Sugarcoat-シュガーコート- #26
第4話 extra A boy meets a girl. -2-
「それがどうした?」
『捜してほしい。千里さんが警察にって云ったけど大げさにすると叶多が傷つく。おまえならなんとかなるだろ?』
軽くあしらっても、おれの反応を予想していたのか、維哲は憤ることもなく問いかけた。
「維哲、おれはそんなに暇じゃない。おまえが動けば――」
『おれはいま、北海道だ』
「んなとこで何やってんだ?」
『出稼ぎってやつ。建設の仕事でいろんなとこを回ってる。来年、大学に行こうと思ってるんだ。行くには金が必要だろ?』
「八掟主宰はそれくらいの財力、余裕で持って――」
『おまえは有吏という温床に浸かって守られてるからな。おれは違う』
維哲の言葉の裏に嘲るような意味合いを聞き取り、おれは不愉快になって顔をしかめた。
「どういう意味だ?」
『さあな。てめぇで考えろ。とにかく叶多を頼む』
「携帯、持たせてないのか? 学校がどういう方針だろうと、一族間では持たせるべきことになってるはずだ。GPS使えば――」
『叶多は自動起動しないように完全に電源を切ってる』
おれは思わず舌打ちした。そうなれば人力でやるしかない。
『六年になって成績が落ちてるし、なんか学校であったらしい』
「なんでおれなんだ? 携帯が当てにならないんなら警察がやってもおれがやっても大して変わらない」
『大して変わらないからおまえに頼んでる。世の中には信じられないくらいデリケートな人間がいるってことだ。おまえは拓斗と違って妹の面倒をよく見てるし、おれの気持ちが通じると思った。できる限り、大げさにしないでくれ』
つまり、おれ独りでやれってことか。
ぶつぶつと文句を云いたい気分だったが、持ち前の自若の精神をかき集めた。
「電源の切れた場所は?」
『相合市内だ。助かる』
暗黙の了承を示すと、心底から安心したような維哲のため息がおれの耳に届く。
念のために妹の携帯番号を訊き、左手の甲にボールペンで書きとめて電話を切った。
ヘルメットを手にしたところでちょうど父と拓斗が会社から出てくる。
「ちょっと走ってくる。遅くなるかもしれない」
「詩乃には云っておこう」
父はいつも母のことを名前で呼ぶ。愛情というよりは威厳を保とうとする結果だ。
拓斗はこれもまたいつものようになんの反応も示さず、さっさと自分の車に乗りこんだ。
家族であるはずなのに、どこか他人行儀なのは高貴を保持しようとするゆえの有吏本家独特の伝統だろう。
おれは父に向かってうなずくと、シャドウに跨りエンジンを吹かした。
速度表示を無視してシャドウを飛ばし、23区から離れた相合市へ入った。
信号で止まり、その間に携帯電話を開いて時間を確認するともうすぐ七時半だ。
試しに電話を呼びだしてみたが、やはり電源が入っていないという応答が流れる。家を出てから三時間近くになる。
どうやって探す?
電源の切れた場所まで来ると、エンジンを切ってシャドウから降りた。
ちょうどバス停だ。
GPSを追跡した結果、大通りに沿っていることがわかった。かみ合わせればバスで移動し、少なくともここまでは来たということだろう。
もしかしたら、とバス停のちょうど後ろにある花屋に入った。
「すみません。六時前くらいにそこで小学生の女の子を見かけてませんか」
「女の子?」
入るなり、いらっしゃいませ、と迎えた若い男性店員は、バス停を指差したおれを見ると眉間にしわを寄せる。
やっぱ無理か。
そう思った矢先、奥にいた女が顔を上げた。
「あ、あの子かも。細くてちっちゃい感じ。髪の長い子じゃない? そこのバス停で降りたあとしばらく立ち止まってたのね。どうしたのか声をかけようとしたら電話が鳴ったりお客だったりで、応対してるうちにいなくなってたわ」
「格好は覚えてますか?」
「んーっとね、確か……短いピンクのワンピースみたいなのにジーパン。髪は二つに結んでたみたい。何かあったんですか?」
先入観を与えないように、女性店員に答えさせた格好は確かに維哲から聞いたものと同じだ。
「いえ。ありがとうございました」
おれは店を出て、しばらくバス停に佇んだ。
ここで降りてどっちへ行く? 行く宛がない限り、普通に考えてバスの進行方向だ。加えて、悩み事があって考えながら、もしくはまったく逆に何も考えずに進むのなら、途中で道を折れることはないはずだ。
ゆっくりシャドウを走らせた。
立ち寄るには手頃な公園があり、寄ってみたものの姿はない。
再びシャドウに乗ろうかというとき、携帯電話が振動した。開くと発信源は八掟主宰からだ。
「はい」
『いま、GPSが反応した』
八掟主宰の急くような声が届く。
「どこですか」
『あい橋付近だ』
「わかりました」
『千里が電話してみたんだが、応答しないうちにまた電源が切れた』
おれは舌打ちしたい気分になった。
ちょっと考えれば、こういうときは親からの電話がどういうプレッシャーを与えるのか、刺激するべきではないことくらい思い至るだろうに、そこが親なのか……。
「こっちから連絡するまで、とにかくおれに任せてください」
電話を切ると携帯電話であい橋の位置を確認した。街の外れでやっぱりバス停からの延長線上にあった。
ここから飛ばして十分だ。
すぐにあい橋付近に入り、バイク音を消そうとスピードを落とした。橋の手前に駐車スペースがあり、そこに止めると、ヘルメットをホルダーに引っかけて橋に向かった。この先は家もあまりない山間部に入り、車も通らない。
