Sugarcoat-シュガーコート- #27

第4話 extra A boy meets a girl. -3-


 次の日、気の迷いはなくならず、おれは尾行をする羽目になった。
 誰に頼まれたわけでもない。一族の長としての責任感からだ。
 おれは悪あがきをした。

 学校とは反対側の塀に寄りかかっていると叶多が出てきた。おれには気づきもせず、叶多は学校へと向かう。
 足音を消し、一定の距離を保って(あと)をつけるが、途中、叶多は何度も足を止める。
 うつむいたまま進んでいくせいで電柱にぶつかりそうになり、何度もひやりとしたが、そこは通り慣れているという習性なのか、叶多は顔も上げることなく器用に()けていく。
 (はた)から見ればおれは変質者だなと思いつつも後をつけた。
 立ち止まっても振り向くほどの余裕はないようだ。振り向いたら終わりだという覚悟を自分に強いているのかもしれない。
 こんなんで大丈夫なのか?
 叶多が立ち止まるたびに、それに付き合いながらおれは何度もそう思った。

 三十分をかけて学校の正門までやっと来たところで、叶多はまた立ち止まる。
 その横顔がさみしさを訴えている。何かを耐えるように下唇を噛みしめている。
 どうする?
 やがて、そのうつむいた顔がふっと上を向いた。
 その横顔は(りん)とした心を映している。
 そして一歩を踏みだす。
 気の緩みがおれのくちびるに宿った。
 維哲、おまえの妹は、確かにおまえが云うとおりデリケートだ。
 けど、弱くない。
 くるりと身を翻してシャドウを止めたところまで十五分で引き返し、それからおれは学校へ向かった。



 崇裕紀の工房は乱雑としている。
 工房独特の熱がこもり、季節柄もあってか入ったとたん、躰がねっとりと汗ばむ。
 クーラーもなく、締めきった工房には家庭用の扇風機があるのみで、熱中症にならないのかと思った。
 おれが横に立っても、知ってか知らずか見向きもせず、崇は金属の円盤の前に座り、黙々とガラスをカットしている。
 広くもない工房を見て回ると、オフィスによくあるデスクが隅にあり、上に載った箱が目に留まった。中には色取り取りの花びらやハート形の模様のついたガラス玉がたくさんあった。手に取ってみると、ガラス玉には(ひも)が通せるような穴が開いていている。

「何か用か?」
 音が止むとともに声をかけられて振り向いた。一段落したのか崇が立ちあがって寄ってくる。
 三十年を越えてガラス工芸に身を置いた崇の風情は、彼自身が切子製品のように繊細、尚且つ相反するように荒削りな線を感じさせ、その眼差しは鋭い。
「有吏戒斗です」
 そう名乗ると、崇の眉間にしわが寄る。有吏の攻勢に辟易(へきえき)しているのが見て取れた。
「これ、おれでも作れますか?」
 ガラス玉を指差して訊ねると、思っていた申し出ではなかったのに驚いたのか、崇の眉が跳ねあがる。
「それは知り合いの子供のために作ったものだが、いるんなら持っていっていい」
「いえ、自分で作りたいと思ったんですが」
 崇は疑うようにおれを見上げた。

 やがて崇は肩をすくめると答えないまま、別の机に向かい、椅子に座って無言で作業に取りかかった。
 崇は机の隅の箱に入っているカラフルなガラス棒の中から黄色を選んだ。机の上にある置き型のバーナーを使い、その熱でガラス棒を溶かしながら左の手に持った棒に巻きつけた。次は細い赤のガラス棒を溶かして黄色の玉に付け、馴染ませてからそれを針で引っかくようにするとハート形の模様ができた。そしてそのガラスを脇に置いた四角い入れ物に入れた。
「熱を冷ます灰だ」
 崇はおれの無言の疑問を察して答えると、手順を見せるようにそれを繰り返した。ハート型に加えて、猫の足跡や水玉模様のガラス玉ができあがっていく。
 三十分くらい経って、差しだされた崇の手から、最初に作ったハート形のガラス玉を受け取った。

「好きに使っていい。有吏のお坊ちゃんだ。やり方はもう覚えただろ」
 お坊ちゃんという言葉に顔をしかめると、崇は口を歪めておれを見上げた。たぶん、笑っているんだろうが。
「ありがとうございます」
 見た目は簡単そうだったが、工程に慣れるまでに時間を要した。模様に至ってはまったく気に入るまでにはいかない。

