Sugarcoat-シュガーコート- #18
第4話 Be Cross -4-
ファストフードの店内はだんだんと込み合ってきた。注文する人の列は三つのカウンターでそれぞれ二つのグループを切ることがない。
空いているテーブルも少なく、店内の入り口で持ち帰りにしようかどうか迷っているグループが屯している。
普段ならどこに行くのかと疑問に思うくらい派手な格好をした二十才前後の女の子たちは、ほかの客が通るのに邪魔になるとも考え至らないようだ。
八月に入ったばかりのこの季節、皮製品のような光沢がある紫のキャミソールと腰にぴったりとフィットした黒の短いスカートは、余計なお世話だろうけれど蒸れそうだ。腰骨にかけたシルバーチェーンが、店内の照明と躰の動きと相俟ってときどききらりと光を放っている。
少し形が違うだけで彼女たちの格好がおそろいであることを考えれば、疑問に思うまでもなく行き先は見当ついた。
この夏、FATEのツアーはファーストアルバムの題名をとって、“Purple Shout”と名づけられている。
その名が示すように、彼女たちの姿はいまのFATEのスタイルそのもの、まるで女性版だ。
それに比べて、重ね着をしたチュニックにレギンスという叶多とユナは極めて定番のらくな格好だ。
「すんごく多くなったね」
「うん。ユナが云ったとおり、早く来てよかった」
人の多さに冷房は効力を失いつつあり、終始わさわさとした雰囲気もあまりいただけない。それでもスムーズに席取りできたぶんだけラッキーだ。
一時間半後には道路を挟んで反対側のホールでFATEのライヴがある。いま店内にいるほとんどの人たちがおそらくはライヴ会場に向かうはずだ。
「けど落ち着いて食べらんねぇ」
椅子に仰け反った永が不機嫌に云って、睨みつけるように店内を見回す。
「いつも落ち着いて食べてるとは思えないけど」
ぼそっと叶多がつぶやくと、斜め向かいに座っている永は聞き逃すことなく、不機嫌そのままの目を向けた。
「……聞こえた?」
恐る恐る訊ねた叶多の隣でユナがくすりと笑っている。
「八掟」
躰を起こした永が、テーブルに身を乗りだすようにしながら脅しを含んだ声で呼びかけると、叶多は無意識のうちに逃げ腰になって少し躰を引く。
「……だって、あたしの倍以上の量を食べてるくせに、あたしの半分の時間で食べてるよ? ご飯をゆっくり食べるより、遊びたいみたいだし」
「おまえ、ヴァージン喪失して云うことが生意気になってねぇか?」
躰を引いていたぶん、叶多は思わず椅子の端から滑り落ちそうになった。ユナが慌てて腕を取って支えた。
「ち、ち、ち――」
「叶多、落ち着いて……」
「違うよ! あたしまだヴァー――っ!」
ユナはとっさに叶多の口をふさいだ。
ただでさえ永と陽の見栄えよさのせいで周囲の注目を集めているなか、店内中に行き渡る叶多の叫び声を無事にさえぎったユナはほっとため息を吐く。
永が目を細めて辺りを一睨み返すと、そそくさとそれぞれに視線が散らばった。
ユナがしばらく口をふさいだままでいると、叶多は泣きそうな顔をしながら瞳で訴える。
「ちょっと落ち着いた?」
ユナが訊ね、うなずき返すと叶多はやっと解放された。
「ユナ、喋ったの?!」
叶多はユナを責めるように問い詰めた。
「ごめん。ちょっと流れでつい。別に悪いことじゃないし、詳しいことは云ってないよ。ホントにごめん」
「おれが無理に訊いたんだ」
永がユナを庇って口を挟んだ。
「詳しいことって、あたしはまだ……」
「まだって……もしかして、何もなかったの?! だって電話では――」
「それってユナが勘違いしただけだよ!」
