Sugarcoat-シュガーコート- #22

第4話 Be Cross -8-


 叶多は何がなんだかわからないうちに手を引かれて店内から連れだされた。
 ミザロヂーのすぐ目の前に止めた車のところで和久井が待ち受けていて、ふたりが店から出てくるなり助手席のドアを開けた。
「か……戒斗!」
 戒斗は呼びかけに答えることなく、叶多の手を離して運転席に回り、
「乗れよ」
とやさしくもない、怒ってもいない単語を一言だけ口にした。
「叶多さん、どうぞ。いってらっしゃい」
 和久井が促し、叶多が見上げると楽しんでいるような輝きが見える。
「和久井さんは?」
「瀬尾が来ますから」
 和久井はもう一人の戒斗の忠臣の名を挙げて、助手席を指し示す。
 叶多が乗りこみ、座席に落ち着くのと同時に戒斗は車を出した。
「戒斗、お酒――」
「飲んでない。ウーロン茶」
 叶多が云いかけると被せるように戒斗が無感情で答えた。

 行き先さえ訊けない雰囲気が感じ取れ、何も云えなくなった叶多は助手席の窓から外に目をやった。
 カーオーディオも無言のまま、ただ車のエンジン音だけが響く。往来の多い通りに出ると、寝静まったビジネス街とは対照的に、まだ夜は早いとそそのかすような明かりに迎えられた。
 その後ろに流れていく街の電光の(きら)びやかさも目に入ることなく、叶多はちょっとした身動きもできないほど張り詰めた。雫が頬を伝わり、握りしめた手に落ちても拭うことすらかなわない。

   *

 戒斗は運転しながらちらりと叶多に目をやった。顔を背けた叶多の頬が、対向車のライトを受けてかすかに光る。
「叶多」
「……うん」
 赤信号で止まったところで戒斗が呼びかけても、叶多は返事をしただけで、そっぽを向いたままだ。戒斗は内心でため息を吐いた。
 ライヴが終わる頃、陽が見計らうようにとった行動の目的は、明らかに戒斗を挑発することにあった。乗るまいとしても、経験のない感情が戒斗を苛つかせ、そのぶん対処するのに長引いた。
 戒斗はニュートラルにギアチェンジし、パーキングブレーキをかけてシートベルトを外した。
 叶多の顔に手を伸ばし、無理やりこっちを向かせた。頬に触れた手が濡れる。戒斗は顔を傾けて叶多のくちびるをふさいだ。
「返してくれ」
 すぐに顔を上げて戒斗は囁いた。
 少しためらったあと、叶多はシートに押しつけられていた頭を起こして戒斗のくちびるに触れてきた。触れるだけの短いキスのあと、叶多は伏せていた目を上げて戒斗を見つめた。
「いま話したら運転に集中できなくなる。あとでちゃんと聞く」
 戒斗が笑みを含んだ声で云うと、叶多の肩から力が抜けてこっくりとうなずいた。
 叶多の涙を拭い、戒斗は前に向き直って信号が青になった交差点を抜けた。

   *

 三十分くらい走り続けると、小さくもなく大きくもない橋の手前に来た。道路より少しだけ引っこんだスペースに車を止め、戒斗はエンジンを切った。
 戒斗に(なら)って叶多も車を降りる。いままでエアコンの中だっただけに、外気はむっとして躰が汗ばむ感じがした。かすかな水の流れる音と通り抜ける風が少しだけ暑さを遠ざける。
 車の前に立って待つ戒斗のところへ行くと、手を取られた。戒斗は無言のまま、等間隔の街灯が並んだ橋の歩道を歩いていく。
 十時をとうに過ぎ、郊外にある通りは人はもちろん、車もめったに通らない。
 なだらかな斜面が上りから下りに変わる橋の中央くらいに差しかかって戒斗は足を止めた。
 歩道が少し外側に張りだし、座るのにちょうどいいくらいの石の記念碑がある。そこに“あい橋”と書かれたプレートが目に入ったとたん、叶多はここがどこなのかを悟った。

