかけた。
「はい」
「まあ……」
「……どうかしたんですか」
 陽がそう問いかけたくなるほど、千里はなぜか陽をまじまじと見つめた。
「あら、ごめんなさい。いい男だなと思って。もったいないわねぇ……」
「お母さん、意味わかんないこと云ってるよ?!」
『いい男』というのが高校生を表現するのに適切なのか疑問に思いつつ、不躾(ぶしつけ)さを叶多が咎めると、千里はごまかすように笑った。
「ああ、ごめん、ごめん。こっちの話。さあ、座って」
 千里はダイニングテーブルを指差した。
「ごめんね」
 叶多が謝ると、気を悪くしたふうでもなく、陽は、
「おまえみたいだ」
とぼそっとつぶやいた。
「どういう意味?」
「さあな」
 叶多が少し眉をひそめて問うと、陽は鼻で笑って席に着いた。

「叶多、美味しいぃ」
 叶多が陽の向かいに座ると、隣で早々とシュークリームを手にしたユナは、頬張りながらもごもごと感想を口にした。
「手作りのシュークリームってはじめて食うけどなかなかのもんだ。八掟がこういうの得意とは知らなかったな」
 永に誉められるとは思ってもいなかった。シュークリーム好きとくれば尚更に誉め言葉はうれしい。
「得意ってわけじゃないけど、お母さんから教えてもらって料理作りを頑張ってるの」
「さすがに和菓子屋の血を引いているだけあって、お料理の覚えは早いわね」
 続いて千里が誉めると叶多の顔に満面の笑みが浮かぶ。
「じゃあ、ゆっくりしていってね」
 千里は三人に声をかけ、買い物に出かけた。

「渡来くんはどう?」
 陽は叶多の期待のこもった瞳を見ると、テーブルに身を乗りだして顔を近づけた。
「何?」
「おれが訊きたい。何企んでるんだ?」
「え……っ……えっと……ふふ」
 叶多がにやけると、陽はしかめ面になった。
 そこへリビングのソファにいた頼が近づいてきて、叶多と陽の側面にある椅子に座った。

「叶多、高校卒業したら戒斗さんと同棲するんだってさ」
 ぶ。
「嘘っ」
 叶多が飲んでいたアイスコーヒーを吹きだしそうになったのと、ユナが叫んだのはほぼ同時だった。
「へぇ、なるほどな」
 ますます顔をしかめた陽の隣で、永がニヤニヤしている。
「頼!」
「別に隠さなくてもいいだろ。ホントのことだし」

 頼は手を伸ばして、お皿に載せたシュークリームを取ると一口で食べた。
 最近、というより限定するなら戒斗に手料理を食べてもらったあの日から、叶多に対する頼の態度が変わった。気持ち悪いほど暴言を吐かなくなった。
 頼は口の端に少しはみだしたクリームを人差し指で取り除くと、叶多の目の前にその指を差しだす。
「舐めて」
 おまけにこうやってやたらと“甘えた”みたいに絡みたがる。
「そんなこと自分でやってよ」
「いいじゃん。昔はやってくれてただろ」
 叶多は頼の手をつかんで頼自身の口に持っていった。
「ちぇ」
 頼は拗ねた顔をして自分の指を舐める。

「なんだか頼くん、変ったねぇ。前はつんけんしてたのに、反抗期終わった?」
「でしょ。なんか変なのよね。あとが怖い――」
「叶多、どうしたんだよ、この(あざ)……」
 頼はとうとつに口を挟んで手を伸ばした。ユナを向いた叶多の髪の間から、首筋の痣が見え隠れしている。
 叶多は頼が触れるまえに、さっと首もとを手で隠した。
「あ、これ……ちょっと――」
「キスマーク」
 隠しているつもりでも万が一油断したときのためにと、準備していた云い訳があったのに、それを叶多が口にするまえに、頼と同じく気づいた陽が答えた。
「わ、渡来くん?!」
「歴然」

 戒斗のバカ。
 吸血鬼みたいに痛いほど戒斗から吸いつかれたところが“うっ血”していることに気づいたのは、その日の夜、洗った髪をタオルで拭いているときだ。いまは痣になっている。
 皮肉っぽく笑う陽と不機嫌そうに口を歪めた頼が、赤くなった叶多を見つめる。叶多はますます身を縮めた。

「キスマークくらい大したことないじゃない。このあいだの目の前のキスシーンのほうがよっぽど強烈だったし」
「ユナっ」
「大騒ぎしたところで、同棲するんなら太刀打ちできないでしょ」
 悲鳴をあげた叶多に取りあわず、ユナがすまして口を出すと、永も、そうだよな、と同調した。
「まだ半年ある」
「あ、えっとそれが……」
「なんだよ」
 陽が怪訝そうに眉をひそめて問い返した。
「えっと……もう戒斗のところに行っちゃおうかと思って。だって、ほら、半年後だっていまだって大して変わんないし……」
「叶多、おまえ――」
「お母さんはそうしてもいいって云ってくれたし、だから、決めたの!」
 頼をさえぎって叶多が宣言すると、しばらくしんと静まった。
 緊迫ともいえる雰囲気を壊したのはやはり、ここいちばんの永のひやかした口笛だった。
「八掟もやるよなぁ」
「ホント。いいなぁ、親公認の同棲生活」
 ユナは語尾に音符がつきそうなくらい、うらやましそうに叶多を見て云った。
 陽はまったく気遣いのない発言をした二人を不機嫌に見やる。それから叶多に目を向けた。

「八掟」
「な、何?」
「まだまだ、だ」
 それを聞いた瞬間、永が高らかに笑った。
「おまえらしいな。納得するまで張ってやれ」

「叶多、おれもこのまえ云ったとおりだ。九回裏10対0でツーストライクノーボールでも絶対にあきらめないからな」
 今度は頼の宣言に誰もが沈黙した。
 あのとき、頼が何を云おうとしていたのか、叶多はやっと理解した。けれど。
「って、頼! 弟のくせに何云ってるの?!」
「関係ねぇ。戒斗さんととことん張り合う」
 叶多が呆気にとられている傍でユナと永が同時に吹きだす。

「八掟弟、おまえとは気が合いそうだ」
「おれも、そう思います。渡来さん、とりあえずは――」
『打倒、戒斗』
 陽と頼は声をそろえて誓い合った。

「大モテだな、八掟。やっぱ、いまがおまえの全盛期だろうさ」
 無責任におもしろがっている永とは裏腹に、叶多はぶっ倒れそうに眩暈がした。

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