Sugarcoat-シュガーコート- #13
第3話 extra innocence -first-
戒斗の腕の中で見た夜景は、叶多のいまの心そのままにあまりに柔らかく、きっと忘れられない。
時折、通り過ぎていく車のライトにふたりの姿が照らしだされると、ひやかすようなクラクションが辺りに鳴り響く。
そのたびに躰を離そうとするけれど、戒斗の腕がそれを許さず、叶多はくすくすと笑った。
あきらめて、というよりは心地よさに負け、叶多が躰を委ねていると、しばらくして気がすんだように戒斗の腕は緩んだ。
「おまえを待ってる間に部屋をとった。今日はそこに泊まって明日の八時台の飛行機で帰る」
「……ごめん、必要ないことやらせて……」
戒斗がふっと息を漏らして、笑ったのがわかった。
「何? 真剣に謝ってるんだよ?」
「わかってる。乗れよ」
叶多の背後のドアを開けると、戒斗は笑みの見える声で促した。
函館山を下りると、戒斗はベイエリアへと車を走らせた。
「戒斗」
「なんだ」
「……おなか減った」
運転しながらも一瞬、戒斗の視線がまともに叶多に向き、それから車の時計が十一時を回っているのを確認するとこもった声で笑った。
「太るかもって気にする年じゃないのか?」
「夕ご飯、食べられなかったから」
理由を察した戒斗はまた短く笑って、オーケー、と答えると、途中にあったコンビニに寄り、再び目的地へと車を出した。
赤レンガ倉庫群を通り、戒斗はベイエリアの一角にあるホテルへと連れていった。ホテルはそれほど大きくないけれど、函館の街並みに似合っている。街灯と窓の明かりにライトアップされた欧風の外観はロマンティックだ。
戒斗のあとを追って中に入ると、すぐにホテルマンが出迎えた。数回のやり取りのあと、戒斗に向けられた営業スマイルが叶多に移ると、わずかに怪訝そうな表情が加わった。
叶多はたじろいで戒斗を見上げた。すかさず気づいた戒斗は叶多からホテルマンに目を移し、眼光一つで圧力をかけた。
叶多から見てもその横顔は年令とおよそ不釣り合いに武張った様で、ホテルマンは戒斗の命令し慣れた風情となんらかの背景を悟ったようだ。
「どうぞこちらへ。部屋までご案内いたします」
ホテルマンは余計な詮索を控えてすぐさま申しでた。
叶多は戒斗に手を引かれながらついて行き、エレベーターで移動してから案内された部屋に入った。泊まるだけではもったいないくらい広くてゴージャスな部屋だ。戒斗とホテルマンを差し置いて、叶多はスイートルームを探検した。
「叶多、早く食べろ。もう時間が遅い」
叶多が好奇心丸出しで室内をうろうろしていると、戒斗がソファとセットのテーブルにコンビニの袋を置きながら声をかけた。
「うん。戒斗……ホテルの人、ヘンな顔してたけど何?」
コの字型の両端に置かれた一人掛け用ソファの片方に座ると、叶多はコンビニの袋からサンドイッチを取りだして訊ねた。
戒斗は二人掛けソファの叶多に近いほうに座り、冷蔵庫から持ってきた缶ビールを開けて一口飲むと、ため息を吐くように笑った。
「叶多、寝台車といまの状況が大して変わんないこと、気づいてるか?」
「……え?」
「ベッド、一つしかないんだけどな?」
安心しきっていた叶多はサンドイッチを頬張ったまま動きを止め、思わず部屋を陣取っている大きなベッドに目をやる。叶多はサンドイッチとともに、こくんと息を呑む。
「……えっ……と……」
「また逃げだすなよ、頼むから」
言葉とは裏腹に、戒斗は心配するどころか、戸惑っている叶多をからかった。
「……大丈夫だよ」
叶多は子供扱いに少しムッとしながら答えた。
子供には違いないけれど、いまはドキドキするような不安より、戒斗と一緒にいたい気持ちのほうが大きい。
「何かあるにしてもないにしても、傍から見たら想像することは同じだろ? それはいいとして、問題はおまえの格好」
叶多は下を向いて制服のままであることを確認すると、思い当たってすぐに顔を上げる。
「いかにも高校生だよな。叶多の場合、下手すれば中学生だ。差し詰め、おれは何も知らない未成年者を誑かしてる犯罪者ってとこだろうな」
戒斗はにやりと笑う。
中学生という言葉に不愉快になりながらも困惑を覚え、戒斗とは対照的に叶多は複雑な顔をして首をかしげる。
「念のため、おまえに云い訳しておくと、週末だろ? 部屋を選べなかっただけの話だ。おれはこのソファで寝る」
「でも……」
「おれはどんなとこでも眠れる。おまえはもちろん会っていなかった間、おれが何をしていたか知らないよな。家出同然で有吏を出た以上、家を頼るつもりはなかった。無一文でさ、大学は休学して、はじめの頃は野宿することもあったし、バイト三昧で終電に間に合わなくてホームのベンチに寝たこともある」
叶多が目を丸くして戒斗を見つめる。
戒斗が、迎えにいってやる、と叶多に約束した日、有吏の家を出たことだけは知っていた。
ただ、戒斗にそこまでの決心があったことは知らなかった。
やるべきことを見つけられて。
その言葉にどれだけの深い意思があったのだろう。
「想像できないだろ? そういや、有吏にいたら絶対に経験しないような修羅場もあったな」
戒斗は可笑しそうに笑った。
「何?」
「歓楽街でバーテンダーのバイトしてたとき、よく通ってきてた女がいた。どっかのクラブのホステスだったらしいけど。閉店して店を出たら、『おれの女に手を出しやがったな』っていきなり屈強な男に殴りかかってこられたんだ」
「それで?」
「体力的にはもちろん、精神的にも自分の身は自分で守れ。そう仕込まれてきたおれが、不意打ちでもやられるはずないだろ」
戒斗は自負心いっぱいで答えた。
「……手、出したの?」
「どう思う?」
質問を質問で切り返した戒斗に向かって、叶多は不満げに口を尖らせた。
「誰でもいいっていうガキみたいな気分はとっくになくなってる」
戒斗は躰を起こし、叶多の後頭部に手を伸ばして引き寄せると、パン屑ついてる、とくちびるについたパン屑の欠片を舐めて取り去った。
叶多のびっくりした瞳を、戒斗はここでも余裕の眼差しで見やる。
「早く食べて寝ろよ。明日は早い」
こっくりとうなずいて食べている間、戒斗は叶多が知ることのできなかった時間のエピソードをいくつか語ってくれた。
それだけでまた少し、戒斗との会えなかった時間の空白が埋まった気がした。