Sugarcoat-シュガーコート- #31

第5話 Surprise Call -3-


 食事が終わったあと、戒斗は叶多と両親とそろってリビングでくつろいだ。戒斗と哲を中心に談笑が続き、それから一時間くらいして戒斗は帰りを知らせた。叶多は見送ろうと、すかさず戒斗についていく。
 外へ出ると、洋風の玄関先は屋根が出っ張っていて日陰をつくっているけれど、それでも躰が一気に汗ばむ。それにかまうことなく、叶多は戒斗の手の中に自分の手を滑らせた。

「云うのはまださきだって思ってた」
「いまでもさきでも大して変わらない。主宰には迷惑かけることになる。覚悟してもらうためにもかえって早いほうがいいんだ」
「……迷惑って……いま訊いても理由は教えてくれないんだよね」
「おれと叶多がお互いを選ぶということは、慣例を破ることになるってことだけ云っておく」
「……反対されるってことだよね? お父さんとのさっきの話も……」
「不安か?」
「……ううん。ドラマみたいでわくわくする!」
 能天気に叶多が答えると戒斗はくっと吹きだしながらも、
「我慢するなよ」
と、叶多の発言を強がりと見抜いたようで、至って真面目な声で諭した。

「うん……蘇我家って……まえに云ってた有吏みたいな一族?」
「そうだ。叶多、歴史は得意か?」
 戒斗の問いに叶多は顔をしかめる。
「勉強って全部苦手」
「変わらないな」
 戒斗は声をあげて笑った。
「聖徳太子、くらいは知ってるだろ?」
「そこまでバカじゃない」
 むっつりと叶多は答えた。
「有吏一族の有史は藤原京から始まってる。聖徳太子は実在する人物じゃないっていう説があるのを知ってるか?」
「え?」
「いま、有吏家と蘇我家の関係について最大のヒントを出した」
 戒斗はにやりと口の端で笑う。
 しばらく考えこんだ叶多だったけれど、やっぱりすぐにあきらめた。

「くっついていい?」
「答え、出さなくていいのか?」
「あとで考える」
「大学に行く意味があるのか疑問だ」
 戒斗は呆れたようにつぶやき、顔を下ろして笑みを浮かべた叶多のくちびるをがさつにふさいだ。懲らしめようとしたつもりが、通じるどころか、叶多は戒斗に応えて催促するようにくちびるを開く。
 はまりこむまえに自分の中から分別という言葉を探しだして、戒斗はすぐに顔を上げた。離れたとたん、叶多は物足りなさそうに小さく呻いて戒斗を見上げる。

「またしばらくは忙しい?」
「十七日から一週間は九州だ。九月になったらゆっくり時間が取れるかもしれない」
「うん。戒斗……」
 まえに断られているだけに、叶多は云いかけてやめた。
「なんだ?」
「……ううん……なんでもない」
「我慢するなって、さっき云ったはずだ」
「ホントに我慢しなくていい?」
「おまえ、『うん』て云わなかったか?」
 戒斗は質問に質問で返して叶多を促した。
「今度ツアーから帰ってくるとき……戒斗のところでお料理して待ってていい? 外食、飽きるって云ってたから……」
「かまわない。それより、一緒に暮らそうって云ってるのに、なんでそれだけのことを云うのに迷ってるんだ?」
 勇気を要してためらいつつ口にした叶多に対して、戒斗はまったく心当たりがなさそうに問い返した。
「まえに家で待っていたいって云ったら、だめだって即行で断られた」
 ()ねて叶多がつぶやくと、戒斗は思い当たったように少し目を見開き、そしてにやりと口を歪めた。
「ああ、あれは抑制がきかないかもしれないって思っただけだ。疲れてるから余計に。おまえはたぶん何も考えてなかっただろ」
 叶多は目を見開いた。戒斗が思ったとおりで否定もできず、困った表情で顔を少し赤くした。
「……でも北海道に呼んだよね? ふたりってことは同じだし、どう違うの?」
「北海道に呼んだ理由の半分は必要に迫られたんだ」
 叶多は首をかしげると、戒斗はなぜか感情を全部その顔から消し去った。
「それに、寝台車だったら密室とはいえ、少しは人目が気になる」
「でも……」
 叶多が口を挟むと、戒斗は肩をすくめた。
「そうだ。やっぱ、何も考えてなかったおまえのおかげで、結局は家と変わらない状況に陥ったわけだ」
「戒斗にも予定外のことがあるんだね」
 自分のお粗末な行動は棚に上げ、叶多は小さく吹きだした。
「誰のせいだ?」

