Sugarcoat-シュガーコート- #19
第4話 Be Cross -5-
あと十分でステージの幕が上がる。三日間連夜のライヴチケットが一般発売一時間足らずで即完売したことを裏付けるように会場内は満杯だ。待ちきれずに悲鳴のような歓声があがって、始終ざわついている。
なぜかすぐ前の列にはあのFATEの衣装に似た格好をした子たちが陣取っている。目的が一緒だっただけに、なぜかということもないんだろうけれど。
「こんなに近くで見れるなんてうれしい。叶多、ありがとう」
隣に座っているユナが叶多に抱きつく。
「やっぱ、女のほうが圧倒的に多いよな」
永と陽は叶多とユナを挟むように座っていて、ユナの右側にいる永が半ばうんざりしたように云った。
「たいへんだよね、叶多も。付き合ってるとはいえ、相手がゲーノー人だとある意味、ファンみんながライバルには違いないし」
「……そうでもないよ。最初は納得いかなくてファンに苛々したこともあるけど、会えるようになってからは関係ない。なんていうか……そのまえから知ってるせいか、ゲーノー人て感覚はなくって普通と同じ」
「でも、大っぴらにデートもできないんじゃない?」
「いいの。デートしなくっても一緒にいられたら」
「ていうか、一緒にいること自体、少なくねぇか?」
永が鋭く突っこむと叶多はかすかに表情を曇らせた。
函館から帰って以来、会っていない。永たちが思っている以上に戒斗は忙しい。
「……しょうがないよ。いまは毎日メールか電話で話せるから、それだけでもいい」
叶多は笑みを浮かべる。
わかっているからこそ、これ以上のことを希むのは贅沢だ。
「まあな、バレることを考えりゃあ、いまくらいがちょうどいいのかもしんねぇ。この熱気じゃあ、交際なんて認めらんねぇだろーし」
「そのまえに相手が、お子さま、じゃあ説得力に欠ける。十八になっていようが、見た目で云えば淫行条例に触れそうだし。認めたら認めたで立場ないだろ」
ずっと黙りこんでいた陽は態度をあらためるどころか、また叶多が傷つくようなことを平気で口にした。
『立場』という言葉に敏感になっている叶多にはさらに追い討ちとなる。
「渡来くん、また――」
「おれはおまえが可愛いって云ってやってんの」
泣きそうな顔になった叶多が抗議しようとしたところをさえぎった陽は、今日二度目となる、椅子からずり落ちそうな言葉を吐いた。
呆けた叶多の横でユナが吹きだしている。永は不謹慎な口笛を吹く。
「な、何云ってるの?!」
「なんだよ。うれしくないのかよ」
「……いまの前置きじゃ、喜べるわけないよ。渡来くんらしくないし、云ったことがホントならなんだか帰り道、雷雨ってことになりそう」
叶多は身をすくめた。
「ひでぇ」
「自業自得だ」
永が鼻で笑って云うと、陽は、覚えてろよ、とつぶやき、めずらしいほどおとなしく引き下がった。
「ねぇ、叶多。今日、ライヴは最終日だし、打ち上げとかやるんだよね? 呼んでくれないかな?」
「無理! だってあたしもまだほかのメンバーに会ったことないんだよ? 頼んだって、高校生だからって断られるよ」
叶多はすぐに否定した。
「んじゃ、いつ会わせてくれるんだよ」
横から陽が口を挟む。
「……会えるでしょ、もうすぐ」
叶多がステージを指差して云うと、陽に思いきり睨みつけられる。
「バラすからな。さ、みなさぁん、この子が戒の彼女ですよぉ……」
ふざけた陽が小さく口にすると、前の席に座っている女の子が二人、ちらりと振り向いた。
「渡来くん!」
叶多は食い止めようと肘掛けに置いた陽の腕をつかんだ。
「約束だよな」
「勝手にそっちが云っただけだよ」
「なら――」
「だめ!」
声を潜めて云い合っていると、また余計なことを口にしそうな素振りを見せた陽を鋭く制した。
「まだ訊いてないの。いまは忙しいときだし。ちゃんと云っておくから……」
「できるだけ早くしろよ」
「どうしてそんなに会いたいの?」
「借りを返す」
「……何?」
叶多が訊ねると、陽は口を歪めて笑った。
不気味ともいえるようなその真意を問い質そうとしたとき、場内のライトが消え始めた。
同時にファンの浮き足立った歓声があがり、始まりの合図のかわりにどんな大きな声もかき消してしまいそうな楽器音が流れだした。躰に振動が伝わるほどの重低音とともに幕が上がっていく。
