Sugarcoat-シュガーコート- #20

第4話 Be Cross -6-


 一瞬、何を云われたのかわからなかった。音が消え、叶多の瞳は宙を見つめ、大きく開く。
 嘘……。
 小さくつぶやいた声は、叶多自身にさえも届かない。
 陽が顔を上げると、変わらず真剣な瞳が叶多を見下ろす。

「あいつにはいろんなところで敵わないかもしれないけど、気持ちだけは対等に勝負できると思ってる。いつ会えるかわからないような奴より、同じとこに立ってるおれのほうがおまえには絶対に似合ってる」
「……違うの……ごめ――」
 最後まで云うまえに陽の右手が叶多の口を覆う。
「勝負するまえに、まだ答えは欲しくない」
 そう云ってから陽は手を離し、ステージへと躰を向けた。

 どうしよう……。
 告白されたのははじめてではない。
 高等部一年にあがって、じゃんけんで負けて美化委員を任された。その六月、同じ美化委員だった一つ上の先輩からいきなり一言、付き合ってほしい、と云われたことがある。あまり話したこともなく、告白されたことがはじめてだっただけに戸惑った。
 戒斗と音信不通になってちょうど三年が経った頃で、不満をぶつけてしまった異母兄、維哲(いさと)への電話で、待ってやれ、と云われたことが叶多の気を強くした。
 次の美化委員会のとき、正直に好きな人がいることを告げて断ると、
『そうなんだ、わかった』
と、その先輩はあっさりしたものだった。

 けれど、いまの陽の告白は背景がまったく違う。
 どうしようなんて思うまでもなく答えはわかっているはずなのに。渡来くんもあたしも。
 ドキドキが止まらない。ときめきなんかではなくて、壊れるかもしれないという怖さと、そして云い当てられた不安。
 居場所をまたバラバラに裂くかもしれない鈍感なあたし。
 ちょっと考えればわかること。
 いまだに幼さを引きずって、あたしは考えることをやめていたのかもしれない。そして、少しも素直じゃなく、戒斗が応えてくれるたびにだんだん欲張りになる不機嫌なあたし。
 ステージに立つ戒斗は遠い。
 そこにいるのにお喋りも触れることもできない。この場のあたしは共有者の一人にすぎない。
 無理だと云われることがわかっているから、会いたいと云えなくなった。隠しているつもりでも漏れだしてしまうわがまま。
 戒斗の時間が欲しい。

 ぼやけていく視界を振り払おうと、深呼吸をして(まばた)きをした。晴れた先に見逃すことを知らない戒斗の瞳があった。
 陽が見抜いているのなら戒斗は尚更。
 叶多は思わずうつむく。
 できる限りで叶多のことを考えてくれている戒斗に罪悪感じみた後ろめたさを覚えて、まっすぐに見ることができなかった。

 思考力が(らち)の明かない堂々巡りをしたまま、アンコールの曲までちゃんと聴く間もなかった。ライヴは大音響とともに拍手と歓声のなか、FATEが舞台を降りて終わった。
 戒斗から見透かされることが怖くて、それからは姿を追うこともできなかった。
 戒斗、へんに思ってるかも……どうしよう……。
 理由を聞かれても、それはあまりに浅ましくて答えられることではない。

「ユナ、ちょっと待って」
 観客席から人が引いていくなか、ユナと永がそれに(なら)って動きかけたのを引きとめた。叶多は座席の畳んだ椅子に力が抜けたように腰を預けて少しうつむいた。
 ユナが引き返して、叶多を覗きこむ。

「叶多、どうかした? 具合悪いの?」
「ううん……」
「八掟、おまえがヘンに考える人間だってこと忘れてた。いますぐどうこう云ってるわけじゃなくて、ただ――」
「違うの……」
 ずっと様子を窺っていた陽が気遣って云うと、叶多は否定して止めた。
「何?」
 陽を見上げ、ユナは割りこんで問いかけた。
「おれが……八掟に好きだって云った」
「……渡来、時と場所を考え――」
「ユナ、いい……あたしのことだから……ちゃんと自分で云うよ」
「うん、わかった」

 それから叶多が口を開くまでにしばらく時間がかかった。
 ずっとまえの経験と同じように、関係を壊してしまう怖さと対峙(たいじ)する。
 どんなに悪意がないことでも、正直に素直に云うことが正しいとは、そして人を傷つけないとは云いきれない。
 けれど、あの幼い頃の自分といまの自分は違う。わずかでも強くなっているはず。何よりもいままでの時間を信じたい。
 叶多はまっすぐに躰を起こして陽に向かう。

