Sugarcoat-シュガーコート- #16
第4話 Be Cross -2-
帰った日の夜、夕ご飯を食べ終わったあと、待ちかねたようにユナから電話が入った。
『待ってたんだよ?』
叶多が答えるまえにユナの抗議が降りかかった。
リビングを出て、叶多は二階の部屋へ向かう。
「ごめん。あんまり眠ってなくて、帰ってきてから昼はずっと寝てたの」
『……あ……そうよね……そっか、そっかぁ』
「ユナ?」
不必要な間を置いたユナの声は、不満からすぐさま理解に満ちた笑みに変わり、叶多は不思議に思って問いかけた。
『で、どうだったの?』
「うん、ちょっと戒斗を困らせたけど行ってよかったよ」
『……はじめてだもんね……でも、イってよかったって、叶多ってば人が違ったように大胆発言。それはともかく……大人なだけに上手いんだぁ』
またもや間を置いたユナの口調は妙に納得した声に続いて、舞いあがった様子で声のトーンが上がり、そしてうらやましがった口ぶりへと変化した。こんなにころころ気分が変わるユナはめずらしい。
自分で云うのもどこか合点がいかないけれど、まるであたしだ。
部屋に入るとエアコンをつけ、叶多はベッドの端に腰掛けた。
「上手い? ……上手いっていうか余裕があるんだよ。あたしよりあたしの扱い方を心得てる感じ。ホントに行くこと自体、大胆だったかも。何も考えてなかったし。だからあたし、訳わかんなくなっちゃって――」
『そんなによかったの?!』
叶多をさえぎり、ユナは咳きこむように訊ねた。
そんなに驚くようなことなのかと思って、叶多は少し眉をひそめる。
微妙に話がずれているような……?
「……えっと……よかった、って……それは戒斗のことすごく好きだし、よかったに決まってるよ? 結局、函館に泊まったの。夜景を見に連れていってくれて、ホントにきれいだった。それから……とにかく、戒斗を好きになってよかったって思ったんだ」
『そうかぁ。やっぱり寝台車の中じゃあね。デートまでできてよかったね』
「うん。寝台車でもきっと変わんなかったと思うけど、でも、デートできたぶんよかった」
『でもついに……ってことになると……渡来がちょっとかわいそうかも』
「なんで渡来くんがかわいそうなの? 意地悪だよ?」
ユナが電話の向こうで吹きだす。
『戒斗さん一筋の叶多が気づいてるわけないか……いいの、こっちの話』
「最後まで云ってよ。なんだか気持ち悪い」
『あたしが云うことじゃないよ。渡来もそれなりにプライド持ってるし』
「それなりにって云うより、プライドの塊のような気がする。金持ちってことを鼻にかけてる感じはないけど負けず嫌いだし……」
『叶多もよく見てるんだね。渡来は、お金持ちだから、って片づけられるのが嫌いみたいだから』
「そういうとこ、戒斗と似てるかもしれない」
『え、それって戒斗さんももしかして玉の輿なの?!』
「よくわかんないけど、たぶん」
『よくわかんないって親戚でしょ?』
叶多は触れてはいけない領域にユナの好奇心を向けてしまったことに気づいた。
「そうなんだけど、血的には遠いし。お兄ちゃんから聞いたのは、戒斗のお父さんはコンサルタントの会社の社長さんなんだって。戒斗のお父さんとは何回か会った……って云うより、見たことがあるって云ったほうが合ってるかな。なんだか怖くて近づけない感じするし、話したことないくらい遠いの」
戒斗もずっとまえはそんな感じで、だからこそ叶多からは近づこうとも思わなかった。いまでは別人みたいにいつも柔らかい。
『コンサルタントって?』
「いろんな会社からいろんなことで相談受けたり、指導したりするような仕事らしいよ。そういうのがどれくらい儲かるのか知らないけど」
『戒斗さんにはちゃんと訊かないの?』
「どうでもいいから」
『ぷっ。叶多らしい』
危うい話題が深まりそうで、叶多が惚けたふりをすると、ユナは幸いにも乗ってくれた。
「失礼だよ!」
叶多は怒ったふりをした。
戒斗の家がお金持ちだということは確かだけれど、その実情はまだ訊いていない。それでも戒斗の背景に及ぶ話はどこまで語っていいのか、何気ない会話も注意を払わないとここでも負担になってしまう。
『FATEのメンバーの私生活ってまだ公表されてないし、ますます戒斗さんに会いたくなる!』
「とりあえず、チケットの件は取ってくれるんだって」
『わお。期待して待っておく。ところでさ、昨日の電話。戒斗さん、渡来になんて云ったの?』
「あ、何も訊いてない。どうして?」
『永が教えてくれないって云ってたから。なんだか怒ってるらしいけど』
叶多はそれを聞いて憂うつになる。
「……あたし、またそれで渡来くんに苛められるんじゃないよね……戒斗に合わせろって云ったのも意地悪の一環のような気がする」
『あれは苛めてるんじゃなくて……ま、いっか』
「何、またそこでやめるの?」
『いいの、いいの。じゃ、また月曜日ね! ふふっ』
ユナは含み笑いをすると、止める間もなく電話を切った。
その、ふふっ、を聞いたとたん、叶多は最初の微妙な会話のずれの原因に気づいた。
もしかして、すごく絶妙な会話だった……?
そういえば千里からもへんにニコニコした、いつもと違う眼差しが向けられ、頼は勘繰るように叶多に何回も視線を送った。
叶多としては結局、何事もなかったわけで気にすらしていなかったけれど、当然、その立場になったらそう考えるだろう。
違う。何事もなかった、と云うには語弊がある。
函館の夜景のなかで戒斗に委ねたはじめてのキスは、いま思いだしても顔が緩くなる。
あの瞬間は恥ずかしくて。
けれど、ベッドの中で受けたキスは恥ずかしいのを遥かに通り越して、ずっと、という想いが溢れた。
もっと。
素直な気持ち。そうすることが当然のような気持ち。
だからこそ、帰ってきて母親と顔を合わせようとなんともなかったのに、ユナの、ふふっ、を聞くと、戸惑ったすえの愚行の原因が甦った。それをすっかり忘れた自分のあとの行動はとんでもないことのようでまた恥ずかしくなる。
宙を見てユナとの会話を反復してみると、自分がいかに大胆な発言をしていたかということに気づき、なぜかやったこともない行為を想像するに至った。
思わずベッドの足もとに飾ったポスターに目をやり、当然のようにそこに写った戒斗と目が合って意味もなく赤面した。
タイミングがいいのか悪いのか、その時、とうとつにFATEの曲が流れる。
びくっと躰が跳ね、心臓がバクバクと壊れそうに弾んだ。