Sugarcoat-シュガーコート- #21
第4話 Be Cross -7-
和久井が入っていったビジネス街は九時を過ぎているせいか、さすがに通りは少ない。
煉瓦の建物の前に来て、和久井は車を止めた。
壁に付けられた等間隔のクラシックな外灯は温かい光を放ち、暗くてはっきり色はわからないけれど、黒っぽい木製のドアには“ミザロヂー”とプレートがかかっている。
叶多たちはドアを開けて先立っていく和久井の後を追った。賑やかな声が耳に入る。
和久井の背中越しに店の奥にちらりと目をやると十数人ほど人が見え、なんの話題なのか、軽快な笑い声があがっている。入り口を入って左隅にあるカウンターにも手前の個々のテーブルにも客がいないところを見ると、おそらく貸切なのだろう。
小さな音にもかかわらず、ドア鈴が鳴ったことに気づいて戒斗は顔を上げた。
戒斗が席を立って迎えにくると、叶多の横でユナが小さく歓喜の悲鳴をあげる。
「無事、お届けしましたよ」
戒斗はうなずいて和久井に応えた。
ほんの刹那、戒斗の瞳が叶多を探るように見つめた。が、それは気のせいかと思うくらい、すぐに笑みに変わった。
「どうだった?」
「うん、すごく楽しかった」
戸惑いがうまく隠せただろうか。
叶多の体内で誰かに聞こえそうなくらいの鼓動が響くなか、努めて明るく云った。楽しかったのは本当のことだ。
「はじめまして!」
ユナがいつもよりオクターヴ高く、持ち前の積極性で戒斗に声をかけた。
「ユナちゃん?」
「は、ハイっ」
戒斗からいきなり名前を呼ばれ、ユナは上ずった声で返事をした。
「叶多と友だちになってくれてありがとう。いろいろと迷惑かけてるだろうけど?」
最初は至って真面目に云った戒斗だったけれど、二言目は明らかに叶多に向けてからかっている。
「戒斗!」
「それはもう……いろいろと……ね?」
ユナが乗せられて、含むように叶多を見た。
「ユナ!」
「はいはい」
戒斗は視線をユナの背後に向けた。
「あ、こっちが時田くん。ユナのカレシ。と、渡来くん」
叶多が紹介すると、永が、握手してもらっていいですか、と手を差しだした。
快く応じた戒斗の視線が陽へと移る。上背はわずかに戒斗のほうが勝るくらいで、ほぼ同じ目の高さから、戒斗は問うような眼差しを向けている。
「渡来です。このまえはどうも」
「どうも」
同じ言葉で答えた戒斗の口もとは歪んで見えた。叶多はふさいだ気分のなかでもそれが笑みとは違うと気づいて、二人の間に何かあったことを思いだした。
「戒斗、待ち人、来たみたいだけど……あら……もしかして高校生……!」
奥から来た女性は言葉を切らし、驚いた目を叶多たちに向けた。
女性の『あら』には“まさか”という響きがあった。
女性は背が高く、容姿も綺麗すぎて、自信に溢れていることが一目で見て取れる。戒斗の横にいてもまったく違和感がない。
その二つのことが叶多の不安をさらに大きくする。
「可愛い。戒斗、紹介してよ」
「ああ――」
「従妹です。あたし、戒斗の従妹で、八掟叶多って云います! こっちの三人は高校の友だちで……」
戒斗が云いかけたのを急いでさえぎり、叶多は口早に自分から名乗った。
「あら……そうなの……じゃあ、カップル同士ってことかな? ふふっ、いいわね。私は水納唯子。メジャーデビューまえはFATEのマネージャーみたいなことをやってたの。奥にどうぞ。紹介するわね。まだツアー中だから気難しいマネージャーの木村さんは忙しくて参加してないし、気楽にいいわよ。身内だけの打ち上げなの」
二回目の『あら』はそのあとに“てっきり”という言葉が付きそうな『あら』だった。
戒斗は黙りこんでしまい、叶多は顔を上げられなかった。同時に背中にはユナたちの視線も感じる。
帰りたい。
叶多は下唇を噛んで震えを止めた。
「ほら、行くぞ」
陽が背中をせっついて、唯子についていくように叶多を促した。
*
戒斗の目が叶多を追う。
続いて陽に移ると、戒斗はかすかに目を細めた。
さっきの対面では二人だけに通じる、微妙に緊迫した空気が流れた。挑戦するような一言を伴って、差しだされた手に戒斗が応じると、通常にはないほど強く握り返された。
「何かあったんですか?」
戒斗と同じように叶多の背中を追いながら、和久井が訊ねた。
「何かあったんだろ」
和久井は視線を移動し、感情なくあっさりと答えた戒斗に向いた。
戒斗はそこにおもしろがっている表情を見取って、かすかに顔をしかめる。
無言の脅迫をものともせず、和久井は、では、と云って店を出ていった。
