Sugarcoat-シュガーコート- #14
第3話 extra innocence -latter-
遅い夕飯を食べあげた叶多は、スポーツバッグを持って浴室へと入っていった。
戒斗はそれを見届けてから携帯電話を取りだし、ボタンを押した。
「和久井、おまえ、叶多に何を云った?」
『将来、叶多さんが戸惑われることのないようにと忠言しただけです』
いきなり戒斗に責められようが、和久井はまったく動じずに答えた。
「余計なことだ」
『貴方にどういう意思があろうと、総領次位であることにはかわりないんです。総領が無理を通されたいま、いくら忠誠を誓うほど結集力の強い血族とはいえ、有吏本家への風当たりは強くなっています。立場を弁えなければ、おふたりは意思におかまいなく引き離されますよ』
「それはおれが覚悟することであって、叶多に負担をかけるつもりはない」
戒斗はめったにないほど声を荒げた。
総領である戒斗の兄、拓斗は本来、規範を示すべき立場にありながら、信じられない理由で慣例を破り、我を通した。
妹の那桜がCLOSERと称したほど、感情を無にした拓斗がはじめて人間臭さを見せた瞬間だった。
誰もと同様に戒斗も驚きはしたが、批難するよりも、拓斗の殻が破れたことを歓迎する気持ちのほうが強い。
拓斗がそうであるように、自分もまた護り抜く。
『いい転機かもしれません』
「どういう意味だ?」
『我が主、戒斗がお思いのところに賛同していますよ。だからこそ、叶多さんには頑張ってもらわなくては』
「……めずらしいな。おまえが人を受け入れるとは?」
人当たりが良すぎる和久井はその実、排他的なところがあって易々とは人を認めない。
その和久井が、叶多に第一印象を冷たい人間だと正直に思わせたあたり、叶多に対する誠実な態度ともいえる。
『数年前までの貴方ほど難くはありませんよ。貴方のお眼鏡に適い、尚且つ、貴方を慌てさせる方にはお目にかかったことはありませんから当然、興味あります。叶多さんは実に邪気のない方ですね』
「もういい。和久井、それよりこっちのフォローを頼む」
和久井がそれ以上余計なことを云うまえに話を切りあげ、戒斗はとうとつに下命した。
『どうされたんですか?』
「略取を疑われてる」
『は?』
和久井は呆けた返事をした瞬後、理由に思い至ったらしく笑いだした。
「和久井」
戒斗が冷静にたしなめると、笑いを堪えつつ和久井は謝罪の言葉をつぶやいた。
『貴方が犯罪者に間違えられようとは。確かに叶多さんは今回の突飛な行動といい、見た目といい、ただでさえ純粋な印象受けますし……もとい、経緯をかんがみれば戒斗、貴方はもしかして、いわゆるロ――』
「和久井!」
戒斗は鋭く和久井をさえぎった。
その一言に警告と脅迫を込めたが、和久井は気にすることもなく、
『わかりました。すぐに手配をとります』
と笑みすら含んだ声で答え、電話を切った。
さえぎったこと自体が、少なくとも、気にしていることを認めたのと同じであると気づいたのは電話が切れたあとだ。舌打ちをして、戒斗はこれ以上になく顔をしかめた。
「どうかした?」
戒斗はドアの開く音に気づかず、不安そうな声に少し驚きながら叶多を捉えた。
「なんでもない」
戒斗はしかめ面を消し、目を細めて叶多を見つめた。
ピンクとイエローのチェックのハーフパンツにタンクトップという姿の叶多は、明らかに五年前との違いを見せつける。
二週間前、部屋を訪れたときと同じ格好なのにもかかわらず、くちびるに触れたぶんだけ理性が飛んだ気がした。
戒斗の中に抑制しきれないなんらかの感情がよぎり、それを振りきるように立ちあがった。
顔にも表れていたらしく、叶多は戒斗を見て不思議そうに首をかしげた。
「おれもシャワーを浴びてくる。もう寝てろよ」
「うん」
やがて戒斗が浴室から出ると部屋は静まり返っていた。
