Sugarcoat-シュガーコート- #28
第4話 extra A boy meets a girl. -4-
会食が始まると、思い思いに移動しながらあちこちで談笑が広がる。
入れかわり立ちかわりで親族の相手をしていると、八掟主宰がその隙を縫っておれをつかまえた。
「崇氏の件、おめでとう。大したもんだ」
「いいえ。実を云うと何もしてないんですが」
「……何も?」
八掟主宰が小首をかしげると、おれは肩をすくめた。
「首領は自慢げだったよ」
「父が?」
今度はおれが驚くばんだ。
ありえないと云い含んで問い返したおれに、
「首領とはいえ、どこにでもいる親とかわらない」
と、八掟主宰は父を庇った。
いまでこそ、首領となった父とは一線を置いている八掟主宰だったが、若き頃は破門騒ぎがあったなかも懇意な仲だったということは聞いている。
「このまえは世話をかけた」
八掟主宰は声を落としていきなり話題を変えた。
「いいえ。その後はどうですか?」
夏休みに入って尾行の機会はなくなり、叶多を見るのは五日ぶりのことだ。いま、叶多は部屋の隅で同じくらいの年の子と集まって何やら話しつつ笑っている。
「あれからしばらくして千里に話してくれたよ。少しほっとしている。話せるということは叶多の中で少しは処理できているということだろうから。また友だちができるといいんだが……無理につくるものでもないしな」
「主宰、来年は中学だし、青南に編入させてはどうですか」
この数日、考えた。何ができるのか。
おれのとうとつな申し出に八掟主宰は目を丸くした。
「青南に?」
「はい。有吏一族の幅が利く青南なら、何かあったときは目が届きますから」
「しかし、成績がずいぶんと落ちたからな。このまま入ってもついていくのが大変になる」
「家庭教師、おれにやらせてもらえませんか」
「は……滅相もない。そういうことならこっちで手配するよ」
八掟主宰は恐縮したように首を振った。
「大丈夫ですよ。今回の仕事の成功報酬として父には許可をもらってますから」
「いいのか?」
「はい。手を回せば受験なんてしなくても行かせられるけど、もしどこからかそれが漏れた場合は傷つくだろうし。危険因子は必要ない。おれが合格させます」
「どうしてそこまで……」
「拘ったからにはちゃんと見届けたいだけです。一族の手前もありますから、おれが云いだしたってことは内密にしてください」
「わかった。助かるよ」
安心したように八掟主宰はうなずいた。
「戒兄、これ」
八掟主宰が立ち去ったところで、那桜が頼んでいた小さな箱を持ってきた。
「ああ。呼んできてくれ」
「わかった」
那桜が小走りで向かう後を、引き止められるたびに、あとで、とかわしながらゆっくりと追った。
那桜に手を引かれ、叶多が戸惑った顔をして近づいてくる。
「大丈夫か?」
前置きなく訊ねると、叶多はちょっと首をかしげ、それから何を訊かれているのかわかったようで大きくうなずいた。
またうなずきんを思いだして笑いそうになる。
「これ、やるよ」
差しだした箱を受け取りながら、叶多はおれを不思議そうに見上げる。
「……開けていい?」
「ああ」
箱からグラスを出して眺め、そして中に入ったガラス玉を目にした叶多が微笑んだ。
「……きれい」
「そのガラス玉ね、戒兄が作ったの。ストラップの四つ葉のクローバーはハートを四つ集めたんだよ。四つ葉にはちゃんと意味があって、希望と誠実と愛情と幸福。あたしが教えたんだけど」
横で説明する那桜に目を向けていた叶多がまたおれを見上げる。
「ガラスのストラップ、欲しかったんだろ?」
あのときに見た、光に反射していたストラップトップを引き合いに出すと、叶多の顔に零れそうなくらいの笑みが溢れる。
「これは? 青に白い雫?」
「それも意味があるらしいんだけど、戒兄は教えてくれないんだよね」
叶多が訊くと、那桜は顔をしかめて口を挟んだ。
「その時が来たら、おまえにだけ教えてやるよ」
那桜が、ずるい、と云う傍らで、言葉を向けられた叶多の瞳がうれしそうに煌めいてまっすぐにおれを射抜く。
「じゃあな」
おれに目を合わせたまま、叶多がこっくりとうなずくのを見て堪えられなかった。
有吏に欠けているのは理ではなく心で攻めること。
それはおれが避けてきたことでもある。
トップであるがゆえに常に量られていることの恐れは終始、おれに付き纏っていた。