ゆっくり歩いていく。両側の歩道を行ったり来たり見やりながら進んでいくうちに、橋の半ばにさしかかる。
おれからすればまったく無駄な、よくある石のオブジェが目に入ったとたん、視界の隅にありえない状況を捉えた。
視線を素早く巡らし、その足もとに、とにかく地があることを見取った。
八掟叶多は、一歩踏みだせば間違いなく命を落とす場所にいた。
おれに気づいたようで、驚いたようにその足が一歩下がる。
維哲の云った『デリケート』という言葉が甦り、叫びそうになるのを堪えるのにこれまでになく自制心を必要とした。
「それ以上、後ろはないぞ。何やってるんだ?」
目の前に立つと、叶多の瞳が困惑したように揺れ、橋の欄干越しにおれを見上げる。
「え……っと……肝試し」
下手な云い訳だが、少なくとも死を考えている答えではなかった。
焦りから外に聞こえるのではないかというくらいに、ざわついていた鼓動が少し治まった。
おれは安堵を悟られないように目を逸らした。それを隠せないくらい動揺しているんだろう。
とりあえず深刻さは解消したが、ここで強引に手を出して下手するわけにもいかない。まずは事情をつかむべきだ。
「それで?」
そう問うと叶多は首をかしげた。いかにも無邪気なしぐさだ。
それでもこう至るまでの経緯は叶多の中でそれなりに大きな拘りがあるようだ。素直には応じずにしばらく軽い押し問答が続いた。
電源を入れたとたんの呼びだし音で携帯電話を下に落としたと聞かされると、叶多自身の落下シーンを想像して遥か下の川に目をやり、思わずまた舌打ちしそうになった。
無駄な想像をするなど、ここまで揺るいだことはかつてない。
それ以前に、こういう物理的利害とかけ離れた感情処理に付き合ったことはなく、明らかにおれは戸惑っている。こういう場面に遭遇させた維哲をつかの間恨んだ。
「それで?」
もう一度同じ言葉で訊ねた。
橋の下から叶多の瞳まで視線を上げると、半ば問うようにおれを見上げている。それが不思議そうな様に変わり、ためらうように揺れ、やがて叶多の口が開いた。
叶多が打ち明けた友だちの間でのトラブルは世間にはよくある話だった。
むしろ、これから大人になるにつれ、打算を覚えた人間と接する機会は避けられず、そこで待ち受けているトラブルのほうが遥かに陰湿で面倒になっていく。
ただ、あまりにも叶多の瞳は切実におれを見上げる。
なんだ?
おれの中にずっとあった、無視してきたものが顔を出し始める。
その認めたくないものを埋めるように、縋りつく眼差しが動揺した隙をついておれの中に何かを構築していく。
応えたい、とそう思った。
けれど。
悪意があったのかなかったのか、捻じ曲げられた言葉、伝えられなかった言葉。
恨むでも責めるでもない、叶多のたった一つ、後悔という名の叫びに応えられる言葉は何も見つからない。
溢れだした涙におれの手が無意識に伸びていく。誰かの涙を拭ったことなどなく、叶多の顔に触れた手は荒くなってしまった。
何を云う? 何がしてやれる?
下手ななぐさめよりは。
「わかった」
叶多の気持ちに立ち会ってやること。
いま、それがおれのできるすべてだ。
叶多から強張りが解けたのがわかった。
「帰るぞ」
手を伸ばして叶多を抱えようとすると抵抗にあい、訝しく見下ろした。
どうした、という問いに叶多は手すりから手を放すのが怖いという、今更それはないだろうと云いたくなるような答えを返す。
自殺かと見紛うくらい人騒がせなことをやっているわりに、危険を冒した理由が、ただ単に携帯ストラップを見つけてなんとなくというのはどういうことだ?
信じられない思いで叶多の足もとにあるストラップを見つめた。
ここに来て何度となく叫びたい気持ちが湧き、抑制するのにしばらくそれを凝視していた。
ようやく叶多に視線を戻す。
「おれがつかまえてるからこっち来い。信用できないか?」
叶多は否定するように大きく首を振った。
少しかがんで叶多の腋の下をぐっとつかむと、手すりから放れた手がおれの首に巻きつく。つかんだ手のひらに、細く小さい躰ながらも柔らかい感触を覚える。
今回の顛末。おれを惑わせた報い。
男だったら殴ってる。
そのかわり、抱きしめた。
大目に見てやる。
不可解さをごまかすように心の中でつぶやいた。
「行くぞ」
すぐに躰を離し、存在を確かめるように叶多の手をつかんで歩き始める。素直に握り返されると、つかんでいるのはおれなのに攫われた感覚に陥った。
報告を待っている八掟夫妻のことを思いだし、ジーパンのポケットから携帯電話を取って連絡を入れると、やっと自分の位置が明確に迫って平常心が戻る。
バイクに乗せた叶多を見ると、ヘルメットが大きすぎて首が折れそうだ。
約一時間後に八掟家に到着して、叶多をバイクから降ろしてやったところに夫妻が出てきた。
「大丈夫ですよ」
叶多が責められるまえに、尚且つ、訊き質さないようにという意味を込め、夫妻に向けた。彼らもバカではない。察してくれるだろう。
叶多はといえば、おれの陰に隠れるようにしている。
「そうだろ?」
おれの問いかけに反応した叶多は、那桜が持っている“うなずきん”みたいにこっくりとうなずいた。ヘルメットを被ったままだったら、まさにうなずきんそのものだろう。そのシーンがよぎり、気が緩みそうになる。
お礼の言葉を連ねる八掟夫妻に手短に応え、
「じゃあな」
と叶多に一言告げ、シャドウに跨った。
気の迷いだ。
意味もなくつぶやいた。