ベッドの脇で立ち止まり、躰を丸くして眠っている叶多を見下ろした。
しばらく見つめてから、戒斗は指先で頬に触れてみた。あらぬ衝動を覚えてすぐに手を引っこめる。眠っていてくれたことに、柄にもなくほっとした。
ベッドサイドの明かりを残して部屋を暗くすると、戒斗はソファに行って横たわり、小さく息を吐いて目を閉じた。
ふと、叶多はあまりの静けさに目が覚め、ベッドの上で仰向けになった。いつの間にか部屋は暗くなっている。
戒斗が浴室に行ったあと、ベッドに寝転がったことは覚えている。浴室から聞こえてくるシャワーの音が心地よいリズムを刻んでいるようで、ちょっとだけ、と目を閉じたのだけれど、そのまま数時間前の緊張も忘れて微睡んでいたようだ。
薄明かりのなか、躰を起こして部屋を見回すと、ソファに横になった戒斗が目に入った。二人掛けの長さでは足りずに、ソファの片袖から足がはみだしている。
「戒斗」
「なんだ?」
叶多が呼びかけると、眠っていなかったのか、戒斗はすぐに反応した。
「こっち……来て」
「叶多」
諭すように戒斗が名前をつぶやいた。
「だって……今日はライヴで疲れてるのに、あたしのせいで余計に疲れちゃっただろうし……ベッド、広いから平気だよ」
「おまえが平気でも、おれがそうである保証はどこにもない」
「……戒斗」
名を呼んだだけで無言の催促をしても、戒斗は答えなかった。
叶多があきらめかけてため息を吐いたと同時に、ベッドの片側が沈んだ。
サイドテーブルにあるランプが戒斗の顔を照らす。
「おれの忍耐力を試したいらしいから受けてやる。挑戦されて逃げたら、有吏の名が廃る」
戒斗は片側の口を歪めて笑みを浮かべ、叶多から少し離れた位置でシーツの下に入った。
エアコンが入っているせいで、季節がわからないほど部屋は心地よい温度に保たれている。
自分が云いだしたにもかかわらず、横にいる戒斗を意識して、叶多は自分の体温が一度くらい上昇した気がする。
「……えっと……くっついていい?」
ドキドキしながら戒斗のほうに顔を横向け、叶多は恐る恐る訊ねた。
戒斗が叶多を向き、呆れた眼差しとともに手が伸びてきて、肩を抱きこむようにしながら叶多を引き寄せた。
叶多はもぞもぞと躰を動かして戒斗にくっつく。
「……おまえ、安心しすぎだろ?」
「一緒にいる時間、あんまりないからふたりでいられるときは……」
「もういい。とにかく早く寝てくれ」
いつになく切実そうな戒斗の命令に、叶多はクスクスと笑う。
それに伴って揺れる躰がどんな影響をもたらしているか、叶多は知る由もなく、その動きを止めるように戒斗は叶多を腕で縛った。
「事態を甘く見た報いだ。これくらい、負けにはならないだろ」
叶多の口もとのすぐ傍でつぶやくと、戒斗は笑みを浮かべたくちびるを襲うようにふさいだ。
心情そのままに戒斗の熱が伝わってきて、深く探られるほどに、何をされているかわからなくなる。叶多の判断力は鈍っていき、されるがままに預けた。
息が詰まりそうになって呻くと、戒斗は顔を少しだけ離して叶多を解放した。叶多は喘ぎながら深呼吸をする。
「もう一回」
「やだね」
報いになっているどころか逆効果だと知った戒斗は、つい口に出た叶多の願いを無下に退けた。
叶多は伏せていた瞳を開き、即答した戒斗を見つめた。
「早まった、って意味を全然理解してないよな」
戒斗は自分に云い聞かせるような口調でつぶやいた。
「意地悪」
囁いた直後、叶多はちょっと顔を起して目の前の戒斗のくちびるを舐めた。
まもなく、叶多はあっけらかんと戒斗の腕の中で眠った。
その傍らで戒斗は経験のない葛藤に曝され、長い時間まんじりともせず、安易に幼すぎる誘惑に乗ってしまったことを後悔した。
* The story will be continued in ‘Be Cross’. *