「戒斗、ここ……」
「思いだした?」
 叶多はうなずき、欄干(らんかん)に手を置いて下を覗いた。薄暗くて川の流れははっきり見えないけれど、けっこうな高さがある。
 ずっとまえに、訳がわからないままたどり着いた場所だ。
「ここに来ると、いまでも寿命が縮まる気がする」
 叶多のすぐ横で欄干に背を向けて肘を置くと、戒斗は感情を押し殺して淡々とつぶやいた。
「……平気そうに見えてたよ」
「訓練受けてるからな」
 叶多が横から見上げると、戒斗も見下ろして瞳が重なった。
「……肝試ししただけだよ」
「あの時、誰か近くにいたら、なんで欄干の向こうに人が立てるスペースなんかつくってあるんだって、そいつに怒鳴ってる」
 当然だが、いまだにあるその出っ張りに目をやり、戒斗は顔を苦々しく歪めた。
 戒斗が本気でそう云っていることがわかった叶多はくすくすと笑う。
 冷たい眼差しの中にそういう思いがあったことに驚いた。けれど、抱きついた幼い叶多を包んだ腕はその思いを裏付けるほどきつかったことを思いだす。
「橋つくった人じゃなくても?」
 叶多が笑いながら訊ねると、戒斗は肩をすくめる。
「笑い事じゃなかったはずだ」
「……うん。でも、あれが戒斗を好きになるきっかけだとしたら、いまはそれもよかったって思う」
「だとしたら?」
 戒斗が言葉の隙をつくと、欄干に置いた手を放して叶多は躰をぶつけるように戒斗に巻きついた。

「それで?」
 戒斗は叶多に腕を回すことなく、いつものように訊ねた。
「……渡来くんに……好きって云われたの……」
「ふーん……それで揺らいだわけだ」
「揺らいでない!」
 叶多が顔を上げて叫ぶと戒斗が笑い、また云わされたと気づいた。
 叶多は戒斗から手を(ほど)いた。
 一歩退いて戒斗を見上げると、笑みを浮かべていた瞳が一転して真剣な様に変わる。

「なら、何が原因でちゃんと紹介させてくれなかった?」
「……戒斗の立場を考えたの」
「……立場ってなんだ?」
「どう考えても……あたしは子供で戒斗に不釣り合いだし……こんなあたしで……戒斗が笑われたらやだなって思って……」
「おれが、おまえのことを恥だと思ってるって云ってるのか? おれのことをそういう表面上のものさしで判断する人間だと思ってるのか?」
 戒斗は責めるように叶多を見つめる。
「そうじゃないよっ。戒斗があたしのことをちゃんと考えてくれてることはわかってる。でも、周りから見たら――」
「おれを誰だと思ってる?」
 戒斗は黙れと云わんばかりにさえぎって問いかけた。
「戒斗……」
 叶多が戸惑った声でつぶやくとそれはそのまま答えになっていて、戒斗はふっと笑みを漏らした。
「そうだろ? おれとおまえのことに、誰にも、何も、文句は云わせない。仮令(たとえ)、有吏隼斗でも、有吏一族でも」
「……戒斗?」
「おれはおまえのことを考えてるんじゃない。頭と心は違う。考えは変えられることがあっても心が変わることはない。少なくとも、おれは」
 どうしてここに戒斗の父親と有吏の名が持ちだされるのか真意はわからなかったけれど、そのあとに戒斗が云おうとしたことを叶多はしばらく考え廻った。
『好き』という言葉はなくても、そこには戒斗の心が曝されている。
「……戒斗……」
「なんだ?」
「泣いていい?」
「もう泣いてるんじゃないのか?」


 笑いながら戒斗は躰を起こした。
 叶多の頭の後ろに手を回して引き寄せると、戒斗は顔を傾けてくちびるをつけた。やわらかく触れた戒斗は口を開き、叶多のくちびるを軽く噛んだ。のめるまえに顔を上げると、もっと、というように叶多のくちびるがかすかに開く。


「叶多」
 呼ばれて叶多はゆっくりと目を開く。
「おれに何を希んでる?」
「何をって?」
「おれにしてほしいこと、もしくはこうありたいと思っていること」
「…………ないよ。いまで充分」
 戒斗は叶多の贅沢を見透かしている。
 目を逸らしたいのをやっとのことで抑えこみ、叶多は笑みを浮かべて答えた。
「叶多、ちゃんと答えるんだ」
「ホントに充分だよ」
「会いたいって云わなくなった。スケジュールも全然訊いてこない」
「……会えるときは云ってくれるよね? だから今日は呼んでくれたし」
「違う。今日は呼ぶつもりなかった」
「……どうして……気が変わったの?」
「泣いてるから」
 叶多は泣きそうに歪む下唇を噛んだ。
「……あたしのわがままだから……云えない……」
 後ろめたさが一気に甦り、叶多は頭に添わせたままだった戒斗の手を離れ、一歩下がって深くうつむいた。