「……渡来くん、答えは……いまもさきも変わんない。会いたくても会えないのはつらいけど……似合ってるとかそういうんじゃない……似合ってなくても……」

 ただ、好き。
 どんなに汚い気持ちがあっても、それだけは誰にも譲れる余地なんかない。

「ごめん。あたし、あんまり人のことを考えられなくて……だから鈍感で気づかなくて――」
「謝ることじゃねぇよ。なぁ、陽」
 それまで黙って見守っていた永がさえぎった。
「んで、陽、おまえはどうすんだ?」
「見極めるまではあきらめるわけないだろ」
 陽が宣言すると永は笑う。
「だとよ、八掟。こんな大モテの時期、おまえにとってはこれで終わりかもしんねぇぞ」
「……酷い……!」
 単純に永の言葉を受けて小さくつぶやいた叶多だったけれど、不思議に思っていたことが一つわかった気がした。
「……時田くんて見かけによらずやさしいんだね」
「見かけによらず、だと?」
「あ……ごめん」
 叶多は半ば怯えて謝り、ユナがくすくすと笑いだす。永のおかげで和みかけていたのがさらに加速して、いつもの四人の空気に戻った。

「じゃ、行こっか。追いだされるまえに」
 ユナが声をかけ、出口に向かった。周囲はすでに誰もいなくなって、人は出口付近に集中している。
 二時間立ちっぱなしのうえ、外に出たとたんにライヴとは違う熱気に襲われる。
「喉渇いた」
 永の一言を受け、会場の入り口にあった自動販売機でそれぞれジュースを買って駅に向かった。昼間の日差しでアスファルトの焼けた匂いがかすかに残っている。ユナと永が前を行き、その後を叶多と陽が歩いた。ファンの行列がずらずらと前に続いている。

「渡来くん、ありがと。いろんなことでびっくりしたけど」
「いろんなことってなんだよ?」
「あたしのバカ単純な不満をつかれたから」
 そう云うと、陽は叶多の前に回りこんで身をかがめ、顔を目の前に近づけた。
「乗り換えるならいまだろ?」
「だめだよ」
 あまりの近さに少し顔を引いて叶多はきっぱりと断った。
「条件云うことなしのおれをフルって、ほんとおまえ、バカ」
 陽にいつもの口の悪さが戻った。
 それがうれしいと思うのもどうかしているけれど、苦手だと思っていた陽も永も、叶多にとっていつのまにかなくてはならない必要な友だちになっていた。

「告白……やっぱりうれしかったかも。はじめて『好き』って云われた気がする」
「……あいつ、云わないのか?」
「……云われなくてもわかってるから」
「へぇ……そんじゃ……」
 陽は思惑ありげに言葉を切り、口を歪めて笑った。
「何?」
「べつに」

「陽、何やってんだよ」
 立ち止まった二人に気づいた永が声をかけると、陽はふさいでいた道を空け、行くぞ、と叶多を促して永たちのところへ走った。
「叶多、今日のライヴ、サイコーにカッコよかった」
「デビューしたばっかりとは思えない堂々さだよな」
 ユナが半ばうっとりと云うと、永も賛同した。
「戒斗は中途半端なままやることはないから。不安点があったらまだデビューしてないと思う」
 駅に着くまで、四人とも興奮冷めやらないままライヴの話を続けた。

「叶多さん」
 駅の入り口に差しかかったとき、不意に知った声が叶多を呼び止めた。
「和久井さん! どうしたんですか、こんなところで」
 道路脇に止めた車から和久井が降り立つ。
「お迎えに」
「叶多、知り合いなの?」
 ユナが口を挟んだ。
 振り向くと怪訝そうに三人が叶多を見つめた。
 温和な表情ではあるけれど、黒のスーツなだけに和久井はやはり職業を間違えそうな雰囲気で、驚くのも無理はない。
「うん。和久井さんは……えっと……」
「戒斗の友人です。よろしく」
 返答に困った叶多のかわりに和久井が答え、少し頭を下げた。叶多にはじめに見せた態度とは違って柔らかな口調だ。そしてまた叶多に視線を戻した。
「携帯、電源を切ってるでしょう?」
「あ、ライヴだったから、そのままにしてました」
 叶多はバッグを探った。
「ここなら間違いなく捕まえられるだろうと思っていました。戒斗から、みなさんを連れてくるようにと」
「え?」
 バッグを探る叶多の手が止まる。
「きゃ! もしかして打ち上げ参加オッケー?!」
 叶多の傍らでユナがはしゃいだ声を出した。
「そうです……叶多さん、どうかされましたか?」
 浮かない表情に気づいて和久井は叶多を見下ろした。
「……いえ、なんでもないです」
「では、どうぞ」
 和久井が助手席のドアを開けた。
「……どうする?」
「行くに決まってるだろ」
「行くぅ!」
「おれも行く。こんな機会ねぇだろ。話いろいろ聞きてぇ」
 叶多が訊ねると、三人ともが考えるまでもなく合意して、云われるよりさきに後部座席のドアを開けて乗りこんだ。

 会えるのはうれしい。でも……。

「和久井さん、じゃ、お願いします」
 叶多は不安を隠して助手席に乗った。

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