Sugarcoat-シュガーコート- #17

第4話 Be Cross -3-


『……叶多?』
 戒斗は、通じたもののすぐには応答しない叶多に呼びかけた。
「う、うん!」
『……』
 上ずった叶多の声に戒斗は黙りこみ、叶多自身も自己感情処理が追いつかずに何を喋っていいのかさえわからない。
『今度はどうした?』
 ようやく訊ねた戒斗の声はおもしろがっていそうに聞こえた。
 それでも抗議する気持ちさえ起こらない。そうさせるためだったのか、逆に少し落ち着いた。

「ううん……さっき……ユナと話してたんだけど……それで……ユナに勘違いさせたみたいで……」
『何を?』
「え……っと……わかるよね? あたし、ユナがその話をしてるんだってこと気づかなくて、ヘンな答え方しちゃったの」
『今日、会った雰囲気じゃ、おまえの母さんも頼も間違いなくそう思ってる。いずれはそうなるんだし、周りがその時期をどう思おうとどうでもいいだろ』
「戒斗!」
 至って真面目に云った戒斗は叶多の悲鳴じみた呼びかけに笑った。明らかにからかったのだ。

『それで自分がキスのおねだりしたことが恥ずかしくなったってわけだ』
「おねだりしてない!」
『もっと』
「……意地悪」
『挑発されたことへの仕返し』
「大人げない」
『得失あってプラスマイナス無限大。男と女の関係で一方的に大人を求めるのは卑怯だ』
「……意味、わかんない」
 戒斗がかすかに笑みを漏らす。
『今朝は……一歩進んだと思ったんだけどな……おれはまた最初からやり直すべき?』
 思いがけず、戒斗の声は真剣に聞こえた。がっかりしたような響きさえ聞き取れる。
 戒斗に云われて今朝のことを思いだした叶多は見られているわけでもないのに、かすかに赤らんだ顔を隠すように伏せる。
 くちびるに触れてほしい。
 言葉にしなくても通じ合える以心伝心は、ちゃんと自分の存在が受け止められていることを確認できてうれしかった。
「ううん、続きがいい!」
 電話越しに戒斗の笑う声が響いた。
『まぁ、続きでなくてもおれには楽しみの一つになりえるんだけどな』
「……もしかしてあたしで遊んでる?」
『その表現は適切じゃない』
 戒斗は意味ありげに含んだ笑い方をした。こういうときは訊いてもきっと教えてくれない。

「ねぇ、戒斗」
『なんだ?』
「戒斗って……やっぱりお金持ち?」
 とうとつに叶多が訊ねると、戒斗はしばらく黙った。
 まえに異母兄(あに)維哲(いさと)が云ったように、いつか戒斗は有吏一族のことを話してくれるだろうけれど、いまはまだ“いつか”ではなくて、どこまで叶多に承知させていいのか、迷っているのかもしれない。
『おれが、ってこと? それとも有吏が、ってことか?』
『んー……っと、ユナに訊かれて……あたしが話題ふっちゃったんだけど、コンサルタントの会社ってことは云っていいかなと思って。でも、そのさきが答えられなかった。云っていいかどうかもわからなかったし」

『有吏リミテッドカンパニーはコンサルタント業界でトップにある。社員は有吏の表向きの親族ばかりで少数精鋭になってるけど、その実、裏で動いてるのは一族からその配下まで至る。おれも含めて、八掟主宰もその一人だ。その末端まで余裕で(まかな)えるくらい、表向きの報酬だけでも充分すぎる利益は得られてる。それだけ秀抜した人材と仕事の質がある』

 戒斗の声から気位の高さが滲みでている。
「表向きって、やっぱり裏の仕事があるってこと?」
『……裏って云っても別に悪行を率先してやってるわけじゃない。ただ、どうしてもそうせざるを得ないときもある。護るためには仕方ない』
「護るって何を?」
『何を、っていうよりは、何から、ってことになる。有吏一族が人知れず存在するように、別組織が在るってことだ。それを牽制(けんせい)しているのが有吏の裏の仕事だ。だから裏の仕事に値段はつかない。つまり、依頼で動くとしても報酬は依頼主の意向によるし、無償でやることもある』

「……んー……それって正義の御方(みかた)?」
 オブラートに包んだ戒斗の言葉は、やっぱり叶多には理解できずに(うな)った。
『正義って云うのをどういう定義で解釈するかによる』
 戒斗はかすかに笑ってはっきり答えなかったけれど、恥じ入ることは何もないという至誠が見える。
「戒斗の云うことって難しい」
『無理に理解する必要はない。ただ叶多、おれといる以上、おまえも面倒なことに巻きこまれる可能性はゼロじゃないってことだけ覚えておけよ』
 叶多の正直な感想に笑ったあと、戒斗は真剣な声で告げた。
「……うん、わかった」
『できるだけ……というよりは絶対にそうなるまえにおれが阻止する』
 不安そうに返事した叶多とは対照的に、戒斗は絶対の自信を持って宣言した。

「うん! 戒斗がそう云ってくれると、その『面倒なこと』ってなんだか楽しそう。人知れず人のためになるってカッコよくない?」
 早くも不安から立ち直って単純、且つ能天気に叶多が返すと、戒斗は呆れたように笑う。
 叶多の頭の中にはスパイ映画のアクションシーンが飛び交っている。ヒーローはもちろん、戒斗の顔に入れ替わり、重ねて云うまでもなく、背中合わせに銃をかまえているヒロインは叶多だ。
 それが現実なら、戒斗の手助けになるどころかきっと足を引っぱるだけだろうけれど。

『それで、おれ自身が金持ちかどうかってのは気になる?』
「んっと、気にはならないけど興味ある!」
『いま住んでるのが2DKの賃貸アパートって云ったら?』
 叶多はすぐには答えず、想像してみた。
 云われるまで、ずっと豪華なマンションだと思いこんでいただけに驚きだった。
 昨日、会わなかった頃のことをいくつか語ってくれたけれど、有吏から自立していると明言したとおり、家を出て以来、シンプルな生活を続けていることがわかると少しほっとした。
「戒斗がそういうところに住んでるって想像できないけど、いい感じ!」
 戒斗は堪えきれずに声を出して笑う。
『とにかく、コンサルタント業というところまでは、他人に知れようがなんの支障もない。裏も似たようなもんだし』
「わかった。ユナには2DKの玉の輿(こし)って云っておく」
『そうしてくれ』
 笑みを含んだ声だ。

「明日は横浜だよね? 疲れてない? 余計なことさせたから……」
『大丈夫だ。自分の管理くらいできてる。アクシデントに遭ったらシフトチェンジするのみだ』
「でも、やっぱり気をつけて」
 バンドという仕事で忙しいのはもちろんのこと、その合間に有吏家総領次位としての役目もこなしている戒斗は、いつ休んでるんだろう。
 ふと、そんなことを思った。
『ああ。叶多、ライヴのチケットの件。送っておく』
「ホント?! このまえのライヴはちっちゃくて全然、顔が見えなかったんだけど……」
『前から七列目、中央なら?』
「すごい! ユナもきっと喜ぶよ。ありがとう」
『またしばらく会えないけど電話は遠慮いらない。じゃあな』
「うん」

 あ!
 叶多は電話を切った直後、陽に何を云ったのか戒斗に訊くのを忘れたことに気づいた。
 まぁ、いいよね。聞いたところで、あたしが渡来くんの機嫌を直せるとも思えないし。

BACKNEXTDOOR