困惑したユナを、叶多は悲鳴に近い声でさえぎった。
あの電話のあと、露骨な話はすることもなく、わざわざ訂正するのもへんな気がしてそのままにしていた。
ユナはともかく、永と陽にまでそういう目でずっと見られていたのかと思ったら卒倒しそうなくらい眩暈がする。
戒斗が云ったように普通に誰もがそう思うのだろうけれど、いや、何もなかったところでそのほうがどうかしていると云われればそうでも、少なくともいまの時点の叶多にとっては、なかったことをあったこととして触れ回されてしまうほうが大問題だ。
「へぇ……あいつ、手を出さなかったんだ」
叶多の正面に座り、至って冷静に事の成り行きを見守っていた陽がニヤつきながら口を開いた。
「な……何が云いたいの?」
「やっぱ、おまえじゃあ、な」
あれ以来、機嫌直しを考える必要もないほど気味悪く鳴りを潜めていた陽の意地悪が復活した。
「陽、ストップ」
ほらぁ、意地悪じゃない! と訴えるように叶多がユナを見ると同時に、永が陽をさえぎった。
「あきらめるつもりねぇんなら、戦略を考えろって忠告しただろうが」
「なんの話?」
陽は永を不機嫌に睨みつけている。どこ吹く風の永は自分に目を向けた叶多を一瞥してまた陽に視線を戻した。
「こういう八掟みたいな奴はストレートに云わねぇと絶対、伝わんねぇぞ」
「あたしみたいなって何?!」
ちょっと憤慨すると、ユナが叶多の腕を引いた。
「おまえ、目の前で――」
「だいたい、さっさと行動しないおまえが悪いんだよ。出遅れてるうえに、おまえの態度じゃ――…」
「おまえ、おれに喧嘩売ってるのか」
互いが互いに最後まで云わせないまま、陽と永はだんだんと険悪になっていく。
「ちょっと――!」
「放っといていい」
ユナが止めようとした叶多を小さな声でさえぎった。
「なんの話してるの?」
叶多が声を潜めて問い直すと、ユナは首をすくめた。
「ちょっと考えればわかることだよ。でも戒斗さんとうまくいってるんだから考えないほうがいいかも。叶多、またパニックになりそうだし……」
「榊、余計なこと云うなよ」
陽がむっつりとした顔でユナに警告した。
「悪いけど、あたしは渡来より叶多のほうが大事なの。だから云うわけないでしょ」
「ちぇっ」
陽は複雑な表情で舌打ちをした。
ちょっと考えればわかること。
叶多はまじまじと陽を見つめた。
「なんだよ」
陽は目を逸らし、投げやりにつぶやいた。
「早く食べよ。もうすぐ開場時間だし。ね、永」
「そうだな。あ、おまえ、テリヤキソースついてるぞ」
永は手を伸ばしてユナの口端についたソースを拭うと、人差し指についたそのソースを舐めた。
「ありがと」
いつものことだけれど、人前だろうがラヴモード全開のふたりには関係ないらしい。確かに永のこういうところは『やさしい』と表現できなくもない。
そう納得すると同時に、叶多は似たようなシーンを思いだした。
あの時は、指ではなく直接、戒斗がパン屑を舐めたんだった。
幸せな気分になって叶多の顔が緩む。
*
目の前で叶多がかすかに笑みを浮かべ、陽は四人のなかでただ独り顔をしかめる。誰のことを考えているか、その表情から一目瞭然だ。
『好きな女を苛めるのはガキのすることだ。わざと聞かせたのかどうかは知らないが、叶多が欲しいんなら、おれを超えることだな』
わざと。
それは認める。
叶多がバカみたいに無邪気に戒斗を信じているのを見ていて、どうせ叶わないのならどうにでもなれという投げやりな意地悪心と、どうにかしてやりたいという歯痒さが相俟ってやったことだ。
けれど、ありえないと云わんばかりの云い草。
思いだすたびにムカつく。
絶対、ぎゃふんと云わせてやる。