 戒斗は身をかがめ、叶多の左側の首筋に喰いついた。
「戒斗っ……ィ……タィ……っ」
「笑った罰だ」
 くちびるを離してそう囁くと、戒斗は再び顔を伏せる。
 今度は真逆にその痛みを取り除くように戒斗の舌が撫で、そこにだんだんと熱が生まれていく。首をすくめて小さく呻くと、叶多は髪を後ろに引っ張られた。
 戒斗は顔を上げると同時に、結んでいた叶多の髪を解いて熱のこもった場所を隠した。

「悪かった」
「ホントに戒斗の家で待ってていい?」
 戒斗が謝ったのを無視して叶多が念を押すと、戒斗は口端で笑って答えを示す。
「平気」
 今更で謝罪に答えると、戒斗は声を出して笑った。
「じゃあな」
「うん」
「ここまででいい。暑いし、倒れられると帰れなくなる」
 戒斗を追おうとしたが制された。
「そんなに弱くないよ」
「それでも心配だって云ったら?」
「うれしい」
 戒斗は顔を下ろして、叶多のくちびるを舌先でなぞった。
「じゃあな」
 再びお決まりのセリフを残して戒斗が背を向けたとき、またもやタイミングよく和久井の車が門の前に止まった。

   *

「悪いな、頼」
 門を出たところで、戒斗は声をかけた。
「いること、知ってたんですか」
 道路側の門の脇で待ち構えていた頼は、戒斗がすでに承知していたと知って苛立たしげに云った。
「おまえの性格からして、おれに云いたいことあるだろうし」
「ちぇ、なんでもお見通しですか」
「“大好きなお姉ちゃん”を取りあげて悪かったな」
「余裕ですね」
 頼の嫌味にすら、戒斗はふっと笑みを漏らして、目の前に止まった車の後部座席のドアを開けた。

「戒斗さん、拓斗さんと那桜さんのこと、認めるんですか」
「反対する理由はない」
「兄妹でも?」
 戒斗は乗るのを止め、頼に向き直った。
「有吏の“八掟”に忠実であればいい。おまえは八掟家の総領だ。八掟を真に理解できるのなら、それに勝る掟は存在しないとわかっているはずだ。暗に在る有吏一族に表に在る(たみ)の法律は無効だ。紙切れに意味はない」
「その言葉、忘れないでくださいよ。そういうことなら、おれも遠慮なく参戦させてもらいます」
「……おれも、とか、参戦ってなんの話だ?」
「渡来陽と同じくライバル宣言というところです」
 戒斗はまったくの無表情になって、少しだけ自分より背の低い頼を見下ろした。
「おれにもそれなりに情報網があるってことを忘れないでください」
「上等だ」
 口を歪めてそうつぶやくと、戒斗は玄関先で見送っている叶多を振り返り、軽く手を上げて車に乗りこんだ。


「叶多さんの崇拝者はなかなかの(つわもの)ぞろいですね。あなたも含めて」
 車を出すなり、和久井が笑みを含んだ声で云い、バックミラー越しに戒斗に目を向けた。
「今更、問題ない」
「そう願っています」
「何が云いたい?」
「伏兵にはくれぐれもご注意を、ということです」
「忠告は聞いておく」
 戒斗は警告を含め、その顔に笑みとも怒気ともつかない表情をかすかに宿した。

   *

 戒斗を乗せた和久井の車が出るなり、叶多は門に姿を見せた頼に気づいた。なかなか車に乗らない戒斗を不思議に思っていたけれど、合点がいった。頼と話していたに違いない。

「叶多」
 玄関前の階段の途中で止まった頼は、少しびっくりしている叶多に呼びかけた。
「な、何?」
 キスしていたところを見られたのかも、とか、おバカな発言を聞かれたのかも、と思い廻り、なんの攻撃を受けるかと身構えた叶多に、頼は不意打ちで笑みを向けた。
 叶多は同じ高さにある頼の顔を唖然として見つめた。こんなふうに頼が笑って見せたのはいつだっただろうかと一瞬考えた。
「九回裏ツーアウト10対0だろうが、おれはあきらめない。覚悟しとけよ」
「へ?」
 呆けた叶多を残して頼は脇をすり抜け、
「そんなとこに突っ立ってると熱中症でぶっ倒れるぞ」
といつもにない至って普通の口調のうえ、心配ともとれる言葉をかけて家の中に入っていった。

 幻想を見るくらい、すでに熱中症で熱でもあるのかと、思わず叶多は自分の額に手をやった。

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