それを隠そうと虚勢を張って感情を内に秘め、立場に託けて弱さに付けこまれないようにと、誰と付き合うのにも一線を引いた。
けど、叶多は違った。その弱さを隠さず、真っ向から闘おうとしている。自身に曝けだした自分の真の心と対峙する強さ。
認めたくなかった強がりが、あの時、守ってやりたいという強さに変わっていった。
公然と吹きだすように笑ったおれに、半ば呆気にとられた一族の目が集まる。
おれが真の強さを手に入れるための一歩を踏みだした瞬間だった。
おそらくは様になっていない笑みを浮かべたおれを、きょとんと叶多が見つめる。
「おまえを笑ったわけじゃない。おれが勝手に楽しんでる」
ちょっとだけ頭を撫でてやると、その頬が赤く染まった。
八月に入っておれは八掟家を訪れた。家庭教師としての初日だ。
中に入ると出迎えたのは叶多の母親だけで、すまなそうな顔をおれに向ける。
「ごめんなさいね。叶多、受験することを嫌がってて怒ってるの。もともと勉強好きな子じゃないし」
「勉強好きって云うほうがめずらしいですよ。大丈夫です」
案内されて階段の下まで来ると、母親を制し、部屋を教えてもらって独り二階へ上がった。
家庭教師がおれだと知ったら、叶多はどんな反応を示すだろう。
「叶多、みえたからね!」
下から叫んだ母親の声にも、おれと同じようにおもしろがった響きが聞き取れる。
おれの家にはない温かさがここにはある。
部屋のドアをノックしても案の定、返事はない。
中に入って部屋を見渡すと右側の奥に叶多を見つけた。机について反抗するように背を向けたままだ。
「叶多」
はじめて声にした名はしっくりきた。
誰の声かに気づいた叶多は驚いた顔をして振り向く。
「今日からよろしくな。云っとくけど、おれは厳しい」
そう云ってここ一週間で板についてきた笑みを見せると、叶多が椅子から立ちあがる。
結局、驚いたのはおれのほうだった。
叶多は飼い主に飛びつく犬のようにおれにぶつかってきた。
こういうのも悪くない。
表現控え目につぶやいて、飼い主がしてやるように抱きしめた。
相変わらず、細くて小さいが、あの頃よりずっと柔らかくなった躰が腕の中にある。
「ねぇ、戒斗……これって……」
おれの肩に顔を載せていた叶多がつぶやいた。
躰を離すと叶多が首を仰け反らせ、橋の上に放物線を描くアーチを見上げ、そしてまっすぐたどるように欄干まで下りた。
「やっぱり!」
叶多はうれしそうに叫んだ。
「なんだ?」
「戒斗、そこに立って。あたしはこっち」
云われるままに少し離れて立つと、幼さを脱した叶多がまっすぐにおれを見つめる。
「相合傘の橋の上、逢いたい人と瞳を見つめ合い、愛を語る藍の夜!」
叶多はやたらと『アイ』を重ねて詩を読むように云った。
「いきなりなんだ?」
「見て。ライトが傘の形を縁取ってるでしょ。それで真ん中に縦に並んだライトがあるの」
「それがなんだ?」
重ねて訊ねると、叶多は可笑しそうに瞳を煌めかせた。
「相合傘、だよ! 見て」
おれの手を引いて叶多は石のオブジェの裏を指し示した。
暗くて見え難かったがかがんでみると、そこには叶多が云った言葉がある。
「藍。だからここ、ライトがブルーなんだぁ」
再び見上げて叶多がつぶやく。
倣っておれも見上げてみた。
相合傘を書くときのように三角ではなかったが、ライトがアーチに沿って丸い傘の輪郭をつくり、そのトップから一本のラインが下まで下りてきている。
何度となくここへ来ても気づかなかった、どうでもいいと思うようなことをこうやって、叶多はおれの中で感性に変えていく。
そして叶多は欄干に近づいてそこから身を乗りだした。
「叶多、危ない」
「もうないんだ」
おれの警告を無視し、叶多はがっかりと声を落として云った。
「何が?」
「ストラップ」
「何年前だと思ってるんだ。それに、かわりのやつをやっただろ?」
呆れながら同じように覗いてみた。
「うん。でも落としたり壊れたりしたら嫌だから大事にしまってる」
その横顔に目をやると同時に、叶多は思いついたように向き直っておれを見上げる。
「ブルーのガラス玉。あの意味って何?」
「まだ『その時』が来てない」
にやりと笑って答えるのを拒絶すると、叶多の口が少し尖った。
おれはすかさず食いつく。
映画のラヴシーンなんかによくある甘いセリフをバカみたいに思っていた。
けど、いまは気持ちがわかる。
『きみを食べたい』
* The story will be continued in ‘Surprise Call’. *