 それからしばらく、有吏の仕事をそっちのけでほぼ毎日、崇の工房へ通い詰めた。
 一方で探偵じみた、叶多の学校までの見送りもやめられなくなっている。
 おれは気づき始めた。
 いままでおれに欠けていたもの。
 虚勢を張ってきただけのおれの弱さ。
 真の意味で強さとは何か。

 ――できた。
 やっと満足行くまでに形を成した、ピンク玉に黄緑色のハート模様を描いたガラス玉が四つ、それと、もう一つのブルーのガラス玉が仕上がった。
「できたか」
 様子を見ていたらしい崇が横に来て、おれの作ったガラス玉を覗く。
 崇から見ればお粗末なものだろうが、感想を云うことはなく、ただおれの目の前に小振りのタンブラー型グラスを差しだした。

「有吏の申し出を受けてやろう。そのかわり、弟子はおまえが探してこい。それが条件だ」
 通い続けて二週間、崇ははっきり笑みとわかる表情をはじめて見せた。
 問うように見上げると、崇はおれの足もとに置いたダンボールの中を見る。そこには失敗というよりは気に入らなかったガラス玉が数えきれないほど溜まっている。
「本音を云えば、おまえを弟子にしたいところだが有吏は手放さんだろうしなぁ」
 崇が惜しむように云うと、思わず笑った。はじめてこんなふうに他人の前で笑った気がする。
「おれには感性が足りませんよ。受けていただいてありがとうございます。条件については了承しました」
 おれは答えて崇から受け取ったグラスを眺めた。底にかけてブルーからピンクに変わっていくグラデーショングラスは、側面に白く不透明にしたハートが浮き彫りになって散らばっている。
「邪道だが、どこかのお嬢さんに私からのプレゼントだ」
 そう云って崇は再び笑う。ニヤついていると云ったほうが正しい。
 おれはごまかすように肩を竦めて礼だけ返した。

 有吏の仕事で交渉もしないままの成果は、おれに大きな意味をもたらした。
 不要だと思っていたものが、意味を成し、おれのまえで景色が変わっていく。業を全うしようと思うあまり、有吏に欠けているものが見え始めた。



 夏休みに入ってはじめての日曜日は恒例となっている有吏一族の集結の日で、有吏塾に一族が揃う。
 有吏塾は杉並区の外れに位置する。四方を背の高い壁で囲んだ敷地内の奥に一際大きい、有吏館と呼ばれる建物がある。その横には別棟で武道を学ぶ道場、そして主宰クラスが宿泊する邸宅と連なっている。
 有吏館の一階は集結する場所として逢瀬(おうせ)の間と名づけられ、二階は中央に廊下を挟み、会議や講義に用いられる部屋が四つずつある。三階もまた廊下が中央にあり、両脇に六畳の個室がそれぞれ八部屋設けられて寄宿に使われる。

 いま、逢瀬の間ではテーブルがずらりと並び、立食パーティの準備が着々と進んでいる。
 学生身分である男たちは長期休みになると、一定期間の集団合宿に入る。その決起大会というところだ。
 一族がすべてそろう機会をつくることで結束を高めようということでもある。

 おれはいつものように、上座で父と拓斗、そして祖父とともに次々にやって来る親族を迎える。
 おれと拓斗は父の横に控えているだけだが、その父は来る者一人一人に必ず声をかける。春、夏、冬の三回に、加えるとしても一、二回、つまり年に多くても五回程度しか会うことのない親族がいるにもかかわらず、父はざっと三百人を超える一族のすべての名と顔を一致させている。前会の会話まで覚えているようでその後のことを訊ねることもあった。
 こういうところはさすがに上に立つべき者のすごさだと思っている。

 目礼で迎えるなか、八掟家もやって来た。
 親睦(しんぼく)会は堅苦しさをなくすため、誰もが普段着で参加する。
 あの日と似たような格好で叶多が母親の後ろをついてくる。結んでいない長い髪が少しだけ幼さを消していた。
 父の前で止まった両親の横に添い、叶多はちょうど目の前に来た。これまでもこの位置にいたはずが、おれはいつも父と八掟主宰の会話に目を向け、叶多と話すことはもちろん、見ることもそうなかったと気づいた。

 おずおずと顔を上げ、おれが見返しているのを知ると、困ったような表情を浮かべて目を伏せる。しばらくして叶多は視線を上げ、目が合うとまたうつむいた。
 それを繰り返していくうちに、叶多の顔が少しずつ赤く染まっていく。
 おもしろい奴。
 また気が緩みそうになった。

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