 しばらく黙ったまま、戒斗はその姿を見つめた。
 ふたりのことで、考えなければならないことと希むことには明らかな落差がある。
 順当に踏まえていくことが最善だと考えていた。
 希むままを選ぶということは、近道をするぶん、それ同等のリスクを含んでいることを知悉(ちしつ)している。
 それでも再び会った瞬間から、頭より先に、心が躰を動かす。
 傍にいたくてもすぐに駆け寄れないことのもどかしさ。
 譲りたくないこの心の在り()
 未来(さき)に変わらない決意があるのなら、足掻くよりは受け入れて、そこから活路を見出すほうが無上の策だろう。

 戒斗は一歩を踏みだし、叶多の頬をすくった。堪えた涙が睫毛(まつげ)を黒く濡らし、瞳を沈んでしまいそうなくらいに深く見せる。
「叶多、どうしたい?」
「……だんだん欲張りになってくから……」
 問いには答えず、叶多は小さくつぶやいて、戒斗の手の中でかすかに首を横に振った。
 戒斗はだんだん叶多へと顔を近づける。
「それなら……周りから固めていくべきだと思ってたけど、欲張るままに内側から固めるのもいいかもしれない」


 意味のわからないことを戒斗がつぶやき、叶多はくちびるを襲われた。
 それとともに肩を抱えこむように(くる)まれた叶多は、その腕のあまりの強さに苦しささえ感じて呻いた。その隙を逃さず、戒斗の熱がもっと深くと繋がりを求めて叶多の中に入りこむ。
 首を大きく逸らした叶多は底のない地に沈んでいく感覚に陥った。立っているのかさえ定かでない。すがるように戒斗の腋のTシャツをつかんだ。
 戒斗がくちびるから離れ、顎を伝うと、解放されたくちびるは小さく悲鳴に似た息を吐いた。
 戒斗はそのままのけ反った喉もとをゆっくりと噛むように這いおりていく。
 叶多の膝がかくっと折れた。
 戒斗は顔を上げ、その躰をすくうように叶多の腰を引き寄せた。
 密着した躰越しに戒斗の意思に触れる。
 叶多が見上げると、そこに困惑を見た戒斗が右の口端を上げて見下ろした。
「刺激が強すぎる?」
 その言葉を受けて叶多は爪先立ち、笑みの浮かんだ戒斗のくちびるを舐めるようにキスした。
 処理しきれずに戒斗は躰を離すと、慾心(よくしん)を振り払うように声を出して笑う。

「叶多、おまえが高等部卒業したら一緒に暮らそう」
「……え?」
 叶多の瞳が大きく開く。
「できるだけ一緒にいられるように。来年には家を買えるくらいに稼いでるだろうし、というよりもそうするつもりだ。だからおれが大学も行かせてやれる」
「でも……」
「そうだ。障害物は多い。叶多が考えている以上に。けど障害物が多ければ多いほど燃えるって云うし」
 それから、どうだ? とからかうように戒斗の瞳が問いかける。
「戒斗は……それでいいの?」
「何も考えないでいいなら、いますぐにでもそうしたい……と思ってるとしたら?」
「……答えは決まってる!」
 手を伸ばすと、戒斗が少し身をかがめて叶多の腰を抱いた。
 叶多は戒斗の首に巻きつき、脈打つ首筋を軽く噛む。少し汗ばんだ肌は(ほの)かに海の味がした。

「やめてくれ。おれに失態させたくないなら」
 冷静に云った戒斗だったが、躰の反応は隠せずに、腕が危うい衝動を抑えようと叶多をきつく縛った。
「お返しだよ?」
 戒斗は力なく息を吐くように笑う。
「もの覚えがいい」
「戒斗が先生だから」
 叶多はそう云って、笑う戒斗の耳に、大好き、と囁いた。

* The story will be continued in ‘A girl meets a boy.’. *

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* 文中意 知悉 … 細かいことまで知り尽くすこと