音に歓声が重なり、さらに盛りたてようとステージに仕掛けられた花火が一発だけドンと音を立てると、地響きさえ感じる。
花火の煙幕が散り、ステージ中央に立つ、ヴォーカリストの“鷹弥”がいちばんに目に入った。ステージに向かって右サイドに小刻みにメロディを奏でるギタリストの“KENRO”、鷹弥の背後に数段高く設置された場所で、激しくグルーヴィなドラミングを見せつける“KOH”、そして左サイドにベーシストの“戒”が位置した。
戒斗は左の指先を巧みに動かしながら右手に持ったピックで弦を弾き、ぶれることのない低音のリズムを刻んでいる。
黒のスリムパンツに開襟シャツ。そしてアンダーに紫。その組み合わせでそれぞれが思い思いに着こなしている姿は文句のつけようがなく、見惚れるほど格好いい。
鷹弥はカウントをとっているかのように頭を軽く揺らしながら、今日も行くぞ! とファンを煽る。鷹弥が短い言葉を繰りだすたびにファンがそれに答える。
総立ちの会場が乗ってきたところで鷹弥が戒に目をやり、二人はかすかにうなずき合った。
戒が躰を少しのけ反らせ、ベース音を一際太く響かせると同時にKOH が滑らかにリズムを変えて、それを追うようにベースとギターが曲調を変えて音を重ねる。
それがデビュー曲“Find up”とわかると一気に観客席のヴォルテージが触発された。
陽と話し中だったことも忘れ、叶多は目の前にあるあまりの迫力に引きこまれた。
激しいメロディはCDで聴くのと違い、演奏も歌も数段パワーアップしている。ずっとツアーを続けてきたせいか、一カ月ちょっとまえに観たライヴよりずいぶんとビートが効いていて、テレビで見る彼らとは違い、FATE自体が心底楽しんでいるのが伝わってきた。
それがファンにも伝染して、ステージと一体化するまでに時間はいらなかった。
「すげぇ……」
陽が歌の合間につぶやく。ユナと永は周囲と同様、踊るように躰を揺らしている。
二曲目にサッカーワールドカップ予選のイメージソングとして抜擢されたポップ寄りの曲、“Stepwise”が続いた。
それから再びハードに鷹弥が三曲目を歌いだすと、時折会場内のあちこちへと送っていた戒斗の視線が客席の中央に動いた。
叶多はわからないかもしれないと思いつつも手を振った。
*
ライヴの雰囲気に手応えを感じて余裕ができると、戒斗は客席を見渡した。中央に姿を探すと、周りと違った動きがすぐ目に留まる。
視力がよければ、ステージから十数列までは意外と顔まで見渡せることを知らない叶多は、戒斗がその瞳を捕らえると驚いた顔をした。生憎と戒斗の視力は1.5を切ることなく、ステージの照明があれば叶多の表情まで見分けることができる。
少し固めた髪が二筋だけ右目にかかり、それを払おうと頭をかすかに振ると同時に、戒斗は右半身を斜めに客席へと向けた。
叶多へ、と口の端を少し上げてみせると、叶多の顔に満面の笑みが宿る。
戒斗はかすかにうなずき、その視線をちらりと叶多の横に滑らせ、すぐステージ上に戻すと、近寄ってきたライヴサポーターのギタリストと向かい合って競い合うように弦を弾きだした。
*
ユナと永はライヴに集中して楽しんでいるようで気づかなかったらしいが、陽は叶多と戒斗のアイコンタクトを見逃さなかった。
それどころか、陽だと見当ついているはずの自分のうえを無下に通り過ぎた視線に、またもや余裕が見えて気に入らない。
取るに足りない、などと思わせてたまるか。
気持ちは所詮、空回りだった。それでも。
陽はやっと決心がついた。
*
ステージに立った戒斗が叶多を見つけだして瞳と瞳が絡んだ瞬間、叶多は周りの音や人が消えた感覚に陥った。
“仕事”中でもいまみたいに戒斗が気にかけていることを知ると、二週間を超えて会えなかったぶんのさみしさが埋まった気がする。
ほのかに幸せな気分のなか、ほぼノンストップで続いたライヴはステージ上も観客席も熱気が衰えることはなく、ラストソング“Purple Shout”に入った。
「八掟」
不意に陽が呼びかけた。
ライヴの音で陽の声音から感情は窺えなかったけれど、見上げるとそこにはこれまでにない真剣な瞳が叶多を見下ろしていた。
「……んだ」
陽の声は音にかき消されて最初が聞き取れなかった。
「え? 聞こえないよ!」
陽は身をかがめ、叶多の左耳に顔を寄せる。
「おれ、おまえのことが好きなんだ。ずっと好きだった」