*
案内されるままに進んだ奥では、四人掛けのテーブルを四卓付け並べ、壁側に戒斗以外のFATEのメンバーが座っていた。女性がもう一人とFATEに負けず劣らず見映えのいい男性が一人、そしてステージにいたギタリストがいるところをみると、あとの男性はツアーに同行している人のようだ。
唯子が叶多たちを紹介し、誰もに親しげに声をかけられると、FATEを正面にして座った叶多たちも少しだけ緊張が取れた。
ステージの衣装と違って普通にTシャツ姿の彼らは、格好いいことには変わりなくても思っていたより気さくだ。
一足遅れて戻ってきた戒斗は壁側のもとの席に座った。叶多と戒斗は間に二人置いて左側の斜め向かいに位置している。
「ドラム、めちゃくちゃカッコよかったです。いつからやり始めたんですか」
「小学んときだ。おやじがやってたことあって、その影響だな」
素朴な永の質問に、その正面に座ったFATEのドラマー、KOHこと藍崎航が答えると、その二人を中心に談笑が広がった。
航の乱暴な言葉遣いは永にそっくりだ。いまは初対面ということで、永の乱暴さは鳴りを潜めているけれど。気が合うのかも、と叶多は密かに思った。
談議が盛りあがっている裏で、聞き手に回った叶多は伏せがちの目を上げるたびに必ず戒斗の瞳に捕えられる。叶多はだんだんと顔が上げられなくなっていった。
「叶多、渡来のことは気にしないでいいんだよ?」
話すこともなく、どう考えても不自然な叶多と戒斗の様子に、堪らずユナは小さな声で口を出した。
「違うよ。渡来くんのせいじゃなくてあたしの問題なの」
「なんで、彼女です、って云わないんだよ」
今度は右側に座った陽が割りこんで囁いた。
「……またバカげたこと考えただけ」
「なんだよ?」
「……いろいろあって答えられないよ」
「……わかんない奴だな、おまえって。まあ……すでに伏線は引いたし……ちょっとだけ、借りを返してやろうか」
その言葉に叶多が目を向けると、陽が意地悪そうに口を歪めた。
「渡来くん?」
叶多の問いかけに不気味な笑みを向け、陽が顔を下ろして叶多の右の耳に顔を近づけた。
「返済は分割に限るって、よく借金する奴は云うんだってさ」
「へ?」
訳のわからないことを陽がつぶやき、叶多は間の抜けた声を出す。
陽は戒斗が視界に入るくらいまで顔を上げる。
当然、二人の視線が絡んだ。
「おまえの思考回路がどうなって従妹って云い張ったのか知らないけど……まあ、従妹には違いないけど、あいつがこの場でこのまんまにしておくんなら大した奴じゃない」
陽はまた頭をかがめて叶多の耳もとに囁いた。限られた右側の視界の隅で戒斗が席を立ったのがわかった。そして左側の視界に店の入り口に向かっているのが見える。
「……あいつがどう動くのか、八掟、覚悟しとけよ」
陽は顔を離す。
「……渡来くん、云ってることがわからないよ?」
「ガキはどっちかっていう話だ」
叶多が困惑して首をかしげると、陽は小気味よさそうに笑った。
「叶多」
不意に後ろから戒斗の声がした。
返事する間も振り向く間もなく、後ろから伸びてきた両手が叶多の顎を支えて上向けた。
真上から見下ろす戒斗の顔が下りてきて、気づいたときはくちびるが重なっていた。囃したてる口笛も聞こえず、反射的に目を閉じた叶多は喰いつくようなキスに無意識のうちに小さく口を開く。
これ以上にない戒斗の宣言だ。
顔をわずかに上げ、戒斗は少し横を向いて無表情に陽を見やりながら、
「叶多、ふけるぞ」
と叶多の口もとでつぶやいた。
そのまま背後から叶多を抱えあげると、小さな悲鳴が漏れる。
戒斗は椅子に置いた叶多のバッグを取った。
「水納、ユナちゃんたちは和久井に送らせてくれ。あとは頼む」
「了解」
戒斗は叶多を連れ、奥のどっと沸く声も無視してミザロヂーを出た。
「どうなることかと思ったけど……」
唯子がつぶやくと、航が高らかに笑った。
「知ってたんですか?」
「だんだん、ね。見た目はちゃんとしてたけど、喋ってないときはずっと叶多ちゃん見てるし、なんとなく苛々してた感じ」
ユナの質問に唯子はおかしそうに答えた。
「だいたい、戒斗がどうでもいい従妹を連れてくるわけがない。戒斗が振り回されるとはな。何があったか知らねぇけど、渡来、わざとやっただろ」
航がニヤついて云うと、戒斗の無感情の威嚇にも怯むことのなかった陽は、むしろ、してやったりと航と同じような笑みを返した。
「いまのは第一弾です」
陽が宣言すると、再びミザロヂーは笑いに満ちた。